2007年12月31日月曜日

「再会の街で」を観る

恵比寿のガーデン・シネマにて、名手ドン・チードル目当てに「再会の街で」を観てきました。

いやぁ、ドン・チードル、いいですよねぇ。
個人的には、いま一番観る価値のある俳優さんだと思ってるんで。

なんせ、ニコラス・ケイジは宝探しですからねぇ。もったいない。

今はとにかく、ドン・チードルですよ。


ただ、この作品に関しては、クレジットも二番目で、主役なんだけど、一番のメインじゃないんですね。そこががっかり。

作品にももの凄い期待していったんですが、その辺も含めて、やや期待ハズレな感じもしまして。

もっとドンを真ん中に持って来いよ、と。
作品のシナリオも、もっとドンのキャラクターを描いて欲しかったです。若干、焦点がぼやけちゃったかなぁ、と。
もう一人の主役が、なんかイマイチだったので。役者さんも、キャラクターも。

ただ、この作品は、俳優陣がめちゃめちゃ豪華。リヴ・タイラーに、ジェイダ・ピンケット=スミスという美人2人に、“ジャックの親父”ことドナルド・サザーランド。
ただ、リヴはやや太り気味で、ちょっと老けちゃったかなぁ、なんて。まぁ、全然キレイなんんで、いいんですけど。

そういう、なんていうか、余計なトコに気が向いちゃうんですよね。グッとこさせるモノがイマイチなくって。
シナリオもなんとなく普通って感じだし、映像もなんとなく普通って感じだし。音楽の使い方も、好みのアレもあるんだろうけど、普通だしね。


しかし、とにかくドンの、あの、世界中の矛盾と不条理と悲しみとやるせなさを一人で背負ったかのような、目元の表情の演技は、素晴らしい。それを観るだけでも、この作品を観る価値はあるでしょう。


うん。そんな感想ですな。





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2007年12月30日日曜日

「ゴシカ」を観た

シネマ・エキスプレスで、天才マチュー・カソヴィッツの「ゴシカ」を観た。


長編デビュー作と、その次の作品で、“社会派”みたいな立ち位置で登場してきたカソヴィッツ監督ですが、今回の作品は、ハリウッド資本の製作による、まぁ、エンターテインメントと言っていいと思うんですが、そういう作品です。
ジャンルとしては、ホラー・サスペンスってトコでしょうか。

主演は、ハル・ベリー。
シチュエーションごとに、美しかったり、醜かったり、髪がぼさぼさだったりして、という変化が印象に残りました。
この人は、演技が巧いとは、そんなには思わないんですが、この役に関しては、なんかイイ感じにハマッてる、というか。
その彼女のキャラクターが、知的で論理的な精神科医から、色々あって、最後には霊視能力者なる、という。まぁ、そういうストーリーです。

まぁ、なんていうか、“凡庸”っていうと言い過ぎかもしれないんだけど、カソヴィッツ節を期待してるとイマイチかも。
サスペンス劇としては、まぁ、普通の佳作だとは思いますが。

でも、アメリカ映画って、なんで“刑務所”がこんなに出てくるんでしょうかねぇ。それだけ、生活に身近な存在ってことなんでしょうか。
よくよく考えると、結構不思議。


カソヴィッツ監督の巧さの一つに、“空間”というのがあるんですね。空間を巧く見せる、というか、空間の広がりを見せるのが上手なんですよ。いつも。
今回も、そのテクニックは当然披露されてて、感冒もそうだし、あとは、プールですかね。水の中。あの辺は、あいかわらず上手だなぁ、と。


そんな感じっスかねぇ。

色使いも、刑務所内はダークな感じで徹底して、その辺も“らしい”感じでしたが。


まぁ、ホラーなテイストも抑え気味で、個人的にはその辺もポイント高いですけど。
あ、でも、「シックス・センス」にネタ的には被ってるのかも。
まぁ、でも、サスペンスの佳作、良作って感じで。

でした。



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2007年12月29日土曜日

てこずりましたが・・・

いやぁ、疲れた・・・。

昨日は、テレビで「ゴシカ」を観た後(感想は明日に持ち越し)、頑張って徹夜して、作品を仕上げました。
まぁ、10分の短編なんですけど。

今回はかなり手こずってしまいました。
なんやかんやで一ヶ月かかってしまった・・・。
二、三日で終わる分量なんですけどね。
どうも、今月はいけませんでした。


今回の課題は、音ですねぇ。撮ってる時は、イケるかなぁ、なんて思ってたんですが、苦労してしまいました。

マイクの集音のアレじゃなくって、編集時の“整音”で、もうちょっと色々出来る方法があるんじゃないかと思ってるんですけどね。


まぁ、でも、全部画を繋げた後に、音楽を乗っけた時に、ビシッとハマッてると、ホントに快感。
今回は特にそれがハマッた感じがしたんで、ま、良かったですな。

とりあえず、これでようやく年を越せる感じになったかなぁ、と。
毎回ギリギリですけど。

2007年12月26日水曜日

静・ジョースターに星型のアザはあるか?

最近、忙しいのもあってややネタ切れな感じなんで、せっかくなんで、「ジョジョの奇妙な冒険」の“勝手にスピンアウト・プロジェクト”を。今日は「その2」になりますね。


今までになんとなく思いついたアイデアを、一部ですが。


主人公は静・ジョースターってことは、まぁ、決めてるんですが、スタンドは「アクトン・ベイビー」ですね。第4部では。

なんですが・・・。

「アクトン・ベイビー」は静(と、後に名付けられる女のコの赤ちゃん)のスタンド能力ではなく、その母親のスタンド能力である、というのはどうでしょう。“自動遠隔操作”の。

スタンド使い同士は“お互いに引かれ合う”ワケですから、第4部の中で、静の母親とジョセフたちが杜王町ですれ違っていても、おかしくはありませんからね。

第4部では、静は、“孤児”という扱いで、ジョセフに養子として育てられることになるワケですが、その彼女が、自分の“実の母親”について知りたいと思うのは、まぁ、物語の中の一人のキャラクターの動機としては、十分過ぎるほど説得力があることです。

ということで、静が、自分の“実の母親”の姿を求めて、杜王町に“帰ってくる”というストーリーですね。



もう一つ。
「ジョジョ」で、作者の荒木先生は、“時間”を操るスタンドを何度も登場させ、その能力を描いていきます。
(蛇足ながら、こちらのブログも >>>チダカツontheweBLOG

ちなみに、俺の解釈では、クレイジーダイヤモンドも、ある種の“時間”のスタンドじゃねぇか、と。
“治療する”っていうのは、つまり、“時間を遡る”ってことですからね。元に戻す、無傷だった状態に戻す、という。“戻す”って、つまり“時間”を操る、ってことですから。
まぁ、それはさておき。


“時間”のスタンドを次々と登場させ、その能力を手を変え品を変えて描いていくのに比べて、ちょいちょい出てくるものの、恐らく荒木先生の興味があんまりないからだと思うんですが、あっさりとした味付けに終わっているモノが一つあります。
それは、“空間”。


ヴァニラ・アイスのクリームと、億泰のザ・ハンドですね。

俺の解釈に則れば、ザ・ワールドとクリーム、クレイジーダイヤモンドとザ・ハンドは、どちらも、“時間”と“空間”のコンビっちゅうことになります。


さて、そんなこんなで、俺のアイデアとしては、“空間”を扱ってみたいな、と。


ここからが、ちょっと核心なんですが、“透明化”って、「別の空間に隠れる」っていう風に解釈出来るんじゃないかと思うんですよ。

「ジョジョ」で、荒木先生も、“鏡の中の空間を移動する”とか、“影の中を移動する”とか、そういうスタンドを沢山描いてますが、それに近い解釈が出来ないもんか、と。


静の母親は“別の空間”に存在して(隠れていて?)、静は、母親に会いたいので“その空間”に入っていきたい。

ここで、億泰のザ・ハンドですよ。


ザ・ハンドで削り取られたモノが“その空間”に行っちゃってしまってるんじゃねぇか、と。そう考えた静が、億泰に、「私を削ってくれ」と。
「その後、クレイジーダイヤモンドで治してくれれば元に戻れるんじゃないの?」と。

だけど、クレイジーダイヤモンドの能力では、ザ・ハンドで削られたモノは戻せない、という設定がありますから、億泰は「それは無理」と、まぁ、当然断りますね。
じゃあどうしよう、という感じで、ストーリーが進んでいく、というのが、今のところの、俺のアイデアですね。


ま、あんまり長々と書いてもしょうがないんで、今日はこのくらいで。
またアイデアが浮んだら(で、まとまったら)、追加して書いていきますんで、もの好きな方は、お楽しみに。
でわ。

2007年12月24日月曜日

♪ごぉ~まるさ~ん

エドウィンの、ブラピが出てるCMがいいですね。
「セブン」のミルズ刑事を思い出させてくれる感じで。


で、この間予告編みたいのをチラッと観たんですが、ブラピの新作がカッコ良さそうです。楽しみ。



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2007年12月22日土曜日

劇作家の月9分析

この間、道端に捨ててあった「アエラ」誌を拾って帰ってきて読んでたんですが、「ステージ」という、短いコラムが載ってまして。
中島かずきさんという、劇団☆新感線の座付作家の方なんだそうです。
月9の「ガリレオ」の分析。

ガリレオというのは、そもそも原作があり、それは短編なんだそうです。

以下引用でっす。



物理的トリックの謎解きというのは、短編小説ならば、エンタテイメントにも成り得ますが、ドラマの場合、それだけでは弱いのですね。当たり前ですが、ドラマは人間が演じるもの。つまり会話で物語を語っていかなければならない。小説の場合極端に言えば、会話が一切なくても成立する。ここのところが決定的に違うのですね。
説明だけの会話は退屈なものです。そこにどれだけ個人の感情が乗せられるか。人と人との感情のぶつかり合いが、ドラマの面白さだと思うのです。

書きたいテーマを、どれだけ個人の肉体に落とし込むか。その作業をやっているのが(娯楽作の)脚本家であり劇作家だろうと思うのです。


で、ガリレオは、“謎とその解明”の基本構造だけもらって、あとはアレンジする、という手法で、最近になってから、それが巧くいってるときは面白い、とのことです。



個人の肉体にどれだけ落とし込むか。
劇作家らしい言葉だと思いますね。

“会話で物語を語っていかなければならない”とのことですが、実は、例えば映画でも、会話がなくても成立する場合があるんですが、逆に、舞台では、それは有り得ません。
しかし、テレビドラマでは、さらに反転しますが、会話がないと成立しない、というのはその通りなワケで。

実は、“テレビドラマと映画”ではなく、“テレビドラマと舞台”の方が、方法論としては親和性が高い、みたいな事の、一つの証明でもありますね。


しかし、テーマを肉体に落とし込めるかどうか。
大事なことですね。これは。

と、思ったので、ここでご紹介しました。

2007年12月21日金曜日

大隈講堂へ

今日は、知り合いの作品が、早稲田大学の学生の映画祭に出品されるということで、疲れてヘロヘロの身体を引きずりながら、大隈講堂へ行ってきました。

まずは、その、大隈講堂という単語にやられちゃいましたけどね。
ややビビりながら、講堂へ入りつつ、せっかくなんで、トイレで(なんか変な造りでした)、催しモノの処理も(大です)。


で、肝心の作品は、なんていうか、申し訳ないんですが“好みじゃなかった”、ということで。
ワリと辛口な感想を残してきてしまいました。

が。

そんな、偉そうに辛口な事を言っておきながら、我が身を振り返ると、改めて“映画を作る”ことの難しさを痛感する、という。
物語を映画としてパッケージする、ということの難しさ、ですね。


その知り合いの人っていうのは、早稲田の学生さんで、3週間合宿してその作品を撮ったんだそうです。尺は、1時間半くらいですかね。
まぁ、ホントに、そのことだけでも完全に脱帽なんですよね。これはマジで。

そういう時間があることを純粋に羨ましいと思いつつ、無いモノねだりをしてもしょうがないので、俺なりにやれるやり方で、俺もやらないとなぁ、と。


まぁ、その辺は、いつもながら、改めて、ですが(改めまくってますけど)。

と、10分の短編作品の編集に手こずっている、師走の俺でした。

2007年12月18日火曜日

「スイミング・プール」を観た

土曜日の「バリ・シネ」で観た「スイミング・プール」の感想でっす。

まず、しょっぱなに書いておかないといけないのは、ワリと低予算で作られているんだろう、ということですね。
田舎の一軒屋の中で大半の物語が進行するので。あとは、家の外のプールとか、ね。

この作品は、前々から観たいとは思ってたんですが、まぁ、怠け癖みたいなモンで、“機会があれば”的に延び延びにしてた作品の一つでした。
もっと官能的な感じかと思ってたんですけど、それは、“宣伝のトリック”でしたね。そういうアレは、ちょっと薄め。


ロンドンの、薄暗い地下鉄と、ジメジメした空気から、一転して、カラッとした、日光が降り注ぐフランスの田舎へ、という。まぁ、ありがちっちゃありがちな“移動”ですが。
でも、主人公の表情が、それに沿ってちゃんと変化してて、それは勉強になる感じ。
ベタっちゃベタなんですが、それにキチンと説得力があるのは、俳優の演技の力なんでしょうか。
もちろん、その、微妙な表情の演技をちゃんと撮る、という演出の要請があってこそ、ですけど。


さて、日光が燦々と降り注ぐフランスの田舎が舞台なワケですが、例えばぶどう畑の木漏れ日であったり、プールの水面がキラキラしたり、という所に重きがおかれているワケではなく、家の中の陰であったり、街灯なんかない夜の暗闇だったりが多かったりします。
この辺の光の雰囲気なんかは、勉強になる感じ。
特に、チラッと1カットだけあった、夜の田舎の道を主人公と若い娘が並んで歩くシーン。“月明り”ってことだとおもうんですが、とても綺麗でした。歩きながら、顔が暗闇に隠れたり、光に照らされたり。それが、そのまま、主人公の心象の描写になってる、と、こっちに思わせてくれる、という。
あれは、どうやって撮ってんだろうか・・・。自然光であんなにくっくり映るハズはないし。気になるカットでしたね。


あとはとにかく、主人公の喜怒哀楽をしつこいくらいに描いて、それを追っていく、というトコですよね。


今年の夏にみた、ペネロペ・クルスの「ボルベール」を思い出したのが、娘が殺してしまった男を埋める、というシークエンス。
こちらは、擬似的な母娘で、あちらは殺させるのが実の父(夫)である、という違いはありますけど。
スペインとフランス(南仏?)で、ちょっと雰囲気が似てるところもあるし。
ペドロ・アルモドバル監督は、若干パクったのかもね。


そして、この、監督が仕掛けた、どんでん返し的なトリック。
色々解釈があるとは思いますが。

ただ、個人的には、こういう、“投げっぱなし”な結末って、好きなんですよ。
「あとは観る人に委ねます」みたいな。こういう、作り手の意図って、よく分かるし、好きです。「好きなように解釈して欲しい」っていうのと、あとは、これは推測なんですが、「観た人同士で色々議論して欲しい」っていうか。

で、俺の解釈ですが、ラストで(本当の)娘がチラッと出てきますが、あのシーンで初めて主人公は娘の顔を見た、ということだと思います。
つまり、田舎の家では、ずっと独りだった、と。まぁ、小さなオジサンとか、その辺の人物の出入りはあったでしょうけど。
娘が家に現れるというのは丸々主人公が書いていた物語の中の、つまりフィクション(まぁ、正確に言えばフィクション内フィクション)である、という。
あの娘は実際に家に来てたけど、途中からフィクションだ、とか、そういう解釈もあるみたいですが、俺は違うと思いますね。


と、こういう話を、作品を観た人同士であれこれ話したりして欲しい、というのも、監督の意図なんじゃないのかなぁ、と。

ま、そんなこんなで、フランソワ・オゾン、新作も楽しみですな。





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                  >>>ボルベール

2007年12月17日月曜日

演劇ですけど

朝日新聞に、演劇界の今年を振り返る、という記事が載ってまして。

野田秀樹さんが書いた言葉が紹介されてました。
以下、二重の引用になりますけど。

「等身大」の物語が大嫌いだ。
「紅葉の葉脈の小さな迷路に迷い込んだり」「朝の光をむしゃむしゃ食べる」ようなことが、作家の書くべきこと
であり、職場や学校、家庭でのあれこれを描く「等身大」の演劇は“敵”だ、と。



野田さん、過激です。
個人的には、野田さんの言うことには大賛成なんですよね。
ただ、その、外部的な条件で、どうしても我々は“等身大の物語”しか語れない、という。
それでも、「紅葉の葉脈」を歩くような映像を作れるのかどうか。カネなんかなくたって、アイデアと、今使える技術で。
難しいんですよ。やりたいアイデアは沢山あるんだけど。


記事では、その野田秀樹が今年作った「THE BEE」という作品を紹介しています。

脱獄囚に妻子を人質にされた会社員が、犯人の家に乗り込み、その妻子を虐待する。エスカレートする暴力の応酬は、報復の連鎖という世界の病理を映し、人間を容赦なくえぐった。暴力性は狂気ではなく正気の中に潜在し、恐怖は人間の尊厳を無残に崩壊させる。

