2008年9月30日火曜日

ゴルゴっ!

フランスで、とんでもない事件が起きたそうです。

受刑者が刑務所を見下ろす丘の上から狙撃され、殺害される事件が発生した。殺害された受刑者は犯罪組織に関与しており、殺人事件で取調べを受ける直前だった。



なんと、刑務所に服役中の受刑者が、刑務所の外から狙われて撃ち殺される、という。


凄い!


まるでゴルゴ13!


いやぁ、実際にあるんですなぁ。こんな事件が。

2008年9月25日木曜日

メモを幾つか

ずっと作品の感想が続いてたんですが、その間に、新聞の記事で幾つか参考になるトピックがあったので、ここでまとめて書き残しておきたいと思いまっす。


面倒なので、詳細は省略。


まず、「ポネット」を撮った、フランスのジャック・ドワイヨン監督。即興的という演出法について。

「事前の本読みはなしで、いきなり撮影に入る。2つのカメラで同じシーンを15回から20回撮影し、良かったテークを使う。テークごとに役者と話すが、役者が疲れ始めた頃に、まるで恩寵のように突然いいシーンが撮れる」
撮影は必ず脚本の順番に撮る。理由は「映画の進行と共に役者が進化していくから」

「本読み」っていうのは、何を指すんでしょうかねぇ。リハーサルのことか、それとも、役柄についての打ち合わせのことか。それとも単に「本読み」なんでしょうか。
ただ、本番を「15回~20回」もやる、というのは、要するにそれが“リハ”になってるってことですからね。
1回や2回のテイクでいいシーンが撮れることもある、ということなんスかねぇ。ダメな時は、20回でも粘る、という。
まぁ、その辺の真意は良く分かりませんが、「疲れ始めた頃に~」という部分は、ポイントですね。



次は、連ドラで、TBSの「Tomorrow」について。ちなみに、俺は観てないっス。主演は竹野内豊と菅野美穂。いわゆる“社会派”ドラマですね。

病院再生という社会問題を提起しつつ、心のひだに響く人間ドラマに着地できたのはなぜか。リアリティーにこだわりすぎると虚構への飛躍が難しくなりそうだが、「人物の背景や設定がしっかりしていたので、自然に人物が動いていった」と、番組のプロデューサー。

“設定”をしっかり固めておいて、その上で、人物を自由に動かす、という。“自由に”というのは、物語に沿って、ということでしょうね。
「このキャラクターならどうするか?」という時に、「こう動かないとストーリーの構成上困る」というアレではない、と。「キャラクターが自然に動く」ということで。
いや、実際にやろうとなると、これが一番難しいんですが。

「人物の背景や設定をしっかり」作っておく、と。“しっかり作る”とは、リアリティーに裏づけされたディテールのことだったり、“役”を越えた、演じる“役”に対する“肉付け”みたいなことでしょうかね。

うん。難しいですが、これは普遍的な、ストーリーテリングの本質でしょう。きっと。



さて、次は、知り合いが試写でみて「良い」と言っていた、「コドモのコドモ」のレビュー記事から。

コドモたちは役を超えて、自然で真剣だし、演出の萩生宏治は全力投球する。生命の誕生に出会い、映画の内、外、いいも悪いも、なくなってしまう。

だそうです。知り合いは、演出が「ゴツゴツしている」と言ってて、それが新しいって言ってました。
そういう、何かがある作品なのでしょう。



最後に、ジャンピエール・アメリス監督。ちなみに、俺は、この方は全然知りません。

「私にとって子供について語ることは映画を語ることに等しい。しばしば映画に救われていた子供時代の記憶が、そのまま映画の記憶として蓄積されているのです」

イイ話ですな。

俺個人の話をすると、あんまり子供時代の、そういう“映画体験”というのは無いんですね。
ただ、やっぱり俺も、「救われた」クチで。
それは、もうちょっと大人になってから。というより、ハタチを超えるぐらいの頃ですよね。今でも、あの頃みた映画を思い出したり、見直したりすると、色々悩んだり苦しんでたりしていた自分を思い出しますね。


なんて、ちょっとセンチメンタルになったところで、今日は終わり。



2008年9月24日水曜日

「へヴン」を観る

月曜映画で、「へヴン」を観る。


いやぁ、凄い作品でした。2002年公開作品だったということで、観てなかったことを後悔しましたねぇ。

取りあえず、何が凄いって、画の「構図」です。凄い。
パーフェクツ!

取りあえず、冒頭のフライト・シュミレーターの映像で、いきなりびっくりさせられちゃって、で、問題は、その後。
エレベーターの一連のシークエンスが、凄すぎです。マジで。
主人公が乗っているエレベーターが下りてきて、後にそれに乗ることになる親子が、そこに向かって歩いて行くカット。その前の、ビルの壁面を上昇していくエレベーターとか。

とにかく、一つ一つの画の“キマり方”がハンパない。

で、ちょっとデータを調べたんですが、「ラン・ローラ・ラン」で名前を売ったドイツの監督さんです。名前は、トム・ティクヴァ。まぁ、ご存知の方は多いと思うんですが、恥ずかしながら、俺は知りませんでした。ちなみに、最新作は「パフューム ある人殺しの物語」です。DVDが出たばっかりのようなので、さっそく、近いうちにレンタルしたいな、と。

