2012年4月29日日曜日

詩作のヒント

昨日の新聞に、「詩人になる」という連載の記事が載ってまして。
まぁ、これから詩作を始めたい、という人たちに向けてのコラムなワケですけど、ちょっと面白かったので、ここにアーカイブしておこうかな、と。


詩人の、工藤直子さんという方が、応えております。

「本当の自分は恥ずかしがって奥に隠れている。詩は、油断させないと出てこない」
きれいなノートだと、いいことを書こうとしてしまう。お薦めは、チラシの裏だ。例えば、針仕事をしながら、ふっと頭に浮かんだことを、まずは手直しせずに、そのまま書き留める。
頭の中でいじらず、ちゃんと書き出すことで、褒められるかも、といった雑念も外に出ていく。
そうやって出てきた「言葉のカケラ」は、自分だけが毎日、目にする場所に貼っておく。書き捨てることを忘れないためだ。
タマネギの皮を外側から剥いていく作業を思い浮かべるといい。剥いていくうちに、自分の中に芯のようなものが見えてくる。
「心の深いところに、たまっていた思い。この思いは、地下の湖みたいに、他の人の深いところと繋がっているような気がする。だから心に響くんです」
続けるうちに、これが言いたかったんだという「鍵穴」が見つかる。
捨てたはずの言葉のカケラも、意外につながっていくという。

「油断させないと出てこない」ということで、具体的には“針仕事”となっていますが、その他には「手仕事や散歩」が推奨されています。

つまり、日常で生活している時間の多く、ということだと思いますね。
ふっと、頭に言葉が浮かぶ。
それを、とりあえずそれはそのまま、書き残しておく、と。



詩を書くためだけのメソッドではないと思います。


“鍵穴”とか、この辺のキーワードの感じは、さすが詩人。



「続けるうちに、これが言いたかったんだという『鍵穴』が見つかる」と。


なるほど、と。


今日は、そういう感じでした。











2012年4月28日土曜日

「裏切りのサーカス」を観た

満員の新宿武蔵野館で、「裏切りのサーカス」を観た。



いや、とりあえず、お客さんがいっぱいで、それが凄かったですね。
武蔵野館は、ジョージ・クルーニーの監督作品「フィクサー」と、ストーンズmeetsスコセッシの「シャイン・ア・ライト」以来の、一番大きいシアターが(ほぼ)満席、という状態でした。


大人が集まる映画館なんですなぁ。。。



で。


内容ですが、とにかく大作なワケですけど、大作でありながら、とても緻密に練り上げられたシナリオの、その、細かいディテールを積み上げていって長大なストーリーを作る、ということに成功している、という。
ひょっとすると、これは逆で、長大なストーリーを構築する上で、細かいディテールを埋め込んでいくことで、骨太で濃密な作品を作り上げることに成功している、というか。

ま、ストーリーとそのディテールの話は、どっちが先って話でもないんで、大事なのは、とにかくディテールが素晴らしい、と。

これは、原作の力なのか、映画化にあたってのシナリオの力なのかは、正確にはちょっと分からないんですが、とにかく、良い、と。
(いくつもの作品の連作を、ひとつの映画としてまとめた、ということらしい)


あとは、映像の力を信じて、思い切って“説明”を端折っているトコですね。
一番痺れたのは、主要キャラクターである、“若手”のエージェントが、実は「同性愛者」であった、というシークエンス。
このシークエンスは、カットごとの飛躍が、もう観客に対して、かなり挑発的というか、「分かるだろ?」「分かんなかったら観なくてもいいよ」ぐらいのアレなんですけど、この案配は、とても良いと思います。

これが、他の凡作であったら、「彼が同性愛者である」ことを説明するショットなりシーンなりを挿入すると思うんですよ。
なんせ、長尺の作品ですから、多少カットを増やしても大丈夫だろ、みたいな意識もあるワケで。