という、舞台なんだそうです。
俺は、まぁ、観てないので、これ以上の感想などはないのですが。

ただ、この舞台、「演者4人、上映時間は70分余」なんだそうです。


きっと、 冒頭の「嫌いだ」という言葉は、野田さんの挑発なんだろうな。
応えたいっスね。是非。
少なくとも、その意思は抱いておくべきなんだろう、と。

2007年12月15日土曜日

笑顔もカワイイ

多部未華子の、新しいCM、良いですね。
ユニクロのクリスマスの。

不機嫌な彼女も、笑顔の彼女も、カワイイです。


最近のユニクロのCMは、以前とは明らかにスタンスが変わって、必ず“ストーリー”がある、という。
すごく良いです。


「だって、素敵やん?」
紳助さんでした。

2007年12月10日月曜日

「ラウンダーズ」を観た

金曜日の夜に、ミッドナイト・アートシアターでマット・デイモンの「ラウンダーズ」を観ました。

まぁ、感想としては、結構期待してただけに、ガッカリ、と。
生意気言わせて貰えれば、不満だらけって感じでっす。


まず、音楽がダサい。全然“サスペンス感”、ないもん。あの種の音を使うなら、もっと低音ビンビン響かせるとか、ちゃんとやんないと。ただ“背後になってるだけの音楽”ですからね、アレだと。


それから、なんていうか、ストーリーが進んでいく場所というか、空間というか、まぁ、“設定”なんですが、それが中途半端なんですよねぇ。
一応、NYが舞台なんですが、いわゆる“アンダーグラウンド”でもないし、かといって“ただの下町”でもないし。
そのくせ、主人公の相手はロシアン・マフィアってことだし、親友は“出所”してくる、というストーリーだし。
全然、緊迫感・緊張感がないんだもん。マフィア相手に借金背負っちゃっても。

その、賭けポーカーの場面でも、全然“ヒリヒリ”してこない、というのもダメ。あれじゃ、お正月のババ抜きですよ。

あと、その、「大金を賭けているゲーム」というシチュエーションなのに、アドレナリンがドバドバ出る、みたいな描写が一切なし。これはいただけませんよねぇ。
ギャンブルの中毒性っていうか、まぁ、オレもギャンブルやらないんで、その辺は正直、アレなんですが、でも、それがあってのギャンブルでしょ。淡々とゲームの進行を追っていっても、映画としては、ダメでしょ。


それから、徹夜でゲームするのに、翌朝の顔が同じ、とか、もうダメ。
その辺の、生活感の欠如みたいのは、ある意味で徹底してて、その辺も緊迫感が伝わってこない原因になってる気がします。
もう充血で目がギンギンで、とか、そういうのがないと、切羽詰った感なんて出ないでしょ。
普通に夜中にドライブして、ゲームして、カモから金を巻き上げて帰ってくる、ってだけじゃ、ダメでしょ。


主人公が、“あまり裕福ではない家庭”の出身で、親友も前科者ということで、その、ポーカーで“成り上がっていく”物語なのかとも思ったんですが、そうでもなく。
主人公は、賭けポーカーで、学費を稼ぎながら、大学(法学部)に通ってるんですね。で、老人の教授に取り入ったりして。
その、“上流階級への足がかり”みたいなことかと思ったんです。
しかし、最後には、ドロップアウトしちゃうんですよ。

逆に、借金したりカネをせびったりという、トラブルメーカーの親友との絆を最後まで貫く、かと思ったら、最後にバイバイしちゃって、いなくなっちゃうし。

別れた彼女に謝ってヨリを戻すのかと思ったら、そっちにもバイバイだし。

ドロップアウトするのも、まぁ、いいっちゃいいんですが、そのきっかけが、なんと、老人の教授のアドバイスなんですよ。
全然美しくない!

労働者階級は永遠にそこに留まれ、みたいなことですか?
成り上がってくるな、と。エスタブリッシュ階級になんかなれっこないんだぞ、と。
アウトローとの友情なんか続かないんだぞ、と。

その、全部が全部、中途半端なんですよねぇ。

それから、これはちょっとのけぞっちゃったんですが、“ラスボス”のマルコビッチとポーカーで勝負するシーンで、マルコビッチの背後に、ぼろいテレビがあって、そこでボクシングの試合を中継している、というカットがあるんですよ。
こんな安易なメタファーを使っちゃイカンでしょ。
ポーカーとボクシング、「今この人たちは決闘してますよ~」的な。

ホントに、期待はずれでガッカリでした。


役者陣は、妙に豪華ですけど。
ちなみに、「ER」のコバッチュ先生が、ロシアン・マフィア役で登場してて、そこはちょっと嬉しかったですけどね。


ま、マット・デイモンの人気に乗っかっただけの作品でした、みたいなことですかねぇ。


ここまで散々酷評しておきながら、アフィリエイトっつーのもなんですが、まぁ、参考までに。





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2007年12月8日土曜日

二次創作とやらを

ユリイカ誌の「ジョジョの奇妙な冒険」を、マジで熟読してまして。もちろん、作品の再読も。
まぁ、熱いな、と。

乙一さんの“小説版”も買ったしね。
まだ読んでないけど(来週、連休があるので、そこで一気に読むつもりでっす)。


で。
ちょっと前に、東浩紀さんの「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んでヤラれたのも若干関係してるんですが、俺なりに、ちょっとやってみようかな、と。
二次創作とやらを。

当然、俺はマンガなんかは書けませんし、映画つったって、自分で撮れるワケはないので、難しい所ですけど。
シナリオという形ですね。
ま、書いた後にどうなるかは全然アレですが、まぁ、取りあえずやってみようじゃないか、と。時間はかかるでしょうけど。

まぁ、その、俺のなかに、“萌え”だとか“ロリコン”だとか、当然“やおい”なんつーのも無いので、いわゆる“そっち系”には、一切ならないと思いますけどね。
まぁ、それはそれで。そういうのもアリでしょう。無理してそんなことしても、楽しくないし、ね。



主人公は当然、静・ジョースター。舞台も当然、杜王町。
時代は、4部の12年後。
仗助は、祖父にならって警官になり、今は刑事。
億泰は、パティシエ、というのはどうでしょう。トニオさんの下で修行中、で。
康一君は、東京で、ライターかなんかの仕事をしている、とか、そんな感じかな。大学院生でもいいかも。
主人公の静・ジョースターは、十二歳なので、中一ぐらいでしょうか。

ま、でも、この辺は、乙一さんのを読んでから、またちょっと変わるかもね。


若干、恥ずかしいですけどね。こんな、自分の考えた、キャラクターの“その後”を発表するのって。
きっと、巷のオタクたちも、こうやって妄想を愛しみながら、二次創作の作品を作っているのでしょう。

いつ完成するかは一切分かりませんが、ま、おいおい、ということで。

2007年12月7日金曜日

寒いからもうヤダ!

この間の続きで、真夜中に軽く追撮。

クソ寒いです。



春になって暖かくなるまで、しばらく、撮影はお休み。


寒いのは嫌いです。

なんていうか、脳も活動が低下する感じがする。俺の脳は。
着火しないもんなぁ。脳細胞に。
夜もすぐ眠くなるし。


まぁ、誰かが撮影する場合のお手伝いなら、やりますけど。自分では、しばらくお休み。よっぽどのことがない限りは。


去年の冬は良かった・・・。
あったかかったもんなぁ・・・。

2007年12月5日水曜日

マーブルトロンだってさ

2月くらいに、自分の作品の上映会をやろうかなと思ってまして。

ちょっとネットで調べたりして、高円寺に、上映会用に場所を貸しているところがあるということで、今日、見学に行ってきました。
マーブルトロンというカフェ(カプチーノが普通に美味しかった)の、二階。まぁ、ただの倉庫って感じでしたけどね。
一応、設備は整ってたので。
地下鉄の駅からもすぐだし(個人的には、ここが一番大事だったりするんです)、まぁ、ここに決めよっかな、と。

ちょっと高いんですけどねぇ。お値段が。

椅子も少なめ。30席くらいだそうです。


ま、でも、早めに決めとかないとマズイんで。ハコに関しては。
ちょっと悩んだけど、予約しちゃおっかな~。

2007年12月3日月曜日

撮影しました

昨日は、自分の短編作品の撮影でした。

ご協力いただいたみなみな様、ありがとうございました。

クソ寒い中、ホントに、お付き合いいただきまして、感謝しておりまする。

段取りが悪いやらなんやらで、諸々反省点はありましたが(全部俺の責任です)、まぁ、やることはやったかな、と。寝つきの悪いことはなく、グッスリ寝れました。

一生懸命編集します。出来上がりは、ネットで観れるようになりますので、その時までお楽しみに、ということで。




昨日お願いした方々については、また、近いうちに、別の作品になるかと思いますが、必ずやご助力を仰ぐことになると思います。その時には、懲りずに、またヨロシクお願いします。


さて、編集頑張らねば。

2007年12月1日土曜日

分かるような分からんような・・・

トップランナーの再放送で、脚本家の渡辺あやさんの回のを観る。


そこで起きていることをあたかも“覗き見”しているかのように書く。


自分の創造したキャラクターたちが、あたかもそこに実在して、勝手に話したり動き出したりしているのを、自分は覗き見して、それを記録だけみたいな感じで脚本を書く、ということなんですけど。


う~ん。分かるような、分からんような。頷けるような、傾げるような。


ただ、ストーリーよりも、まずはキャラクターだって言ってましたね。
キャラクターが固まらないとストーリーも書けない、とのことで、「最初にプロット」というのがダメなんだそうです。まずはキャラクターを決めてから書き出す、と。
キャラクターが決まってると、あとは勝手に動き出してストーリーになっていく、みたいな言い方をしてました。
着地点はなんとなく分かってるんだけど、ストーリーは、実際に書いてみないとどうなるか分からない、と言ってまして。


と、言いつつも、自分の書いた作品について、割りとロジカルな分析もしてましたね。
その辺の、バランスというか、創作の段取りみたいのは、不思議。
まず、キャラクターを決めて、その後に勢いで書いて、あとで色々アレンジしていく、という段取りなんでしょうか。


もう一つ、自分の過去に書いたオリジナルの作品を「あきらめきれない」と。
「いつか、それを自分で監督して作りたい」と言ってました。


ま、そんな感じでしたね。
とにかくキャラクターなんだ、と。

2007年11月29日木曜日

このままじゃヤバイなぁ~

昨日、おとついと、新宿で、今度の撮影に使う小道具やらなんやらを購入。モデルガンとかね。

一応、準備をしてるんだけど・・・。


なんかねぇ、テンションが上がってこないんだよなぁ~。

最近体調がイマイチだからかなぁ~。寒いのとか、ちょっと風邪気味とか、そういうのも関係あんのかなぁ~。

なんか、アドレナリンが出てこないっていうか。

脳ミソがピリッとしないんだよなぁ。シャキッとしないっつーか。

このままじゃ、ヤバイっス。


週末に向けて、気合入れていかないとマズイぞっ!

やるぞぉぉぉぉ!
と、自分を叱咤激励。

2007年11月28日水曜日

ちょっとイイ話

新聞の夕刊に、ちょっとイイ話が載っていたので、記録がてら、ご紹介。

京都の、代々、220年つづいている鯖寿司のお店の、そこの七代目の佐々木さんという方なんですが。現在55歳。

五年前(佐々木さんが50歳の時ですね)、デパートの催事の仕事で北海道に行き、そこで、統廃合されることが決まっている小さな学校(小学校と中学校が一緒になっているんだそうです)の先生を紹介され、「子供たちに思い出を」ということで、佐々木さんがその学校へ実演に行ったんだそうです。

で、そこの生徒さんは、今まで誰も鯖寿司を食べたことがない、と。


ちなみに、鯖寿司というのは、しめた鯖を使った寿司(多分押し寿司の一種なんだと思います)なんですが、どうして〆た鯖を使ったかというと、京都が内陸だったからなんですね。200年以上昔には、当然冷蔵庫とか冷蔵車なんてありませんから、保存がきくように、揚げた鯖をしめてからでないと、京都に持ってくる間に腐っちゃうから、という理由から生まれた料理なんです。鯖寿司というのは。
逆に、北海道っていうのは、もちろん、なんつっても“新鮮な魚介類”ですから。基本、ピッチピチの魚ですから。毎日。

佐々木さんからしたら、「口に合うだろうか」と。喰ってくれるのか、と。

ところが、子供の反応が良かったんですね。笑顔で「おかわり」と口々に言ってくれたんだそうです。



その反応に、佐々木さんは、「老舗ののれんに守られた店の味でなく、自分の寿司が認められた」と思ったんだそうです。

佐々木さんは、45歳の時に、先代であるお父さんを亡くして主人になり(当然、それまでずっと修行してきてます)、味が落ちたと言われないようにと、必死だったんだそうです。
で、その、北海道の子供たちの反応で、自分の味に自信が持てたんだそうです。

その学校の最後の卒業式で、佐々木さんは、「仰げば尊し」を一緒に歌ったんだそうです。



というお話です。

どうでしょう?
なかなか素敵なストーリーじゃないっスか?

2007年11月27日火曜日

「SIN CITY」を観る

ロバート・ロドリゲス監督の「シン・シティ」を観る。

アメコミが原作ということで、まぁ、その原作者も監督としてクレジットされているワケで、“原作に忠実に”ということなんでしょうか。
その原作に馴染みがない者としては、その辺のアレはちょっと分かりませんが。
しかし、まぁ、いわゆる“一般ウケ”はまったくしない作品でしょうな。

良かったですけどね。

“盟友”タランティーノの「パルプ・フィクション」とシナリオの構造が似てたりして。
あの、エピソードの並べ方というか、時間軸を入れ替える、というのは、なにかお手本みたいのがあるのかねぇ? 流行りってワケでもないと思うんだけど。


内容ですが・・・。

架空の都市の、社会の最底辺にいるクズたちの物語、ですよね。
犯罪者、悪漢、飲んだくれ、卑劣漢、裏切り者。女性は、娼婦と少女しか出てこないし(あ、一番最初に殺される女性は違うか)。

そういう意味では、フィルム・ノワールではなく、ピカレスク・ロマン、というヤツでしょうか?

権力と権威に守られている“本当の悪”を、暴力という手段によって、ピカレスクが討つ、という。
ま、そういう、ある種の伝統的な物語を、最新の技術、超豪華なキャスト、ロドリゲスならではのスピード感と美学で描く、と。そういう意味では、全然成功している作品だとは思いますけど。

ちょっと話が逸れますが、この、“娼婦と少女”というのは、興味深いですよね。
例えば、日本のオタクのメンタリティとは、ここはまったく異なるので。
個人的には、これは、ロドリゲス流のフェミニズムだと思うんですよね。個人的に、こういう形のフェミニズムって、全然アリだと思ってるんで。
“娼婦”という職業に敬意を払えば、こうなる、というか。ある意味での“自立”ですから。
女性に対して、ダッチワイフ的にしか価値を見出せないオタクなんかよりは、全然健全だし、なんていうか、倫理的に正しい、というか。


さて、とにかくこっちが話題になった、その、全面CGで作られた画面ですよね。
フランス産の「ルネッサンス」よりは全然良かったですよねぇ。画面の密度もそうだし、なんていうか、リアリズムを求めていない、という意味でも。コミックの世界を忠実に再現する、という意図が、いい方向に働いてる、というか。
バットマンのゴッサム・シティとよく似てました。アレもアメコミだしね。

ロドリゲスは、それこそ、スパイキッズで、CGを勉強したのかもしれませんね。
キャラクターの肉体の動きを、CGやらVFXやらで“殺さない”という部分は、ホントに上手だなぁ、と。
ロドリゲスって、元々はホントに“肉体派”ですからねぇ。

キャラ的には、ジョシュ・ハートネットのキャラが一番良かったです。カッコよかった。


ま、感想はそんな感じかな。

個人的には、こんな感じの手法で、「ジョジョの奇妙な冒険」を映画化して欲しいです。いま、なんか、あちこちで盛り上がってるし。






DMMでレンタルも出来ます。>>>こちらから。

2007年11月19日月曜日

「16ブロック」を観る

ブルース・ウィリス刑事がまたまたNYで頑張る、「16Blocks」を観る。

作品のトータルは評価としては、“中くらい”って感じですかねぇ。中の上、とか。

正直、モス・デフの演じるキャラクターの造形がイマイチ。なんか、もうちょっと色があってもいいんじゃないか、と。

ま、その、キャラクターへの違和感とは別に、“コンシャス・ラッパー”の最高峰の一人でもある彼が、無教養で低脳な犯罪者を演じるってことに、ちょっと皮肉を感じちゃったり。ま、それは、逆説的に彼の存在感と、演技の巧さを示してるんですけどね。

モースの悪徳刑事もねぇ。なんちゅーか、そんなに“悪徳”に見えないっていうのあるし。

ま、その、2人とも、俺がもってる先入観が強過ぎるっていうか、ね。
モースは、「クロッシング・ガード」もそうだし、他の作品にも出まくってるからね。
正直、その辺のキャスティングは、俺にはちょっとアレな感じなんですよね。

ただ、まぁ、それはB・ウィリスにも言えることだしなぁ。三者三様で、それぞれにとって同様に、挑戦的なキャスティングだったのかもしれませんね。



冒頭の、主人公の“アル中”の表現も、ちょっとしつこいかな、と。アル中でダメダメの男なんだ、というんを説明する部分。
ただ、一人目の射殺シーンへの伏線だとしたら、あのダラダラした描写も正解ですね。あの、「ホントはデキる」感は、凄い良かったです。普通にビックリしたし、裏切られたし。


物理的なアクションシーンと、心理的な駆け引き、というか、精神的なぶつかり合いが、交互に描かれる、というシナリオも、結構好きかも。そういう意味では、刑事2人の配役はあってる気もしないでもないですけど。

ICレコーダーのオチもとてもイイ。うん。そういう、シナリオの部分はもの凄く良いんですよねぇ。物語の構成というか。


ちょっと気になったのは、その、“16ブロック”の具体的な距離感ですよね。“たいした距離じゃない”というのを、例えば街を空撮するとかして、“実際の距離感”を体感させる、みたいな演出があってのいいんじゃないかな、と。普通に、目指す裁判所のイメージが与えられないので、若干迫力不足になってるし。
ニューヨークという“街”が舞台なのに、その“街”が、イマイチ描写し切れてない、という。

