2012年10月20日土曜日

「そして友よ、静かに死ね」を観た

銀座テアトルで、「そして友よ、静かに死ね」を観た。


えー、職場が恵比寿から東京駅の駅ビルに変わりまして、その、東京の“東側”に生活圏が変わった、というワケで、映画を観るフィールドも変えるか、と。
せっかくだから、と。

というワケでの、銀座テアトルなワケですけど。


まぁ、老舗のミニシアターで、それこそ「ユージュアル・サスペクツ」とかここで観たりとか、要するにお世話になってた劇場ではあるんですが、その銀座テアトルの今年の秋のセレクトが、ネオ・フレンチ・ノワールだ、ということで。


「そして友よ、静かに死ね」という、まぁ、邦題からして気合入り過ぎですけど、原題はちょっとややこしくて、英語だと「A Gang Story」。「あるギャングの物語」って感じでしょうか。
で、フランス語だと、「Les Lyonnais」。
「リヨン団」ぐらいの意味だと思いますけど、これは、実在のギャンググループの名前なんだそうです。

つまり、主人公とその仲間っていうのは、実在してて、という、そういう話。

「仁義なき戦い」も、そうでしたね。



という前置きはさておき。
フレンチ・ノワール。


良かったです。
力作、かつ、良作。



まず、ストーリーの構成が良かった。
緻密って程じゃないんだけど、時間軸を上手に操って、そこでグッとこさせる、という、まぁ、作家の腕で惹きつける、ということだと思うんですけど、個人的にもまずそこの巧さ、ですね。

時制で言うと、現在進行形の時間軸に、過去の回想が挟み込まれる、と。
そこで、“現在”にも続く「仲間の絆」の発端や過程が描かれるワケですね。

この作品では、主人公が実在で、というトピックがあるので、ここで描かれる“過去”が、まさに「リアルな話」ということになるワケですけど、俺は、別にフランス人でもないんで、そこら辺の“記憶”を共有しているとか、そういう“前提”がないワケで、そこはちょっとアレなんですが、それでも十分魅力的なストーリーなワケです。
「過去の話」も。
とても魅力的な「ギャングたちの話」が、回想される過去として語られていく、と。


乱暴に言ってしまうと、「過去の話」と「現在の話」の、二つの(魅力的な)ストーリーが同時に語られていく、と同時に、両者が絡み合っている、という構成になってて。
(ま、こういうストーリーの形態をとる以上、それは当然なワケですけど。)


ここで、ポイントが一つあって、それは、主人公たちを追い込む側(の、一つ)である、刑事たちの中に、「過去」を知ってて、それを主人公に語り出す、というトコで。

「過去の語り手」が増えるワケです。

ここが良いですよねぇ。
巧い。


この、敵方のキャラクターが語り出す、というポイントが起点になって、ストーリーの角度が変わるワケです。
実際、このキャラクターは、最後のシークエンスで物凄い重要な役割を担っていて、なるほど、と。

呻っちゃうワケですよねぇ。


もちろん、作品を観てる時には、そんな客観的な観方はしてなくって、完全にストーリーに惹きこまれちゃってて、観終わった後に呻っちゃうワケですけど。



この手の映画っていうのは、要するに「誰が裏切り者なのか?」という話なワケです。
同時に「いかに友情を貫くか」「誰が(裏切り者ではなく)本当の友情の持ち主なのか」ということを語るワケです。


そして、この気合入り過ぎの邦題が、実は“ネタバレ”ぐらい語り過ぎちゃってる、というか、タイトルで言い過ぎちゃってる、というか、ホントの最後のクライマックスのトコを言っちゃってる感じになってて、ピンときちゃう人はきちゃうと思うんですけど、とりあえずそれはさておき。

要するに、“逆側”に居た、と。
自分に対する敬意と友情を貫いてくれる人間が、仲間だと思っていた側ではなく、自分を追う側に居た、と。

そういうクライマックスなワケですけど。


ここが良いですよねぇ。


ホントに良かった。



過去と現在とで、カメラワークの質も違った感じになってたり、もちろん画の質感を変えたりしてて、その辺の塩梅も上手だったし。

俳優陣の存在感も良かったし、なにより、画面全体に、おカネがかかってる、というか、とにかく画に説得力がある、というか。

変にリアルを強調したりしてないんですね。
実話だからどうこう、とか、リアル感を狙ってどうこう、とか、そういう感じはあんまりしない。

ただ、エッジが効いてる部分もある、というか、オッと思うような編集の仕方をしてたりして、そういう細かい部分でも、グッときました。


もう一つ。
現在のストーリーを語る部分でも、カットバックが使われていて、ここも良かったです。
冒頭、オープニングに幾つか印象的なカットが出てくるんですが、この使い方も良かった。
巧いですよ。ホントに。
グッと来ます。それだけで。




