ガイ・リッチー監督の「スナッチ」を観る。
ま、ブラッド・ピットとベニチオ・デル・トロの共演っつーことでちょっとだけ話題になってたりした作品ですよね。
つーか、最近だとガイ・リッチーがマドンナと離婚して慰謝料をがっつり“戴いた”というニュースで話題になってたり。
ま、それはさておき。
結構期待して観たんですけどねぇ。
あんまり面白くなかったっス。
なんちゅーかねー。
やっぱ、編集が上手で、その辺の「切り刻み方」なんていうのは凄い巧いなぁ、なんて思うんですけどね。
なんつーか、全部、ただ流れていくだけ、という感じがしちゃうんですよねぇ。
「どこに喰い付けばいいんだい?」みたいな。
群像劇なんで、まぁ、個人的に群像劇が凄い好きっていうのもあるんで、その、そういう種類の物語の受け取り方、みたいなのは心得てるつもりではあるんですけど。
とりあえず間違いなく言えるのは、「何を語るか」ではなく「いかに語るか」の“いかに”が主題である、と。
「“こういう話”を“こんな感じ”で語ってみました」という、“こんな感じ”に。
で、まさにそこがキモなんだけど、実はちょっとだけ既視感があったりして。
う~ん。
違うのかなぁ。
そういうことじゃないのかなぁ。
要するに、長い物語を構築できないんですよね。きっと。監督の資質として、なんですけど。
短いプロットを編み込んで、長い作品に仕立て上げる、と。
その為には、大勢の登場人物が必要だし、語り口もこういう風になるし。
で、そういう“構造”が“構造”だけになってしまってる、と。
ブラピの「復讐の物語」と主人公の「無常の物語」、ダイヤ商と黒人たちの「ダイヤをめぐる冒険」。
絡み合ってない、というか。主題が。
ストーリー自体は、絡み合ってるんだけどね。でも、それはただ、時間軸が切り刻まれて、繋がってるだけで。
「共鳴」してない、というか。
そこら辺が、物足りない感じがするんです。
スタイリッシュだとは思うんですけど。ホントに。
まぁでも、こういうのを面白いって感じる時もあるしなぁ。
ただの個人的な流行りとか好みのアレなのかもしれませんね。
ま、イマイチ、ということで。
2008年12月28日日曜日
「椿三十郎」を観る
森田芳光版の、つまり織田裕二主演の「椿三十郎」を観る。
う~ん。
リメイク、ということで。
まぁ、すげぇ面白いんですけどねぇ。それは。
成功かどうか、ということであれば、それは成功した、という感じなんでしょうけど。
やっぱり、シナリオの筋立てが面白いんですよねぇ。それに尽きちゃう、という気がしてしまう、という。
それはリメイクの場合、あんまし関係ないかも、と。
ただ、やっぱり時代劇ってまだまだすごい可能性があるんだって、これはもう何年も前からずっと思ってることなんだけど。
北野武監督の「座頭市」、山田太一監督の藤沢周平原作の一連の作品、是枝裕和「花よりもなほ」、そしてこの森田芳光監督。
時代劇ルネッサンスって、ポロポロ芽になりそうな作品はあるんだけど、大きな潮流にはなってないですよね。「あずみ」や「どろろ」は、また違うんだろうし。「鬼太郎」もね。
それから凄い思ったのは、やっぱりトヨエツ。このダークヒーローっぷり、というか。
目元に漂うニヒリズム感っていうのは、ホントに唯一無比って感じで。好きです。
声も。
織田裕二は、どうなんでしょうか? 三船敏郎とどうしても比較しちゃうんだけど、それだと、織田裕二という俳優を真っ直ぐに見れないような気もするし。でも比べちゃうのも、自然な見方だとも思うし。
個人的には、セリフの言葉と本人の演技が、いまいちしっくり来てない、という気が。
間がハマってない、というか。
例えば、佐々木蔵之助や西岡徳馬なんか、ホントにハマってて、改めて“腕”を見せつけられた、という感じなんだけど。
ハマってない、ということで言うと、鈴木杏もいまいち。顔の造りとヅラがフィットしてない気もするしね。
なんか、額から上のバランスが合ってなくないっスか?
