2010年4月26日月曜日

「第9地区」を観る

週末に、新装してから実は始めて行った新宿ピカデリーで(すげー綺麗だった)、「第9地区」を観る。


いやー。
どう書こうか正直悩んでしまいまして。

実は、うっかり、宇多丸さんのシネマハスラーのこの作品のレビューを聴いてしまいまして。
普段は、影響されちゃうんで(されやすいんです。ハイ)、ポッドキャストでも“いい作品”の時は敢えて聴かない、という姿勢でやってきたんですが、うっかり聴いちゃったんですよねー。
作品を観た後、なおかつ、自分の感想をここに書く前に。


まぁとにかく、いい作品だった、と。
それは間違いないっす。

で、「どう良いのか」と。


俺なりの感想というのがですねー。宇多丸さんのレビューに影響されちゃってですねー。
なかなかスッと書き出せません。

ので、良い作品だったワリにはやや低体温な感じになっちゃいますが、そこら辺の前提を踏まえていただいて、ということで。



まずは、練りに練られた構成、というトコですよね。
伏線、というか、「作品世界の背景を説明している」ように受け取っていた部分がとても巧くストーリー上の伏線として機能していたりとか、その伏線が見事に回収されていく、とか、とにかく、ストーリーやプロットの練り方が素晴らしいです。
単なる「荒唐無稽なSF」ではない、なんていう常套文句がありますが、なんていうか、この作品に関しては、この“練り具合”にも、ちゃんと、この手の賞賛の言葉が使われる必要があるのだ、と。
そこがまず一点、ですね。

まず、冒頭の「ドキュメンタリー形式」の部分。
ここで、各々のインタビューの途中で「実は、既に“事件”が起きたあとで、このインタビューはそれを振り返っている」ということが分かるんですね。
そうやって、短いスパンでの"フック”で、まず「おっ?」なんてことになるんです。
まず、掴む。

そういう部分がねー。
いちいち上手ですよ。

宇宙人の姿をちゃんとは見せない、というのもそうだし、見せても、なんか動きがぎこちなかったりして、とにかく「変な感じ」というか「不快な感じ」でずっと見せていって、後半部分では、そういうのが無くなっている。

この、技術的な"フック”が、ちゃんとシナリオとかプロットとかと結びついているんですね。ただ「やれることをやってみました」とか「ここまでしかできませんでした」ということではなく、作品のメッセージやテーマに対して、カメラやギミックが寄り添っている。
個人的に好きな言葉を使えば、フィードバックされているんです。視覚効果が、明確に、プロットを補強する役割を務めている。
これはですねー。
難しいんですよ。
簡単そうで、なかなか出来ない。

ここが「すげー練ってある」というトコですね。
どう作ったら「テーマが伝わるか」というテーゼに対して、この作品を構成するありとあらゆる要素が貢献している、というか。
貢献している、というか、機能している、ということですね。

やっぱり、「映画は総合芸術」なワケで、いろいろな要素で成り立っている映画の、その要素それぞれが、作品本体のテーマに対して、強力に作用している。

これはやっぱり、凄いです。



あとは、なんていうか、受け手に要求されている「リテラシー」というか「事前知識」が幅広い、という所もポイントかもしれません。
観る側が、自分の頭の中にあるいろいろなアンテナを刺激される、というか。
特に、映画のような「成熟した表現」の世界では、この、「いろんなモノを使って受容する」ことの"快感”っていうのがあると思うんですよね。
自分が持っている「知識の引き出し」や「感性のアンテナ」の、いろいろな引き出しが引き出され、いろんなアンテナに受信してしまう、という。



まー、あとはなんですかねー。


作品のテーマとしてまずあるのは、「加害者としての人類」というところですよね。これは、当然「アバター」と同じなワケですが、こちらの作品の方がより踏み込んで、「劣悪な種族としての人類」ということを描いていますよね。

人類と宇宙人との関係性において、最後の最後まで、宇宙人のために動く人類、というのは存在しないワケです。この作品では。
とにかく人間たちは、私欲で動き、徹底的に利己的であり、暴力的であり、無知であり無恥であり、なんていうか、「理性的でない」ワケです。