いや、ヘタしたらアメリカのギャング映画の単なる焼き直しですからねぇ。
「リヨン団」なんて。

だけど、この「実在の人物」の話を、きっちりモダンなノワールに造り上げる、という、作り手の“豪腕”というか、そういうのを強く感じる作品、ですね。


シナリオ、ディレクション、俳優陣の存在感、編集。
映画を構成するあらゆる要素が、すべて、作品に対して力強く作用している、という、そういう力作だと思います。



いや、しかし、フランス産のノワールは、ホントに最近凄いなぁ。

最近ホントに、何本も観てますもんねぇ。



いいです。ホントに。












2012年10月10日水曜日

「漆黒の闇で、パリに踊れ」を観た

銀座テアトルのレイトショーで、「漆黒の闇で、パリに踊れ」を観た。

フレンチノワール、ですね。
原題は「Une Nuit」ってことで、「ある夜」ってぐらいの意味でしょうか。
邦題は、ノワール映画であることをアイキャッチ的に主張するために、かなり力んで付けられてますけど、まぁ、若干スベってる気がしますが、ま、それはさておき。


原題で言われている通り、「一晩で起こる出来事」を追う、というストーリーなんですが、この邦題だと、そこが伝わってこない、という、ね。


ま、いいんですけどね。



ここ何年か、ホントに新潮流って感じで、フランス産のノワール作品が活況ですけど、こういうのはホントに嬉しいです。マジで。

このテイストの作品群を受容するマーケットが、東京にもあるんだ、ということが再確認できるだけでも大事なことだと思うし。
もちろん、東京だけでなく、マーケットという意味では、世界中にこのジャンルのファンが居る、ということなワケで、それも大事ですけど。


ノワール。


文字通り、パリの闇夜を描く作品です。(そう考えると、例えば邦題も「ある夜、闇空の下のパリ」とか、ね。「ある夜、漆黒のパリ」とか、どうです?)


ある刑事の、一晩の様子を描いていくんですけど、個人的には、物語の最後のフックになる部分の展開が、ホントに巧く騙されちゃって、とにかくそこが良かった、と。

“その夜”が終わって、翌朝の明け方から昼にかけて。

鮮やかだし、演じる女優さんの“切り替え”も、見事だなぁ、と。


すっかり騙されちゃいましたよねぇ。




ただ、逆に言うと、(個人的には)良かったのは、実はそこだけ、というか…。

こんな書き方をすると、なんだか怒られそうですけど、他のトコはあんまり引っかからなかった、というか。


良いんですけどねぇ。



でもなんか、例えば手持ちカメラで揺れながら、歩く主人公を映す、みたいなショットも、どうも冗長でピンとこないし、全体的にも、なんかそんな感じなんですよねぇ。

そんなにクールじゃないんですよ。

主役の俳優さんも、存在感は凄いあるんですけど、なんか深みがない、という気がしちゃうし…。


やろうとしてることは、間違ってないと思うし、伝わってはくるんですけど、どうも、ね。


カットの間も、あんまりシャープじゃないし。


ノワールを、ノワールの教科書どおりに撮りました、ということなんでしょうけど、その教科書はちょっと古臭いぞ、みたいな。

教科書どおり作られたノワールって、どうなんだ、みたいな感じもあるし。



だいたい、クールにノワールを撮ろうと思ったら、アイフォンとか絶対使っちゃダメでしょ。

そこら辺の感覚がちょっとズレてる気がするんだよなぁ。



もうちょっと“渋み”を、ね。

ふりかけて欲しかったです。作品全体に。



最後が鮮やかなだけにねぇ。


途中の、なんかダレてる感じが、どうももったいなかった、というか。




良かったんですけどねぇ。



なんかもったいないな、という感じがずーっと続いて、しかし最後で、という。


そういう、ちょっと微妙な作品でした。






2012年10月4日木曜日

「カルロス」を観た

渋谷イメージフォーラムで、3部作5時間半の超大作「カルロス」を観た。



いやぁ、観てしまいましたよ。トータル6時間超の大イベントでしたけど。
でもまぁ、こういう“イベント感”は、好きです。
昔、濱マイクシリーズ3部作を、横浜日劇という、作品の舞台にもなっている映画館でオールナイトで全部観る、というイベントに行ったことがあるんですけど、まぁ、映画って、こういうことですからね。
「映画を観る」という行為そのものが、実は、映画体験の中核にあるべきものですからね。