それからもう一つだけ気になったのは、音がキレイ過ぎる、ということ。もうちょっと“汚し”があっても良かったな、なんて。雰囲気を出す、という意味では。
「パパーン!」じゃなくって「ヴァヴァ~ン!」みたいな。ホンのちょっとだけ、ヒズミやユガミがあると、音が太くなるんですよね。
ま、それは勝手なアレです。
音楽自体は、もちろん素晴らしい。間も含めて。
殺陣は、良かったですよねぇ。斬れ味がシャープで。
“疲労”という新機軸を打ち出してるってことだったけど、それも良いし。死体を映さない、というアングルワークもいいし。
もちろん、ラストの、十字路での対決も、素晴らしい。
うん。やっぱりトヨエツが効いてるような気がします。織田裕二より背が高いんだ、みたいな驚きも含めて。
あの立ち姿とか、髷の似合いっぷりも、良いし。
繰り返しになりますが、時代劇って、もっともっと可能性があるハズ。
うん。
2008年12月21日日曜日
「ラスト・キャッスル」を観る
ミッドナイト・アートシアターで、ロバート・レッドフォードが主演の「ラスト・キャッスル」を観る。
なかなか面白い作品でした。
舞台は、軍の刑務所ということで、かなり大掛かりなセットの中で、延々と男ばっかりが出てきてワッショイワッショイやるんですが、しっかりとしたテーマもありつつ、ドラマもありつつ、カタルシスもありつつ、「明日に向かって撃て」的なオチもある、という。
レッドフォードは、命令を無視して独断作戦を決行して、それが失敗して部下を(8人)殺されてしまうという“過ち”を犯して、軍の刑務所に服役する、という役柄。彼は「歴戦の戦士」で、軍関係者にその名前が広く知れている、という。
この、設定の“案配”が、凄い良くって。
軍人だから、その階級というヒエラルキーがあるんだけど、それと同時に個人の人格が集める“尊敬”というのがあって。
それから、舞台が刑務所なので、看守側と受刑者たち(作中では「プリズナーズ」って言われてます)の関係があって。
この「関係性」が激突する、という。人間関係という「構造」が激突する、というか。
冒頭、所長の軍事コレクションみたいのがあって、それを、“受刑者”である主人公が、「戦場経験のない人間の好む趣味だ」みたいに言うんですね。
このセリフが、まぁ、セリフ自体の説得力もそうなんだけど、作品の中に観る側を一気に引き込む、かなりキラーなセリフ、というか。
また、このイントロダクションの作りが良くって、5分くらいで全部一気に説明しちゃうんですよ。舞台と、背景と、登場人物のだいたいのところを。
で、そこまでくると、だいたい何が起きるか、分かっちゃうんだけど、でも、全部説明しちゃう。
舞台も、最初から最後まで、ずっと刑務所の中だし。(しかも、独房とグラウンドと、所長室、あとは食堂ぐらいしかでてこない)
階級というか、それを示す、肩章か。
肩章に支えられたヒエラルキーと、個人に対する尊敬に裏づけされたヒエラルキーが激突する。
面白いのが、「敵役」の所長が、例えば私利私欲というか、裏で違法にカネを儲けてる、とか、そういう人物じゃない、という部分ですね。いわゆる、普通の悪人のようには描かれてない。
彼は彼なりに、実は正義を遂行している人物で。
ただ、作中では「バトル・フィールド」って言葉で言われてましたが、実戦の経験がない。例えば心理学とか、そういうのを学んでる、みたいな描写もあって。
そういう「指揮官」。
この「指揮官」というのが、作品のテーマなんですね。
カリスマの周りに、他の人たちはホントに自然に集まってきちゃうんだけど、しかし同時に、担がれたカリスマというのは、彼らの生命や人生をも背負ってしまう、と。
まぁ、リーダーとは、そういうモノなんですけど。
所長に対抗することになる主人公は、ガッツというか、精神力というか。懲罰に、衆人環視の中で、耐え切ってしまうことで、逆に尊敬を集める、とか。