ところが、説明一切なし、ですからね。

役者の泣き顔(悔しさと悲しさと無力感の、入り混じった泣き顔)と、相手役の発するセリフ、そのシーンを映す映像の空気感、そういう諸々で感じ取れ、という。

この辺の、見事な編集の間がもたらすスピード感みたいなのは、ホントに素晴らしいです。



それから、所内(省内?)の、パーティーのシーン。
これは、最初、あんまり意味が分からなかったんですよねぇ。

主人公の奥さんとその浮気相手の出会いが、それを匂わせるように描写されてるワケですけど、でもそれは、所のメンバーが和気あいあいと酒を飲み交わし、踊っているような、浮かれたパーティーの場じゃなくても別に構わないワケで。

結構な頻度で、インサートショットとして、というか、回想シーンとして挿し込まれるんですけど、ホントに最後の最後に、この“パーティー”の意味が分かる、というか。

実は、作品の隠されたテーマみたいなのがあって、それが、このパーティーなんかをずっと伏線にしていて、最後に、ストーリー本線の結末と一緒に、回収される、という。
この、隠されたテーマと、ストーリーの本線とが、一緒に回収される、というのが、なんていうか、ちょっと独特のカタルシスを与えてくれるんですね。

これは、かなりグッときましたねぇ。
ホントにラストのところなんですけど。



要するに、裏切り者がいる、と。

で、「その裏切り者は誰だ?」というのが、ストーリーの本線であるワケです。
本線自体が、複線構造になってて、ひとつが、単純に、裏切り者を探す、という戦い。これは、そのまま、母国(イギリス)と見えない敵(ソ連)との戦い、という大きなスケールとともに語られるワケですけど、その中間に、国内の、組織内の戦いと、その組織の一枚外側にある政治家(及び、官僚)との駆け引き、というのも、挟み込まれている。


で、複線のうちのもう1つが、主人公(ゲイリー・オールドマン)の、個人的な葛藤、みたいなもの。
不本意な形で退職することになって、なんか生活に張り合いがなくなって、なおかつ、奥さんが家を出て行ってて、みたいな。
そういう、自分の内面にある虚無感と格闘する主人公の姿。


とりあえず、作品中で描かれる“戦い”は、こういう三層構造になってて、しかも、三層が、複線になって、お互いに絡み合ってる(影響を与え合っている)。

こういう構造があるからこそ、非常に濃密な「人間ドラマ」を、余計な“サイドディッシュ”なしに描き切れるワケですけど。



で。


もう1つ、隠されたテーマ、というのがあって、それは、もう1人の主人公とも言うべきキャラクターで、静かに語られていて。

死んだと思われていたその登場人物が、実は、組織同士の駆け引きの中で、本国に送り返されていて、田舎の、学校の先生として、新しい生活を始めている。
もちろん、“新しい”といっても、拷問や銃創の影響を引きずっていて、物理的に、身体に障害が残っていたり、もちろん、精神的な傷も抱えている。

で、さらに、孤独である、と。


そこに、“まるで同じように”クラスの中で孤独な存在であった、男子生徒が近寄ってくる。
2人は、気持ちを交わすワケです。

自分は、その「孤独な生徒」の孤独感を和らげる存在である、と。
それは同時に、自分の孤独感が、その生徒で癒されている、ということでもあるんだけど、その男は、それも十分承知していて。