で。
「撮影」がフランク・グリーベという人。ティクヴァ監督の作品全部にこの人の名前があるので、多分、この人とのコンビで監督が作り上げているんでしょう。

しかし、この画の説得力は、ハンパないですよねぇ。


シナリオが、これは別の“巨匠”が書き遺していたモノで、その、時代設定がちょっとボヤかしてあるんですね。
一応、現代のイタリア(トリノらしい)なんですけど、ワリと、トリックというか、仕掛けの部分が古くさくて、下手したらウソ臭さが出ちゃうようなアレなんですけど、この監督の画ぢからで、有無を言わせず納得させてしまう、という。受け手の側を。

映画というのは、物語を映像で“語っていく”ワケですけど、この、「俺はこの話を語っていくのだ」という迫力がある、というか。画面に満ちている、という感じ。それが、ビシビシ伝わってきちゃって。

もちろん、主演のケイト・ブランシェットの凄味もあるんですけどね。
ただ、個人的には、彼女の存在感にフォーカスしたアレはなくって、どちらかというと、画の全体の構図とコミで、良かった、という感じです。

彼女の、無機質な(と、表現して構わないと思います)雰囲気が、硬質なタッチのライティングと、とてもマッチしてて。

無機質な場所でのシーンだけでなく、後半の、イタリアの田舎の田園風景を映すシークエンスも、もの凄い綺麗ですしねぇ。
電車の、トンネルの中のショットとか、最高でした。



う~ん。



これ、個人的に、レンタルじゃなくって、DVD買ってもいいかも。家に置いておいて、たまに見返すぐらいの感じで。
「ラン・ローラ・ラン」もチェックしてみないとなぁ。多分、そうとう勉強になるハズです。


というワケで、観てから24時間ぐらい経つんですが、全然冷静に語れません。


2008年9月23日火曜日

「ヴァージン・スーサイズ」を観る

ソフィア・コッポラ監督の「ヴァージン・スーサイズ」を観る。

ソフィア・コッポラ監督の、これが、デビュー作ですよね。確か。
当時、随分話題になったって記憶してます。


で。
記憶といえば、なんですが。
この作品を観た、知り合いの女の子と、この作品の印象が全く違っていた、という経験がありまして。

彼女も、いわゆる「映画監督志望」だった人で、当然、一緒にいると、色んな作品について話したりするようになるワケで。
で、当時のソフィア・コッポラは、なんつーか、「Xgirl」がどうのとか、スパイク・ジョーンズがどうのとか、グランド・ロイヤルの周辺がどうの、とか、そういう諸々のトピックが、色々あって。
日本の「女の子」に、もの凄い影響力があったんですよ。
で、多分、彼女も、それにモロに影響を受けてて。

で、当然、その、彼女の、この作品に対する評価がもの凄い高くて、その、評価が高いこと自体は、別に俺も納得してたんだけど、観て、受け取っている内容が、俺と全然違っていたんですね。
「あぁ、そうか。そういう風に観るのか」と。なんか、結構、カルチャー・ショックじゃないけど、そういうのがあったりしたんですよねぇ。


どういう事かと言うと、俺なんかは、「語り部」になってる男の子の視線に、完全に同化しちゃうんですよ。
つまり、作中で語られている通り、「彼女たちは何処かへ行ってしまった」と。なんだか、分かんないまま。

もちろん、分かるんですよ。理屈では。彼女たちの自殺(複数形で、スーサイズSuicides となっているところは、ポイントです)の、理由は。
でも、それは、そう語られているからであって、それ以上の何かは、あんまり感じなくて。

ところが、あるタイプの女の子っていうのは、それ以上の“共鳴”というか“共感”というか、そういうモノを感じるみたいで。
最初に死んでしまう女の子についても、作中では、ホンの少ししか触れられないんですが、逆に「それで十分!」みたいに感じる人も、いるんですね。

いや、この作品を否定しているワケじゃないですよ。
逆に、凄いな、と。そう思ってるんですけど。


まぁ、例えば、キレ味が抜群の時のマイケル・マンの凄さを、普通の女の子が、絶対に感じとれないのと同じようなモンで。


この作品のマーケットからは、俺は、疎外されているのだ、と。

だけど、敢えて“誤解”と書きたいんだけど、誤解を生んでいる原因は、作品にもあって。
それは、男の子に“語り部”をさせているところ。
これが、「ロスト・イン・トランスレーション」になると、そういう、「男の目線」からは、観れないようになってるワケです。(「マリー・アントワネット」は、未見なんで、分かりません)

何が言いたいかっていうと、「だからしょーがねーだろ」と。カン違いしちゃっても。



まぁ、でも、なんていうか、ああいう「抑圧」みたいのを、女の子っていうのは、日常的に感じていて、そういう部分に、ソフィア・コッポラの感性が、共鳴してるんだろうな、と。
これはホントに、「だろうな」っていうアレなんですけどね。


うん。
だから、俺なんかが、電話越しに、ポップ・ミュージックのレコードで「会話」するシークエンスにグッときたり、「そういえば、俺にも、あんな頃が・・・」なんて、初めての彼女のことを思い出したり、そういう感想っていうのは、多分、あまり意味のないことなんでしょう。
残念ながら。
この作品は、愛されながら、同時にそれが、束縛であり抑圧である、という、世界中の女の子の為の作品なのだ、と。

女の子に恋したり、愛したり、フラれたり、裏切られたり、なんていう、バカな男の子の物語は、別のヤツが作ればいいんだしね。


と、いうことで。良い作品でした。

2008年9月22日月曜日

「クジラの島の少女」を観る

ニュージーランド映画の「クジラの島の少女」を観る。

ニュージーランドには、脈々と、映画産業というか、映画文化がずっと流れてて、まぁ、時々こういう、世界的な良作かつヒット作品が出てきますよね。

この作品も、素晴らしいです。
原題は「ホエール・ライダー」と言って、文字通り、「鯨に乗る人」という、部族の伝説から取った言葉なんですけど、この邦題は、なかなかイイっスね。
うっかり「鯨に乗る少女」だと、これは完全に失敗でしょうし。


