2008年7月30日水曜日

タイトルが照らしてくれる

新聞に、桐野夏生さんのインタビューが掲載されてまして。
“いい言葉”だったので、ここでご紹介。

小説を書くのは、暗いトンネルの入り口に立つような感覚です。出口がなくて、途中で行き止まるかもしれない、と考えるととても怖いです。でも、強いタイトルがあれば何とかなる
タイトルというのは小説のコンセプトメーキングで、トーンも決定しますから、そのタイトルを懐中電灯代わりに掲げて暗いトンネルを行けば、何とか探れるのだと思います。

なかなか掴めないままに適当なタイトルを付けたりすると、トンネルには入れるのですが急に行く手を見失ったりします。それ以外にも、シチュエーションや癖のある人物など、いろいろな道具を手にして探検に出るのです。
探検ですからいつも同じトンネルというわけにもいかず、新しいものにも挑戦しなければならないし、気力だけでなく勇気も必要になります。


表現する仕事は、周囲の空気を読んでいてはかなわない仕事です。孤立を恐れず、ということでしょうか
どのみち、トンネルには1人で入らなきゃならないのだから、仕方ないですね。



力強い言葉だなぁ、と。このインタビューにも当然“タイトル”が付けられていて、それは「1人でやるしかない――孤立を恐れない」と。
書く作業は、結局1人でやるしかないのだから、と。


もう1つ。タイトルが、トンネルの中で、自分の進む先を照らしてくれる、というところ。
タイトルこそが作品のテーマなのだ、と。

まぁ、タイトルっていうのは、作品を“売る”時に必要なモノでもあるんだけど、それだけじゃなくって、作品を作る時に、作る人間が迷った時に、ある意味で“過去の自分”(作品のテーマを決めた瞬間の自分)が現在の自分に向けて送ってくれるモノでもあるのだ、と。


うん。勉強になります。

2008年7月29日火曜日

「ファイトクラブ」を観る

結構このブログでも引き合いに出しているにも関わらず、「なにげに内容忘れてるかも」ということで、改めて「ファイトクラブ」を観る。


まぁ、でも、忘れてるとは言っても観れば思い出すモンで、ちょっと「長いなぁ」というのが正直な感想ですかね。オチを知ってるだけに。
でも、「知ってる目」で観ると、「あぁ、ちゃんとなってるなぁ」と。ちゃんと「二重人格」として成立するような演出(と、構図)になってるなぁ、と。

改めて、という意味では、そのくらいですけど。


ただ、実は個人的に誤解してた部分があって、それは、この作品のテーマをちょっとカン違いしてたところ。
「アンチ物質主義」みたいな部分は、完全に頭に入ってませんでしたね。俺としては。
ずっと「生きている実感がなくて、殴り合いの“痛み”でそれを実感する」みたいな部分を、この作品の核と捉えてました。
まぁ、そう記憶してた、ということで。

これは、俺の個人的なアレも関係してるかもしれませんね。“実感”云々という部分では。

マテリアリズムに対する問題意識は、俺にとっては、別に改めて言われることでもない、というのもあったし。

あ、あと、やっぱり音楽の使い方が上手いな、と。デヴィッド・フィンチャーに対しては。それは、ホントに改めて。
音に対する感覚も鋭いと思うし。
音の“質感”が違うんですよね。ただドアが閉まる音でも、色々あるワケで、そういう部分のチョイスが、いちいち効いてる気がします。


ま、そんな感じですかね。もちろん、良作ですけど。デヴィッド・フィンチャーは、好きです。ホントに。


2008年7月27日日曜日

「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」を観る

ショーン・ペン主演の「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」を観る。


実話を基にした作品、ということで、最近この手のストーリーを観まくってますけど、まぁ、大澤真幸さんの「現実への逃避」ということなんでしょうね。

内容としては、主演のショーン・ペンの演技力と存在感、そして、メッセージ性のある作品に出るという彼の意思(意図)がまずメインにある作品、ということで。

と、この手の社会性の強い作品の場合、それで終わってしまったりするんでしょうが、この作品は、そうじゃない、と。
素晴らしい作品になってますよね。

まず、シナリオがイイです。これは個人的な、ワリと偏った見方だとも思うんですが、こういう、ディテールを積み上げていくことで説得力を出す、という作劇法に興味があったりするので。
冒頭のショットとタイトルで、観る側に対しては、ストーリーが「破局に向かって堕ちていく」ということが掲示されているワケですね。
つまり、ストーリーの進行が、主人公を“救う”方向には働かない、ということが分かってる、と。
その“破局”にいかに堕ちていくか。というストーリーを描くには、おそらく、こういう方法論しかないんでしょうが、しかし、それをやり抜く、と。