この作品において、知性や理性を携えて振る舞うのは、エビの親子だけですからね。(もう1人(一匹?)、殺されちゃう黄と黒のエビがいますけど)

さらに、“愛情”についても、人間サイドではほとんど描写されません。唯一、主人公と奥さんとの間の愛情が描かれますが、エビの親子が持つ(と、描写される)"親子愛”は、描写されません。(一応説明しておくと、男女の愛は、より"利己的”な愛なワケですね。対して親子愛というのは、博愛じゃないですが、"無私”のモノではある、という違いがあります)

この「道徳的な差異」については、宇多丸さんも言ってましたが、観る側の我々をもそこに巻き込まれちゃう、ということが起きてるワケです。
前半部分、ホントにダメな宇宙人たちの姿が延々と描写されることで、彼らに銃を向ける人間たちに感情移入してしまう、という構造になってる。

そこから、後半、親子愛や知性・理性を発露しながら、エビの親子が動き始め、主客が、倒錯とまではいかないものの、ズレるワケですね。

で、「人類から追われる人間」と「人類から迫られるエビ」が共闘して、という展開になり、そこにカタルシスを発生させる、という。
そういう構造。


まー、でもねー。



とにかく、「差別する側の論理」の描写がエグいですよ。ホントに。
なんせ舞台は南アフリカ(ヨハネスブルグ。監督の出身地)ですからね。

当然、アパルトヘイトのメタファーとして受け取られるワケです。
同時に、アメリカの黒人差別や、ユダヤ人の迫害史、(逆に)パレスチナ人の現状、などなどのメタファーなワケですが、ここで、とにかく「何も考えていない人間」が差別に加担してるんだ、ということの描写が、ね。

前半の主人公の振る舞いの描写っていうのは、なんていうか、のちのちに教科書として使えるぐらいの感じかもしれませんよねー。


この点でポイントなのは、実は「名前」なんですね。
エビにつけられた名前。

人間風の名前がつけられているワケです。
この、「名前をつける」ということが"差別”であり"迫害”なワケです。エビにはエビの言語があり、そこでは、エビたちの名前があったハズなのに、それを奪って人間風の(しかも、いかにも白人風の)名前をつけて、それで呼ぶ、という。


なんていうかねー。
この「無知であることの暴力性」っていうんですかねー。

エグいっスよ。この辺は。



あと、最初のプロットの巧さについてですが、人間たちが、多国籍企業と黒人のギャングたちという、二つの勢力に分かれていて、その両方に追われる、という展開も上手だと思いました。
ジェットコースターみたいにハイテンポで進んでいくトコも。


作品の中で、主人公がとにかく落ち着かない人間で、まぁうるさいし落ち着きがないしって感じで、ホントに最低の人間なんですが、ま、このハイテンポのシナリオで撮るなら、そういうキャラクターになるのかなぁ、なんて。




それと、あの、エビたちの化学兵器ですが、あれはですねー。
知能の低いエビたちも使い方を知らない、ということなんですよねー。多分。
あるいは、価値を知らない、というか。

違うかな?



まぁ、他にも、この作品の凄さを語る言葉はいろいろあると思いますが、その、語り切れない部分も含めて、良い作品だな、と。
傑作!

2010年4月20日火曜日

「ハート・ロッカー」を観る

新宿武蔵野館で、ついに「ハート・ロッカー」を観る。


まぁ、見応えのある作品でしたねぇ。俺が観たのは、そんなに大きなスクリーンではなかったんですが、結構あのくらいがちょうど良かったのかもしれません。近めの席に座ったのも良かったのかな。
ま、アカデミー賞獲っただけのことはあるな、と。


で。

とりあえず先に書いておきたいポイントとしては、冷静になってよくよく考えてみると、なにげに粗とか“穴”みたいなのがあったりするんですよねぇ。
描き足りない部分があるような気もするし。

ただ、そんなことを感じさせない説得力とテンションが画にみなぎっている、という。

そういう、画の力とか演技の力でググッと持っていく、と。そういう作品ですよねぇ。とにかく。


とにかくまず挙げられるのが、カメラの“揺れ感“だと思うんですが、なんていうか、これってただ揺れてるだけなんですよねぇ。
例えば、カメラ自体がガンガン振り回されてる、とか、もう何が起きてるかさっぱり分からない、ということではない。