とりあえず、シナリオのディテールが良くって、部族(民族?)の伝統を、一本の綱で語らせたり、しかもそれが、ブチッと切れてしまうという、あまりに切ない描写があったりして。
それから、長男と祖父との関係。ヨーロッパ人の新しい奥さんのことが露見するシークエンスも、とても上手ですね。「ただの土産物だ」というセリフの切れ味も、良いし。
テーマ的にはもの凄い大きなモノを扱いながら、こういう、細かいディテールで持って語っていく、というやり方は、とてもいいと思いました。こういう時って、やたら声高に、例えばセリフやナレーションや、扇情的な描写で語っていくという手法に陥りがちなんだけど。クールな語り口をしっかり守ってて。
それが、凄い効果的だな、と。


作中、「労働」の描写が殆どないんですね。特に、男たちの。
みな、怠惰に、酒を飲んでダベっているだけ、という。まぁ、その辺は、少し事情に明るい人なら、ピンとくると思うんですが、そこの説明はちょっと足りないかなぁ。
ま、でも、なんとなく分かってくれればいいのか、という気もします。

次男の存在が、後半は結構ポイントで、「実は結構リーダーシップがあった」というキャラクターで。
つまり、族長であるお祖父ちゃんは、そこから間違えてた、と。最初から、ちょっと繊細な長男よりも、次男の方が、“素質”はあったんですよねぇ。
で、その次男が、叔父として、少女の成長に一役買う、と。この辺のシナリオの組み立て方も、すごい上手いです。
次男は、ずっとニットキャップを被ってるんですが、これが、ある意味で「アメリカナイズ」の象徴にもなってるんですね。最後に、脱ぎ捨てるんですけど。
それから、海岸に置き捨てられた、巨大なカヌー。それが、少女にとって、父親の代替として、そこにある、と。
そもそも、その、父親がいないことが、彼女の“素質”を開花させた、ということになってると思うんですよね。その、海(つまり、鯨)と直接繋がり合っている、という部分で。

シナリオ的には、もう一つ。1人の少年の、父親ですね。要するに、ヤクザみたいな生活になっちゃってて。
そいつが、最後には、“誇り”みたいのを取り戻して、息子もそれを喜んでて、みたいな。
これも、変な伏線みたいには扱ってなくって、あくまで、一つのサイドストーリーみたいに、サラッと語ってるだけで。


映像的には、もう、これは完全に正統派で、美しい自然と、苦悩する人間たちの表情を、まっすぐ撮っていくだけ、という。これも、素晴らしいです。どちらも、変に強調し過ぎることをしてないしね。
ストーリーも、真っ直ぐ進んでいくだけだし。失敗するんだろうなぁ、というところでは、失敗し、上手くいくんだろうなぁ、というところでは、上手くいき。ただ“時間の流れ”で、ストーリーをドライヴさせていく、と。
困ったときは、雲が流れる空の画で、それを間に挟んで、画を繋いでで、もちろん、それはそれで、正解だと思います。

それから、音楽で、ちょっと気になったのが、父親と旅立とうというシーン。
ワリとモダンな、ちょっとトランシーな音楽が流れてるんです。これは多分、これから生活するヨーロッパを暗示しているんですけど。
これは、まぁ、ベタっちゃベタなんだけど、音楽自体が、結構高揚感を出すような雰囲気の曲なんですね。この選曲は、上手いです。
だけど、それを振り切って、結局父親とは別れて、残るワケですからね。



という感じですかね。

でも、こういう作品を観ると、例えば、日本の「我々」が、小さな、チマチマした物語しか語れていない、ということを、考えさせてくれますよね。

うん。いい作品だと思います。ホントに。

2008年9月21日日曜日

「グッド・ボーイズ」を観る

ミッドナイト・アートシアターで、アイス・キューブが製作と主演の、「グッド・ボーイズ」を観る。


ちなみに、このタイトルは邦題ってヤツで、当然「バッド・ボーイズ」を意識したモンですね。
というより、パクリ。
原題は「All About the Benjamins」で、“ベンジャミン”というのは、スラングで100ドルかなんかの紙幣のことですね。日本で言う、「諭吉さん」とか、そういうアレです。


さて。
アイス・キューブが製作もしてるってことで、まぁ、殆ど彼が自分の為に作った、ということですね。いいビジネスだと思います。
シナリオは、やっぱりちょっとショボイ部分もあるんだけど、それなりに、ツボを押さえている気もするし。

その、ちゃんと、伝統に則った「バディ・ムーヴィー」ですからね。
ある意味で、正統派ですから。ギャグはサブいけど。


監督さんは、やっぱりビデオクリップ畑の人なのかなぁ、という感じを受けたのが、構図の巧さ。カメラマンの腕なのかもしれませんけど。
キメの画、みたいのがあって、そのポイントポイントのショットは、巧いな、と。
あと、時々ストップモーションになったりして。演出上の意味合いは、全く無い、と言っていいと思うんですが。でも、まぁ、見ようによっちゃ、クールなんでしょう。それが。
柵を飛び越えるショットが、スローモーションになったりして。


あと、これも、時間的な制約がもの凄いあるビデオクリップの人ならではなんだろうけど、編集というか、画の繋ぎ方が、上手。
上手く飛躍させてて。
もちろん、それこそスティーブン・ソダーバーグのような巧さとは違うんだけど、ホントにちょっとした所で、上手にスピード感とかリズムを出してる気がしました。