NYの地理をなんとなく分かる人だと、要するに、チャイナタウンを縦断していく、ということなんですが。あのゴチャゴチャした区画っていうのは、チャイナタウン特有のカオスなので。どこもかしこもあんな街路ばっかりじゃないですからねぇ。


しかし、NYのダウンタウンを舞台にしつつ、「9・11」についての描写はしない、という部分は良かった。ようやく“平時”に戻ってきたのかな。NYの映画も。一時期、ホントにそういう作品ばっかりでしたもんね。
いや、ま、それが悪いことだとはまったく思いませんけどね。むしろ大事なことですが。


それから、チャック・ベリーとバリー・ホワイトについてのセリフは良かった。エンドクレジットでバリー・ホワイトが流れたりしてね。そこはちょっと、ニヤリ、みたいな。


ま、そんなこんなで、“佳作”でしょうな。

てくてくロケハン

今日は、バイトが休みということで、実際に撮影する時間に合わせてロケハンを。

ま、ロケハンっつっても、自分ちの近くというか、歩いて15分くらいの場所なんスが。

高架下です。

場所としては、悪くないかなぁ、と。人通りというか、交通量も、思ったほどじゃなくって。
というか、日曜の夜って、人全然歩いてないのね。
寒いからだろうか・・・。
いつもの、バイト終わって帰ってくる時間と、そんなに変わらないので、ちょっと拍子抜け。

ま、心配なのは、ポリスですな。

お咎めアリの場合にそなえて、近くの公園もロケハン。ま、公園の方はBプランってことで。


しかし、ずっと外で撮影だから、寒いんだろうなぁ~。
ホントに、それは心配。風邪とか引かないようにしないとな。俺も、手伝ってくれる人も。



さて、休みなので、ついでに、行きつけの漫画喫茶に寄り道。ヘルシングの新刊とベックの新刊と、ジョジョの奇妙な冒険の第一部と第二部の冒頭を少しだけ。
まだ買ってないんだけど、「ユリイカ」誌で、荒木飛呂彦特集やってんですよ!  その予習です。
あと、手塚治虫の「陽だまりの樹」を。


そして!
なんと、明日も休みなんですねぇ。連休。
レンタル屋さんにいって、DVDを借りてきました。今からそれを観ます。感想は、また明日。


ホントは、こんなのんびりしてる場合じゃないんですが・・・。

2007年11月16日金曜日

「インファナル・アフェア」を観る

せっかくなので、シネ・ラ・バンバで「インファナル・アフェア」を観ちゃいました。

ま、感想としては、良く出来たシナリオだな、と。そこに尽きる感じですよね。

二人の俳優の存在感も、もちろん、良くって。
香港の芸能界って、まぁ、詳しくはもちろん、全然知らないんですが、いわゆる“スター”がまだ居るんですよね。歴然と。その“スターありき”の作品でもある、と。

例えばこれが、日本のテレビ局が製作すると、ケリー・チャンがもっとストーリーに絡んできたり、そういう、本筋とは別のところでごちゃごちゃとサブ・プロットが入ってきそうな感じなんだけど、そうじゃなくって、潔く、“男臭い”だけで押し通しちゃってるのは、すごいイイ。この、中途半端に媚びないスタイルというのも、2人の顔だけで客が呼べるということと関係があるワケで。

いや、実はこの作品、そんなに“大作”じゃなかったりするんですよねぇ。そんなにお金かけてない、というか。
そういう意味でも、ハリウッドがリメイクしたがるようなアレではある、と。ハリウッドの映画人が好きそうな題材だしね。
ま、前提として、シナリオがもの凄くいい、というのがあるワケですが。


和洋折衷じゃなくって、中洋折衷というか、そういうのの混合比というか、混ざり具合も好きです。ま、その辺が香港映画のウリの一つでもあるワケですが。この作品では特に、そういう感じを受けましたね。
変に“東洋”テイストを強調し過ぎず、逆に“欧米風”に振り切っちゃうワケでもなく。ま、香港人にとっては、それが当たり前のスタンスなんでしょうけど。

いや、「ディパーテッド」、観てないんですけどねぇ。せっかくだから観よっかなぁ、なんて。

2007年11月11日日曜日

自分用です

この間観た舞台の、公演の後に行われた、作・演出の方とのトークセッションで、俺の質問に答えて貰った場面の映像がアップされていたので。
後々の参考にしようと。
その舞台を観た人でないと分からないことですが、ま自分用です。

>>>時間堂

2007年11月10日土曜日

「普通の人々」を観た

昨日、昼間っから「午後のロードショー」で観た、「普通の人々」の感想でっす。

素晴らしい。
80年に製作ということですから、もう27年前ですか。「24」のジャックの親父が出てたんですが、まだ若かったですからねぇ。顔そっくり。
ちなみに、オレにとっては、キーファー・サザーランドは、「スタンド・バイ・ミー」の“エース”です。
「スタンド・バイ・ミー」大好きなんです。

いや、それはさておき。

内容は、とにかくシンプル。
“家族”について、ですね。
この作品はロバート・レッドフォードの、監督としては第一作目ということで、ま、後々にもずっと、“家族”をテーマに作品を作っていきますよね。ブラピのやつとか。
レッドフォードにとっては、大きなテーマなのでしょう。三宅さん風に言うなら、“作家のテーマ”。

派手な仕掛けもなく、ただただシンプルにキャラクターを追っていく演出は、なんていうか、ホントに今だから凄みを感じる、という。ある意味では力技なんですけどね。


きっと、シナリオがいいんだと思います。ヒューマンドラマにありがちな予定調和的な展開にもならず、かといって奇をてらった展開でもなく(もっとも、製作・公開当時にはどうだったのかは分かりませんけど)、しかしそれでも物語にしっかり引き付けて離さない、という。

主人公の繊細な感情をしっかり描き切る演出も凄いんですけど、俺はどっちかと言えば、脚本の力強さが一番印象に残る感じですかね。


「家族とはこうあるべき」という価値観が、ある悲劇によって揺さぶられ、結果、最終的にその家族の絆というのは崩壊してしまうのですが、その中にも、“尊敬”というモノで回復出来る関係性があるのだ、という。
伝統的な“良き価値観”としての「家族としてのあるべき姿」を、いわゆる“個人主義”が揺さぶっている、というのが作品の背景にある構図だと思うんですね。
で、その、“家族”という、共有していた、ある意味では“幻想”だったものが崩壊した後も、“個人個人のお互いに尊敬し合う気持ち”で、また関係性を構築出来るのだ、というメッセージだと思うんですが。
個人主義的な社会でも、人間同士の確固とした“繋がり”というのは構築出来るのだ、と。
ま、人間性の“成熟”が必要なことは間違いないんですが。その、“成熟”していく過程を描いた作品、と言えるのではないか、と。
ま、深読みですが。
ざっくり言えば、“親離れ子離れ”の物語です。ただ、そこに深い感動を与えてくれる映画である、と。そういうシナリオなんですな。


ちなみに、主人公のガールフレンド役の女の子、めちゃめちゃカワイイです。観たことある顔だけど、誰だろ。



あ、あと、精神分析医のカウンセリングのシーンはちょっと参考になったかも。
“精神科医の治療”云々というアイデアを一つ暖めているので。
ま、参考にするという意味では、近いうちにまた観直したいですな。

2007年11月8日木曜日

なるほどなるほど

昨日の新聞の夕刊に、“Mr.パステルカラー”わたせせいぞうさんのインタビューが載ってまして。
あ、ちなみに、“Mr.ハートカクテル”わたせ氏、62歳だそうです。
ちょっと印象に残ったので、ご紹介。


ぼくはまったくもてないです。若いころは攻めては折られ、攻めては折られで…。A地点から始まった恋愛がB地点で終わってしまったとしたら、そこからが創作の始まりなんですね。あの時もっと優しい言葉をかければよかったとか。その人に対しての「ごめん」なのかもしれないけど、恋がうまくいかないから考える。

シェークスピアが「恋するものは遠くでピンが落ちてもその音が聞こえる」と言いましたね。恋をすると、わくわくどきどきして、すごく五感が働く。そして、楽しい、うれしいっていうプラスの感情が大きいほど、マイナスの気持ち、苦しさや嫉妬心なども大きい。恋は、人間にとって最も大切な情緒や感情を教えてくれるものだと思うんです。

ケンカしてしばらくして熱が冷めた時に、「おれが悪かったかな」とか、別れてから「ああすればよかったかな」とか、相手への思いやりの心がにじみ出た瞬間を描きたいんです。愁嘆場を超えてまたひとつ歴史ができる。また、大人の恋はいろんな意味で制約があって、そこにせつなさがあります。せつない恋というのも好きですね。
奇跡が重なって巡り合う。出会った瞬間はだれでも混じりけない気持ちで純愛しちゃう。夢中で恋した時があったのだからやっぱりあの恋はよかったんだ――。そんな恋の一瞬を絵で切り取ることで感じさせたい。



だ、そうです。

いやぁ、いままで正直、「ハートカクテル」目を背けてきた世界でしたけどね。
ちょっと反省しないといけないかもしれませんねぇ。

2007年11月6日火曜日

うっしゃぁぁ~!

年末に向けて、短編を撮ろうと思ってたんですが、ようやくアイデアが固まりました。
というより、突然浮んできただけなんですが・・・。

一ヶ月以上、いいアイデアがなくって、ウンウン頭を捻ってたんですけどね・・・。

どうして年末かというと、いとうせいこうさんが主催している映像作品のコンテストがあるんです。ま、そこに応募してみよう、と。


さぁて。
人を集めなくては・・・。

小道具とか衣装とか、また色々カネかかりそうだな・・・。
うぅぅぅぅ・・・。

2007年11月5日月曜日

読書の秋

今、「ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2」を読んでます。

なかなかスリリングな内容ですが、“物語をつくる”ことについては、衝撃的でもあって。

実は、遅々として進まず、読了してないんで、ま、感想はまた別の機会に・・・。

いや、衝撃的というより、刺激的というか、なんというか・・・。うまく言えないんですが・・・。
ま、脈拍が早くなるのは間違いないっス。

今日はここまで。

2007年11月3日土曜日

抜け出したい

ユニクロの新しいCM、いいですね。大森さんと麻生さんが出てるヤツ。

サトエリと松ケンのやつもよかったですが、俺はこっちのが好き。

2007年10月31日水曜日

森田芳光監督の熱量を知る

この間、NHKの深夜にやっていた、「椿三十郎」を撮った森田監督の特集番組を観たので。

ま、そんなに濃い感じではなかったのですが、幾つか。

「作品とは、有機物であり、どこか一つだけが突出してはいけないんだ。」
いろんな要素が複雑に絡み合って、お互いに影響を与え合っている、という喩えで“有機物”ということでした。基本的には、俳優陣のことを言ってたんですが、恐らく、映画製作全体のことでもあるんじゃないか、と。

それから、三十郎のキャラクターについて。
“リーダーシップ”というものが、時代が変わったことで変質している。なので、その、“今の時代に求められているリーダーシップ”を演出によって見せていく、と。。
それはそのまま、織田裕二の個性そのままでもあるみたいでしたね。
その、演出の具体的なポイントみたいのが紹介されていて、それはちょっと勉強になりました。

それから、監督の、キャスティングに関して。何度も「技術じゃないんだ」と言ってました。当然、“作品にフィットするのか”が前提なんでしょうけど、人間的な柔軟さとか、そういう部分を見る、とのことです。
「日々を確かに生きているか」とか。要するに、“人間性”ってことなんでしょうね。
それから、例えば女優さんだと、その人のプライベートな所から入る、とも言ってました。
具体的には、中村玉緒さんで、「勝新のお嫁さんですから」と。その、“誰に惚れたのか”という、その人の本質的な部分と、演じる役柄の本質とが重なるような配役をするのだ、ということなんでしょうね。
お酒が好きな役にキャスティングするのは、やっぱりお酒好きな役者さんだろう、ということなんでしょう。それを、もっとその人の本質的な所にまで拡大して見ていく、という。
しかし、そもそも、監督本人に、その人の本質を見る力がないと成立しない話ではありますけどね。


それから、殺陣のシーンで、「疲れる」ことを表現しよう、みたいなことを試していて、それはちょっと新鮮でした。
「写実的な殺陣」というのは、まぁ、「様式的な殺陣」と対のようにして、あるにはあるんですが、そこからさらに一歩踏み込んで、ということです。
「バガボンド」の武蔵の影響もあるのかも。あの漫画は、その、“人間の肉体”についてはリアリズムを徹底してますからね。


ま、こんな感じです。
若い俳優たちに監督が演出をつけている映像があって、一番勉強になったのは、その時の監督の表情だったかも。

2007年10月28日日曜日

「ガス・フード・ロジング」を観た

ちょっと前に観た、アリソン・アンダース監督のデビュー作、「ガス・フード・ロジング」の感想です。
せっかくなんで、「マイ・ファースト・ムーヴィー」という本と一緒にご紹介。この本は、色々な監督に、自身の処女作について語らせる、という、題名通りの内容の本で、アリソン・アンダース監督も、自分のデビュー作について、インタビューされてますんで。


まず、ストーリーが、なんていうか、若干偏見じみた見方ですが、“女性的”なんですよね。
インタビューアーの言葉を借りれば「ゴールに向かって真っ直ぐに進んでいくものではない」という。
このことについて、監督は、
ストーリー上の問題をいろいろ設定してそれを解決していくというのはあまり興味がない。
ヴィム(V・ヴェンダース)もいつもそうで、ストーリーというのは大切なものを吊るしておくための面倒な道具としか思っていないようだった。
ストーリーは物干し竿のようなもので、人はそこに色とりどりの織物を引っかける。私が興味をもっているのは、そのさまざまな織物、つまり物干し竿に引っかかってるものであって、物干し竿そのものではない。

で、本人は、それを“反ハリウッド的”と定義してますね。


さて、“ストーリーの構築”にあまり興味がない監督は、得てして、その映像で多くを語る訳ですが、アリソン・アンダース監督も、やっぱりそうで、
私はロバート・ロドリゲスの“考えずに撮りまくれ”派には与しない。カメラを向けて撮るだけじが映画じゃない。どうやって意味を作りだすかその手法を学ばなきゃいけない。
ヴィムの映画で私にもわかるところは、短くしてしまっては本来の力が失われるショットがあるということ。
雰囲気を醸しだすようなショットがいかに重要か、人物を風景になかにポツンと入れることがいかに重要かがわかっていた。


もう一つ。カメラワークについて。
何らかの意味で情感を表現しようとするのでない限りカメラは動かしたくなかった。
移動は劇的効果をあげるためか、もしくは感情的理由がある場合に限られていた。長たらしい移動や、めまぐるしい移動、すばやいカッティングといったものにはウンザリしていた。だから簡素なやり方にもどってみようと思っていた。

この、大人しいカメラワークというのは、なんていうか、“しっとり”した印象の残すんですよね。画質もあるんでしょうけど、“エッジの効いた”感はなくって。つまり、登場人物の心の動きに、観る側がフォーカスしやすい、と。
もちろん、“そういう映画”なんで、当たり前っちゃ当たり前なんですが。しかし、その計算はズバリ当たってる、と。
ちなみに本人は、カメラについてはほとんど理解してないと語っていて、基本的にはカメラマンに任せきりとのことです。

と、まぁ、こんなところで。

この作品は、エンディングがとにかく好きで。勝手に“ほろ苦系”って言ってるんですけど。
ハッピーエンドじゃないんですよ。でも、観てるうちに、それが当然だろうとこっちも受容出来るし、それは、キャラクターたちそれぞれにとっては、やっぱり一つの到達点にちゃんとなってて。
監督本人は、作品のシナリオを書いていく過程を、「登場人物と一緒に進む自己発見の旅」と言っていますが、まさに、キャラクターたちが自己発見をするのを見届ける、という。そういう映画です。

これねぇ、「スモーク」がそうなんですよ。まぁ、「スモーク」については、また別の機会に。

「ガス・フード・ロジング」
あ、ちなみに、ガスはガソリン、フードは食事、ロジングはロッジってことで、寝る所って意味です。アメリカの街道沿いにあるモーテルとか、そういう所のことですね。
“旅の途中に寄る所”と。これ、ヘンな邦題付けなくて、ホントに良かったですね。

2007年10月26日金曜日

スポーツカーと映画

今日(25日)の朝日新聞に、徳大寺という、“アンパンマンにカビが生えた”みたいな顔をしているオッサンが、スポーツカーについてのコラムを書いてまして。「『男と女』演出できる車を」というタイトルで。

で、まぁ、中身はどうでもいいんですが、最後にちょこっとだけ、気になる言葉がありまして。
「男性が女性を、女性が男性を意識するのは、いつの時代も変わらないことだ。そこに自動車がどう介入できるのか、もう一度、真剣に向き合ってはどうか」
要するに、デートやナンパのツールとしての車を作れよ、ということなんですけどね。

で。
縁あって訳あって、映画監督の佐々木浩久さんのブログを、毎日覗いてまして(毎日更新されてるんです)。
→にリンクを貼ってあるので、興味のある方は、見ていただくといいと思うんですが、

そのブログで、佐々木監督の師匠格にあたる、“カリスマ”黒沢清監督の言葉が紹介されてまして。
黒沢監督曰く、「『日本映画の反映』の裏に娯楽映画と趣味の映画の二分化が行われてしまっている」と。


監督お2人に、生意気ながら、意見を付け足してみたいのですが・・・。

思うに、映画も、そもそもは、デートやナンパのツールなんですよ。本来は。
日本映画がいま、“復興”したのは、製作者側がそこに気づいたからだと思うんですよね。俺は。
結局、デートはするんですよ、いつの時代も。男と女は。だから、デートで観れるような映画を作れば売れるんですから。

“趣味の映画”っていうのは、つまり、「独りで観る映画」ですよね。

これって、簡単なことに見えて、実は大事なことじゃないかと思うんですよ。
思うんですけど、日本映画の製作者の方々って、「独りで映画を観る」人たちなんですよ、みんな。それくらい映画が好きな人たちってことなんですけど。

