2009年9月15日火曜日

伝統としての破壊と創造

新聞に、猿之助のスーパー歌舞伎を回顧した記事が載ってまして。
歌舞伎の世界は、まぁ、全然詳しくはないんだけど、俺の知識の範囲内でも全然読める、読み物としても面白い内容だったので、せっかくなんで、ここでご紹介。


86年2月、東京・新橋演舞場では、ふだんの歌舞伎公演ではまばらな若者の姿が目立っていた。世はバブル経済の上昇期。歌舞伎俳優の市川猿之助一門によるスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」が同月4日、ここで初演されたのだ。
歌舞伎で見慣れた、役者の影を作らない高明度の照明ではなく、闇を生かすような照明。想像上の怪鳥が飛翔するかのような宙乗り。ワーグナー楽劇を日本化し、メタリックに加工したような感触だった。
猿之助は「歌(音楽性)+舞(舞踏などの視覚的な楽しさ)+伎(演技・台詞術)」が三拍子揃った歌舞伎の復権を提唱。台詞は現代語に近く、音楽、衣装、照明、装置も刷新した。後に「スピード、ストーリー、スペクタクル」が旗印に。猿之助は初演時の筋書きに、心理を掘り下げて描く青山青果らの新歌舞伎に対し、「歌舞伎の面白さである歌、舞を忘れ、伎だけに片寄りすぎているように思われる」などと書いた。
むろん、歌舞伎は発生以来、変わり続けてきた。江戸期だけ見ても、変転があった。明治期の九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎の頃から古典化の道が始まり、新歌舞伎は歌舞伎に理知的な陰影を彫り込み、六代目菊五郎の世話物も時代の風を吹き込ませて新鮮だったとされる。69年の三島由紀夫作「椿説弓張月」は反時代的な観点からの変化だった。
古典化・高尚化を極めた六代目歌右衛門ら梨園の統治者が健在時に「歌舞伎を民衆の手に」と夢の実現に冷徹に向かった勇気と才能は歌舞伎史に輝く。
後続の主な試みは「視覚的効果」「未来の観客」に心を砕いている点などで通底するようだ。今、先頭を走るのは、中村勘三郎だろう。勘九郎時代の彼がまず組んだのが、演出家の串田和美だった。94年からの「コクーン歌舞伎」、仮設劇場を営む「平成中村座」。歌舞伎を現代に飛び込ませる姿勢が明確で、同時の歌舞伎の始原的姿を求める演劇活動にもなっている。
尾上菊五郎・菊之助らが演出家の蜷川幸雄と作り出したシェークスピア原作の「NINAGAWA 十二夜」は05年初演。鏡の演出、菊之助らの好演、音楽の妙味などで、そこはかとない王朝美を見せた。松本幸四郎らは、演劇としての歌舞伎を目指す歌舞伎企画集団「梨苑座」を00年に立ち上げた。
坂東玉三郎は泉鏡花原作「天主物語」などを06年、「高野聖」を08年に手がけた。台詞は現代語に近く、三味線音楽も際立たない。歌舞伎様式が溶解していく感覚。
スーパー歌舞伎は「心理主義」という当時の正統に対する、異端者による「視覚主義」の抵抗だった。


そういえば、以前、玉三郎のドキュメンタリーを観てたら(猿之助のお弟子さんにあたる)春猿と一緒に舞の稽古をしてて、「へぇ~」みたいに思った記憶があります。


で。
恐らく、この新歌舞伎っていうのがヌーベルバーグとかニューシネマとか、そういうのに当たるモノだったんでしょう。


ただ、実は猿之助一座も代替わりしてて、なんつーか、異端だったことの継承、つまり伝統化が始まっている、という。

記事中で書かれている勘三郎の次代の勘太郎も、いわゆる正統派のボンボンって感じで、端正だけど、親父が持ってる迫力みたいなのはあんまり備えてないよな、というか。(次男坊は酔って暴れたりして、そういう、エネルギーの大きさって意味では期待できるかもしれないけど)
で、そういう繰り返しの中で、色んなところに揺れたり揺り戻したり、つまり“揺れ”と、それが引き起こしてしまう“摩擦”自体もエネルギーとして進化の中に取り込んでしまう、という、ある意味で“異端”をメカニズムとして内包しているのが歌舞伎なのかな、なんて。
歌舞伎という、伝統芸能でありながら現代でも存在を誇示して(むしろ謳歌している)のは、そういう理由なのかなぁ、と。
まぁ、勝手に無理やり構図化しちゃうと、という話ですけど。



これもちょっと前なんだけど、確か蜷川幸雄が、寺島しのぶと松たか子を並べて評して、「梨園の女子として生まれ育った彼女たちには、女というだけで(家業からの)排除を被ってきた怨念みたいなものを背負っていて、その背負っているものが演技をしているなかに立ち昇ってくる」みたいなことを言ってて。
その言葉を借りるなら、そういう、女性性という新たな“異端”を内包している幸四郎・染五郎の系譜や、菊五郎・菊之助一座が今後その可能性を(恐らく、無意識のうちに)切り拓いていくのかな、なんて。
ま、勝手な想像ですけどね。



歌舞伎はねぇ。高校生のときに、課外授業かなんかで一回だけ観にいったことがあるんですよねぇ。モロに圧倒されちゃった記憶がある。
ちなみに、俺は大阪で人形浄瑠璃も観たことがあります。一回だけ。これはこれで、繊細なだけでない、なかなか重厚な世界でしたけど。



ま、全然知らない世界の話ですけど、こういう、偉大な伝統の歴史の中にも、いろいろウネリみたいなのがあった、と。そういうことですな。