2011年8月14日日曜日

三池監督のインタビューより

今日の新聞に、三池崇監督のインタビューが載ってまして。
せっかくなんで、ここにアーカイブしておこうかな、と。


「十三人の刺客」は以前撮った「クローズzero」のようなケンカ表現を、今時希少な時代劇の枠組みでやると、どんなものが出来るかという発想でした。新しいものを求めたら、結果として古いものに行き着いた。
50年前なら「昔、悪い殿様がいました」という一言で、観客自身が物語を創り出していけた。でも、今の観客には、悪いヤツはどう逸脱しているか、どこが壊れているのかを丁寧に作っていかないと伝わらない。
例えば、稲垣吾郎さんが犬喰いするシーン。あれを入れることで、何かが過剰で、何かが欠落した人間の奇怪さと孤独を、あからさまに見せられた。
稲垣さん自身も、普段、いろんな制約がある人だから、演技することで殻を破る快感があったと思う。
今の僕らにとっては、武士たちの距離感や非情さはグッとくる要素もあるんです。「十三人の刺客」で、集められた侍たちが役所広司さんに「将軍の弟を討つ」と打ち明けられる。今の人間なら驚きますよ。「えっ」とか「そんなあ」とか。
ところが、武士はノーリアクション。そのまま受け止めるしかない。「使い捨てにいたす」と言われても、黙って平伏するだけ。



「一命」は若い夫婦の話ですが、「本音ぶっちゃけシーン」は入れませんでした。幸せも愛も、今のような概念としてはなかったはずですから。
映画なので、エンターテインメントの要素はゼロにはしないですけど、江戸時代に生きた人たちへのリスペクトは欠かないようにしたい。そいでないと、時代劇を作る意味がない。
江戸時代の人はみんな、何も起こらない日常を過ごしていたと思うんです。そして、ある日病にかかって簡単に死んでしまう。何も起こらないけど、ドラマチック、ひどく不自由で不便だけれど、人生とがっちり組み合っている楽しさがあった。


 「刺客」と「一命」ですね。


実は(恥ずかしながら)まだどちらの作品も観れてないんですよ。。。


面目ない。。。


特に「十三人の刺客」は、絶対に観たい作品だと思ってますんで。。。




えぇ。


観たいです。


観ます。必ず。