ショーン・ペン演じる主人公は、正義感はありながら、誇大妄想で被害妄想で虚言癖の持ち主で、最後の最後、計画していた犯罪すらまともに遂行出来ない、という、ホントにどうしょうもない人物で。
彼が、ホントにじわじわと、“社会”に押し潰され、“自分自身”に追い詰められていくサマというのは、ホントに素晴らしい演技と演出ですね。

成功の為というテープレコーダーとか、あとは、郵便受けのシークエンスとか。
テープレコーダーは、後に“反転”して、自分の意思を録音する機器になるワケですね。会社や雇用主といったシステム側から“吹き込まれる”手段であるテープレコーダーに、逆に犯行声明を“吹き込む”という。
アパートの郵便受けのシークエンスは、まさに“負のクライマックス”ですよね。主人公の感情が、そこにピーキングされて描かれているので。

この郵便受けでもそうなんですが、元奥さんの勤めるレストランのシークエンスでも、同じ構図のカットを何度も繰り返すんですね。主人公が暮らすアパートの中でのショットもそうなんですが、必ず同じ構図のカットを出す。これが、結構効いてる気がしました。
それから、揺れるカメラ。この揺れ感は、良かったです。ちょっとしたことなんだけどね。


映像としては、まぁ、この手の“絶望に満ちた現実”を描く場合にはある種のフォーマットになってる、黒を強調した、コントラストの強い画。「ミリオン・ダラーズ・ベイビー」とかと同じですね。画面の半分くらいが真っ黒になってたり、顔の陰の部分も真っ黒になってたりする、という。
まぁ、昔からこういう色味は大好きなんで、個人的には全然オッケーなんですけど。
というより、こういう画を自分でも撮りたいっス。


よく出来たシナリオ、抑制されながらも効果的な演出、画の色味、主演の存在感、ナオミ・ワッツやドン・チードルや他の共演者もみんな素晴らしい、ということで、素晴らしい作品なんじゃないんでしょうか。

まぁ、題材が題材だけに、観る人を選ぶモノではあると思いますけどね。それはしょうがないっス。


う~ん。

追記として・・・。
こういう、力強い作品って、すごい大事だと思うんです。

ただ、正直、時期的なアレもあって、うっかりしたら放送自粛にもなりかねない作品ですよね。

でも、こういう題材・素材を語るのだ、という作り手の意思っていうのは、ホントに素晴らしいと思います。そういう意味でも、この作品の作り手には、敬意を送りたいですね。
うん。


2008年7月25日金曜日

「マイ・ビューティフル・ジョー」を観る

午後のロードショーで、シャロン・ストーン主演の「マイ・ビューティフル・ジョー」を観る。


“女寅さん”の人情噺という感じで、良かったですねぇ。
顔と身体だけが綺麗で、中身はバカでダメでクズで嘘つきでギャンブル中毒で、でもやっぱりチャーミングで、というキャラクターは、シャロン・ストーンにしか演じられないですもんね。

そのホワイト・トラッシュの女が、アイルランド系の、ヒゲ面で強面の、でも真面目でお人好しの男と旅をする、という。まぁ、一応ロード・ムーヴィーなんですが。
女にとっては、借金取りからの逃避行。男にとっては、人生でやり残した“冒険”の旅、という。
そういう意味では、“女寅さん”じゃなくって、“2人の寅さん”って感じなのかも。

適度なお色気、東部から西部へのロード・ムーヴィー、シングル・マザーと子供たち、子供の(病気の)“克服”、ギャングたちとのちょっとしたアクション、などなど、まぁ、そういう“いかにも”なトピックが上手に盛り込まれた佳作です。
製作費も、シャロン・ストーンのギャラ以外にはそんなにかかってなさそうだし。
でも、意外な伏線もちゃんと効いていて、面白かったし、いい作品でした。

セレブでゴージャスな女じゃなくって、安っぽい庶民的な美人を演じるシャロン・ストーンも、良かったです。なんか、なり切ってて。上手だなぁ、と。メイクでガラッと変わったりするところも、いかにも“安い女”って感じだしね。

あと、シナリオが上手だなぁ、と。全てのシークエンスが流れるように繋がっていて、なおかつ、伏線が張られてたり、それぞれの成長と変化も描かれているし、ちゃんとベタなオチに収めているし、ということで。
うん。普通に勉強になったかも。