あとは、やっぱり、アイス・キューブかなぁ。
いい演技しますよねぇ。
表情がいちいちイイです。ホントに。

これは、どこの国でも一緒だと思うんだけど、そもそも俳優さんを目指そうという人は、自分の外見に自身がある人なワケで。まぁ、悪い言い方をすれば、ナルシスト。ただの。
そういう人たちには、出来ない顔をするワケですよ。アイス・キューブは。
いいと思います。


だいたい、ちょっと小太りの彼が全力疾走してるだけで、そのリアリティは、群を抜いてますから。
そういうのって、大事だと思うんです。



ま、逆に言うと、それだけかも、という作品ですね。
全く意味の無い空撮とか。
あとは、タイアップも、結構ガッツリあったし。コカコーラとか、Enyce とか、あと、多分車もそうで(レクサス)。
いや、ま、それでいいんですけどね。全然。
そういう意味でも、勉強になりますな、と。
うん。



しかし、アイス・キューブは、映像ビジネスがホントに順調なんですな。


2008年9月20日土曜日

「セックスと嘘とビデオテープ」を観る

というワケで、スティーヴン・ソダーバーグ監督の第一作、「セックスと嘘と」を、観る。


とりあえず、これが26歳ですからねぇ。構想から考えると、22とか3ですか?
ホントに。



まぁ、内容については、別に改めてどうこうってアレじゃないんでしょうが。

舞台は、部屋が三つ。あとは、家の外とか。
登場人物は、4人。
これで、100分弱のドラマを作る、と。


う~ん。



ビデオカメラとテープっていうのは、20年前の当時には、革新的なメディアだったんでしょうね。
きっと、今のインターネットとか、そういう感じで。



いや、でも、「う~ん」ってしか出てこないっスねぇ。
色んな意味で。



俺も頑張ろう、と。改めて、そう思いました。
馬鹿みたいですけど。



2008年9月19日金曜日

「ブローン・アウェイ」を観る

午後のロードショーで、「ブローン・アウェイ 復讐の序曲」を観る。


な、なんつっても、敵役がトミー・リー・ジョーンズですからね。


もう、10年以上前の作品ですかねぇ。
特に改めて感想として書くほどのアレは、正直、ないんですが、とにかく、トミー・リーの悪役のハマりっぷりが、タマらんですな。ホントに。


ここにも何度か書いてますが、こういう、“悪の権化”っていうキャラクターって、好きなんスよ。
えぇ。


「絶対的な悪」っていう存在を、物語においても描きにくくなってますけど、だからこそ、という意味で。
“悪”が絶対的であればこそ、それに対峙する人間の“脆さ”とか、もちろん“美しさ”とか、そして“苦しみ”とかを輝かせることが出来るワケで。


ま、ドラマツルギーとしては、古いスタイルなのかもしれませんけどね。



うん。


IRAだとか、アメリカ・東海岸(ニューイングランド地方)にあるアイルランド系のコミュニティの存在とか、そういうのも色々踏まえたうえで、という作品なんでしょうけど、しかし、トミー・リーの存在感あっての、という企画でもあったハズです。


ジャック・ニコルソンよりも、ヒールとしては、トミー・リー・ジョーンズかな。俺としては。



あ、それから、主人公のカウンターとして、「黒い鶴瓶」こと、フォレスト・ウィテカーが出てます。スゲェ若いですけど。
フォレスト・ウィテカーの独特の存在感も、いま観たらちょっと面白いかも。


ま、そんな作品でした。

2008年9月16日火曜日

「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」を観る

トミー・リー・ジョーンズの監督・主演による「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」を観る。


ちなみに、このエントリーを書くにあたって、軽くデータを調べたら、この作品の脚本を書いている人は、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督と組んで仕事をしている人で、「アモーレス・ペレス」から「バベル」までの一連の作品を書いている人なんだそうです。
いや、凄いね、この人。
ちなみに、この作品と一緒に借りてきたDVDに「バベル」があります。こちらは、今週中に観るつもりでっす。

さて、内容ですが、これまで数々の作品のモチーフになっている、メキシコとの国境線の“両側”が、テーマですね。国境というのは、“境界線”そのものなんですが、その、ある種の人たちにとっては、その境界は、「たまたまそこに引かれているに過ぎない」程度の存在だったりするんでしょうが、しかし同時に、それは、命を懸けて超える対象になり得る、と。

で。
この作品ではさらに、“孤独”というテーマが語られています。国境のこちら側、つまりアメリカ人は、徹底的に、孤独であるように描かれています。
そして、その向こう側の人間たち、つまりメキシコ人たちは皆、家族を持ち、家族を愛し、その為に生きている、と。そう描かれるワケですね。

死んでしまったメルキアデスは、家族を愛するがゆえに、「死んだら故郷に埋めてくれ」と語るワケです。
そして、トミー・リー演じるピートは、その、メルキアデスが持っている(と、語られる)家族への愛情へ、“憧憬”を抱く、と。
それが、メキシコへ“越境”する動機になるワケで。

その、アメリカ人の“孤独っぷり”の描き方っていうのは、まぁ徹底してますよね。
ダイナー(飲食店)の、ガランとした空間と、青白い色味が醸し出す、白々しい、寒々しい空気感というのは、メキシコの村にある、ガヤガヤした、若い女性がピアノを弾いている飲み屋と対比されているし。
同じテレビ番組を観る、というメタファーも、片方は、優しさの欠片もない(その“早さ”も含めて、ね)セックスが行われるキッチンと、もう片方は、隣人愛的な優しさを分け与えてくれるメキシコ人の猟師たち、という風に描かれて。
国境近くに住んでいる盲目の老人の描き方なんかも、取りようによっては、結構エグいしね。