まぁ、デート云々を一番分かってなかったのは、映画館でしたけどね。今はホントに、良くなってますけど、一時期、映画館ってホントに酷かったもんねぇ。古いし汚いし、で。デートで行く気にならなかったような場所ばっかりだったもんね。
海老名のシネコンにデートで行った時に、その時のカノジョが「トイレが凄かった」って言ったの、覚えてますから。


あ・・・。
話、とっちらかっちゃいましたね。
なんか脱線してるみたい・・・・
えぇ、疲れてるんですよ。
バイトでも、うっかり火傷しちゃったし・・・。

ダメだ、早く寝ます・・・。

2007年10月21日日曜日

「SIN」を観る

テレビ朝日のシネマ・エキスプレスで「SIN」を観る。
ゲイリー・オールドマンと、もう一人、顔は知ってるものの名前は知らない俳優さんの、オッサン2人が激突する、まさに教科書のようなクライム・アクション。



シナリオ的には、若干弱い、というか、首を捻っちゃう部分もあるんですが、映像的にはクールでスタイリッシュで、良かったですね。

オチなんか、アリ地獄ですからね。底なし沼。ちょっと腰がくだける感じで。
ゲイリー・オールドマンの“悪の華”も八分咲きでした。

でも、画は凄い綺麗だし、カメラワークもアングルも効果的だし、とにかく、画の色が良かった。黒、黒、黒、という感じで。まさに、ザ・クライムアクションな感じの画でしたね。あんな画が撮れればいいなぁ、なんて。


2人のキャラクターも、徹底的にクール。脇役で登場する女性だけが、変にステレオタイプに感情的だったりして、そんなに美形でもなくってがっかりでしたけど。
その辺の、女性の描き方の下手さ加減も、まさに教科書通りでしたね。

同性愛に片足踏み込んじゃってるマチズモ。アクションも、フィジカルなものはなくって、精神的なぶつかり合いが主でしたね。携帯越しの会話で、攻守が一気に逆転したりするシーンは、ちょっとグッときました。

もう一つ、大きなモチーフがキリスト教で。聖書の一説が最初と最後に引用されたり、教会で釘を打たれたり(磔のメタファーです)、そこを燃やしてしまったり。
そこは、まぁ、全く参考にならない部分なんですけどね。

しかし、あの、ワケの分からない風景の美しさは、いったいなんなんだろうか。ホントに、あの景色ありきだよねぇ。砂漠と岩山。アホみたいに青い空。
その、悲しいくらい美しい風景の中を、血まみれの男2人が疾走していく、と。

まぁ、マチズモ、キリスト教、美しい砂漠。これこそがアメリカ映画なんでしょう。ゲイリー・オールドマンはイギリス人だけど。

2007年10月20日土曜日

バイオハザードぉぉぉぉぉ!

つくば市のナントカ研究所で、かなりヤバい病原菌を、設備が整っていないのに外部から受け入れ、なおかつ、培養していたらしいです。

これはヤバい!
バイオハザードですよ。完全に。

「レベル3」というのが、今回の病原菌の強さらしいんですが、まぁ、この言葉の語感だけでも、“相当ヤバイ”感じがしますよね。
今回は、「レベル3」の病原体は、ブルセラ菌というのが2株と、鼻そ菌というのが1株だそうです。

いや、ブルセラって、名前だけだと若干危険度が下がりますけど、結構怖い菌のようで、感染すると、発熱の他に、うつ症状が出るらしいです。で、最悪の場合、心内膜炎で死ぬ、という。ちなみに、潜伏期間は最長で半年。去年、アメリカで、実際に、実験をしていた研究員が感染しちゃって、50日間くらい治療を受けたらしいです。

50日間って、凄いですよね。うつ症状が出るっていうのも怖い。

この研究所では、非常勤の女性職員たちに、無防備のまま、培養や確認試験などをさせていた、とのことです。

さらに、内部で問題になった時には、外部に漏らさないように圧力をかけたり、まぁ、要するに口止めですけど、そういうこともあったみたい。
しかも、その、菌を直接扱った人たちにも、そのことを告げないままだったようです。「事実を告知すると、精神的なダメージが大きいと判断し、告げなかった」というコメントが出ています。

いやぁ、ホントに、いかにもな、“ダメ管理者”なコメントですよね。漫画のようです。


研究所の人が、管轄と上部組織にこの問題を報告したところ、菌云々の話じゃなくって、「内部情報を外部に漏らした」と、逆にその人が詰問されてしまったらしいです。
これも、なんだか映画みたいな話で。

腐り切った組織の中で改善を訴える研究者のストーリーと、まさにバイオハザードな、病原菌の恐怖のストーリー。

あ、良く考えたら、そういう映画、あったね。

2007年10月19日金曜日

新聞の記事より

昨日(17日)の新聞で、山形ドキュメンタリー映画祭の特集記事がありまして、その記事の中から、気になった言葉を、幾つか。

まずは、作品の選定に関わり、今年の映画祭のテイストを決定したと思われる、コーディネーターの方の言葉。
「作り手が自分の内面を私的に描きつつ、射程を社会や歴史に広げた作品を選んだ。ビデオの進化と普及で90年代に増えた同種の作品と違い、閉じた自己陶酔になっていない」


次は、優秀賞を獲った作品の監督。
「世界の画一化にあらがう辺境を訪ね、自分たちがどこから来たのかを問うた。私的な世界から接近しないと、複雑で深刻な現代をとらえるのは難しい」


それから、審査委員長を務めたという、蓮実重彦さん。
「昨今のテレビ的な作りが映画ならではの空間や時間の概念を脅かしていると指摘して、『フィクションとドキュメンタリーの境界は揺れ動いているが、重要なのは、世界をいかに見せるかではなく、どうとらえるかだ』」


“どうとらえるか”。その主体は、作品を作る人間自身であるワケだから、つまり、“己の内面”である、と。

同じ事象を目にした時に、人間一人一人のとらえ方、受け止め方はそれぞれ違うワケで。
その、“俺のとらえ方”を、描け、と。そういうことなのかねぇ?

「どうとらえるか」。
「俺にしか出来ないとらえ方」があるのだろうか? あるとして、それを求めて、内面に潜っていけばいいのだろうか?
それとも、そもそも「俺にしか出来ない」というようなモノはなく、目指すべき「とらえ方」が既にあるのだろうか?
正直、それすら分からん。

しかし、まぁ、俺に出来ることとは、俺の目で世界を見て、俺の言葉でそれを考え、俺のやり方でそれを語ることだけなのだから。


作品を作らなければならない。
とどのつまり、そういう事です。

2007年10月18日木曜日

漫画喫茶にて

行きつけの漫画喫茶にて、「クレイモア」の9巻から13巻と、「ハンター×ハンター」の22巻から24巻、そして、オノ・ナツメの「さらい屋・五葉」を読む。

いやぁ、オノ・ナツメ。天才かも。給料出たら、「さらい屋」買います。全巻(ま、まだ3巻までしか出てないんだけど)。

今月の結末から11月、それから年末まで、チェックしているコミックの出版ラッシュで、大変な感じ。
バガボンド、プルート、ヘルシング、士道、ベルセルク、ベック、爆音列島、などなど。ホントはもっとあるんだけど、忘れちゃった・・・。


それはそうと、オノ・ナツメ。ハマってます。

2007年10月16日火曜日

「大統領暗殺」を観る

新宿武蔵野館にて、「大統領暗殺」を観る。

まず、内容云々より、隣に座ったババァがウザかったことを言いたいです。
満席だったんですよ。お客さんが一杯入ってることは、まぁ、いいことなんでしょうけど。
隣に座ったババァが、とにかく落ち着きがなくって、ガムみたいのを何個も何個も咬んでティッシュに包んで、咬んで包んで・・・。で、いちいち、バッグかなんかのファスバーを開け閉めするんですよ。開けておけ、と。それから、なんか買い物をした後なんだろうけど、その紙袋をずっと手に持ってて、たまに落としたりするんですよ、床に。ビニール袋も。ガサガサうるさい! ババァめ。煮干に化粧した(結構濃かった)みたいな顔してましたよ。


さて、内容ですが、結構面白かったものの、“映画としてはイマイチ”という、微妙な感じでしたね。
この映画の“売り”は、まぁ、「フィクションなんだけど、色々な方法でホンモノのように作っている」という所で、そこはホントに凄い。上手だし、手が込んでるし。そういう意味での演出というのは、ホントにしっかりしていたので。
テレビのドキュメント番組っていうのは、一番分かり易い例だと思うんですが、ホントにその通りに作ってて。

ただ、シナリオというか、ストーリーだとか、サスペンスだとか、そういう部分は、イマイチ、という感じで。
一応、それっぽく作ってるんだけどね。
あと、「で、何が言いたいの?」みたいな部分が、ね。“アンチ・ブッシュ”がテーマだとしたら、なんていうか、“今さら”って気もするしね。イラクにおけるアメリカの政策も戦略も、全部ダメだったっていうのは、こっちにしてみたら、もはや前提でしかないワケで。
この作品は、そこまでは踏み込んではこないので、その辺は消化不良。

いや、しかし、いい作品だとは思います。アメリカ国内だと、それなりにセンセーショナルなトピックなんだと思うし、製作と公開の時期も、何年か前なハズだから。その頃と今では、もう状況は全然違うワケだからね。

面白いと思ったのは、“メタ映画”的な方法論で作られてるところですね。実際、作中のセリフでも「映画では○○だけど、本当は~」みたいなことを言わせてるしね。

それは、いわゆる“ドキュメンタリー”の手法と、“映画的”な手法を、上手に混合させて“ホントっぽさ”を作り出している(演出している)という部分に繋がるんですけど。

ドキュメンタリーは、まぁ、方法論上、例えば、綺麗に撮れてない映像も(グラグラ揺れてたり、画質がもの凄い荒かったり)、使うワケです。
逆に受け手は、そういう、綺麗に撮れてない映像を観ると、真実味、つまり“リアルっぽさ”を感じるワケですね。そう刷り込みがなされてるワケです。テレビとかを毎日観てるワケですから。
それを、利用してるんですね。上手に。
それから、例えばインタビューのショットも、そうですね。これも、いわゆる“劇映画”では絶対に存在しなくて、テレビのニュースとかドキュメンタリーでしか観ない映像なワケで。そういう映像を観ると、受け手は“リアルっぽさ”を、勝手に、その自分の観ている映像に付加情報として加えるワケです。


同時に、映画的な方法論での映像もあるんですね。デモと機動隊(アメリカでの呼び方は忘れましたが)の衝突現場とかは、まさにそうだし、暗殺のシーンもそうです。
そういう場面では、映画的な演出、カメラワーク、カット割りが使われていて。
これは、受け手に“臨場感”を与える為にやっていると思うんですけど。
臨場感とは、つまり、“追体験”なワケですけど。
この辺の映像は、いわゆる“見慣れた映像”なんだけど、それは、「映画で観た事がある」というショットなんですね。
テレビ(この場合、ドラマじゃなくって、ニュースやドキュメンタリー)の映像とは違う、キチンと作られている映像。

「映画で観た事がある映像」による“臨場感”と、「テレビで観た事のある映像」による“ホントっぽさ”。
この2つを、メタ的に使い分けて、“ホントっぽさ”、つまり“真実味”を出させることに成功している、と。


まぁ、いわゆる“ドキュメンタリスト”にとっては“禁断の技”を使ってるに等しいんでしょうね。ただ、これはフィクションなワケで、「ドキュメントである」という制約はそもそも存在しない以上、こういう手法(映画的な映像)を使っても全然構わないワケで。


しかし、やろうと思えば、嘘をここまで“ホントっぽく”やれますよ、というお手本になってますよねぇ。
製作者のホントの狙いっていうのは、そこなのかもしれないな、と、今気付きました。

というワケで、映画館で観るにはイマイチ。だけど、家でDVDでは観た方がいいんじゃないの、という一本でした。


2007年10月9日火曜日

「クローズド・ノート」を観る

新宿のバルト9で、「クローズド・ノート」を観る。

えー、最初に結論から言ってしまうと、普通に泣いてしまいました。
個人的には、あんまり映画観て泣いたりはしない人間なんですが・・・。


ただ、沢尻エリカと竹内結子があまりにカワイイ&美しいばっかりに、他の所にケチ付けたくなるのも人情というもので。

まず、セリフがダサい。
言葉が多過ぎる、というか。キャラクターが、なんか、しゃべり過ぎな気がするし、セリフとしてチョイスされている言葉が良くないんだよなぁ。
ストーリーの構成とか、そういうのはもちろん、凄く良いんだけどね。

それから、伊勢谷友介が、なんか、窪塚洋介のコピーみたいになってるんだけど、アレでいいのかね?
まぁ、作品中だと、アレでいいっちゃいいような気もしないでもないが・・・。「ディスタンス」の時は、なんか、もっと良かったような気がするんで・・・。

あと、マンドリンじゃねーだろ、と。コレリ大尉じゃねーんだからよ。沢尻エリカ、全然弾けてねーし。なんか、もっとごまかし効く楽器にすればよかったのになー。

黄川田ナントカの役と設定もイマイチ。アレって、思い切ってジローラモさんとか、ドランクドラゴンの塚地とか、そのくらいやっちゃっても良かったんじゃないかなぁ。

もう一つ、これはちょっと不思議なんだけど、沢尻エリカの、冒頭の10分から15分くらいの演技がもの凄いイモ。
なんだけど、伊勢谷友介に会うぐらいのところから、もの凄い良くなってて。意を決して告白に行くシーンの表情とか、凄い良いんだけど、逆に最初の、あのイモな演技は、どうしてなんだろうか、と。
順撮りしてるのかねぇ?
それにしても、同じシーンに出てるサエコの演技も結構イモで。これも不思議。
ただ、サエコは、電話越しの声が凄く良くって、「あぁ、なるほどね」という感じでした。


と、ここまでは、偉そうに言ってますが、ほとんどアラ探しみたいなもので、要するに、美しい女性たちの織り成す、美しい物語の世界を楽しみましょう、という映画なワケですよ。


沢尻エリカを中心に、竹内結子、永作博美、板谷由夏が、それぞれ、擬似的な姉妹関係を作りながら、沢尻エリカが人間的に成長していく、というのが、物語の一つの側面になってまして。
まぁ、もちろん、伊勢谷友介との恋愛物語も、あるはあるんですが、どちらかというと、俺は、竹内結子との関係の中に付属してある、という捉え方ですかねぇ。
“擬似的な姉”に導かれながら、少女的な妄想というか、そういう形で、恋愛を経験するワケですな。つまり、王子様なワケです。伊勢谷君は。ちょっと不思議な。
竹内結子にとっては、もの凄いリアルな恋愛の相手なんだけど、沢尻エリカにとっては、王子様的な恋愛。この辺は、シナリオが凄い上手くて(もちろん、演出も)、きちんと表現されてます。

もう一つの物語として、竹内結子が、こちらは職場である小学校の教室を舞台にして、ある種の学園モノのストーリーを語っていく(文字通り、ね)という。

俺が泣いたのは、こっちです。
ま、だから、「瀬戸内少年~」的な作品なワケですよ、きっと。これは。夏目雅子にとってのそれと同じように、竹内結子と沢尻エリカにとっては。

しかし、女優陣が皆、美しいのと同じように、子どもたちも、それから、子どもたちと先生との関係も、ただただ美しい。
現実離れしている、と言えば、それまでですけどね。実際の“教職”というのは、あんなに美しい出来事ばっかりじゃないワケで。
しかし、まぁ、我々腐った大人たちは、この作品のような理想化された子どもたちの姿に滅法弱いことも間違いないワケですからね。


しかし、この映画がヒットしたら、あんな風にチャリンコでニケツするのが流行ったりすんだろうねぇ。
女性の教職の希望者が増えたりね。
ま、それくらい、美しい物語でした、と。

岩井俊二直系の、窓からの光を白く飛ばすアレも、ばっちり健在ですしね。川べりの小路とかも、いかにもな感じだし。


あんまりお金をかけてないっぽいところも、俺としては、グッドでした。
というワケで、ま、採点は満点です。皆さんも是非ご覧下され。


2007年10月7日日曜日

今日は小ネタ

レンタルビデオ屋「オービス」が、100円セールを実施中ということで、張り切って借りにいったんですが、なんと、100円引きセールでした。
てめぇ! そんな詐欺みたいな商売してっから客が全然入んなくなるんだよぉ! ボケぇ!