で、過去に、「孤独な自分」に寄り添ってくれようとしていた人物がいた、と。
そういう話なワケです。

その人物の存在を描くのが、例のパーティーだったワケですね。

同時に、ストーリー上でそのことが明かされたあとに、「裏切り者」が実はその男だったことも明かされる、という。

孤独な自分に近寄ってくれた、その“友情”を、「裏切り」というのは、踏みにじる行為なワケで。

しかも、その「裏切り者」のせいで、自分は一度死にかけている、と。
ミッション遂行に失敗して、銃で撃たれて、なおかつ、ソ連の機関に熾烈な拷問を受けたワケです。

それもこれも、“友情”を信じていたその男が裏切ったからだ、と。


結果的に、ストーリーの結末として、復讐を実行し、命でもって償わせる、ということになるワケですけど、つまり、これが「隠されたテーマ」なワケですね。

「裏切り」というのは、単純に「諜報組織」と「国」に対する裏切りなだけでなく、個々人の間にあった感情をも裏切ったヤツ、ということになるワケです。


この、もう1人の主人公の、学校でのシークエンス、ですよねぇ。

切ない。
だから素晴らしい。
ホントに。


復讐を遂げる前に、“先生”は“生徒”を突き放すんです。非常に感情的に。
「仲間の中に入れ」と。

これは「孤独であることに甘えるな」ということですよね。
自分みたいになるな、と。



この感じは、良いですよ。
ホントに。

素晴らしいです。



うん。





ちょっと、長々と書いちゃいましたね。


他にも、語られるべきポイントは幾つもあるんですが。。。

セットその他の美術が素晴らしい、とかね。




ま、この辺で。




とにかく濃密で緻密で、素晴らしいストーリーだと思いました。


2012年4月27日金曜日

「ドライブ」を観た

新宿バルト9にて、「ドライブ」を観た。



いやぁ、素晴らしかったですねぇ。

良かった!



予告編で「ダークナイト」の続編の予告が出て、それでテンションが一気に上がってしまったんですが、それとはまったく関係なく、素晴らしい作品でした。


うん。


いろいろあり過ぎて、どこから書けばいいのか分かんなくなってるんですが、とにかくとりあえず、順番に。


まず!

冒頭の、つまり導入の部分が良い!
今からどんな物語が(作品として)語られるのか、どういう語り口で語られるのか、そして、その物語の主役である主人公が、どういう人間で、何をしていて、作品の中で何をしようとしていくのか、そして主人公が作品の中でどう扱われていて、それを受け手がどう受容すれば良いのか、という諸々を、かなりズバッと、つまり鮮やかに見せている(魅せている)、という。

いや、ホントに。

主人公の“クライアント”である2人組の強盗を「待っている」だけのシチュエーションで、これだけの緊張感をチャージできるなんて、ちょっと驚きです。ホントに。
だって、主人公は全然動いてないんですからねぇ。
それが、2人組の片方が「戻ってこない」、という、ただそれだけなのに、という、ね。


それから、これは主人公の造形がそうなんですが、それだけじゃなくって、作品全体の演出意図としてあるんでしょうけど、なんかダサい!

主人公なんて、サソリの刺繍が入ったスカジャン(みたいなスタジャン)着てんですよ!
ダサい!
(実際は、革製の、ライダースジャケットだと思うんですけど、いや、スカジャンに見えるんですよ・・・。)

蠍って!
しかも、白!


口に爪楊枝くわえて、手には革製のグローブ!
(いや、グローブは、ドライバーっていう職業柄のアレなんで、しょうがないっちゃしょうがないんですけど)
腕に付けてるのはアナログ式の時計だし、しかも、すげーダサい。

それから、BGM(サントラ)が、なんかホントに80年代みたいなヘンなサウンドで・・・。
あと、スタッフロールなんかのスーパーのフォントも古臭いし、よりによって色が、ピンクみたいな紫色で・・・。

ヒロインとのデートなんて、小川ですよ。
小川。小さな川。
なんか、運転しながらキラキラしちゃってるし。


いや、そういうのが、ここまで振り切っちゃえば逆にカッコいい、という、そういう塩梅になってるワケなんですよ。
なんかダサくて痺れさせる、みたいな。


もちろん、それは、単に俺が「ダサい」って言ってるだけで、完全に演出意図があってのことなワケで、まぁ、哀愁感を出す、というか、時代に取り残されてる(古臭い感覚で生きざるを得ない)男たちの姿を、とか、そういうことなワケですけどね。

「ダサい」って言ったらそうなんですけど、でも、作り手としては、それでいいワケです。
わざとそうやってるワケですから。

それは、作品自体が、ストーリーとかキャラクターたちの描写とは全然関係ないところで(まぁ、関係なくはないんですけど)、なんていうか、「映画への愛情」あるいは「ある時代の映画へのノスタルジー」の表明になっているからだと思うんですね。
ひょっとしたら、これは、俺が勝手にそう受け取っているだけかもしれないんですけど。