それから、言葉。「黙ってついてこい」じゃなくって、周囲の“兵卒”たちの士気を高めてしまう言葉を持っている。
そういうのは、資質もそうんだけど、経験によって身につけたものでもあって。それは、戦場での、ということなんだけど。所長には決定的に欠けているのが、それで。
という描写がなされるワケですね。
彼に感化される、彼の戦友の息子、というクセ者が出てくるんですけど、彼のビルドゥングス・ロマンもなかなか良くって。
う~ん。
なんか、うまく説明出来ませんねぇ。
ちょっと切り口を変えると、ワリとリベラルなスタンスを持っているレッドフォードが、こういう軍人(しかも、歴戦の勇士)役を演じるっていうのは、ちょっと意外な気もするんですけどね。
でもまぁ、彼は彼なりの愛国心というのがあって、それの発露ってことなのかもしれませんね。
でも、「実戦経験がない司令官」というのは、今となっては、ブッシュの暗喩だったりして、面白い。
あ、あと、所長の鼻息がずっとシューシュー聞こえる、という演出は良かったです。ボンクラっぽくって。話しかけても1回必ずシカトするところ、とかも。
あとはなんだろうなぁ。
カメラワークも、上手。これはホントに、デカいセットの中で撮影する、ということが巧く働いている、ということなんでしょう。きっと。(この間の“トークショー”で、その辺を勉強してきたばかりでした)
グラウンドと、そこを見下ろす所長室や監視塔の、上下の位置関係みたいのを利用したショットは、とても上手でした。いっつも、チラチラそっちの方を見上げてる、とかね。
でもホントに、これはシナリオの、というか、企画の勝利なんでしょうね。刑務所のセットの中で丸まる撮る、という。
しかも、ただの刑務所じゃなくって、軍の刑務所だ、というところが。
普通に描こうとしても、こういう複雑な関係というのは、なかなか難しいですよね。説明だけで半分ぐらい終わっちゃいそうだし。
それを「軍の刑務所」というだけで、オッケーになっちゃうワケですから。
うん。
脱獄モノもいいですけど、こういう刑務所モノも、いいですな。
という感じで。
なかなか面白い作品でした。
舞台は、軍の刑務所ということで、かなり大掛かりなセットの中で、延々と男ばっかりが出てきてワッショイワッショイやるんですが、しっかりとしたテーマもありつつ、ドラマもありつつ、カタルシスもありつつ、「明日に向かって撃て」的なオチもある、という。
レッドフォードは、命令を無視して独断作戦を決行して、それが失敗して部下を(8人)殺されてしまうという“過ち”を犯して、軍の刑務所に服役する、という役柄。彼は「歴戦の戦士」で、軍関係者にその名前が広く知れている、という。
この、設定の“案配”が、凄い良くって。
軍人だから、その階級というヒエラルキーがあるんだけど、それと同時に個人の人格が集める“尊敬”というのがあって。
それから、舞台が刑務所なので、看守側と受刑者たち(作中では「プリズナーズ」って言われてます)の関係があって。
この「関係性」が激突する、という。人間関係という「構造」が激突する、というか。
冒頭、所長の軍事コレクションみたいのがあって、それを、“受刑者”である主人公が、「戦場経験のない人間の好む趣味だ」みたいに言うんですね。
このセリフが、まぁ、セリフ自体の説得力もそうなんだけど、作品の中に観る側を一気に引き込む、かなりキラーなセリフ、というか。
また、このイントロダクションの作りが良くって、5分くらいで全部一気に説明しちゃうんですよ。舞台と、背景と、登場人物のだいたいのところを。
で、そこまでくると、だいたい何が起きるか、分かっちゃうんだけど、でも、全部説明しちゃう。
舞台も、最初から最後まで、ずっと刑務所の中だし。(しかも、独房とグラウンドと、所長室、あとは食堂ぐらいしかでてこない)
階級というか、それを示す、肩章か。
