2007年12月31日月曜日

「再会の街で」を観る

恵比寿のガーデン・シネマにて、名手ドン・チードル目当てに「再会の街で」を観てきました。

いやぁ、ドン・チードル、いいですよねぇ。
個人的には、いま一番観る価値のある俳優さんだと思ってるんで。

なんせ、ニコラス・ケイジは宝探しですからねぇ。もったいない。

今はとにかく、ドン・チードルですよ。


ただ、この作品に関しては、クレジットも二番目で、主役なんだけど、一番のメインじゃないんですね。そこががっかり。

作品にももの凄い期待していったんですが、その辺も含めて、やや期待ハズレな感じもしまして。

もっとドンを真ん中に持って来いよ、と。
作品のシナリオも、もっとドンのキャラクターを描いて欲しかったです。若干、焦点がぼやけちゃったかなぁ、と。
もう一人の主役が、なんかイマイチだったので。役者さんも、キャラクターも。

ただ、この作品は、俳優陣がめちゃめちゃ豪華。リヴ・タイラーに、ジェイダ・ピンケット=スミスという美人2人に、“ジャックの親父”ことドナルド・サザーランド。
ただ、リヴはやや太り気味で、ちょっと老けちゃったかなぁ、なんて。まぁ、全然キレイなんんで、いいんですけど。

そういう、なんていうか、余計なトコに気が向いちゃうんですよね。グッとこさせるモノがイマイチなくって。
シナリオもなんとなく普通って感じだし、映像もなんとなく普通って感じだし。音楽の使い方も、好みのアレもあるんだろうけど、普通だしね。


しかし、とにかくドンの、あの、世界中の矛盾と不条理と悲しみとやるせなさを一人で背負ったかのような、目元の表情の演技は、素晴らしい。それを観るだけでも、この作品を観る価値はあるでしょう。


うん。そんな感想ですな。





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2007年12月30日日曜日

「ゴシカ」を観た

シネマ・エキスプレスで、天才マチュー・カソヴィッツの「ゴシカ」を観た。


長編デビュー作と、その次の作品で、“社会派”みたいな立ち位置で登場してきたカソヴィッツ監督ですが、今回の作品は、ハリウッド資本の製作による、まぁ、エンターテインメントと言っていいと思うんですが、そういう作品です。
ジャンルとしては、ホラー・サスペンスってトコでしょうか。

主演は、ハル・ベリー。
シチュエーションごとに、美しかったり、醜かったり、髪がぼさぼさだったりして、という変化が印象に残りました。
この人は、演技が巧いとは、そんなには思わないんですが、この役に関しては、なんかイイ感じにハマッてる、というか。
その彼女のキャラクターが、知的で論理的な精神科医から、色々あって、最後には霊視能力者なる、という。まぁ、そういうストーリーです。

まぁ、なんていうか、“凡庸”っていうと言い過ぎかもしれないんだけど、カソヴィッツ節を期待してるとイマイチかも。
サスペンス劇としては、まぁ、普通の佳作だとは思いますが。

でも、アメリカ映画って、なんで“刑務所”がこんなに出てくるんでしょうかねぇ。それだけ、生活に身近な存在ってことなんでしょうか。
よくよく考えると、結構不思議。


カソヴィッツ監督の巧さの一つに、“空間”というのがあるんですね。空間を巧く見せる、というか、空間の広がりを見せるのが上手なんですよ。いつも。
今回も、そのテクニックは当然披露されてて、感冒もそうだし、あとは、プールですかね。水の中。あの辺は、あいかわらず上手だなぁ、と。


そんな感じっスかねぇ。

色使いも、刑務所内はダークな感じで徹底して、その辺も“らしい”感じでしたが。


まぁ、ホラーなテイストも抑え気味で、個人的にはその辺もポイント高いですけど。
あ、でも、「シックス・センス」にネタ的には被ってるのかも。
まぁ、でも、サスペンスの佳作、良作って感じで。