もうちょっと正確に言おうとすれば、映画への夢、というか、“かつての”映画が見せてくれた夢、というモノに対するノスタルジー、というか。

それは、単に“時代が”ということでなく、子供の頃、青年の頃、つまりまだ若かった頃には「夢を見ていた」けど、今は、その夢とではなく、現実と格闘していて、しかし、「夢を見ていた頃」に対するノスタルジーはあって、みたいな。

なんか割と、そういう重層的なメッセージと演出意図が込められているんじゃないかなぁ、なんて。

作品全体に散りばめられている「古臭さ」≒「意図されたダサさ」と、主人公たちの心象風景、というのは、そういう具合にリンクしてるんじゃないのかなぁ、というか。


違うかな。。。?



ただ、とにかく言えるのは、登場するキャラクターたちは皆、社会の底辺を這いつくばって生きている、ということですね。
それは間違いないワケですけど、つまり彼らは、とにかく現実の生活に苦しんでいる。
辟易してるし、倦んでるし、疲れてる。
現実の生活に。
現実との格闘に。

その現実から抜け出そうというアクションも描写されるワケです。
レーシングの世界に打って出よう、というシークエンスですけど。

登場人物の一人は、「昔は映画を作ってたんだよ」という科白を吐きます。「アクションとか、ポルノとか」みたいなことを言うんですが、つまり、今はやってない、と。
今は、ヤクザ稼業とカタギの稼業の、半々みたいなトコにいて。


だけどなんか、まるで足を引っ張って引き摺り下ろそうとするみたいに、誰かに足を引っ張られて、必死でもがかないと、その場所にもいられなくなってしまう、という、そういうシチュエーションがお互いに起こる、という。


そこはホントに、脚本の勝利なワケですけどねぇ。

それぞれのキャラクターのシークエンスを、最小の言葉(時間)で、的確に語っていく、ということなワケで。



いや、ちょっと話が(結論の方に)飛んじゃってますね。。。



演出の部分でも、大きなポイントがひとつあって、それは、ミニマリズム。
とにかく削ぎ落とす。

それは、多分に予算の制約みたいなのも関係してると思うんだけど、逆に、しつこく(敢えて徹底的に)描写してる部分もあることから考えると、やっぱりかなり意図的にやってるんだな、というトコなんですけど。

例えば、強盗犯たちの、踏み込んだ中の様子を描かない、という。
これはですねぇ。

かなり痺れますよ。

「こんなんアリか?」ぐらい、一切描かない。

これが、ここで最初に書いた、緊張感をチャージする術の1つでもあるワケですけど、逆に言うと、実は「これこそ映画だ!」みたいなトコでもあって。

その直後、カーチェイスはしつこく描写するんだけど、その相手は誰だか分からない。
だいたい、そのカーチェイスに突入する寸前の編集の間なんて、ホントに「え?」っていうぐらい刻んじゃってて、まぁ、それも含めてのスリリング感なワケですけどね。
(このシークエンスは前後も含めて、アクション映画としてのこの作品のクライマックスの1つで、銃声の“間”とか、ホントに完璧だと思います。俺なんか、見ててホントに飛び上がっちゃっいましたからね・・・。)

この、編集の巧さも含めたミニマリズムは、ホントに素晴らしい。

この監督は“分かってる”人ですよ。
分かってます。

観る側のこちらとしては、いち いちその“意図”にハメられちゃってしまったワケです。
えぇ。


逆に、例えば“着弾”のショットなんかは、いちいち見せるワケですね。ストリッパーが出てくるシーンでは、いちいち彼女たちの“お胸”を表情とセットで見せる。
その「いちいち」がねぇ。