肩章に支えられたヒエラルキーと、個人に対する尊敬に裏づけされたヒエラルキーが激突する。
面白いのが、「敵役」の所長が、例えば私利私欲というか、裏で違法にカネを儲けてる、とか、そういう人物じゃない、という部分ですね。いわゆる、普通の悪人のようには描かれてない。
彼は彼なりに、実は正義を遂行している人物で。
ただ、作中では「バトル・フィールド」って言葉で言われてましたが、実戦の経験がない。例えば心理学とか、そういうのを学んでる、みたいな描写もあって。
そういう「指揮官」。
この「指揮官」というのが、作品のテーマなんですね。
カリスマの周りに、他の人たちはホントに自然に集まってきちゃうんだけど、しかし同時に、担がれたカリスマというのは、彼らの生命や人生をも背負ってしまう、と。
まぁ、リーダーとは、そういうモノなんですけど。
所長に対抗することになる主人公は、ガッツというか、精神力というか。懲罰に、衆人環視の中で、耐え切ってしまうことで、逆に尊敬を集める、とか。
それから、言葉。「黙ってついてこい」じゃなくって、周囲の“兵卒”たちの士気を高めてしまう言葉を持っている。
そういうのは、資質もそうんだけど、経験によって身につけたものでもあって。それは、戦場での、ということなんだけど。所長には決定的に欠けているのが、それで。
という描写がなされるワケですね。
彼に感化される、彼の戦友の息子、というクセ者が出てくるんですけど、彼のビルドゥングス・ロマンもなかなか良くって。
う~ん。
なんか、うまく説明出来ませんねぇ。
ちょっと切り口を変えると、ワリとリベラルなスタンスを持っているレッドフォードが、こういう軍人(しかも、歴戦の勇士)役を演じるっていうのは、ちょっと意外な気もするんですけどね。
でもまぁ、彼は彼なりの愛国心というのがあって、それの発露ってことなのかもしれませんね。
でも、「実戦経験がない司令官」というのは、今となっては、ブッシュの暗喩だったりして、面白い。
あ、あと、所長の鼻息がずっとシューシュー聞こえる、という演出は良かったです。ボンクラっぽくって。話しかけても1回必ずシカトするところ、とかも。
あとはなんだろうなぁ。
カメラワークも、上手。これはホントに、デカいセットの中で撮影する、ということが巧く働いている、ということなんでしょう。きっと。(この間の“トークショー”で、その辺を勉強してきたばかりでした)
グラウンドと、そこを見下ろす所長室や監視塔の、上下の位置関係みたいのを利用したショットは、とても上手でした。いっつも、チラチラそっちの方を見上げてる、とかね。
でもホントに、これはシナリオの、というか、企画の勝利なんでしょうね。刑務所のセットの中で丸まる撮る、という。
しかも、ただの刑務所じゃなくって、軍の刑務所だ、というところが。
普通に描こうとしても、こういう複雑な関係というのは、なかなか難しいですよね。説明だけで半分ぐらい終わっちゃいそうだし。
それを「軍の刑務所」というだけで、オッケーになっちゃうワケですから。
うん。
脱獄モノもいいですけど、こういう刑務所モノも、いいですな。
という感じで。
2008年12月11日木曜日
「殺しのはらわた」を観る
吉祥寺のバウスシアターにて、篠崎誠監督の「殺しのはらわた」を観る。
いやぁ、良かった。
実は、この作品を観るのは二回目なんですが、まぁ、面白い作品ですな。
バウスシアターって(メインのスクリーンだけなんですけど)音がとにかく良くって。
この作品の良さの一つは、理由が理解出来ないほどの、(音楽も含めた)音の良さだったりして。
ま、この稀代のカルトムーヴィーを上映する、というトコもバウスシアターらしいですが、この作品の良さを劇場の音響システムが引き出してる部分もあるんだろうな、と。
ま、偉そうな口ぶりですが、適当に書いちゃいました。
とにかく、面白い作品なんで、“拝観”する機会があれば、ぜひご覧になって下さい。