でした。



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2007年12月18日火曜日

「スイミング・プール」を観た

土曜日の「バリ・シネ」で観た「スイミング・プール」の感想でっす。

まず、しょっぱなに書いておかないといけないのは、ワリと低予算で作られているんだろう、ということですね。
田舎の一軒屋の中で大半の物語が進行するので。あとは、家の外のプールとか、ね。

この作品は、前々から観たいとは思ってたんですが、まぁ、怠け癖みたいなモンで、“機会があれば”的に延び延びにしてた作品の一つでした。
もっと官能的な感じかと思ってたんですけど、それは、“宣伝のトリック”でしたね。そういうアレは、ちょっと薄め。


ロンドンの、薄暗い地下鉄と、ジメジメした空気から、一転して、カラッとした、日光が降り注ぐフランスの田舎へ、という。まぁ、ありがちっちゃありがちな“移動”ですが。
でも、主人公の表情が、それに沿ってちゃんと変化してて、それは勉強になる感じ。
ベタっちゃベタなんですが、それにキチンと説得力があるのは、俳優の演技の力なんでしょうか。
もちろん、その、微妙な表情の演技をちゃんと撮る、という演出の要請があってこそ、ですけど。


さて、日光が燦々と降り注ぐフランスの田舎が舞台なワケですが、例えばぶどう畑の木漏れ日であったり、プールの水面がキラキラしたり、という所に重きがおかれているワケではなく、家の中の陰であったり、街灯なんかない夜の暗闇だったりが多かったりします。
この辺の光の雰囲気なんかは、勉強になる感じ。
特に、チラッと1カットだけあった、夜の田舎の道を主人公と若い娘が並んで歩くシーン。“月明り”ってことだとおもうんですが、とても綺麗でした。歩きながら、顔が暗闇に隠れたり、光に照らされたり。それが、そのまま、主人公の心象の描写になってる、と、こっちに思わせてくれる、という。
あれは、どうやって撮ってんだろうか・・・。自然光であんなにくっくり映るハズはないし。気になるカットでしたね。


あとはとにかく、主人公の喜怒哀楽をしつこいくらいに描いて、それを追っていく、というトコですよね。


今年の夏にみた、ペネロペ・クルスの「ボルベール」を思い出したのが、娘が殺してしまった男を埋める、というシークエンス。
こちらは、擬似的な母娘で、あちらは殺させるのが実の父(夫)である、という違いはありますけど。
スペインとフランス(南仏?)で、ちょっと雰囲気が似てるところもあるし。
ペドロ・アルモドバル監督は、若干パクったのかもね。


そして、この、監督が仕掛けた、どんでん返し的なトリック。
色々解釈があるとは思いますが。

ただ、個人的には、こういう、“投げっぱなし”な結末って、好きなんですよ。
「あとは観る人に委ねます」みたいな。こういう、作り手の意図って、よく分かるし、好きです。「好きなように解釈して欲しい」っていうのと、あとは、これは推測なんですが、「観た人同士で色々議論して欲しい」っていうか。

で、俺の解釈ですが、ラストで(本当の)娘がチラッと出てきますが、あのシーンで初めて主人公は娘の顔を見た、ということだと思います。
つまり、田舎の家では、ずっと独りだった、と。まぁ、小さなオジサンとか、その辺の人物の出入りはあったでしょうけど。
娘が家に現れるというのは丸々主人公が書いていた物語の中の、つまりフィクション(まぁ、正確に言えばフィクション内フィクション)である、という。
あの娘は実際に家に来てたけど、途中からフィクションだ、とか、そういう解釈もあるみたいですが、俺は違うと思いますね。