いいですよ。

見てて、惹きこまれる。




もう1つ、ストーリー上の、脚本の上でのポイントがあって、それは、描かれている世界の大きさ。
小さいワケです。

登場人物なんか、凄い少ない。
だけど、その中に、ヒロイン(と、その息子)も居れば、主人公の“庇護者”もいれば、黒幕もいる。
凄く小さな範囲で物語が完結している。

それは、彼ら(登場人物たち)の生きている世界の小ささを表しているワケだし、彼らの人間自体の小さなも現しているワケで。(もちろん、予算の関係上もあるハズだけど)

つまり、だけど同時に、彼らは「もっと大きい何か」に押し潰されているワケです。
そういう日常を生きている。
押し潰そうとする力に抗うように、犯罪を犯すワケです。

しかも、今の生活から逃れようとするために犯罪を犯す、ということですらない。登場人物の一人は、「今の生活」すら、犯罪を犯さないと維持できない、ぐらい追い込まれている。

1人、黒幕であるキャラクターは、一見「押し潰す側」に居るように見えるんだけど、実は彼も、「東海岸のマフィア」という、「自分を押し潰そうする力」に(文字通り、必死に)抗っている。

で、常にその、「彼らが住む小さな世界」の外側(あるいは、頭上)を覆っている「押し潰そうとしている何か」は、殆ど一切表現されないワケですね。

ミニマリズムというのは、ここでも作用している、という。



そういうトコがねぇ。
ホントに、痺れさせてくれるって感じで。



それと、最後に、これは蛇足かもしれないんだけど、1つだけ。



実は、これも“ノスタルジー”とちょっと関係あるかもしれないんですけど、主人公たちというのは、すべて白人なんですね。
金髪碧眼。

ちょっと部分的な結論だけ言ってしまうと、そういう意味では若干ポリティカルな作品でもある、というか。

ま、ホワイトトラッシュを描く、ということに過ぎないかもしれないんですけどね。


黒幕のユダヤ系、主人公とヒロインに“災厄”を運んでくる、ヒロインの夫は、スパニッシュ系。

彼らに、主人公とヒロインは、巻き込まれるようにダウンスパイラルにハマっていく、というのが、物語の大きな構造になっているワケで。

ま、このポイントは、そういう「読み方」もある、ということで。





あ、あと、最後に流れる曲。

なんか、ワケ分かんない人間賛歌な内容の曲で、そこの「微妙に謎」な感じもねぇ。

良かったです。
ホントに。




長くなっちゃったから、この辺で終わった方がいいですかねぇ。




他にも、「追われる側」だった主人公が「追う側」になった時の視点の転換、とか、もうちょっとあるんですけど、割愛、ということで。



とにかく、いい作品でした。


何度も観たいな。。。
うん。






2012年4月17日火曜日

関係性の逆転、あるいは、関係の相互性

久しぶりに、お昼にテレビ東京でやってる「CSI」を観まして。
もうシーズン9なんですね。



で。

今回のエピソードのストーリー本編とはちょっと違う部分で、とても面白いシークエンスがあったので、せっかくなのでこのブログにアーカイブしておこうかな、と。



作品自体を久しぶりに観たので、ちょっとそこはアレなんですが、一応ざっと“前段”を説明しておくと、捜査チームの仲間の1人が殉職した、ということになってまして。
ウォリック・ブラウンという、まぁ、人気キャラなワケですけど。

で、彼の殉職を受けて、署に、カウンセラーがやってくるんです。「ER」で主要キャラ(もちろん、ドクター)を演じていた女優さんが出てくる、という、ま、タイプキャストと言っちゃえばそうなんですが、ファンには嬉しい配役で。

で、カウンセラーが「なにか話したいことがある人は、私のところに話をしに来て下さい」と言うワケです。オフィスのブースの1つに自分の席を作って、そこで、“悲しみ”とか“喪失感”を吐露しにくるのを待つ、と。