で、そんなこんなで、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を借りてきたはいいけど、そういえばついこの間この作品を観てたのを忘れてました。
とほほ・・・。
感想も書いてたっけ?
いや、シャレになってないっス。歳をとるって、こういうことか、と。

携帯のカメラで、(動画を)ちょこちょこ撮影をしてるんですが、これがなかなか難しい。なかなか思ったようには撮れません。
作品にまで仕上げたいなぁ、とか軽く考えてたんですが、いや、なかなか、そう簡単には行きませんな。
普段、うっかりしたら携帯を持ってない日もあるくらいな人間なんで、それも原因かも。触り慣れてない、という。
ま、しばらく、やってみます。


「クローズド・ノート」、結構面白そうなんじゃないっスか?
エリカさんの諸々のアレで、別の感じで注目されちゃってますが。
観ようかなぁ~。ちょっと恥ずかしい気もしますが。
月曜に「大統領暗殺」を観に行こうと思ってるんですが、ちょっと悩み中。

2007年10月6日土曜日

「レイジング・ブル」を観る

暖めているアイデアの参考にしようと、マーティン・スコセッシの「レイジング・ブル」を観る。

まぁ、言わずと知れた傑作だけに、特段改めて、というような感想はなし。

ま、モノクロで、シャープだよな、とか。
個人的には、「タクシードライバー」のデ・ニーロより、この作品の方のデ・ニーロの方が好きですね。

ウィキペディアでチェックしてみると、「ロッキー」の方が先だったんだな、とか、そんな意外な驚きもありで。
俺は、「ロッキー」は傑作だと思ってる人間なんで。

「ミリオン・ダラー・ベイビー」観ないといけませんね。
実は、観てないんですよ。

2007年10月5日金曜日

「39」を観る

森田芳光監督の「39」を観る。

ざっくりネタばらしをしてしまいますが。

まず言っておかなければならないのは、この作品は、うっかりしたら“火曜サスペンス”ですよ、と。
弁護士、検事、精神科医、その弟子の女性の精神科医、刑事、“新潟>名古屋>門司”、入れ替わり、などなど。鈴木京香の役を片平なぎさが演じたら、もしくは、岸部一徳を船越さんが演じたら、これは完璧にサスペンス劇場のネタですよ。

しかし、森田監督の、ある意味徹底的な演出が、そうはさせないワケですな。

とにかく、閉塞感に満ちたカットがひたすら続くんですが、この息苦しさは凄まじい。アップ、アップ、アップと続いていくカット割り。
カメラも、グラグラ揺れたり、左右に小刻みに揺れたり、構図がモロに傾いてたり。そんなカメラワークばっかり。
抜けるような青空すら、そういう閉塞感を強調する為にあったりして。

入れ替わりのトリックも、ワリと早い段階で明らかにされて(の、ようなものです。あのモンタージュは)、なんていうか、「エンターテイメントとして見せる気はないのか?」とこちらが訊きたいくらいの感じで。
監督としては、“刑法三十九条”への問題提起こそが物語の主眼なんだ、ということなんでしょうな。

最後の最後まで、堤真一が演じたキャラクターの絶望感を描き続ける、という。

しかし、その犯人に、動機として“三十九条への敵意”を語らせるワケですが、ストーリー的には、その堤さんを挟んで対峙する2人の女性(鈴木京香と山本未來)にこそ、そういう感情があるハズだよなぁ、と。
犯人の動機は、ホントに、妹の復讐という事でいいんじゃないのかなぁ、なんて。生意気ですが。

山本未來の存在感が結構凄くて(と、俺は感じた)。一応、“その彼女が計画のシナリオを書いた”とは提示されてるんですが、“彼女の動機”にこそ、「三十九条」という主題は相応しかったのでは、と。

いや、別にケチをつけるつもりはなくって、全然傑作だと思いますけどね。

前半の、音のモンタージュというか、カットアップというか、あれにはビックリ。絶対パクります。


基本的な法廷劇の構図としては、まぁ、被告側と原告側(弁護士と検事)という、2項対立になるワケで、アメリカだとそこに陪審員という要素が入ってくるワケですね。
で、この作品では、そこでなくって、鑑定人という、完全な第3者が苦悩する、と。「三十九条」という法律を巡って。
つまり、「法律対人間」という対立が描かれるワケです。

それからもう一つの要素としては、主人公(恐らく。堤真一が中心という感じもするが)の鈴木京香の、「父を超える物語」ですね。
杉浦直樹という、“擬似的な父親”を超えていく、まぁ、ある種の成長物語でもある、と。

作中、“父親の不在”というのは徹底的に通奏低音として描かれ続けるのですが、まぁ、「三十九条」と「父親」に関連付けがあったかどうかは、正直、分かりません。

と、そんな感想です。

しかし、鈴木京香の美しさは素晴らしいな、と。ホントに。
綺麗過ぎます。
特に、唇が。

2007年10月2日火曜日

ちょっと前の新聞記事から

9月26日の新聞に、ちょっと面白い記事が載っていたので、幾つか。

“暗殺”をテーマにした作品が何本か重なって公開されるということで、「時代を映す『暗殺映画』」というお題で、“暗殺”について、配給会社の方や評論家のコメントが。まとめて引用してみます。

「暗殺は『今、ここにある危機』として、時代の闇や恐怖の一端を直感的に見せる。」
「正義と悪が判然とせず、世界情勢が茶番に思える瞬間がある現代。虚無に陥る現代人は、自分の立ち位置を決めたくて仮想敵を作る。そんなヒステリー状況を、『暗殺映画』は透かして見せる。」
「暗殺を描くことは、歴史を語ろうとする欲望から生まれる。スパイク・リー(『マルコムX』)やオリバー・ストーン(『JFK』)らは、若い頃に衝撃を受けた事件を、その力量で検証しようとした。」

それから、ジェイムズ・エルロイの言葉として。
「自身の暗黒小説は『原爆で世界が自らの手で世界を滅ぼしそうになった事実。組織の腐敗。自分の性的強迫の記録』の産物である。『暗黒の時代』を生きたことを『歴史が与えてくれた幸運だ』」。



その隣に掲載されていた、「曲がり角の文芸誌」というタイトルの記事からも。
文芸誌が、劇作家や映画監督やイラストレーターという、異ジャンルの人材を積極的に登用している、ということで。
「若手劇作家の書く小説は、今の若者の空気を等身大にとらえている。ジャーナリズムではすくい取れない、社会の中の目立たない声を文学は独特の感覚でとらえて形にしてきた。こういう機能は、今こそ文芸誌に求められる。」
「戦後成長期の終焉と、劇的な情報化社会への移行の中で、人間の精神が変容しているとすれば、文学も変わらざるを得ない。純文学とエンターテイメントの境界よりも、時代を感じ取る能力や想像力の鋭さを優先したい」
こちらは、“本流”である純文学のフィールドに、ミステリーやライトノベルから出てきた作家を積極的に引っ張ってきたことについて。
まぁ、「戦後成長期の終焉」なんて、俺としては、とっくに終っているとは思うんで、若干ドン臭い認識のようにも感じますが、まぁ、そこは“純文学”の畑での感覚なんでしょう。

いま、演劇の世界は、確かに新しい潮流が出現してるって言われてますよねぇ。俺は全然分からないんですが。その辺は。

ネットワーク上での表現にこそ新しい可能性があるって誰しもが思ってたハズなんですが、その、ネットワーク化からこぼれ落ちてしまっている部分こそを、今の演劇が表現しているのでしょうか。
だとすれば、若干アイロニカルではありますが。
が、その部分を表現するのには、まさに演劇という表現形態こそが最適なのかもしれませんね。

ネットワーク配信が、いわゆる“音楽産業”を現在進行形で殺しているワケですが、そしていずれは、“映像産業”の首をも絞めるんでしょうが、ひょっとしたら、演劇は、ネットワークとは全く相容れない形で、ネットワーク上では決して表現出来ないことを、語っているのかもしれませんね。
いや、実際のところは、良く分かりませんけどね。

2007年9月30日日曜日

内容はともかく・・・

追い込んで追い込んで、長編119枚、書き終えました・・・。ようやく。
今回も、最終日は徹夜で、朝イチ(と言っても、9時過ぎでしたけど・・・)に、郵便局へ。

今回はキツかった・・・。ホントに。ヒィヒィ言いながらの月末の二週間でした。
大事な飲み会のお誘い、一つ断っちゃったもんなぁ。

まぁ、応募はしたものの、結果を期待するのは、さすがにアレなんで。
なにしろ、そうとう“やっつけ”になってしまったので・・・。
というか、そもそも応募したコンクールは「エンタテイメント作品」の募集なんで。
俺のは、ちょっと、そういう感じではありませんでしたから。

これから、こつこつリライトしていきます。いつか陽の目を見るといいなぁ、と。

肩凝りで、背中パンパンです。首と肩と背中と腰。

さてさて。秋は色んなコンクールが続きますんで。
出来るだけ、まぁ、出来る範囲で、ということですが、応募しちゃいたいなと思ってるんで、次のアレに取り掛からないとな、と。
次の締切こそ、余裕を持って迎えたいなと思ってます。
まぁ、毎回そう思って、一ヵ月後には必ずヒィヒィ言ってるんですが。毎回毎回。
ホントに反省してるんですけどねぇ。

2、3日頭を(それと、身体も)休めないと、正直ヤバイんで。マジでバースト寸前なんで。取り掛かるのはそれからですね。



高円寺の「オービス」で、100円でレンタル出来るというセールをやってるんで、今から行ってきます。まだセールやってるといいんだけど。

2007年9月25日火曜日

ニュースより

宇宙船内の無重力状態で培養されたサルモネラ菌は、地上で培養されたモノのよりも、毒性が強まるという研究結果が出たそうです。

ちょっとSFチックな話ですよねぇ。

弐瓶勉の、クラシック化間違いなしの渾身作「バイオメガ」では、火星での研究中に突然変異で発現したウィルスが出てきますが、まさにそんな感じで。

ちなみに、火星は、地球より重力が少ないんですよね。確か。
半分以下。


思うに、無重力状態だと、“菌糸”が三次元に発達するからじゃないか、と。
違うかなぁ。まぁ、素人考えですが。

地上だと、当然重力の影響を受けるワケで、菌の成長は、完全な平面とまではいかなくても、少なくとも重力の影響で、垂直方向への成長は“抑えられる”と思うんですよ。
それがなければ、菌も、好き勝手な方向に伸び放題、みたいな。


う~ん。違うか。


ただ、SF的な物語の設定としては、面白いですよね。実際に起こりうる話ですから。


2007年9月22日土曜日

ごもっとも!

今日の虎の門で、井筒監督が、ツタヤを初めとするレンタルビデオ大手をぶった斬ってました
「名作を置いてない」ということで。「商業主義過ぎる」と。
「映画は“商品”じゃないんだ。“作品”なんだ」とも言ってました。


昔、映画を勉強するついでに、と思って、ツタヤでバイトしようと思って、大久保のツタヤで働いたことがあったんですが、一日で辞めました。
なんか、違和感あったんですよね。
その違和感って、ホント、井筒監督が言ってるようなことで。「ここじゃ映画って“商品”なんだな」って思ったんですよ。

「どんな作品でも扱い一緒なんだよなぁ」とか、ね。ま、それは、当然っちゃ当然なんだけど。

商品じゃなくって、作品なんだ
改めて言われると、そうだよな、と。

ま、どっちにしろ、まだ作ってないんで、個人的には何も言えないんですけどね。
早く言えるようになりたいです。「俺のは作品なんだよ」って。

2007年9月17日月曜日

ジェシカ・アルバ

ジェシカ・アルバは、まぁ、激マブなワケですが、「ファンタスティック4」のCMに出てくる敵役のシルエットが、ジダンに似てます。ツルッとしてる分、余計に。

2007年9月16日日曜日

う~ん

映画作りとは関係ないところで色々あり、鬱々とした気分のまま一週間ほぼ丸まる過ごしてしまいました・・・。

月曜の深夜に、「ショーガール」を観たのも、“鬱々とした気分”の一因なのかも・・・。

さて、シナリオを書いてるんですが、当然、筆は進まず・・・。

PCの前に座るも、気持ちが乗らず、そんな中で、やっぱり何かきっかけが欲しくて、PCに保存してある、結構前に書いた作品を読み返したりして・・・。

で、その作品で、ちょっとアイデアが浮んできたんです。
ちょっとだけ、気分転換も兼ねて、目先を変えて、そちらの作品に手を加えてみようかな、と。

具体的には、導入部分をもっとスッキリする、というか。どうも、いつも、ダラダラ登場人物の紹介やら状況の説明やらをしてしまうんですよね・・・。ちゃんと伝わるかどうか不安で、きっちり前置きをしておきたくって、それが“過剰”なのかも、と、分かっていつつも・・・。

ま、リライトしてみても、それが正解かどうかが分からんのが、難しいところなんですが。

うん、そこは自分の感覚を信じつつ、切った分の余った長さを使って、終盤の主人公同士のやり取りのボリュームを増やそうかな、なんて。



その作品は、ニューヨークが舞台なんですよね。
自分がNYに遊びに行った時の体験も基になったりしてたり。
あのテロのあった年だから、もう、相当前のことだけど。

結構気に入ってるシナリオだし、自分で撮れないかなぁ、と、思案したりも。
さすがにニューヨークにロケに行くのは無理だろうけど、例えば、京都、とか。


う~ん、ダメか。余計なことは考えずに、書くことに集中した方がいいな、どうやら。

2007年9月8日土曜日

アイデアは浮んだものの

“ツール特集”を見たのがきっかけで、自分で撮れそうなアイデアが浮んできたんですが・・・。

まぁ、ベタベタですが、“チャリンコ”ネタで。

前々から、ロードレースを題材に、シナリオでも書いてみたいなぁ、なんて思ってはいたんですが。

しかし、撮るまえに、そもそも、そのチャリンコを買わないといけないんで。
高いんですよねぇ。俺にとっては。
ピストバイクっていう種類のチャリンコなんですけど。

それから、いざ撮るとなると、車とかで併走して撮影しないといけなかったり。
バイクとかで出来るかなぁ。2ケツで、片手にカメラ持って、とか。危ないけどなぁ。

あと、事故シーンとか、撮れないもんかな、と。
そんなに大袈裟なアレじゃなくてもいいんだけど。


役者さんにチャリンコ云々をお願いするのもアレなんで、自分でやっちゃおうかな、とか。
危ないしね、やっぱり。事故シーンとかも。

う~ん。
すぐには無理なアイデアですな。寝かします。発酵するのを待ちましょう。

NYのメッセンジャーを題材にした映画が、ワリと最近公開されてましたよね。DVD出てたら、チェックしてみないとな。

2007年9月5日水曜日

二夜連続で「ツール特集」

NHKで深夜にやってた、「ツール・ド・フランス特集」の再放送を、二夜連続で見る。

そうなんです。好きなんですよ、ツール・ド・フランス。
と言っても、昔フジテレビでやってた“ツールの番組”のファン、というか。なんせ、ロードレースに接する機会なんて、ありませんからねぇ。チャンスがあれば、それこそヨーロッパに住んでたりすれば、もっと情報とか、それこそ自分で乗ったり、観戦しに行ったりするんでしょうが。
ま、それはさておき。
とにもかくにも、映像が抜群に美しいんですよ。それは、まぁ、舞台となるフランス(ベルギーやスペインや、今年はイギリスも)のいわゆる“田舎”の風景の美しさ、ということなんでしょうが。夏の。
風景の美しさと、その風景を美しく撮る技術、というのが正確なアレですけどね。

で、幾つか、参考になる画が。ま、基本と言っちゃぁ、そうなんでしょうけど。

被写体=自転車、つまり“動体”なんですね。まず、前提として。
で、その、動体と同じスピードでカメラが併走。手前に障害物が写り込み、被写体が見えなくなる。が、カメラは変わらず動いているワケですから、障害物をすぐに追い越し、再び被写体が見える。と、いうのが、一連の“参考になった”動きですね。障害物で隠れても、その向こうにある、というのが分かるワケで、でも、見えない、という。例えば、カメラが障害物を追い越したら、被写体が転倒してた、とか。ちょっとドラマチックですよね。

もう一つ。
今度は被写体が手前で、アップなんだけど、ピントはちょっと合ってなくて。構図もちょっとズレてて。どういうことかと言うと、背後の空と雲を撮ってるんですね。
カメラ自体が動いてるから、スピード感もちゃんと出てて。
必死こいている選手と、美しい空が、同じアングルに入ってて。「ツール特集」ならではの画だなぁ、と。

いつか、もっと勉強して、ロードレースを題材にした物語を書きたいですなぁ。
なんつって。

2007年9月4日火曜日

「マイアミ・バイス」を観た

ちょっと前に観た、「マイアミ・バイス」の感想でっす。

とにかく、ジェイミー・フォックスの目がいいですよね。いわゆる、“眼力(めぢから)”というアレです。もちろんコリン・ファレルもいいけど。

コラテラルもカネかかってんなぁとか思ってましたが、マイアミ・バイスは、その比じゃないっスね。“火薬系”にはそんなに使ってませんが、とにかく空撮がバカみたいに多い。ジェット機、プロペラ機、雲の間、海の上、ジャングル級の木々が生い茂る山間の谷底。海の上の船も、いちいち空撮で。
だいたい、ピカピカのフェラーリやらなんやらのスポーツカーはまだしも、パワーボートが出てくる時点で、“ガキの妄想”ですよ、はっきり言って。

でも、そんな、小学生の男子が夏休み直前のクソ暑い教室の片隅で、例えば社会科の授業の合間に繰り広げる妄想みたいなことをやらかして許されるのが、我らがマイケル先輩、いや、マイコー富岡じゃなくって、マイケル・マンなワケで。

マイアミから、いちいちキューバやらハイチやらパナマやらコロンビアやらに出張る所もポイント高いですな。絶対、“カリブの海賊”気分ですよね、コレ。
もちろん、嫌いじゃないっス。というより、大好きです。この、“七つの海を股にかける”感。

ストーリーもグッド。コン・リーとコリン・ファレルのラブストーリーがハッピーな結末にならなかったり、例えばコン・リーが撃たれて死んじゃう、みたいな、“大袈裟な悲劇”というカタルシスに嵌まらないところもイイですな。
ちょっと気になったのは、キューバで迎えた始めての朝、“迎い酒”を飲んでるシーンで、チラッと、“監視されている”ようなニュアンスのショットが挟まれるところ。あれは“組織側”が監視してんのかなぁ、と、思ったんですが、特に引っ張るような伏線ではなかったですね。
あ、あと、その前夜の、踊りながら愛し合うシーンの、音楽の繋がりがいまいちでしたねぇ。サルサかなんかで踊ってて、その次に、ベッドシーンが繋がるんですが、そこで、なんかベタな曲調の曲が流れてて。そこはラテンで推すべきでしょう。

でも、女性の描き方もなんかちゃんとしてたし、同性愛スレスレの任侠監督、マイケル・マンの、渾身の作だった、と。そんな感じなんじゃないんでしょうか。

個人的には、とにかく動くカメラワークが気になりましたけどね。でも、画としては、コラテラルの方が好みかな。“都市の暗部”というか、“内部”を描いてるということで。今作は、“都市の外”にいる敵から、その“都市”を守る、という意味で、求められいる画も違ってますからねぇ。普通に“美しい画”ですからね。まぁ、もちろん、それはそれで素晴らしいんですが。

あ、でも、冒頭のクラブでのシーンで、2人が始めて同じ画面に入って映るカットは、最高でしたね。構図が。アレは必ずマネします。

とにかく、力作でした、と。ジェイミー・フォックス、超クール!