お色気もコミで、こういう佳作、大好きです。


2008年7月24日木曜日

「ボーン・コレクター」を観る

デンゼル・ワシントンの“安楽椅子探偵モノ”の「ボーン・コレクター」を観る。


まぁ、D・ワシントンとアンジェリーナ・ジョリーの共演ということもあって、結構期待して観たんですが、う~ん、という感じ。微妙。


ネタというか、アイデアは面白いと思うんだよなぁ。寝たきりの敏腕鑑識官と、若い女性の警官が組んで事件を解決する、というのは。

もともと原作があって、それはすごい人気のシリーズになってるってことなんだけど、続編がシリーズで映画化されてないのを考えると、この作品もイマイチの評価だったのかもしれない。


なんか、監督の腕がイマイチなのか、妙なカットとか、カットの長さが変だったり、カメラの動きが意味分かんなかったりして。音でびっくりさせるのも、同じのを何回もやるし。

シナリオも、なんかちょっとだけ変、という感じがあって。
現場に急行する車の中で、変にセンチメンタルな話をしたり。
あれって、例えば彼女が上手くいかなくって、落ち込んでて、それを“若い同僚”が慰めている時にする、とか、それか、“呼び出し”を受けて移動している最中にする、とか。それなら、主人公の人となりを観る側に伝える意味も持てるし。


あとは、とりあえず、犯人の動機かなぁ。ちょっと、こんなに用意周到で知能犯でかなりのことをやってるのに、描写が弱過ぎる感じ。というより、殆ど犯人側の描写はないんだよねぇ。
最後に、やたら説明的な会話が犯人とあって、それでおしまい、みたいな感じだから、なんか、余計消化不良な感じになっちゃって。
それなら、いっそのこと、動機もクソもなくって、単なるシリアル・キラーにした方がいい気もするし。


というより、途中でなんとなく犯人が分かっちゃうんですよ。その、描写がないから。「今までの登場人物の中にいるんだろうな」みたいに思っちゃって。
意外な人物ってことなら、そうじゃないように思わせるためのミスリードをしておかないと、と。
「まさか!」という驚きはなかったので。「あぁ、コイツか・・・」みたいな感じだし。


と、貶しまくってますが、だからと言って、全然面白くなったかというと、そうでもなかったりして。


ベッドに横たわったまま、あれだけの色んな表情を出せるのは、まぁ、さすがデンゼル・ワシントンという感じかも。A・ジョリーも、雰囲気あったし。

でも、最後に2人がデキる、というのは、イマイチ。そうじゃねーんだよなぁ。
そうじゃないんだよ。
あそこは、男が彼女に惹かれながらも、身を引いて、別の男を探せよ、みたいなオチでしょ。あそこでハッピーになってもしょーがねーだろーよ、と。


ま、そんなこんなで、A・ジョリーのファンの人だけにお薦めの作品ですね。

2008年7月22日火曜日

「アイ・アム・レジェンド」を観る

ウィル・スミスの、ニューヨーク一人ぼっち「アイ・アム・レジェンド」を観る。


まぁ、微妙かなぁ。
なんか、もうちょっと“謎解き”みたいな感じかと思ってたんで。「なぜ1人だけ生き残ったのか?」とか、ウィルス発生の裏側、とか。あとは、脱出劇とか、他の生き残りを探し出す、とか。ゾンビを全員血清で救う、とか。
そういう、ポジティヴな話を期待してたんで。

普通に、ゾンビと闘うだけの話ですもんね。


ストーリーの本筋とはあまり関係ないんだけど、大事なポイントを、幾つか。
主人公が何度も「グラウンド・ゼロ」という言葉を口にするんですね。字幕の訳語だと「震源地」とか、そういう言い方なんだけど。
実際、オープニング・ショットは、多分、元WTCのあの場所だし。

実は、この作品は、舞台がNYである必要性って全くないワケで。まぁ、“島”である、というのは設定上、巧く働いてる部分はあるんだけど。

つまり、「アフター9・11」な作品でもある、ということですね。


恐らくそれとも繋がってるんだろうけど、作中に「神」を巡っての対立が描かれます。神はまだ人類を見ているかどうか、という。
話のオチとしては、“神の導き”みたいのは、ある、ということなんです。主人公に負託を受けた女性が、生存者たちの村にたどり着く、ということで。

この辺のアレが、マーケティング的な要請で入れ込まれた設定なのか、それとも、これこそが監督や製作サイドのメッセージなのか、それは、イマイチ分かりませんでしたけど。

まぁ、とにかく、そういう、いかにもアメリカ的・キリスト教徒的な価値観が込められた作品だ、と。
価値観というより、ある種の願望に近いのかもねぇ。人類がほぼ滅びてしまった後でも、神の加護は失われていないのだ、とか。