ま、それはさておき。



映画自体はフランスで作られた作品ですが、“主人公”のカルロスは南米ベネズエラ出身。作品の舞台は、ロンドン、パリから始まって、東西ベルリン、ウィーン、東欧ブダペスト、中東、アフリカなどなど、書くのも面倒くさいほどなんですけど。(ただ、面白いことに、経度で示すと、結構狭い範囲に収まったりして。)
まぁ、カルロスというテロリストの“一代記”ですから、当然そうなるワケで、だからこその“超大作”なワケですけど。

で、まぁ、超大作の名に恥じず、見事に造り上げてます。
この、ある意味で執念みたいな、作品を製作することへの気持ちは、ホントに素晴らしい。

ポイントは、その、製作費をちゃんと人件費に投入している、という部分だと思うんです。
俳優陣。
こちらの勝手なアレですけど、99%既知の俳優さんはいなかったんですが、そういうことではなく、ちゃんと「雰囲気を出せる」人間に「雰囲気を壊さない」演技を、という部分。
ここは、まぁ、字幕で観るというアレはあるにしろ、完璧だったんじゃないかな、と。

単純に、すげーな、と。


美術や衣装やなんやらも含めて、その時代のそれを、きっちり再現しているワケですね。


スーダンだろうがイエメンだろうが、俳優もきちんと配して、セット(ロケセット)もちゃんと用意して、という。
実際にその場所に赴いて撮影したかどうかは不明ですが、そんなことはどうでもいいワケで、要するに、そういうディテールの積み重ねこそが、リアリティを作るんだ、と。

そういう意味では、実は、パリ市内・ロンドン市内の方が大変だったんじゃないかと思うんですが、そういうのを全然感じさせないですもんねぇ。



と、ここまでは、割と表面的なアレ。



さて。



「一代記」という、まぁ、大河ドラマなワケですけど、この“長さ”で製作することによって、なんていうか、いわゆる「安易な類型化」を避けることができてるんだな、と。

そこがまず、大きな感想、というか。

一応、カルロスという一人の人間を、“ちゃんと”描くことには成功していて、それが、見終わったあとの重厚な満足感に繋がっているんだろうな、と。

ただ、「類型化」という罠には陥ってないんだけど、それと表裏一体でもあるんだけど、やっぱり冗長、という面は、確かにあって。

ざっくりと、理想に燃えていたハズのテロリストが、「職業として」テロを請け負う、つまり傭兵化していく、というプロセスを描けば、実はそれでストーリーを完結させることもできるワケですね。
それこそが「安易な類型化」なワケですけど、そういうストーリーをシャープに描く、という手法も、あるっちゃあると思うし、むしろ商業的な要請というのは、そっちの手法にあるとも思えるし。

そこから先は、もう堕落していく一方なワケで、その“墜ちっぷり”というか、そこの苦悩とか、家族ができて云々、みたいな、まぁ、そういう話なワケです。

もちろん、後半生も含めての「一代記」なワケですから、まっとうなアレなんですけどね。

そういうパートの話も、全然面白いんで、オッケーなんですけど。




で。

個人的に凄い良かったのが、もうホントに最初のトコなんですけど、テロ組織の活動家として生きていく、と決めたときに、なんていうか、高揚感と自己陶酔に浸る、みたいなシークエンスがあるんですね。
これが良かった。

テロリストの語る理想なんて、実は、自己陶酔と自己愛と自己憐憫の塊みたいなトコから始まったりしてるんじゃないの、という、もちろんそれは、後世を生きる我々のシニカルな揶揄なワケですけど、そういうのをちゃんと示すワケです。

あるいは、飛行機の機内で、人質に「俺は民主的な男だ」と嘯きながら、直後、“同志たち”との話し合いの中で、「リーダーは俺なんだから俺の言うことに従え」と強圧的に結論を出してしまう、というシークエンス。

それは、「理想と現実の間で苦悩する」理想主義者としてのテロリスト像、ではないワケですね。
むしろ、その手の苦悩は、描かれない。

そうではない、と。
カルロスという人物は、圧倒的に、自分に自信がある。自己肯定感。
だからこそ、テロの“指揮官”として、数々のテロを実行することができたワケですけど、要するに、そういう人物として描かれているワケです。

自己矛盾でもうぐちゃぐちゃな状態に陥っていても、まぁ、そんなに関係ない、というか。


で、カルロスという人物の自己肯定感の強さの源泉の一つとして、“性的”な魅力があるんだ、ということを、ずっと描いていきます。
もう、ありとあらゆる“女”を、抱きまくる。
結婚だって何回もするし、みたいな。
モテまくるワケですね。