ところが、チームのメンバーは、誰も彼女の待つブースに行かない。
誰もカウンセラーの所に行かないワケです。



彼女は、辛抱強く、待つ。




で。



チームのリーダーが、ちょっと顔を出すんですね。
で、「ハンクのことで相談があるんだ」と切り出す。

カウンセラーは、「来た!」ということで、“仕事”を始める構えを作るんですが、なにぶんチームのリーダーなので、仕事が忙しい。話を始めるタイミングで、部下が捜査の進展を知らせてに来て、そこでは話が出来ずじまいになる、と。



カウンセラーとしては、誰もカウンセリングに来ないもんですから、ヒマなワケで、その「ハンク」について、署内にいる人間に、リーダーのカウンセリングの下調べも兼ねて、話を聴き回るんですね。
「ハンクって、誰?」と。リーダーにとって、その「ハンク」はどんな存在だったのか、みたいな。




ところが、話を聴いて回るうちに、「ハンク」ってのは、ペットの「飼い犬」のことだと分かるワケです。

これで、カウンセラーは、ちょっと怒っちゃうんです。「バカにしてるの?」と。
自分の仕事のことをバカにされてる気になってしまうワケですね。


もともと、刑事たちっていうのは、“弱気”を他人に見せたがらない、という職種だ、というのもあるでしょうし、とにかく、そのカウンセラーの元に誰も話をしにこない、という状況なワケで、それに加えて、最初の相談が、実は「ペットの犬」だった、みたいなことになって、さすがのカウンセラーも、頭にきてしまった、と。



で、チームのリーダーのブースに、怒鳴り込むんです。「バカにしてるんですか?」みたいなことで。




で。




・カウンセラーが怒鳴り込んでくる。「聴いたわ。『ハンク』って、犬のことだったのね?」
⇒リーダー、謝る。
⇒さらに、「訊きたいことがあったんだ」と言うリーダー。
⇒「飼い主の心情の変化が、ペットに影響を与えることはあるのだろうか?」「最近、ハンクの元気がなくってね」
⇒カウンセラーの表情が変わる。「あるわ」



その、「バカにされた」と思っていた「飼い犬の話」が、実は、カウンセラーにとっては“職分”の話だった、という展開になるワケです。
実は、それこそが、リーダーの「“喪失感”の吐露」であって、カウンセラーにとっては、それこそが「仕事の話」であった、と。


それまで、若干空回り気味だったカウンセラーは、ここで、気を取り直すワケですが、面白いのが、ここで、ホンのちょっとだけ嬉しそうな表情を見せるんですね。
そういう演技(演出)、あるいは、これは単に、俺だけがそう解釈してるだけかもしれませんが、少なくとも、そう解釈できるだけの“間”を、そこに取っている。




これは、とても面白い構図で、「患者/カウンセラー」の関係が、微妙に逆転してるんです。
カウンセラーの前に“弱者”としてやってくるハズの患者が、ここでは、カウンセラーが「仕事を求める」“弱者”となって、自分の患者の前にやってくる、というのと、もう1つ、「悲しい記憶」が、このカウンセラーにとっては「喜ばしいこと」になってるんですね。

誰かが「悲しい記憶」を吐露し始める、という行為を、カウンセラーは、待っている。

そして、誰も来ないから、苛立ち始める。
まぁ、ストレスを溜め込む、ということなワケですね。


カウンセラーが、ストレスを抱え、それを爆発させもする。



しかしそこで、患者であるリーダーが、「喪失感の吐露」を始めるワケです。
というより、実は、始めていた。

カウンセラーは、そこに気付かないままでいた、というか。




カウンセラー/患者という関係性においては、患者がカウンセラーに拠る、というのが一般的な構図であり、“描写”もそうなるワケですが、ここでは、逆転している。
「患者が存在しなければ、カウンセラーも存在できない」と。

カウンセラーの存在が、患者の存在に依存しているワケです。




まぁ、エピソードのストーリー自体にはそんなに影響がないシークエンスなんですが(多分)、さらっと挟み込んでくるのは流石って感じだし、ま、個人的に凄いそこにひっかかった、というだけでもあるんですけど。




うん。



面白かったです。