特に主人公が繰り返し言うんだけど、この“災厄”は人間が原因なんだ、と。最初は「自分たち」の中に原因があるんだ、とか言いたいのかなぁと思ってたんですが、そう考えると、「それでも神は見捨てないでくれる」みたいなことなのかなぁ、とか。

まぁ、考え過ぎかもしれないんだけど、でもやっぱり、バベルの塔が壊されるとか、ノアの箱舟とか、そういうシチュエーションを想像しちゃいますよね。

ラストの、生存者たちの「ゲーテッド・タウン」は、まさに箱舟みたいなイメージだし。


まぁ、この手の“解釈論”は、このくらいにして。



映像的には、ちょっと違和感を感じたりしましたねぇ。特に、オープニングのハンティングのシークエンス。
なんか、やたら揺れるし。“臨場感”の演出なんでしょうけど。ちょっと裏目かな。
獲物の動きとか、ま、全部CGなんだけど、全然不自然だし。
逆に、荒廃したNYは、凄かった。あの加工の感じは、良かったです。迫力あるし、道路から草が生えてる感じとか、凄いリアリティを感じさせて。
橋が2本折れてたりとかも良かった。


だけど、その誰もいない超巨大空間としての都市が、あんまり生かされてない気がしたかな。
さすがにスパイダーマンみたいになっちゃダメなんだろうけど、結局、バイオハザードみたいな、狭い空間が多くなってたから。ゴフルだけじゃダメでしょ、みたいな。
感染前のシークエンスをあんなに豪華に撮るなら、もうちょっと、感染後のNYでもっと暴れて欲しかったです。


ラジオとか、音の使い方は良かった。毎日同じ放送をやって、正午に同じ場所にいる、というのは良かったですね。「シュレック」のシークエンスも。
セリフを一緒に語っちゃうっていうのは、ちょっと青臭いけど。
“代弁してる”ぐらいでやめとけば良かったのにね。



ま、そんなこんなで、まさに“微妙”な作品でした。ウィル・スミスも、俺の中ではイマイチって感じだったし。
「28日後…」の方がいいね。


2008年7月10日木曜日

「セルピコ」を観る

午後のロードショーで、アル・パチーノ主演の「セルピコ」を観る。


まぁ、アメリカン・ニュー・シネマ期の良作、ということで良いと思うんですが、いま改めて観ると、別の“良さ”を感じることも出来たりして・・・。

それは、「構図の良さ」ですね。正確には、「奥行きの使い方」というより、「奥行きの取り方」。
まぁ、見事だなぁ、と。構図の上手さは。
その、画面での奥行きの描写ですね。空間の取り方。撮り方。勉強になります。


で、じゃあ、奥行きを見せたら、どうなるのか、という部分。
単純に考える所では、若き日のパチーノが、まぁ、勢いに任せて疾走する、と。その空間を。走り回るための空間。
「スカーフェイス」の存在感で圧倒するような演技ではないんだけど、この作品では、エネルギッシュに良く走ります。
それはきっと、主人公の“青臭さ”みたいなのの描写なんでしょう。きっと。
画面の、手前から奥、奥から手前。階段の上から下、下から上。あと、ドリーもやたら使ってて、特に警察署内のワンカット内の一連の長い動きとカメラワークは印象的でした。



それから、もう一つ。それは、“閉塞感”との対比の為じゃないか、と。
たっぷり奥行きを取ったショットがあるかと思えば、パチーノのアップをベタッと撮ったショットが結構多かったするので。それとの対比。
特に、段々身動きが取れなくなって、部屋の中で“話し合い”ばっかりやってたり、最後は、病院のベッドで動けなくなってたり。
そういう、ストーリーの(ネガティヴな方向なんだけど)流れに沿って作られているんじゃないかのか、と。


演出的には、時間の省略の仕方が上手ですよね。子犬が大きくなったり、髭が生えてたり、彼女が出来てたり。
それから、登場人物が結構多いんですが、それもしっかり描き分けてあって。これって、この手の“警察モノ”では大事なことですからね。
あとは普通に、なんていうか、手作り感を感じさせる作品だよな、と。パチーノも若いし、画も、なんか素朴というか。それがリアリズムってことなんでしょうけど。個人的には、そういうのが大好きなので。


でも、マフィア路線というか、ゴッドファーザー以後の“大物路線”のパチーノも勿論いいんだけど、こういう、躍動感のあるパチーノも、好きです。
まぁ、単純にニュー・シネマの手触りが好きだっていうのもあるんですが。



という感じでした。