そういう、俗世的なアレなワケです。


テロリストとしてのキャリアの初期、ロンドンで、清掃婦として働く“女”に、「働きたくなかったら言ってくれ」みたいなことを言うんですが(テロ組織からのカネを生活費として渡してもいい、という意味だったと思います)、この、「労働を蔑視する」みたいニュアンスのセリフも、ポイント高いですよね。


それはさておき、要するに、カルロスという人間のパーソナリティを、そうやって描く、と。

同時に、とても魅力的な脇役を、カルロスの周りに配しています。

ドイツ人のアンジーという“活動家”。
彼は、痩身で小柄なドイツ人で、いかにもって雰囲気の“左翼”として造形されているキャラクターなんですが、苦悩するワケですね。
自分の抱く理想と、現実に自分が従事しているテロ活動が掲げる大儀とが、乖離する。しかし、戦闘員としては優秀である、という評価を組織内では(というより、カルロスからは)受けていて、しきりに誘われるワケです。

彼が、山小屋で薪を割ったしているシークエンスは、後の(つまり、現代の)“サヨク”たちの「政治⇒エコ」なアレを示唆しているようで、これはこれで面白かったですけど、それもさておき。

その、心象が揺れ動くワケですね。アンジーは。


もう一人、ドイツ人で、カルロスの奥さんというキャラクターが出てきて、割と颯爽と登場するんですけど、自分の間抜けなミスが原因で逮捕されて、諸々あってカルロスの元に帰って来て、という経緯を経て、最終的にカルロスから離れていくんですけど。



つまり、カルロスという、終始一貫したキャラクターの横に、心象が揺れ動く人物たちが配されている。

途中からカルロスに取り入って懐に入ってきて、後に裏切ることになる、アリという登場人物もいます。

そういう人間たちがむしろ、ストーリーをドライブしていく、という感じ。




あと、細かい所でいうと、やっぱりウィーンでのOPEC襲撃と、その後の飛行機での逃亡を計るシークエンスは、緊迫感があって、良かったです。やっぱり。

リビアの随行員を殺しちゃった瞬間、とか、“母国”であるベネズエラの大臣とのやり取りとか。


サダト暗殺を、“他の組織”に先にやられちゃう、という、ストーリー上のフックも良かったですねぇ。
どこまでが事実/史実なのか、俺には分からないトコが結構あったワケですけど、その辺の虚実が入り混じる感じも、逆に面白かったです。



それと、なんといっても、日本赤軍の姿が描かれているのは、ちゃんと書いておかないといけませんね。
ハーグ事件。

ここで強烈だったのが、人質となった大使とテロリストの言葉の応酬。
「ナチスと戦ったレジスタンスだろ?」という言葉に、即座に大使が切り返すんですけど、要するに、そういうディテールで語っていく、ということなワケですよね。
彼らの掲げる大義や、論理や、大義の下での行動の、どうしようもない稚拙性や幼稚性みたいなのを炙り出すのと同時に、そこにこそリアリズムがあったりするワケで。
一緒に決行するつもりだったのに、ちょっとした手違いで傍観することになってしまった時の表情の描写なんかも、とても上手。

長尺の大作なだけに、そういう細かい印象の部分は流されがちだと思うんですけど、まぁ、抜かりないな、と。
良いです。

カルロスの所属していた組織(パレスチナのPFLP)が、当時の世界情勢の中で、どういうネットワークを持っていたのか、という部分でも、興味深いシークエンスでしたけど。

“世界革命”だ、と。そういう時代があったんですね。
そして「俺たちは負けた」と。そういうセリフもありましたけど。


俺と一緒に、平日の昼間っから6時間も映画館に缶詰になって観た人は、半分以上がシニアな方々でしたが、その中には、ひょっとしたら、郷愁だとか、特別な感情移入を持って観てたとか、そういうのがあったのかもしれないな、と。

そんなことも、思いますけどね。




ただまぁ、5時間半ですからねぇ。


DVDという、大容量メディアの普及で、いわゆる映像メディアの消費のスタイルが少し変わって、例えば(日本でいう)海外ドラマシリーズを一晩で全部観る、とか、そういう、長時間の作品でも受容される下地みたいなのが(かつては難しかった)、こういう、長時間の超大作の製作を可能にしているんだろうなぁ、と。

そういうことも考えますが、ま、覚悟のある人だけが、見てください。
長いんで。

面白いんで、観る価値はあるとは思います。



個人的には、長さも含めて、とても良い作品でした。