2007年9月2日日曜日

「エンジェル・アイズ」を観る

J.Lo in Da House!」ということで、「タクシードライバー」ではなく、「エンジェル・アイズ」を観る。
ま、「タクシードライバー」は何度も観てますしね。
実はカエル顔の、というより、「20世紀少年」の“ケロヨン”顔のジェニファー・ロペス。昨日見たペネロペ・クルスと比べるとやっぱりちょっとアレですが、ちょっとスペイン語訛りの英語が結構ツボですね。良かったです。役柄にも合ってて。なんか、“等身大”という感じの、こういう役が凄い合ってる感じがします。ブルーカラーというか。

内容ですが、ま、よく出来た佳作だな、と。お金はかけなくてもちゃんと良いものって作れるんですよ、という、お手本のような作品ですよね。
こういう、“ハリウッドの佳作”って、個人的に大好きなんですよねぇ。スタッフもキャストも、大作やスターへの足がかりにするために作るようなアレなんでしょうが、まぁ、別にそんな事を気にせず、素直に観れる良い作品なんで。

不器用さゆえに、家族からのけ者にされている女と、愛していた家族を失ってしまった男の、まぁ、シンプルなラブストーリーなんですが、ディテールをもの凄い細かく積み上げていく、というシナリオは、ホントに上手なだなぁ、と、思いました。
“電話と留守電”とか、車を運転することに怯える、とか。

あとは、2人の、それぞれの脇にいるキャラクターが、良かった。こういうポジションのキャラクターって、変にステレオ・タイプな感じに作られることが多いんだけど、ちゃんと、個性的で、それぞれに背景と物語を持っている、というキャラクターで、またそれが、主人公たちの物語への効果的なエフェクトになってて。

ただ、その辺の、演出もコミのディティールの巧さとは対照的に、セリフはイマイチ。言葉のチョイスはそんなに良くないな、と。まぁ、訳語の問題もあるんでしょうが。

主人公が変にマッチョじゃない所もいいですね。J・Loも、適度にパワフル、適度にフェミニンな感じで。

それから、DV(ドメスティック・バイオレンス)を描くんですが、その描写が凄い上手でした。ま、直接DVを描くワケではないんですが、その、被害者=配偶者(パートナー)の心情、と、もう一つ、遺伝してしまう、という部分。
虐待を受けた子供は、自分の子供にも同じ表現をしてしまう、という。再生産されてしまう“虐待”の悲劇性。ま、あくまでフレイヴァーなんで、真正面から取り上げている、というワケではないんですが。でも、問題の本質をちゃんと伝えてはいるな、と。


というワケで、なんだかんだで、素直に女優業のキャリアを伸ばしてるジェニファー・ロペス。ちょっと見直しました。

2007年9月1日土曜日

「ボルベール〈帰郷〉」を観る

吉祥寺まで出かけていき、「ボルベール」を観る。
というより、ペネロペ・クルスに魅入る、という感じでした。素晴らしい。
ま、ペネロペの美しさについては別の所で詳しく、ということで、監督志望らしく、作品の感想を・・・。

・・・。

ペネロペがマブかったです、という他に・・・。

なんでしょうか・・・。

う~ん、案外短いカットでパンパン繋げていくんだなぁ、とか、ほとんどそんな記憶しかないかも・・・。
オーソドックスに、バストアップを多用して、しっかり俳優の表情を押さえて見せていく、というのも、正直、字幕よりもペネロペの胸の谷間に目線がいってしまって・・・。

ただ、他の作品にも共通して言えると思ったのは、「俳優をどこに立たせるか」という部分がもの凄いなぁ、という所かな。セットなのかロケセットなのかは分からないんだけど、ロケ・ショットなんか、やっぱり凄い綺麗だし、部屋の中の画も、凄い綺麗。“色彩感覚”云々じゃなくって、生活感もあるし、空間もしっかり確保しているし、その部屋に住む人をちゃんと表現してるし。
レストランのシーンとか、ホントに良かった。マジで。それは、“ただ店内を映してる”っていう風にしか見えないんだけど、逆に要らない所は全然映してなくって、実はどういう造りの店なのかって、分かんないんだよね。でも、全然それでよくって。

あとは、衣装かな。ま、これも、ペネロペの美しさあってのことなんだろうけど。モダン過ぎなくって、でもちゃんとフェミニンで、姉妹のキャラクターが着ている服で色分けされている、というのは、まぁ、当然なんだろうけど、なんていうか、あんまりカネを持ってないんだけど、ちょっと派手好きで、ちゃんとオシャレなんですよ、みたいな雰囲気がちゃんと伝わってきて。
うん、記号的なだけじゃなくって、ちゃんと空気を作ってる、というか。
あと、死体を運ぶ時に、親子でジャージに着替えてたりして。
もちろん、ドレスアップした時にガラッと変身してみせるペネロペも最高でしたけど。

それから、この作品は脚本賞を受賞したということですが、結構、セリフで“説明”するんですよね。変に回想シーンとか作らないで。ま、個人的には、全然オッケーなんですが。
前に、自分の作品に出演してもらう女優さんを探してる時に、シナリオに「説明台詞が多い」って言われて、ちょっと気になってて。「それをきっちり表現するのが演技なんじゃねぇのか」とか。
結局、その女優さんには断られちゃったんだけど、まぁ、そういう見方もあるんだなぁ、とか、思ってたんです。
ま、だから自分のスタイルを変えるとか、そんなことは全然なかったし、これからも、その部分についてはないと思うんですが。
ま、成功例は、ここにあるな、と。自分と比べるアレでは全然ないということは、重々承知の上で。


アルモドバル監督の“女性賛歌”三部作、というコピーだったけど、こういう映画、大好きなんですよね。実は。
ジュリア・ロバーツ主演の「マグノリアの花たち」という作品を思い出しました。



DMMでレンタルも出来ます。 
  >>>ボルベール
  >>>マグノリアの花たち

2007年8月31日金曜日

ルイ・ヴィトンの広告

ルイ・ヴィトンの新しいキャンペーンで、まぁ、ゴルバチョフとかが話題になってるアレですが、カトリーヌ・ドヌーヴのヴァージョンが激ヤバです。超クール。





あの、視線の向く方向とか、凄い。首の角度とか。足の組み方、足首の角度、しかも両足とも、完璧。
立ちのぼるオーラ。あんな写真、撮ってる方は鳥肌立っちゃうんじゃないでしょうか?

あと、コピーも最高。「撮影最終日、3テイク目。パリ。」ヤバイでしょ、マジで。

しかも、そもそもルイ・ヴィトンのバッグの上に腰掛けてるんだよ。

もう少しで撮影が終わって、このバッグ持って、家に帰ろう、とか、そういうストーリーなんでしょうか。

いやぁ、新聞めくってて、こんなビックリしたのも久し振り。

ちなみに、同じ日の、“エクラ”という雑誌の創刊の広告には、黒木瞳が。コピーが「憧れはいつも『パリ』からやって来た!」
サブいっ! サブいぞっ! 
黒木瞳さんは、嫌いじゃないですが(というか、むしろ大好き)、ちょっとイモ臭いな、この写真は。残念ながら、ルイ・ヴィトンと同じ日に掲載された事が不幸でしたね。もう、どうしょうもないです、こればっかりは。


いやぁ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ハンパないっス。

2007年8月30日木曜日

三池監督咆える

ちょっと前の朝日新聞に、面白い記事があったんで、ご紹介。
新作のプロモーションで、タランティーノと三池監督が、一緒にインタビューを受けてまして。で、タランティーノは全然イイこと言ってないんですが、三池監督が、なかなか熱く語ってます。

以下引用でっす。

(自作に出演してもらって)タランティーノ出演というのは僕らの夢。映画は人に夢を与えるもの。自分の夢をかなえる力を持たない人は他人に夢を与えられない。いい外国映画を見た。じゃあカメラマンを日本に呼んで一緒に撮ろう――。そういう発想は日本にまず、ない。あるものの中から消去法で決めていくやり方を、自分で崩さなきゃいけないと思った。この映画を見た次の世代の人たちは「本当に欲しいものなら交渉してみよう」と考えるでしょう。
才能ある人間が行動すれば何かが手に入る。本当はそううまくはいかないけど、まれに実現してしまう人がいる。それがクエンティン。「レザボア・ドッグス」の製作費は、親類から金を集めれば誰でも撮れる程度。でも絶対に撮れない。あの作品は映画人みんなに突きつけた。「環境じゃなくてあなたの問題だ」と。
人間はセックスがもとで生まれてくるわけだし、バイオレンスも人間の性(さが)。それを無いことにして弱さとか優しさで観客を泣かせる方が、よっぽど「暴力的」な映画を見ている気分になってくる。


ということです。あの顔を想像しながら読むと若干暑苦しいですが、個人的には、頷くばかりでっす。
う~ん。
「親類から借りる」かぁ~。貸してくれっかなぁ。

う~ん。とりあえず、シナリオ書こっと・・・。

2007年8月28日火曜日

「蝉しぐれ」を観た

珍しく、日曜日の夜、家にいたので、せっかくなんで、テレビでやってた「蝉しぐれ」を。

うっかり、山田洋次監督の作品かと思ってました。一連の、藤沢周平原作モノのアレかと。違いましたね。お弟子さんが監督みたいです。

さて、内容ですが・・・。
ひたすらスクウェアな構図のカットで推していくワケです。まずは、とにかくそこが新鮮で。逆に。

で、主人公は市川染五郎さんが演じるんですが、その少年時代を演じる役者さんがとにかくイモで、酷いな、と。その相手役のカワイイ女の子は、びっくりするくらい上手で、逆に主人公のイモ役者っぷりが浮き上がりまくりで、「これでイイのか?」と何度も首を傾げながら・・・。

なんていうか、ある程度“その世界”に引き込むような仕掛けが欲しいんですよね。時代劇って。
ま、時代劇に限らないことだと思うんですが。
例えば、鬼平犯科帳だと、あの激シブのナレーションですよね。あの声の発声一発で一気にその世界に持っていかれちゃうワケで。この作品には、どうもそういうアレがない気が。
ま、俺がそう感じただけですけどね、あくまで。

で、その、少女が成人すると、木村佳乃さんになるワケですが、あんまり顔が似てないんで、そこでも「ムムッ?」と。

ところが、その何カットか後に、引き裂かれてしまったその想い人(染五郎さんのこと)が、未だ独り身であるという事実を本人の口から告げられた瞬間の佳乃さんの表情が素晴らしかったのです!
「ここかっ!」と。

幼馴染であり、お互いの初恋の相手であり、しかし運命によって、満足に別れの言葉を交わすことも出来ないまま引き裂かれてしまった2人の、そんな2人の久方ぶりの再会であったにもかかわらず、私的な言葉を交わすことや、ましてや抱擁など全く許されぬ間柄になってしまった、みたいな云々の全てが、その瞬間にググッとくる、という。
「なんと切ないんでしょう!」と、この作品がど真ん中のオバサマ方はハンカチを噛むのでしょう。
そんな、キラー・ショットでした。木村佳乃、恐るべし。

あとは、ラストの、主人公2人が語らうシーン。なんか、構図的には変な角度の画が続くんですが、それは、2人を隔てる障子を入れ込む為の画なんですね。
その障子が、その、ついに結ばれることのなかった2人の間にあったモノのメタファーになってるワケです。その、非常に分かり易い“メタファー使い”も、ちょっと良かったですね。ちょっとしつこい気もしたけど、そこを持っていく、染五郎さんと佳乃さんの演技力の素晴らしさ、ということで。
正直、スゲェなぁ、と、思いました。


でも、やっぱり、その、画がちょっとイマイチだったかなぁ。時代劇だから、やっぱりロケとかに制約がもの凄いあるっていうのは、良く分かるんだけど。
例えば城下町とか、そういうショットが欲しいんですよね。それは、記号的な意味合いで、なんだけど。
ロケ場所とか予算とかで制約が色々ありまして、みたいなのが画面から伝わっちゃう感じで。
画は、なんか、寂しい感じがしました。それは、狙った“侘しさ”というのとは、また違った意味で。

いや、でも、良かったですよ。
山田洋次監督の一連の作品も、観てみます。そんな気にさせてくれる作品でした。

2007年8月27日月曜日

宮崎駿監督の真髄を知る

ド深夜にNHKで再放送してた「プロフェッショナル」の宮崎駿監督の“密着ドキュメント・スペシャル”を観る。

いやぁ、ハンパないっスよ。強烈なパンチラインの連続ですよ。
なんていうか、スタジオジブリっていうのは、その内部の構造とシステムが、それこそ日本中のクリエイターの関心の対象になり得る組織だろうと思うんですが、今回の密着番組は、若干新しい視点、というか。
“監督の素顔”でもなくって、“スタジオの秘密”でもなくって、もちろん“作品に込められたメッセージ”でもなくって。

よりテクニカルな部分、というか。それは、監督とスタジオが持つアニメーション技術ではなく、監督本人が抱えいてる、映画監督という、“表現者としての技術”というか。

「脳ミソに釣り糸を垂らす」という言葉に象徴されると思うんだけど、作品を作る、もっと手前の段階に焦点を当ててて。「何かが引っ掛かるんじゃないか」とか、ね。

脳の右側の内の方が疲れる、とか、凄まじい表現も飛び出してましたけど。
茂木さんも「それは正しい」とか。イマジネーションを司る場所みたいですよ。右脳のそこら辺って。

「論理で作っちゃダメ」「まず子供にウケたい」とか。子供にツマンナイとか言われたくないということみたい。もちろん、それはある意味では、もっとも高いハードルなワケですが。

それから、「裸で作らなくてはいけない」
正直に作らないと、作った本人に跳ね返ってくる、とか。これは、どこかの段階で、“跳ね返って”きたことがあったんでしょうか。「正直に作らないと、嘘をついた本人に跳ね返ってくる。そして、映画が作れなくなってしまう」って言ってます。

そして、当時完成したばかりの、息子さんの「ゲド戦記」を評して。「気持ちで作っちゃダメ」「大人になってない」
「(一作目は)世界を変えるつもりで作んなきゃダメだ」「変えられっこないんだけど」
う~ん。
としか、ちょっと言いようがないって感じかも。


それから、“孤独”こそがクリエイションの母胎である、という部分かな。
監督は、“不機嫌”っていう言葉も使ってましたね。きっとそれは、何かに対する“怒り”とか“不満”とか、そういうのも含めての意味だと思うんですが。
不機嫌。それこそが、作品を作る時の原動力である、と。

自分を“孤独”と“不機嫌”に追い込んでいく、と。

いやぁ、誰か録画してないっスかねぇ。またいつか見直したいです。
今度は正座して。

こういうのを見せられると、真面目に受信料払う気になるね。


2007年8月23日木曜日

「天国の口、終りの楽園。」を観た

というワケで、月曜日の深夜にやっている定番の深夜映画番組、“月曜映画”で観た、「天国の口、終りの楽園。」でっす。

冒頭から、導入の20分くらいは、“太陽族”のガキがはしゃいでるだけで、全然面白くなくって、というか、なんかサブくて、「ヤベェな・・・」なんて思ってたんだけど、中盤、登場人物たちの関係性が、お互いの肉体関係云々で波打って、バランスが崩れ始める所から、俄然面白くなってくる感じでした。

内容は、まぁ、典型的なロードムーヴィーと言ってもいいんだろうけど。“ある種の通過儀礼としての小旅行”。そして、“ビルドゥングスロマンとしてのロードムーヴィー”。
ま、この作品も、その辺の、いわゆる“本線”は外してません。

個人的にちょっと引っ掛かったのは、なんか、途中、ところどころ、弛緩するところがあるんですよね。
それも狙いなのかもしれないんですが、個人的にはイマイチ。
ビーチの飲み屋で飲むシーンや、3人で絡み合ってしまうシーンなんて、特にそう。

なんだけど、ラストの直前、カノジョがパレオをスッと取って、波間に飛び込んでいくカットの、カノジョの開放感に満ちた笑顔に、その辺が一気に収束していく感じがあって。ま、イイなぁ、と。

ストーリーの終わり方も、青春ロードムーヴィーとしては、まぁ、教科書通りではあるんだけど、最高のエンディングですね。

画としては、なんていうか、個人的には大好きな系統というか、手持ちのカメラでゆったり撮る、という。
なので、逆にハマリ過ぎちゃって、“新鮮味”はそんなに感じなくて。“構成の妙”とか、そういう技巧的なアレとかは、まぁ、オレとしては、そんなに、と。
なんていうか、“快楽原則に則って”というか、ロケをするその場その場で、その場所に相応しいショットを1カットずつ撮ってって、みたいな感じなのかもしれません。
オレ的には、満点ですけど。

あとは、なんていうか、不思議なナレーション。
だいたい、誰が語っているか分かんないし。
で、その、ナレーションが、もの凄い独特の間で入ってくるんですよ。なんか、ヘンなタイミングで。それは、ちょっと参考になったかもしれない。

あとは、まぁ、よく喋る、と。スペイン語のリズムなんだろうけど、それがまた、心地よいというか。
ああいう、耳で聴いてて気持ちのいいダイアローグって、もの凄い大事だと思うんで。
リズムもそうだし、もちろん、言葉のチョイスもだし、俳優さんの力も関係するんだろうけど。