個人的には、ホントに篠崎誠さんという方は、日本の映画界の最重要人物の一人だと思ってるんで。
ま、個人的なソレはさておき。
上映の後に、その篠崎さんと、「どろろ」の塩田明彦監督、それから佐々木浩久監督の3人の「活劇のナントカ」というお題での、トークショーがありまして。
いやぁ、個人的には、こちらでお腹いっぱい。
久々に「講義」を聴いた気がしちゃいました。
「映画とは動きの創造だ」
「演出とは動きのハーモニーだ」
ま、そんなキラーなフレーズがポンポン飛び出す、という。
昨日は出てきませんでしたが、「演出とは仕草の発見だ」という篠崎さんのフレーズも、俺の記憶の中にはあります。
ただ大袈裟な死に方や、血しぶきじゃなくって、カットの繋ぎ方や見せ方だけで迫力は出せる。
一つのカットの中に動きが複数あると、観てる側は興奮する。
ただ“文学的”なだけでなく、動き、アクションこそが“映画”じゃないのか。
などなど。
短いカットを繋げていき、最後のキメのカットを、つまり撃つ方と撃たれる方をワンカットの中で処理する。
ワンカット(長回し)が目的化しちゃってるんじゃなくって、長回しで生まれてくるダイナミズムこそが目的である。そしてそれを、スタッフやキャストがよく理解している。
感情がフレームの外に広がっていく。それは、「自分たちの地続きのところにいる人」というリアリティを生みだす演出のこと。
などなど。
「アクション」による興奮を提供するには、その、脚本段階からしっかりと“撮り方”“見せ方”を練りこんでおくこと、ということと、同時に、実際にカメラの前に俳優さんが立った時に、つまりいざ撮影するという段階で、演出側が、そこにふさわしい「動き」を発見できるかどうか。
いやぁ。
ハードルは高いんでしょうけどね。
ま、勉強になりました、と。そういう「講義」でした。
実は、その前の日に、ちょうど「続・夕陽のガンマン」を観てたのもあって。
それもあって「フムフム」の連続でしたね。
篠崎監督の、「自主製作時代に、こういう作品を作りたかったんだけど、なかなか出来なくって、それが今になって作れるようになった」という言葉も印象的でしたね。
「静かな人間ドラマでも良かったんだけど」という。
実は、当時の自主製作の世界の先行世代が、ちょっと目の上のタンコブみたいになってて、こういう作風はイマイチ評価されてなかった、みたいなことも言ってて。(いや、ちょっと詳細と意図は違う感じかもしれませんでしたけど)
いやしかし、なんていうか、こういう「講義」って、とても面白いんだから、もっともっとオープンな場でガンガンやっていけばいいのにね。
雑誌の誌面だとか、映画ファン“業界”の中だけでやってるのは、もったいない。ホントに。
例えば、“動画”とトーク(あるいはテキスト)の組み合わせっていうのは、それがウェブ上にあれば、これはホントに相性が良いコンテンツとなるワケだしね。
まぁ、著作権の問題もいろいろあるんだろうけど。
でも、身近な監督さんの作品とかを使っても全然「講義」は出来るだろうし。“教材”として使われることが作品自体の商業的なアピールにもなるんだろうし。
ま、そんな話は蛇足ですね。
俺が知らないだけで、こういうのって、すでにたくさん行われてるんだろうしね。それで今のところの需要が満たされてるなら、それはそれでいいのかもしれないし。
というワケで、この辺で。
あ、最後に。
藤田陽子さんって、キレイですよねぇ。好きです。
2008年12月8日月曜日
「ラウンド・ミッドナイト」を観る
ジャズ映画の名作「ラウンド・ミッドナイト」を観る。
まぁ、映画作品としてよりは、ジャズファンにとってのカルトムーヴィーみたいな扱いなのかもしれませんねぇ。
いい映画ですけど。
ハービー・ハンコックが作曲賞を獲った作品ですけど、彼もバンド・メンバーとして出演しています。(なかなか演技は上手い)