つまり、アメリカ人たちは、孤独で、空虚な人間関係の中で生き、対照的に、境界線の向こうの住人であるメキシコ人たちの生活は、家族愛や隣人愛に満ちた生活を送っている、と。


その、アメリカ人たちの孤独っていうのは、虚栄心とか、そういうのに繋がってるんだよね。「男ならクールであれ」みたいな同質化圧力みたいのが、多分アメリカ社会にはあって。
この虚栄心についての部分が、結構ポイント。



で、ストーリーは、前半はアメリカの田舎町での、ちょっとサスペンスな雰囲気で“犯人探し”があって、中盤以降は、国境越えと、その後の、砂漠を歩いたりする、ロードムーヴィーになるんですね。
その、砂漠を越える道中と、最後の地で、犯人の“虚栄心”が剥がれていく、みたいな流れになってて。
あまりその部分にフォーカスはされてないんだけど、恐らく、作り手側にとっては、大事なテーマになっているんだと思います。


演出面では、とにかくセリフが、削ぎ落とされていて、これはホントに、素晴らしい。
これは、トミー・リーが製作も兼ねているところから考えると、シナリオ段階でトミー・リーの意図がかなり込められていて、そういう、セリフを絞った脚本を敢えて作ったんだと思うんですが。
その、セリフではなく、動きや、背景やら立ち位置やらの画面自体、そして俳優が演じる“間”で、語っていく、と。
役者が自分で作品を撮るという時に、こういう、無言の部分が多いモノが出来上がる、というのは、興味深いアレなんですけど、でも、こういう作品こそを作りたかった、と。そういうことですからね。

とにかく“間”をたっぷり取った演出は、素晴らしいです。ホントに。
というか、大好きです。


もう1つ、素晴らしいのは、背景となる、テキサスとメキシコ(まぁ、地続きなんですけど)の風景ですよね。空とか、超キレイ。
田舎町の、夕方の赤い色味なんか、最高ですよね。多分、この光線の美しさを立たせる為に、昼間と夕方で、敢えて同じ構図のショットを作ってるんだと思います。
それから、砂漠。野生のヒマワリの間を必死こいて犯人が逃げるショットは、良かった。


もう1つ、これはホントに上手いと思ったのは、やっぱり、車の使い方ですね。
ピートの車が、ボロボロのトラックだったり(これは、後々の馬に乗る姿との対比にもなってて)、保安官の半ドアの警告音が、面白かったり。

あと、馬。馬と、ラバ(ラバって!)。
ラストの馬についてのシークエンスが、効いてるますよねぇ。いいです。



うん。

シナリオと、いい役者と、巣晴らしいショットと、そういう諸々が幸福な出会いをしている、素晴らしい作品ですね。



それから、追記的に書いてしまうと、「ノー・カントリー」はこの作品からかなり影響されていると思うんです。
で、そう考えると、イニャリトゥ監督が与えた衝撃っていうのは、ホントに大きかったんだなぁ、と。改めてそう思いました。

2008年9月14日日曜日

「ワイルド・チェイス」を観る

金曜日の深夜にシネマ・エキスプレスで放送してた「ワイルド・チェイス」を観る。主演はジェイミー・フォックスとデヴィッド・モースで、2000年公開の作品なんですが、日本では劇場未公開みたいです。原題は「BAIT」。


劇場未公開というアレでも察せるとおり、いわゆるB級アクション映画ですね。

原題の“bait”というのは「釣り餌」という意味の言葉らしく、実はこれが、なかなかいいタイトルなんですよ。実は。釣りに使うルアーとか、そういうモノだと思うんですが、あれって、魚の口に引っ掛るワケで。
それが、結構、内容にマッチしてるところがあったりして。

で、内容は、J・フォックスが、いわゆる“コソ泥”。で、デヴィッド・モースが、財務省の捜査機関のエージェント。
これにもう1人、財務省の金塊を狙った強盗犯というのが登場して、三つ巴になるんですね。この強盗犯というのが、クラッキングを武器にした“凶悪犯”かつ“大強盗”で、D・モースがこいつを捕まえる為に、J・フォックスが“釣り餌”に使われる、と。

いや、結構いいアイデアだと思うんです。よく出来た設定だなぁ、と。

凶悪犯対エージェントたちの“空中戦”と、地べたを這い回っているフォックスの“地上戦”の、両方が上手い具合に描かれてて。

フォックスの演じるキャラクターが、ちょっとコミカル過ぎて、そこが鼻につきますけどね。エディ・マーフィのエピゴーネンを狙い過ぎ、という感じで。
フォックスは、もうちょっとシリアスな、渋みを抱えた役どころの方がしっくりくる感じがします。デンゼル・ワシントンとウィル・スミスの、ちょうど中間ぐらい。
まぁ、2000年の作品ですから、まだフォックスも若かった、と。この作品では、あんまり良くないですね。


ただ、シナリオは、ホントに上手だと思いました。
“釣り餌”が市警に捕まらないように四苦八苦したり、生活費を工面したり、それがバレた後に、フォックスが逆に罠を仕掛けたりして。
クライマックスの対決するシークエンスのアクションは、個人的には蛇足って感じでしたけどね。引っ張り過ぎで。でも、B級アクションですからね。これは、しょうがないっス。