と、こういう話を、作品を観た人同士であれこれ話したりして欲しい、というのも、監督の意図なんじゃないのかなぁ、と。

ま、そんなこんなで、フランソワ・オゾン、新作も楽しみですな。





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2007年12月10日月曜日

「ラウンダーズ」を観た

金曜日の夜に、ミッドナイト・アートシアターでマット・デイモンの「ラウンダーズ」を観ました。

まぁ、感想としては、結構期待してただけに、ガッカリ、と。
生意気言わせて貰えれば、不満だらけって感じでっす。


まず、音楽がダサい。全然“サスペンス感”、ないもん。あの種の音を使うなら、もっと低音ビンビン響かせるとか、ちゃんとやんないと。ただ“背後になってるだけの音楽”ですからね、アレだと。


それから、なんていうか、ストーリーが進んでいく場所というか、空間というか、まぁ、“設定”なんですが、それが中途半端なんですよねぇ。
一応、NYが舞台なんですが、いわゆる“アンダーグラウンド”でもないし、かといって“ただの下町”でもないし。
そのくせ、主人公の相手はロシアン・マフィアってことだし、親友は“出所”してくる、というストーリーだし。
全然、緊迫感・緊張感がないんだもん。マフィア相手に借金背負っちゃっても。

その、賭けポーカーの場面でも、全然“ヒリヒリ”してこない、というのもダメ。あれじゃ、お正月のババ抜きですよ。

あと、その、「大金を賭けているゲーム」というシチュエーションなのに、アドレナリンがドバドバ出る、みたいな描写が一切なし。これはいただけませんよねぇ。
ギャンブルの中毒性っていうか、まぁ、オレもギャンブルやらないんで、その辺は正直、アレなんですが、でも、それがあってのギャンブルでしょ。淡々とゲームの進行を追っていっても、映画としては、ダメでしょ。


それから、徹夜でゲームするのに、翌朝の顔が同じ、とか、もうダメ。
その辺の、生活感の欠如みたいのは、ある意味で徹底してて、その辺も緊迫感が伝わってこない原因になってる気がします。
もう充血で目がギンギンで、とか、そういうのがないと、切羽詰った感なんて出ないでしょ。
普通に夜中にドライブして、ゲームして、カモから金を巻き上げて帰ってくる、ってだけじゃ、ダメでしょ。


主人公が、“あまり裕福ではない家庭”の出身で、親友も前科者ということで、その、ポーカーで“成り上がっていく”物語なのかとも思ったんですが、そうでもなく。
主人公は、賭けポーカーで、学費を稼ぎながら、大学(法学部)に通ってるんですね。で、老人の教授に取り入ったりして。
その、“上流階級への足がかり”みたいなことかと思ったんです。
しかし、最後には、ドロップアウトしちゃうんですよ。

逆に、借金したりカネをせびったりという、トラブルメーカーの親友との絆を最後まで貫く、かと思ったら、最後にバイバイしちゃって、いなくなっちゃうし。

別れた彼女に謝ってヨリを戻すのかと思ったら、そっちにもバイバイだし。

ドロップアウトするのも、まぁ、いいっちゃいいんですが、そのきっかけが、なんと、老人の教授のアドバイスなんですよ。
全然美しくない!

労働者階級は永遠にそこに留まれ、みたいなことですか?
成り上がってくるな、と。エスタブリッシュ階級になんかなれっこないんだぞ、と。
アウトローとの友情なんか続かないんだぞ、と。

その、全部が全部、中途半端なんですよねぇ。

それから、これはちょっとのけぞっちゃったんですが、“ラスボス”のマルコビッチとポーカーで勝負するシーンで、マルコビッチの背後に、ぼろいテレビがあって、そこでボクシングの試合を中継している、というカットがあるんですよ。
こんな安易なメタファーを使っちゃイカンでしょ。
ポーカーとボクシング、「今この人たちは決闘してますよ~」的な。

ホントに、期待はずれでガッカリでした。


役者陣は、妙に豪華ですけど。
ちなみに、「ER」のコバッチュ先生が、ロシアン・マフィア役で登場してて、そこはちょっと嬉しかったですけどね。


ま、マット・デイモンの人気に乗っかっただけの作品でした、みたいなことですかねぇ。


ここまで散々酷評しておきながら、アフィリエイトっつーのもなんですが、まぁ、参考までに。





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