多分低予算というのもあったと思うんですが、特に前半のパリでの、暗鬱とした展開が続く部分では、ホントに地味な画がずっと続きます。
狭い部屋、狭いクラブ、狭いステージ、狭い客席、狭いアパート。
が。
ストーリーは、“愛”と“信頼”によって、主人公が蘇えっていくという風に展開するんですが、それに合わせて、画もカラフルさを「取り戻して」いく、という。
途中途中で挟み込まれる8ミリの映像も素敵だしねぇ。
特に、海岸での3人のショットはいいです。そんなに長い時間じゃないんだけど。
あとは、なんだろ・・・。
やっぱり、ディテールの微妙な部分が、ジャズを、というかジャズ史を少しかじってる人じゃないと分からない、というトコがあるのかなぁ。
麻薬のディーラーがウロウロしてたり、とか。(当時、彼らにとってジャズプレイヤーというのは最重要な顧客だったりしたんですよ)
でも、セリフも普通にカッコいいんだよね。
特に、酒を断つと決心するシークエンスは、超クール。
それから、もう1人の主人公(デザイナー)の、奥さんとの関係ですかね。「私は霊感じゃなかったの?」と。
作中で「霊感」と訳されているのは、「インスピレーション」ですね。
彼もアート系の職業なワケで、仕事のためには、そういうものが必要になってくるワケで。
彼が、老ミュージシャンを立ち直らせる過程の中で、彼自身も刺激を受けて、つまりインスピレーションを受け取るようになって、仕事が認められていく、という。
奥さんとの生活の中からは、それは得られなかったワケですね。
うん。
そういう意味では、見方によってはちょっと切ないかもしれませんね。
でも、なんつーか、「愛」もアートなのかもね。「愛」というか、「恋愛」というか。「結婚生活」というか。
でも、「アート」だから、易々と、他の「アート」に取って代わられてしまう、というか。
逆に言うと、それを両方ともは、得られない、というか。
まぁしかし、いい映画ですよ。
もちろん、音楽も。
個人的には、主人公が“失踪”しちゃったシークエンスの、緊張感を演出するための曲が、最高にクールでした。
サウンドトラック、欲しいなぁ。
ちなみに、個人的な「ジャズ映画」のベストは、「ジャズ・ミー・ブルース」という作品です。あんまり有名じゃないけどね。
まぁ、映画作品としてよりは、ジャズファンにとってのカルトムーヴィーみたいな扱いなのかもしれませんねぇ。
いい映画ですけど。
ハービー・ハンコックが作曲賞を獲った作品ですけど、彼もバンド・メンバーとして出演しています。(なかなか演技は上手い)
多分低予算というのもあったと思うんですが、特に前半のパリでの、暗鬱とした展開が続く部分では、ホントに地味な画がずっと続きます。
狭い部屋、狭いクラブ、狭いステージ、狭い客席、狭いアパート。
が。
ストーリーは、“愛”と“信頼”によって、主人公が蘇えっていくという風に展開するんですが、それに合わせて、画もカラフルさを「取り戻して」いく、という。
途中途中で挟み込まれる8ミリの映像も素敵だしねぇ。
特に、海岸での3人のショットはいいです。そんなに長い時間じゃないんだけど。
あとは、なんだろ・・・。
やっぱり、ディテールの微妙な部分が、ジャズを、というかジャズ史を少しかじってる人じゃないと分からない、というトコがあるのかなぁ。
麻薬のディーラーがウロウロしてたり、とか。(当時、彼らにとってジャズプレイヤーというのは最重要な顧客だったりしたんですよ)
でも、セリフも普通にカッコいいんだよね。
特に、酒を断つと決心するシークエンスは、超クール。
それから、もう1人の主人公(デザイナー)の、奥さんとの関係ですかね。「私は霊感じゃなかったの?」と。
作中で「霊感」と訳されているのは、「インスピレーション」ですね。
彼もアート系の職業なワケで、仕事のためには、そういうものが必要になってくるワケで。