あと、捜査本部がちょっと豪華過ぎ。WTCにあるっていう設定も、今となっては、複雑な気持ちにさせちゃうしね。


あと、デヴィッド・モースの、登場していきなりブチ切れる演技は、ちょっとびっくりしました。「え? 今回ってそんなキャラ?」みたいな。「クロッシング・ガード」の彼が印象強過ぎて、どうしても、ああいう“苦悩”を抱え込んでる、みたいな想像をしてしまうので。
この作品では、思いっきり逆の方向に振り切ってます。さすがに、上手ですけど。



それから、クラッキングする時の描写が、なんかウィザード形式になってて、面白かったですね。コンピューター側が女性の声で質問してきて、使用者(凶悪犯)が、それに答えていって、コンピューターを操作する、という。
その、クラッキングという、映像的に表現するのがちょっと難しいアレを、行為自体を上手に説明しつつ、ちゃんと成立させているな、と。これは、参考になります。



というワケで、B級アクション映画ながら、楽しめた佳作でした。


2008年9月11日木曜日

「マイ・シネマトグラファー」を観る

アメリカン・ニュー・シネマ期を支えた1人である、有名な撮影監督についてのドキュメンタリー「マイ・シネマトグラファー」を観る。


これは、公開してた時に、タイミングを逃して観にいけず、DVD化されるのを待ってた作品でした。
正直、近くのレンタル屋さんに並んでるのを見たときには、まさかこの手の作品を置くとは思ってなかったので、意外でしたけど、嬉しかったので、さっそく借りてきた、と。



しかしまぁ、いくらニュー・シネマが好きっていったって、監督や製作者の名前は見知ってても、撮影監督の名前までは頭には入ってないもんで、この作品中にズラッと出てくる作品のタイトルの並びには、ビックリって感じですけどね。

その、当の撮影監督の名前は、ハスケル・ウェクスラー。(参考までに、こちらを)
で、このドキュメンタリーを撮っているのは、その息子さん。



さて。
タイトルと、まぁ、公開時の宣伝の内容(の、記憶)から勝手に、撮影監督としての数々の仕事を振り返る、という内容なのかと思ってたんです。
「へぇ。どんな風に撮ってたのか、勉強になるかも」みたいに思った人も沢山いたと思うんです。
が。
違います。
作中での、そう「告げる」父親の姿が映りますが、1人の映画人としての業績を追っていくような内容でなく、よりパーソナルな、「より内面的な」ドキュメンタリーになんです。
というより、撮られる本人が、撮る側である息子を、作品をそういう方向に持っていくように誘導(挑発)している、という感じ。

その、親子関係というのが、あんまりシックリきてなくって、もの凄い豪華メンバーが登場するんですが、彼らが、もの凄いフランクに、「父親との関係をアドバイスする」という感じになってて。

「父親との関係を受け止め直そうとしている息子」のドキュメンタリーになっている、と。

いや、それが、とても面白く仕上がってるんですね。
ちょっと期待していた内容とはズレるんですが。


その、父親というのが、結構強烈なパーソナリティの持ち主で、その父親の政治スタンスに巻き込まれないように苦心する息子の姿、とか、結構面白い。
息子本人も、それなりに成功している人物で、アメリカの過去三代の大統領についてのテレビ番組を作ってるような人なんですね。
で、近いうちに今の大統領のブッシュをインタビューする予定が入り、“左翼グループ”の集会に出席しようとしている父親を追いかけ切れない、というシークエンスがあったり。
この辺の苦悩は、とてもイイです。


自分の老いを受け止めようと苦悩する父親の姿。
その父親に奔放だった私生活についての告白を頼んだり、デモや超ビックな女優を取材する父親に同行したり、“同業者”としてその姿勢にダメ出しされたりしながら撮影を続ける息子の姿。
どちらも、とても面白いですね。



こういうドキュメンタリー作品って、自分で作ったりしてみたいんですけどねぇ。チャンスがあれば。
好きなんですよ。えぇ。



というワケで、期待していた内容とは裏腹ながら、とても良質なドキュメンタリー作品でした。
ホントにお薦めっス。

2008年9月10日水曜日

「アウト・オブ・サイト」を観る

スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジョージ・クルーニーとジェニファー・ロペス主演の「アウト・オブ・サイト」を観る。
ちなみに、午後のロードショーです。昼間っからスイマセン。ホントに。



で。内容ですが。
ま、ソダーバーグ監督らしい良作ですな、と。
というより、個人的に、特に最近改めて、ソダーバーグがツボに来てて、この作品も(未見だったんですけど)やっぱり「いいな」と。

この作品が1998年(10年前!)公開で、この2年後に名作「トラフィック」が公開されてるので、なんていうか、「セックスと嘘と」から始まって、ちょうどインディペンデント・ベースから「ハリウッド大作」への移行期、というか。
予算も、“人件費”にはかかってそうなんですが、そこそこっぽいし。というか、少ないお金で上手に撮ってる感じ。


ソダーバーグ監督の、特にこの作品を観て感じたのは、余計なことをやらない、ということですよね。
これは、予算の制約もあってのことなんでしょうが。
余計な説明をしない、と。カット割りでも、ストーリーの構成でも。もちろんそれが、説明不足になるワケでもなく。
これが、例えばデヴィッド・フィンチャーだったら、敢えて説明しなかったり、逆に情報過多にしてミス・リードする、みたいな方法論で観る側を引っ張るんですけど、この作品では、そういう演出法はしてなくって。