でも、まぁ、日本にいると、“海にいく”って、そんなに動機にならないもんねぇ。島国だし。少なくとも現代劇では、車でちょっといけば、必ず海なんて見れるワケだから。


ちなみに、十年位前に自分が書いた短編のシナリオに、「八月の風、九月の涙」というのがあったんですが、若干似てますね、タイトルが。
そういえば、それも、車を使った、ある種のロードムーヴィーでした・・・。
ちょっと思い出してしまいました。

2007年8月22日水曜日

撮影完了

葉山へ、撮影に行って参りました。

偶然、前日の深夜に、“月曜映画”で、スペインの「天国の口、終りの楽園。」をやってて、せっかくだから観たんですが、まぁ、既知の方はお分かりだと思うんですが、若干、ネタが被ってまして・・・。

オレの作品も、男2人と女の子1人の3人で、葉山の海岸に遊びに行く、という内容なんです。
ちなみに、「天国の口、終りの楽園。」は、“天国の口”という海岸を目指して、高校生のガキ2人(もちろん男)と人妻が旅をする、という、ロードムーヴィーなんですよ。

ホントに偶然なんですが・・・。

ま、それはさておき・・・。

で、撮影の成果ですが。
詞先/曲先じゃないですが、先に作中で使う音楽を決めてあったんで、それをイメージしながら撮る、ということで、まぁ、画としてはいいのが撮れたんじゃないか、と。
ただ、あくまでその場でのアレなんで、実際に撮れたモノがどうなのかは、ちょっとまだ、分かんないんで。
まだチェックしてないんですよね。
ちょっと暗すぎる所も多分あるんで、使えないショットもあるんじゃないかな、と。

結構急ぎで仕上げないといけないんで、死ぬ気で編集しまっす。
明日から。

がんばって仕上げないとな・・・。

出演してくれた3人には、ホント、感謝感謝。ありがとうございました。

2007年8月21日火曜日

明日は撮影

明日はいよいよ、短編作品の撮影です。

バイト先の後輩3人に出演してもらうんで、まぁ、雰囲気作りが一番大事だろうな、と。
緊張しちゃったら失敗だし、変に力入っちゃったりしてもダメだし。
普段の、仲のいい3人の雰囲気を、そのまま撮りたいので。上手いこと、そういう姿を引き出せればいいんですが。

まぁ、なんていうか、段取りが滞ったりするのが一番ダメだと思うんで、そこら辺はちゃんと心がけていきたいですな。

ま、一日で終わる、というより、撮影自体は2時間くらいで十分終わる分量なんですが。なんせ、演出もカメラも段取りも、全部1人でやんないといけないんで。

天気が心配だったんですが、ま、予報では晴れそうなんで、良かったです。
ただ、強烈に暑そうですな。その辺は、ちゃんと気を遣わないとマズイよなぁ。水分摂ったり。

使う音楽をちゃんと頭の中に鳴らしながら、出来上がりをイメージしながら画を決めて、撮っていきたいな、と。

うん。がんばろう。

2007年8月20日月曜日

ケンさん

クレイジーケン・バンドの「タオル」という曲のPVがめちゃめちゃイイです。

ヤフー動画で観れるんで、皆さんも是非どうぞ。

あんまりお金をかけないで、ちゃんとドラマチックな構成になってて、なおかつ、曲の魅力みたいのもちゃんと伝えてる感じで。夏にぴったりだし。

あと、出てくる女の子、激マブですよ。マジで。
わざわざ検索してみる価値ありますんで。

その、低予算な感じが凄くいいんですよ。
コレだけでここまで見せれるんだ、と。
そういう、お手本のような作品だと思いますね。

ちなみに、プールサイドで逆ナンされたって、半分実話らしいです。さすがケンさん。さすがなプレイボーイですよね。

2007年8月19日日曜日

「アニマトリックス」を観る

「ルネッサンス」「ジニアス・パーティー」に続いて、実は未見だった、「アニマトリックス」を。

面白かったですねぇ。どのエピソードも。本編の物語世界を全方位的に語る、という“外伝”としての意味もちゃんと通ってるし、それぞれのクリエイターもやりたい事をちゃんとやりきってるっていう感じじゃないでしょうか。
世界観を補強するってことでは、ちゃんと出来てますよね。

多分、「ジニアス・パーティー」のオムニバス形式という纏め方は、この作品にヒントを得て「俺らもやってみっか」的にやってみたんだと思うんですが。
やっぱり、“外伝”ってことで、いちいちキッチリとしたオチをつけなくていい、みたいな部分では、こっちの方が、作り方は楽なのかもしれないな、と。受け手がある程度は咀嚼してくれるワケで。
画とかスタイルとかがバラバラでも、全部スッと見れるのは、そういう部分なのかな。シナリオがちょっとくらい弱くても、ね。

でも、作品全体で見せる、というか。雰囲気だけで見せるって、全然アリだと思うんで。俺は。

内容は、例えば、人類対機械(アンドロイド?)の対立・戦争なんて、それだけで超大作のテーマになりうる物語ですからね。ま、浦沢直樹の「プルート」なんて、モロにそうだけどね。スピルバーグの「A.I.」もそうだしね。
ま、そういうのの焼き直しではあるんだけど、でも、ちゃんと語り切ってて、俺は好印象でした。

「探偵物語」も、スチームパンクな感じの背景も含めて、非常に良かったです。
マトリックスの一部として、ああいう世界がパラレルに存在してるってことですよね。その辺の諸々も含めて、個人的には、大好きなアレですね。

人類対機械(アンドロイド)の、第何次かは分かりませんが、世界大戦があるとして・・・。機械が勝った世界が「マトリックス」なワケですが、例えば人間が勝つと、「ナウシカ」ですね、きっと。

というワケで、次は、スタジオジブリの短編作品を集めたのを観たいな、と。
ウチの近所のビデオ屋さんには置いてなかったんで、探さないといけないんだけど。

2007年8月18日土曜日

昨日は打ち合わせを

来週に撮影する短編作品の為に、バイトが終わった後に、出演してくれる後輩たちと、讃岐うどんを食べながら、打ち合わせを。
当日のスケジュールとか、衣装とか、あとはまぁ、内容の詳しい説明とか。
3人に出演してもらうんですが、片想いばっかりの三角関係なんだよね、と。

なんですが、まぁ、難しいことはあんまり考えず、意識せず、いつも通りの感じでいいからさ、ということを改めて説明。
ま、仲のいい3人なんで、その雰囲気がそのまま撮れればいいんじゃないかと思ってるんですが。
3人とも、“その気”になってくれてるというか、やる気になってくれてるので、そこはホントに嬉しいですな。助かります。マジで。

みんな、頭がいいんで、こっちの意図もなんとなく分かってくれるんで、話が早いし。
意図がちゃんと伝わるっていうのは、ホントに大事なことですからねぇ。

あとは、当日の天気かなぁ。晴れるといいけど。
暑いのはガマンですな。

2007年8月16日木曜日

マルーン5のビデオクリップ

マルーン5の、最近シングルカットされた「ウェイク・アップ・コール」という曲のビデオクリップを観たんですが、なかなか良かったです。


まぁ、悪く言えばありきたりの“映画風”のクリップなんですけどね。「映画風に撮ってみました」的な。ガツンとお金かけて。
ただ、マルーン5、嫌いじゃないんで。この前の曲の、空港をモチーフにしたクリップもなかなか良かったですけどね。キャビンアテンダントとか出てくるし(好きなんですよ。個人的に)。

今回のクリップも、無駄にエロいショットとかが結構ありますが。ま、それはさておき。

「ボニー&クライド」チックな、車の中のカップルのショットとか、倉庫街とか、そのロフトの屋上のショットとか、まぁ、新味のある画ではないんですが、なんていうか、やっぱり画の質感がいいなぁ、と。
フィルムの、粒子がザラザラした映像で、その辺もニュー・シネマ期を意識してるんだなぁと思わせますが。

あの、乾いた質感なんですよね。ああいう質感って、まぁ、みんな、なんとなくイメージ出来ると思うんですが。
撮影は多分LAなんで、いわゆる“カルフォルニアの画”ですよね。光の量のアレで。空の青の色とか、まぁ、普通にアスファルトとか、レンガの壁の色とか、そういうのが全然違うんですよねぇ。

光をギンギンにして、露出を絞って、ってことだと思うんですが。
無いものねだりって分かってるんですが、ああいう質感を出したいなぁ、なんて、生意気にも、思ってるんです。いつも。

それと、ビデオカメラの液晶モニターでその場で「良し」と思ってても、上がりの映像だと色が全然違うワケで、その“差”をどうすればいいのか、と。分かってても、いざ撮影の場になると、どうしようもなかったりするんで。その辺はちょっと悩みですよね。
そのうち出来るようになるってアレでもないんだろうし。当然。

ま、それはともかく、マルーン5のビデオクリップ。機会があれば、観てみて下さい。

2007年8月8日水曜日

「エレファント」を観る

相変わらず、書き込むまでが煩雑でウザいブロガーですが。しかも、アクセスがやたら遅いグーグルのブロガーですが。ま、段々慣れてきました。アマゾンのアフィリエイトもちゃんと出来るようになったし。

というワケで、本題ですが、インディペンデント・フィルムの雄、ガス・ヴァン・サント監督の傑作、「エレファント」です。
今回、DVDで、特典として、チラッと撮影風景の映像が入ってて、まぁ、ホントにチラッとなんだけど、興味津々に観てしまいました。
小さなビデオカメラで、役者とカメラの動きを打ち合わせてたり。
でも、フィルムを使って撮影してるんだろうけど、あの、時々フッとスローモーションになるのって、どうやって処理してるんだろうか。もの凄い自然だったけど。フィルムを一度デジタル化して、それをもう一度フィルムに起こしたりとか、そういうのかね。あの画の質感は、間違いなくフィルムだと思うんだけど。
フィルムの編集機で監督が編集している姿が、その特典映像に入ってたから、それとは別にノンリニア編集も使ってるってこと?
でも、ひょっとしたら、撮影もデジタルでやってるのかもなぁ。それに、なんか加工して、ああいう質感をだしてるのかもしれない。


例えば、公開当時とかって、この作品について、“静謐”だとか“静寂”だとか、そういう言葉が多かったように記憶してるんだけど、それは、全然そんなことなくって。
どういうことかっていうと、彼ら(登場人物たち)の、心の中の声が、とても声高に、聴こえてくる、ということです。まぁ、あたかも聴こえてくるかのように撮っているワケですが。
そういう意味では、全然“静かな”映画では全然なくって、とても雄弁な作品ではないか、と。

自意識として抱えている独白や叫び声。
彼らは挨拶を交わすだけでなくって、視線を交わし、キスを交わし、その間、彼らはずっと、言葉を紡いでいる。というより、言葉になる前、言語化される前。
そう。まだ“言葉として浮かび上がらせる技術をまだ習得していない”のが彼らの真の姿なワケで、例えば、廊下を歩く姿を延々背後から追い続けるシーンで、受け手は、彼らの内側を、自分の内側にあるものとして共有することが出来る、と。
その、共有する為の時間が、あの“間”であり、延々の追い続ける“時間”の意味である、と。

もう一つ。
射殺犯2人にとって、犯行は、もの凄くハードルの低いアレだったワケですね。ベタな表現を使うと、日常の延長上にある、という。
宅配便でライフルを入手できてしまう、という。
タッチフットをしたり、カノジョと遊びに行こうとしたり、女友達と便所で吐いたり、そういう日常の行為と並列化して、ライフルをガレージに積み上げられた薪に試射する、みたいな姿があって。
ま、「要するに、銃規制なんですよ」というメッセージなんでしょうが。監督なりの。

「タクシー・ドライバー」「ナチュラル・ボーン・キラーズ」「エレファント」。
人間が本質として持っている暴力性というのが、俺の解釈です。

2007年8月5日日曜日

「V・フォー・ヴァンデッタ」を観る

仮面を被った革命家≒テロリストと、ナタリー・ポートマンの、“オペラ座の怪人”的なラブストーリーをサブプロットに、「理念は生き続けるのだ」と叫び続ける革命家の物語、「V・フォー・ヴァンデッタ」を観ました。

後で、シナリオがウォシャオスキー兄弟だったと知って、「あぁ、にゃるほどねぇ」と。
原作は、イギリスのコミックみたいですけどね。アメコミじゃなくって、なんて言うんだろうねぇ。マーヴェル・コミックでもないし、ね。
ま、ともかく、エンターテイメントの衣を着ながら、現代社会のエグ味を描いてみせようという、“マトリックス”では重層低音だった部分が、この作品では、モロ前面に出てる、と、俺は解釈しましたが。

“民主主義から生まれた全体主義”、つまり、“民主的に選ばれた独裁者”ですよね。有権者が、自分を守ることを期待して、自分の持つ権利が制限されることを受け入れると、そこから圧政者が生まれてしまう、という。
要するに、ヒトラーとナチスのメタファーなワケですが。
現代でも未来でも、第三帝国的なことは起こり得るんですよ、という。

で、ナタリー・ポートマンの演技は、やっぱり、凄いですね。2つの瞳の表情だけで全部持っていっちゃう、みたいな。
スターウォーズのお人形さんみたいな扱いとは全然違います。さすがに。
なにしろ、相手がずっと仮面被ったままですからねぇ。レオン以来のあの瞳が余計目立つし。

だけど、その、ナタリー・ポートマンを“覚醒”させるプロセスって、ちょっと良くないっスね。アレって、普通に“カルトの洗脳”だと思うんですよね。もちろん、ワザとなんだろうけど。
若干抵抗アリ、です。個人的には。

あと、もう一つ不満があって、せっかくロンドンが舞台なんだから、街そのものをもっと背景として押し出して欲しかったなぁ。
「28日後」という、ダニー・ボイルの作品があるんですが、ああいう感じで。
ま、予算の都合みたいのもあるんだろうけど。

日本でも、こういう作品が作られるといいですね。
どうも、“昔懐かし”“古き良き”みたいな、懐古調な映画ばっかりな感じがしてて。

映画の作り手が、現代社会を俯瞰して見る、という視点を失ってるような気がするんですよね。生意気言わせてもらうと。「もっと色々あんじゃねぇの!」と。そういう気持ちでっす。

2007年8月3日金曜日

ⅢとⅤ

久し振りに、スターウォーズを観てしまいました。結構好きなんですよ、SW。マニアってワケじゃないんですが。

ハリソン・フォードめちゃめちゃカッコいいな、とか、そんなベタな感想を持ちつつ、やっぱり、個人的には、新三部作より、旧三部作の方が好きだなぁ、なんて。

まぁ、物語の背景が全然違うから、そもそも比べるのが間違ってるんだろうけど、例えば、宇宙空間に浮ぶ巨大戦艦(スターデストロイヤー)の質感は、CGじゃ出てねぇよなぁ、とかね。宇宙空間の暗闇の深さだってそうだし。CGだと(つまり、Ⅰ~Ⅲは)、そういうのは出てない気がするんだよねぇ。“CGが凄い!”っていうのは、ホントに良く分かるんだけど。

あの、デス・スターの発着デッキなんて、ガキの頃はホントにしびれたもんなぁ。あの質感。ぴっかぴかな、真っ黒な床に、白いトルーパーがズラッと並んでて、そこをダースヴェイダーが歩いていくシーン。あれこそが、リアリティっていうもんだと思うし。宇宙空間を航行していくスターデストロイヤーの船舷を延々ナメていくシーンとかさ。ああいうのにぶっ飛んだクチだからねぇ。
全部CGだと、なんか、のっぺりした感じなんだよねぇ。まぁ、もちろん、先入観も多分にあるんだろうけど。

ま、エピソードⅢの結末は、なんか不思議なカタルシスだったなぁ。結末というか、その後どうなったかをこっちが知ってるワケで、全てのトピックがその既知の物語の中に“しっくりハマる”ことに爽快感を感じる、という。「コレがこうなって、アレがアレで、コイツがアレかぁ!」と。そういうオチ。ちょっと独特ですよね。
ま、アレ以外に結末はもちろん無いワケで、全然正解だと思いますけど。


あと、改めて思ったのは、もうそれこそ何回も観たり読んだり(ガキの頃、小説版を持ってたんです。三部作全部の)してる物語だけに、うっかりしたらセリフも全部覚えてるぐらいの感じなんですよ。
改めて観て、気付いたんですが。
で、日本語字幕バージョンで観たんですが、英語のセリフがだいたい分かるんですよ。
難しい単語使ってないし。
その、“簡単な言葉しか使ってない”という所に、改めて、シナリオの力を、ね。感じてしまいました。もちろん、演出とは、と、同義なワケですが。

昔、NHKでたまにやってる、アクターズ・スタジオのインタビュー番組で、S・スピルバーグが出たときに、「セリフの音声を消して観てみる。それでストーリーが分かれば、それは良く出来た映画だ」と語っていたのを思い出しました。

あとは、普通に、レイア姫ってマブいなぁ、と。ガキの頃も、確かそう思ってましたよ。確かに。
エピソードⅥも観たくなってしまいました。


2007年8月2日木曜日

「ルネッサンス」を観た

一部で話題になってるっぽい、フランス産のアニメーション「ルネッサンス」を、渋谷のシネセゾンにて、観ました。

これは、確かテレビのCMか、ゾディアックの時の予告編か、どっちかで、チラッと映像を目にしてて、「お、これは!」と思ってたんですよね。それで、たまたまタイミングが合ったので。

まぁ、どんなテクノロジーもそうなんだろうけど、CGでもなんでも、技術が発達すると、その技術を使ってなにかやりたくなるのが人情ってもんで、それが「シン・シティ」なんだろうし、この「ルネッサンス」なんだろうな、と。IBMがサポートしてるっていうクレジットも入ってたしね。まぁ、IBMとしたら、至極まっとうなお金の使い方なんじゃないでしょうか。