彼が、老ミュージシャンを立ち直らせる過程の中で、彼自身も刺激を受けて、つまりインスピレーションを受け取るようになって、仕事が認められていく、という。
奥さんとの生活の中からは、それは得られなかったワケですね。
うん。
そういう意味では、見方によってはちょっと切ないかもしれませんね。
でも、なんつーか、「愛」もアートなのかもね。「愛」というか、「恋愛」というか。「結婚生活」というか。
でも、「アート」だから、易々と、他の「アート」に取って代わられてしまう、というか。
逆に言うと、それを両方ともは、得られない、というか。
まぁしかし、いい映画ですよ。
もちろん、音楽も。
個人的には、主人公が“失踪”しちゃったシークエンスの、緊張感を演出するための曲が、最高にクールでした。
サウンドトラック、欲しいなぁ。
ちなみに、個人的な「ジャズ映画」のベストは、「ジャズ・ミー・ブルース」という作品です。あんまり有名じゃないけどね。
2008年12月5日金曜日
小津さんについて。「自然主義でなく・・・」
新聞に、ドナルド・リチーさんという人のインタビューが載ってまして。
リチーさん(リッチーさん?)という方は、有名な方らしいんですが、俺は知りませんでした。
もっとも、顔と名前を知らないだけで、この人の文章にどこかで触れたことはあったのかもしれませんが。
ま、それはさておき。
にゃるほどねぇ。
前に、是枝監督の講義を受けたときに、悲しく見える演技が出来ないなら、そう見えるように撮ればいい、と是枝さんが言い放っていたのを、結構強烈に覚えていて。
多分、同じことっスね。
「自然主義ではなく、技巧を尽くして真実に迫る」。
けっこうスゲェ言葉。心に刻みます。
リチーさん(リッチーさん?)という方は、有名な方らしいんですが、俺は知りませんでした。
もっとも、顔と名前を知らないだけで、この人の文章にどこかで触れたことはあったのかもしれませんが。
ま、それはさておき。
友人の川喜多かしこさんに誘われたのは60年のことでした。松竹の大船撮影所で小津安二郎監督の「秋日和」の撮影を見学できるというのです。最も敬愛する監督だったから、喜び勇んで出かけました。
原節子の母と司葉子の娘が、伊香保温泉の旅館で会話する場面の撮影でした。全部で7分ほどの場面のために立派なセットが組まれていた。やっぱり小津組は別格なんだと感じました。
ところが、どうも様子が変なのです。2人の会話なら、ふつうは片方の位置から相手の芝居をまとめて撮り、次は反対側から同様に撮って、編集で一つにつなぐもの。でも、小津組の撮り方はまったく違いました。
役者がひと続きのセリフを言うごとに、「カット」と小津さんが声をかける。しかも撮影の厚田雄春さんにカメラの位置を変えるよう指示するのです。「もう1センチ、いやもう2センチ上かな」。
非効率きわまりない。うまくシーンがつながるのか心配になりました。
女優はその間じっと待っています。これから感情が高まる場面なのに、これで芝居ができるのか。案の定、司さんは泣く場面で涙を流せませんでした。戸惑う彼女に、小津さんは言いました。「涙はいいから。こうやって顔を覆ってごらん」
完成した映画を見て驚きました。バラバラに見えたカットが、独特のリズムをもって息づいている。微妙な構図の変化が情感を際立たせている。スーラが無数の点で絵を描いたのと同じことを小津さんはしていたのです。
自然主義ではなく、技巧を尽くして真実に迫る――日本映画の美学について大きな教えをうけた体験でした。
にゃるほどねぇ。
前に、是枝監督の講義を受けたときに、悲しく見える演技が出来ないなら、そう見えるように撮ればいい、と是枝さんが言い放っていたのを、結構強烈に覚えていて。
多分、同じことっスね。
「自然主義ではなく、技巧を尽くして真実に迫る」。
けっこうスゲェ言葉。心に刻みます。
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