う~ん。
その“あんばいの良さ”が、テンポの良さを生んでるんですかねぇ。

ただただ、ストーリーを前にドライヴしていく、と。もちろん、それだけじゃなくって、過去の時制に戻ったりもするんですけど。
基本的には、一直線に進んでいくワケです。途中に派手なトリックを入れ込んだりもしないで、それでも、最後までしっかり離さない、という。



ま、キャストの存在感っていうのも、当然ありますよね。

キャラクターの演出で、この人らしいなぁと思うのは、キャラクターの輪郭をボヤかしたりしない、という所。○○そうに見えて、実は●●、みたいなことは、この人はあんまりしないですよね。
人物の裏表を描くことで、リアリティや人間味を強調して共感させる、みたいなことは、あんまりしない。
キャラクターは、最後までキャラクターのまま、という感じで。
そのキャラクターの操作方法に、ソダーバーグはもの凄い長けている、ということなんでしょうか。
くっきりと縁取りされたキャラクターを、俳優陣はそこにぴったりハマることで色づけしていくんでしょうけど、それが、あんまり“肉体化”してない感じ。
でも、生き生きしてないかというと、それも違って。

その“突き放し”感は、個人的には大好きです。


あと、乾いたユーモア感とか。
これも、その突き放し感と共通している素質だと思うんですけど。
ユーモアに関しては、監督の「やろうと思えばもっと出来るんだぜ」感も、オシャレで好きです。
いや、それはさておき。
乾いたユーモア。


要するに、余計な感情移入を拒んでるのだ、と、俺なんかは勝手にそう解釈してますけどね。

ラストの、J・Loのニヤッと笑う表情とかも、そんな感じで。
もっとフワッと終わらせることも出来るハズなんですが、ボトッと投げ出されるみたいな終わり方しますからねぇ。
でも、別に、全然“不完全燃焼”な感じはしないし。



うん。

ホントに、こういうシナリオが書きたいですな、なんて。

「セックスと嘘と~」が観たくなりました。レンタルしてこよっと。

2008年9月8日月曜日

「ブロウ」を観る

ジョニー・デップ主演の「ブロウ」を観る。


この作品も、based on the true story ということで、実在のドラッグ密売組織を率いた男の半生を基に、ということで作られています。

ただ、その、あんまり“犯罪色”が強調されてないんですね。印象として。1人の男の、なんていうか、人生と、家族との愛憎劇を描く、みたいな雰囲気で。
いわゆる、クライム・ストーリーじゃありません。基本的に、斬った張ったもありませんし。(1人、名もないキャラクターが撃ち殺されるだけです)。

確か「こちとら自腹じゃ」で井筒監督が絶賛してた記憶があるんですが、個人的には、そんなに星は出ないっすね。★★ぐらいっス。

どうしても、全体的に既視感が強い気がして。焼き直し感というか。
それから、コカイン云々に関しても、ちょっと中途半端な気がしちゃったりして。

う~ん。



個人的に、ヒッピー・カルチャーに対しての憧憬みたいのが一切ない、というのも、この作品の評価に関係してるかもしれませんねぇ。冒頭の「美しい光景」「パラダイスみたいな西海岸」みたいな描写も、すんなり受け止められないので。


あと、母親と奥さんの描写の仕方。徹底的に、美人だけどワガママで、結局カネの話ばっかりで、という風に描かれているワケです。2人とも。
で、父親は誠実な人物で、主人公もそれに倣って、という設定なんですが、正直、その辺も、イマイチ。
要するに、主人公の動機が、自分の母親と、妻と、そして娘にある、という形で描かれるんですが、「いやー、そうじゃねーだろー」と。
ちょっと、主人公を美しく描き過ぎです。美化し過ぎ。
“被害者”みたいに扱われてますからねぇ。
特に父親からみたら、「ただのバカ」なのに。


そうなんですよね。なんか、“浅い”んですよ。いちいち。
コロンビアとかプエルトリコとか、中南米の描写も、浅い。密売組織の雰囲気も、なんかイマイチだし。


なんか、“イマイチ”ばっかりですけど。でも、ジョニー・デップは、メチャメチャいいです。モロにハマリ役。
最後の取引の後の、小さな部屋の中で「報酬をアップする」ところなんか、最高ですね。応戦用のナイフがなくって、気付くところ。

彼だけじゃなくって、キャラクターや演技に関しては、脇役陣もホントに素晴らしいです。ペネロペ・クルスはこっちが悶えるぐらいキレイだし、レイ・リオッタも、“若い父親”から“衰えた父親”まで、超好演だし、スパニッシュたちも、雰囲気最高だしねぇ。
演出面でいったら、そういう部分は最高でした。

あ、あと、J・デップは、声がいいんですよ。



シナリオの問題なんスかねぇ。

あ、あと、音楽について。選曲は、最高です。でも、尺と、映像に対するハマリ具合が、ダメ。
うん。そういう、カットごと、シークエンスごとの描写が、全部サラッと行き過ぎてる気がするんです。色んなところで。全部、サラサラッと語りすぎ、という感じ。
もっとしつこく、この曲でグイッと押して欲しいな、なんていうカットが、幾つかあったので。


ま、いまでもヒッピー・カルチャーに憧れる人っていうのは、たくさんいるワケで、そういう人にお薦めの作品なんでしょう。あと、ジョニー・デップが好きな人。
なんつーか、佳作のくせに意外と予算はつぎ込んでそうな、そういう作品でした。


2008年9月6日土曜日

動的、静的(映像的には)