さて、作品の雰囲気ですが、なんていうか、フィルムノワールそのまんま、と言っていいと思います。フィルムノワールの空気感を、近未来を舞台に再現してみました、という。
ただ、ストーリー的な目新しさは、全くナシ、という感じ。なんで、このストーリーを、この技術で語る必然性があんまりないような。
技術というか、要するに、わざわざコンピューターで作ったモノクロの画で、ということなんですが。CGメインなのか、丸まるアニメーションなのか、正直良く分かってないんですが、ま、どっちでも、イマイチ、と。
ちょいちょい、グッとくる瞬間はあるんだけどねぇ。だけど、ホントにちょっとしかなかったかな。
ハードボイルドに語りたいなら、もっと他にあるんじゃねぇの、と。生意気ですが。

押井守の“光学迷彩”と“アヴァロン”っていう単語。アキラの“小さな老人”、などなど、元ネタが俺でも分かっちゃうって、ちょっとアレだと思うしね。

それから、ディスコで流れてる音楽が、全然近未来なサウンドじゃないんだよねぇ。まぁ、実際、その時代にどんな音楽で踊ってるかどうかは誰も分かんないんだろうけど、もうちょっと“それっぽい”音楽でも良かったんじゃないんでしょうか。
あ、あと、カーチェイス・シーンの音楽は、まんま007だし。ワザとなんだろうけど、それもイマイチ。

あとちょっと思ったのは、テンポが遅い感じがするんだよね。これは、ちょっと個人的な考えなんだけど、やっぱり、画面に映っている情報量が少ないからじゃないか、と。
実写と比べるとでもそうだし、いわゆる普通のアニメーションと比べても、そうなんじゃないかな。ちょっと、確かめようがないアレなんだけど。
だから、脳ミソの情報処理能力が余っちゃってて、ストーリーのテンポに全然追いついてる、というか。実写なら全然成立してるテンポでも、ちょっとスローに感じてしまう。
多分、実写なら、普通のテンポなんじゃないかな。シナリオの分量的には。ただ、それをそのまんま、このスタイルの映像で作ったら、スローテンポな感じになっちゃった、と。
ま、俺の勝手な推察ですが。

なんていうか、もうちょっとエッジの効いた作品だろうと、相当期待度が高かった分、肩透かし度も高くなっちゃいましたね。
いわゆる、普通の佳作です。偉そうに言わせてもらえば。
音楽変えるだけで相当変わると思うなぁ。もっと振り切っちゃっても良かったんじゃないの、と。
まぁ、こんな感じでした。


2007年7月31日火曜日

ロケハン終了

今日は、天気が悪いのをおして、ロケハンへ行ってきました。神奈川県の、葉山へ。
自分の作品に出演してもらった俳優さんが、なかなかアグレッシヴに活動してる人で、その人が短編の映像を集めたイベントを企画しまして、そのイベントに出品する為の作品です。時間が10分以内、という制限があるだけで、テーマや手法に制限はないので、まぁ、アクセル全開な感じでやってみようかなぁ、と。

キャストは、若干安直なんですが、バイト先の後輩の3人に頼んで。ただ、なかなか爽やかな雰囲気の3人なんで、画としては悪くないと思いまっす。ま、俺の撮り方次第なんですが、もちろん。
で、セリフはナシ。撮る画は、3人の姿と、その背景の風景だけで、そこに、音楽を繋げて流して、ストーリーを語る、みたいな感じ。ハマれば、上手くいくんじゃないか、と、企んでるんですが。

タイトルは、「聴こえたのは夏の音」とか、そんな感じかなぁ。夏っぽい画が巧く撮れるといいんですが。ま、その辺は天候次第かな。

それから、御用邸の近くで撮るんで、警備の警官がね。詰め所があって、常に居るからねぇ。あんまり長くやってると、ごちゃごちゃ言われそうだから、パパッと撮らないと。

撮影よりも、編集が肝になるんでしょう。そのつもりで撮るしね。

キャストは決まったし、ストーリーもある程度は固まったし、ロケハンも終えたし、準備が順調に進む、というかなり珍しい事態に、逆に戸惑う感じです。

2007年7月29日日曜日

「盗まれたレコード・クレイツ」

GROOVE誌に、渋谷のレコード番長、いや、盤長、a.k.a. Sunaga t Experience つまり、須永辰緒さんの面白いインタビューが掲載されてました。

レコード・クレイツの“一軍”を丸まる盗まれたことがあって、それが、なんと、“夜ジャズ”のきっかけになった、という、なかなか興味深い“物語”。

これは、ストーリーとしては相当面白いんじゃないっスか?

レコードとDJを物語の中心に据えられるし、ありきたりの音楽モノでもないし、レコードをモチーフにしてるだけあって、ガンガン曲流しても全然違和感ないんだろうし、むしろ必然というか。

で、最後、盗まれてもの凄いショックだったんだろうけど、その事件を前向きに捉えて、新しいモノを生み出すきっかけにする、っていうのも、なんか美しいし。

そういえば、Q-Tipも(最近、名前聴かないねぇ)、家が火事になってレコード・コレクションが全部燃えちゃった、っていうことがあったねぇ。

うん。結構、イケるかもね、このアイデア。


2007年7月22日日曜日

むむっ?

ゴルフの全英オープンをテレビで観戦してたら、なんと、セグウェイに乗ってるカメラマンを発見してしまいました。

プレイヤーの表情を捉えた画面に微妙に映り込んでて、「なんだありゃ?」とか思ってたら、よく見たら、セグウェイ。

で、確かに、なんかもの凄いスピードで移動していくカメラの映像があるんですよ。ドリーで動かしてるくらいのスピードの。
フェアウェーを歩いていくプレイヤーを横から追っかけていって、もの凄いスピードで追い抜いて、で、正面に回り込んで、さらに逆側までずーっと回っていく、という、とんでもない画面が確かにあって、「これだ!」と。
あれは間違いなく、セグウェイ・カメラで撮った画でしょう。

きっとこれは、そのうち映画にも使われるようになる手法ですよ。いや、ひょっとしたら、もう使われてるのかも・・・。
でも、なかなか新鮮なカメラ・ワークでした

2007年7月19日木曜日

「未来世紀ブラジル」を観る

とりあえず、この“ブラジル”って全く意味なくって、要するにあのテーマソングで「ブラジ~ルぅ」って歌ってるからだけですよね。

さてさて、例えば爆弾テロとか、エリートが高層ビルの上層階に住んでて、そうじゃない階層の人たちは低層に住んでて、とか、官僚組織の雰囲気とか、あとは、主人公の妄想にズボズボハマっていっちゃう所(あれって、今のアキバ系のアレでしょ)とか、そういうのは、全然現在の日本でも生きてるトピックなワケで、全然色褪せてない、というより、むしろ今の方が意味のあるディテールかもしれませんな。

例えば、リメイクとか、そういうのも面白いんじゃないかと思うし。日本でやるなら、「未来世紀かながわ」みたいなノリだと思うんだけど。もしくは、「未来世紀みやざき」とか。最近のアレだと。

それから、シナリオの、作劇の部分で、“ドタバタ劇”としても超一流の出来なんだなぁ、と、思いました。それは、もちろんモンティ・パイソンのソレなんだろうけど。モンティ・パイソンは全然知らないんだけど、まぁ、直系とされているミスター・ビーンは知ってるからね。
そういう、物語をドライヴさせていく部分がないと成立しないもんだからね。その辺は改めて、意識しちゃいました。

ただ、さすがに、ギャグはサブいねぇ。

2007年7月17日火曜日

「グロリア」を観る

Mr.NYインディーズ、ジョン・カサヴェテスの「グロリア」を観る。恥ずかしながら、初見ですが。

冒頭いきなり、激マブのラテン系美女(プエルトリカンという設定です)が登場し、そしてすぐ死んでしまい、入れ替わるようにグロリアが登場する、というオープニングにちょっとビックリしつつ、しかし、そのラテン美女(超タイプです)を延々と追う描写は、これこそがカサヴェテス節である、みたいな感じ。
こういう演出とカメラワーク、正直、憧れます。

カメラワークで言ったら、地下鉄の車内から、窓の外のホームを映したり、エスカーレーターを上がっていって、そのままビルの外に出て行ったり。
やるか、俺も。お手製ペットボトル・ステディカムで。

例えば、銃を構え合ったりするシーンだったり、交渉シーンだったりの緊迫感は、さすがに、何ていうか、“ほのぼの”感すら感じてしまうくらいの緩さなんだけど、それは当時とは時代背景が違うからであって、逆に、“男勝りのガン・アクション”を見せる女、というフィクションを構築するのではなく、“男と対等に渡り合う為のツール”としての銃、という意味では、もの凄いリアルだし、無意味なアクション演出の垂れ流しにさらされている身には、新鮮だし、有効だし。

同じことは、グロリアのキャラクターにも言えることで。単なる“強い女”じゃなくって、別に“美しい女”でもなくって、色々悩んだり、無計画に開き直ったり、無茶をしたり、しかし勇敢だったり、そういうヒロイン像というのも、素晴らしいなぁ、と。
パム・グリアが演じたキャラクターたちなんかとの関係性とか、そういうのも気になる所ですが。まぁ、それは置いといて。

ちょっと気になったのは、“スパニッシュ”を“スペイン人”なんて訳しちゃったりしている、その辺の稚拙な感じ。まぁ、昔のアレだからしょうがないんだけどね。
でも、大事な部分だからさ。そういうディテールって。

うん。さすが、クラシックと呼ばれる作品だけあって、良かったです。

シャロン・ストーンのも観てみようかね。せっかくだから。勉強も兼ねて。

2007年7月15日日曜日

周回遅れ寸前

あやうく周回遅れになるところでしたが、書こう書こうと思ってて、ようやく今日書きます。

先週の日曜日(8日)の朝日新聞より。まずは23面(ページ、ということです)の、中園ミホさんという脚本家の方のコラム。山田太一さんについて。山田さんの“お言葉”をいくつか引用してまして。
山田さん曰く
「脚本家はオリジナルを書かなきゃ、脚本家じゃありません」

さらに、これは山田太一ドラマでのセリフで
「洗練、成熟というものは成長の止まったじいさんに任せればいい」

それを受けて、中園さん
「脚本家はきっと、諦めた時に成長が止まる。山田さんの作品は年々、尖っていく」


お次は、その裏面の、24面にて。寺山修司の特集記事。
ありとあらゆるジャンルに手と足と口を突っ込み続けた寺山のその振り幅の大きさの裏にあった通奏低音とは何だったんだろうか、ということで、「『そんなもん、ないよ』と彼は一笑に付すだろうけど、たくさんある候補の中で、一つは、いい意味での『嘘』あるいは『虚』への執着、もう一つは『偶然』へのこだわり」では、と。

寺山曰く
「未来の修正というのは出来ぬが、過去の修正ならば出来る。そして、実際に起こらなかったことも、歴史のうちであると思えば、過去の作り変えによってこそ、人は現在の呪縛から解放されるのである」
これが、“いい意味での『嘘』と『虚』である、と。
さらに寺山の言葉。
「あした、なにが起こるかわかってしまったら、あしたまで生きてる楽しみがない」
「コンピューターはロマネスクを狙撃する工学である」
「必勝を獲得し、偶然を排したとき、人は『幸運』に見捨てられ、美に捨てられる」

寺山はこの、“嘘”や“虚”、そして“偶然へのこだわり”によって、“現実”や“私”を揺さぶっていた、と。

寺山曰く
「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことはできないだろう」


その、寺山修司へ、なんと山田太一さんが登場してきて「大学に入ってきた時の同級生です」というコメントを。

えぇ!?

山田さん曰く
「僕が、普通に生きている人の人情のディテールを捨てない方向にいったのは、彼への対抗表現だったかもしれません」

そして、山田さんの「早春スケッチブック」というドラマを寺山が観てた、ということで、
「日常的な生活を批判する男が出てきて、普通の市民生活を送っている家族が揺さぶられる話なんです。揺すぶる方のモデルが自分で、揺さぶられるのが僕だと思ったらしい」

これは、すごいですよね。こんな同級生。

ここで終わらず、もう一つ。その次の25面。河瀬直美監督のインタビュー。
「国や文化が違っても、同じ人間としての本質が取れているかどうか」
「人間が心の奥で欲している『リアル』に届いているかどうか。だから、自分が実感を持てないことをやっても、何も突破できないのだと思いますね」
「私自信が持っている実感や表現したいことは、目には見えない。それを映像に焼き付けていくには、スタッフワークがとても重要だと思うのです」
「不器用でも自分の思っていることは言葉にしなくてはならない、さらけ出してコミュニケーションしなくてはだめだと分かるようになりました」
「不思議なことに、ゆるぎない信頼関係は空気となって画面に写る、と私は思います」


長くなりましたが、これは、自分の為の“記録”ですな。完全に。

なかなか不思議な朝日新聞でした。

2007年7月14日土曜日

「ゾディアック」を観た

この間観た、デヴィッド・フィンチャーの「ゾディアック」の感想です。
正直、客観的な評価は分かれる作品かもしれませんが、個人的には大満足。
年代がちょうど“その頃”ということで、冒頭から、サントラで使われている曲も、今個人的に一番はまってるジャズファンク系で、まずそこでニヤリ。
ちょっと長めのオープニングなんですが、ま、演出として、その辺で時代設定をする、ということなんでしょうが。

フィンチャーと言えば「セブン」ですが、本作にも“図書館ネタ”が出てきて、「セブン」を思い出してニヤリ、みたいな。
それから、やっぱり、“暗闇”の使い方ですよね。多分“電燈”というか、町中がまだ暗かった時代ということもあって、ともかく暗い中で進んでいく感じが良かったです。雰囲気があって。
生意気ですが、ああいう“暗闇”の使い方は、自分が目指している所でもあるんで。

若干、これみよがしな感じのCGカットがあって(二ヶ所くらい)、それは鼻についたかな・・・。

色としての“暗闇の黒”はたっぷりですが、ただ、今回は、“心の暗闇”という部分の描写は全くないですね。そういう意味でのサスペンス性はありません。
ともかく犯人側は、“犯人像”があるだけで、“肉迫”とか、“追い詰める”的なことは、まぁ、あることはあるんですが、あんまり力点はおかれてなくって、言っちゃえば、“追いかける側”の、例えば友情関係とか、人間ドラマとか、そういう方を描いている作品ですよね。ま、全然良かったですけど。
捜査陣側の人間は、当然、みんな男なんですが、その辺の描き方も「セブン」と重なる部分ですよね。それは、監督本人の指向なのか、それとも、もしかしたら、マーケティング的な要請なのかもしれないなぁ、と。
なんていうか、実話を基にしてるっていうのもあるんだろうけど、“犯人を追い詰める”という部分では、シナリオ的には若干弱い、というか。スターも出てないし。なんで、その辺の要素を加えて、初めて、成立するシナリオなのかも、と、思いました。
う~ん、でも、「ファイト・クラブ」もそうだけど、やっぱり監督本人が、そういう、男同士の“絆”みたいのが好きな人間なのかも。

と、そんな感想でした。

とにかく、黒、黒、黒。フィルムの質感。そういうので雰囲気を作っていく、と。


2007年7月12日木曜日

「アサシンズ」を観る

「憎しみ」の、モノクロームの画とモノローグ、そして何発かの銃声音で、一躍名前を挙げた(カンヌも獲りましたね)、マシュー・カソヴィッツの、その「憎しみ」の後の作品。
ま、前作の評価が凄かった分、それとの比較になるのは、ある程度はしょうがなくって、ここでもやっぱり、そこから入るんですが。

前作は、それはモノクロだったっていうのも当然あるんだけど、もの凄いシャープな画で、今作は、それとは対照的に、まるで16㎜みたいに(言い過ぎ?)、粒子の粗いザラザラした質感。
ひょっとしたら、シャッタースピードをちょっと遅くしてるのかもしれない、と、思うくらいに、ブレて残像がチラチラ出るくらいだし。
この辺は、自分の技巧を誇示してるって感じ。まぁ、もちろん、効果的なんですけどね。狙いに沿った、当然、これも演出の一環であろう、と。

演出で言うと、補聴器やテーブルクロスを巧く効かせたりして。
この辺は、何ていうか、暴力的だとか、社会派だとか、色々、外野から貼られるレッテルの文言ばっかりに目がいきがちだけど、ちゃんと踏まえるべき文法は踏まえているんだよねぇ。
この辺は、非常に勉強になりますな。

時間軸の操り方も上手。具体的には、回想やフラッシュバック、そして得意の、1カットの中でサラッと時間の経過を表してしまったり。

ストーリーは、なんていうか、特に前半部分は、キャラクターがボンクラなのもあって、ドライヴ感がちょっとなくって、イマイチ。
ま、それも、恐らく、フリということなんでしょうが。

この、タイトルに複数形の“S”が付いてる所がミソで、まぁ、軽くネタばれしちゃうと、“2人”なんですが。
ちなみに、3人目は、“見習い”扱い。

その、2人のアサシンのうちの一人が、アクセル全開時の津川雅彦のような存在感で見せる、老ヒットマン。
求道者かのような口ぶりで、しかし、俗まみれ、ルサンチマンだらけで、迫りくるその老いに恐れおののきながら、それでも必死に自分の生きてきた証を、その技術を誰かに継承させることで残そうと、必死にあがく、という。

もう一人が、まぁ、少年なワケだけど、最後、学校(正確には、校門の外)で銃を撃ちまくる姿は、例えばアメリカの銃乱射事件を思い起こさせたり。
まるで予言のようだけど。
つまり、ある意味では現代社会こそが、極めて優秀な殺人者の養成システムなんだ、と。

そういうラストに向けての、ホントに最後10分くらいで一気に持っていく感じ。

実は、この人は、なんていうか、非常にベタな着想ばっかりだったりもするんだけど、一番最初の、目線の置き方、着眼点の置き所、みたいのがね、もの凄い良いんだろうなぁ、と、思います。
そこから、技巧でそれを支えることで、一つの商業映画として成立させている、と。
ま、俺なりの分析でした。