NHKの深夜の再放送でやってた、「プロフェッショナル」の、羽生v.s.森内の名人戦スペシャルを観てしまいました。
いやぁ、凄かった。面白かったです。


拡大版ってことで、1時間という長さだったんですが、尺的には全然物足りないっスね。100分とかの、いわゆる“映画的な長さ”でも十分イケるでしょ、ぐらいの感じで。


その、映像的に、というか、一つの映像作品として、一つのドラマとしても、完成されていた、という。

将棋っていうのは、もちろん「勝負」なんですけど、映像的には非常に「静的」なワケです。

いわゆる「勝負」を描く映画って、それこそボクシングから、「ベン・ハー」の戦車レースから、野球やフットボールやサッカーや、色々あるワケですけど。それらは全て、映像としては「動的」な内容なんですね。
つまり、“動く画”として最初からある、と。それはつまり、映像という表現形態が扱うに相応しいトピックでもあるワケで。

だけど、「静的」な将棋であっても、十分魅力的な「映像作品」は作れるのだ、と。
その「勝負」自体を、十分魅せる作品を作り得るのだ、ということですよね。とことんその「勝負」に肉薄することで、ですね。

例えば、「静的」な勝負であっても、2人の間には極めて「動的」なやり取りがあるワケで、それを、ある意味無理やりに「映像化」する手法っていうのも、あったりするワケですよ。
アニメーションではこれは普通のアレですけど、いまは、それをCGで作ったりして。
でも、そんなことをしなくてもいいのだ、と。

うん。
NFLっていう、アメリカンフットボールのプロ組織に、「NFLフィルムズ」っていう映像部門があって、このチームが作る映像っていうのが、とても面白いんです。
小細工を一切しないで、とりあえず、スーパープレイをスローで撮る、っていうだけのことをひたすらやっている映像チームなんですけど。
これは、「動的」な素材を、ちょっとだけ「静的」な映像に加工して魅せる、という手法なんですが、引き込まれるワケですね。


で、昨日の「プロフェッショナル」は、「静的」の中にある、ごくごく些細な「動的」な瞬間を、徹底して肉薄することで浮かび上がらせる、という。
厳しい手を指された瞬間の、森内名人の「あっ」という表情なんか、最高でした。

あと、羽生さんの、“手が震える”という、アレ。
まぁ、映像的には、逆に「美味しい演出」の範疇に入っちゃうようなアレなんですけど、それが効いてて。
だって、ホントに震えてるんですもんね。


それからもちろん、盤外の2人の表情。インタビューされて語る言葉、とか。ナレーションも、もちろん。


うん。


こういう方向性って、ずっと前から、個人的に「ある」って思ってたんですが、なんか、それがズバッと目の前に現れたって感じで、そういう意味でも、貴重な再放送でした。

2008年9月4日木曜日

「フライト・プラン」を観る

ジョディ・フォスターの「フライト・プラン」を観る。

いやぁ、なかなか、いい作品でした。


実は、すげぇ早い段階で「ん? ネタを見破ってしまったかも・・・」と思っちゃったりしたんですが、実は、それも“トリック”だった、と。
というか、普通に、まんまと引っ掛ってしまいました。完全に作り手の“カモ”でしたね。そういう意味では。
最初の30分が、「あれは実はネタ振りだったんだな」と、思わせておいて、そのネタが、なんとストーリーの中盤に(つまり、かなり早い段階で)明かされてしまう、と。そこにモロに引っ掛ったのが、俺です。


う~ん。
1回ひねったのを、もう一度ひねったら、ごくごく普通のサスペンスになってる、という。

いや、面白かったですよ。その“ひねり”に全部引っ掛ったワケですからね。


ただ、その、ラストはちょっと間延びです。色々盛り込みたかったんでしょうが。
撃ったり走ったりじゃなく、例えば機長と航空会社のやり取りとか、ベルリンで何か動きがある、とか、そういうところを描いて欲しかったかな。
“交渉”の部分を。

あと、後から思うと、“動機”も、もっと深くてもいい気もします。ジョディ・フォスターの立場に関する怨みつらみ、とか。その、ジョディ・フォスターは「飛行機を作る会社」の人間なワケで、そこを上手く利用した動機付けって、あると思うし。


あと、良かったのが、客室乗務員の皆さんの描写ですね。みんな、美人。そして、慇懃無礼な感じ。スマした感じで。
CAさんのあの雰囲気って、個人的に大好きなモンで。えぇ。


ストーリーの中で、アラブ人に対する人種差別をきっちり織り込んでくるのも、結構ポイント高いです。
いかにもアメリカ人という感じの、肥満体の男が出てきたりして。
ラストで、もうちょっと、その部分をしっかり回収しても良かったんじゃないかと思うんですが。

ラストについては、機長とかCAさんとかとも、もうちょっとなんかあってもいいと思ったかな。
まぁ、その辺は、好みの問題ですけど。
最初に出てくるCAさんが、見たことがある女優さんだったので、ちょっと目が行き過ぎましたね。もうちょっと重要なキャラクターかと、勝手に思ってました。勘違い。



映像は、最初から、とにかく硬質な感じ。特に冒頭は、無人の地下鉄や、地下鉄の駅。それから、霊安室と棺の感じ。それを、最初に飛行機の機内を映すショットに引っ張ってきて、これから起きることを暗示している、という。
まぁ、上手ですよね。
で、ラストのホンの5分だけ、暖色系の光で画を作る、という感じで。
あの、ラストの空間の雰囲気が良かっただけに、もうちょっとあの場面を魅せて欲しかったな、と。繰り返しになりますが。



まぁ、でも、ああいう硬質な空気感に、ジョディ・フォスターは似合いますねぇ。

うん。いい作品でした。