フィックスなんだけど、揺れている。揺れ感がある。

この塩梅みたいなのがとてもいいんだろうな、と。
画として、ちゃんと抑えるべきところは抑えている。踏まえるべきところは踏まえている、という。

すごい、良いと思いました。
クローズアップの多用も〝揺れ”と相まって効果的だと思うんですが、同時に、引いてる画もしっかりしている。
この塩梅もとても上手。

まぁ、実はメソッド通りといえばその通りの画なんですよ。実は。
でも、強い。
だから良い、と。

だから、「本物っぽい」とか「ホントっぽい」っていう形容詞が多いかと思うんですが、正確には「力強い」ですよね。
思い切って寄る。俳優の演技をしっかり撮る。シチュエーションをしっかり説明する。
そういう方法論で、緊迫感、緊張感を生み出していく、というか。

カットも、短く繋いでいくシークエンスがあれば、長いカットを繋いでくシークエンスもある。

なんていうか、そういう部分も含めて、非常に計算された作品である、ということですね。
傑作となるべくして撮られた作品、ということでしょうか。



それから、もう一つポイントとしてあるのは、徹底的に「敵の姿」を映さない、というテクニック。

これがですねぇ。
「周囲をテロリストに囲まれている」という兵士たちの心理状況に観る側を〝同化“させていて(させてしまっていて)、これも緊迫感を高めている。非常に効果的に。

これは、ここも実はメソッド通りといえばそうなんですが、例えばハリウッドでも、「正義の相対化」とともに、作品の中でもどうしても「敵の論理」に言及せざるをえない、ということが起きているワケですよね。
それを、多分監督としては「敢えて」ということだと思うんですが、要するに、描写しない。

まぁ、この部分を批判する向きもあるかとは思いますが、別に「戦争賛歌」とか「アメリカの正義」を謳うのが作品のテーマではないワケで、これはこれで、別に構わないんだと思います。この作品においては。



それから、音の部分に関して。
アカデミー賞でも音響部門の戴冠をしましたけど、まぁ、納得って感じですかねぇ。上空を飛ぶヘリコプターの音、とか。
ちなみに、兵士たちはヘリの音なんかが聞こえてもまったく反応してませんが、あれは、それが兵士たちにとっては日常の感じだからですね。別にヘリの音ぐらいじゃ見上げたりはしない、という。(例えば、これが「普通の田舎町」が舞台だったら、こうはいかないワケです。田舎の街に軍隊が駐留してくる、というストーリーでも、ヘリが頭上を飛んでいたら、その機影がなくちゃいけないし、地上の兵士たちもをそれを見上げなきゃいけない。でも、イラクの市街地では、そういうことがない、と。そういうことです)

変に“息遣い”を強調する、なんていう使い方ではない部分もポイント高いですよねぇ。
あとは、音自体が圧倒的に「ホンモノっぽい」感じがする。実際のところは分かりませんが、まぁ、そんな気がする、というだけで十分に成功してるワケで。


あと、上手だなぁ、と思ったのが、例えば「基地」なんかは全景が映されないワケですね。
これは、おそらく予算の関係だと思うんです。
結果的に、基地の内部でのシークエンスなんかは、画の力がやや弱かったりして、影響は見えるんですが、まぁ、そんなことは些細なことなワケですよねぇ。
とにかく「市街地」にカネをかけるんだ、と。

エキストラの使い方の巧さも含めて、おカネの使い方も上手だな、なんて。作品の鑑賞の仕方としては、ちょっと蛇足というか、邪道ですけどね。



あとはなんですかねー。

シナリオは、もちろん良いです。
突然(アメリカ国内での)スーパーマーケットのカットになって、そして、戻ってくる、という、結末部分に至る“抜き”の巧さも、まぁ、編集段階での判断なのかもしれませんが、グッときますよねぇ。
全部説明しませんよ、と。観る側に「想像力を働かせる余地」を残して、逆の言い方をすると、「観る側の想像力を発動させる」という感じ。


なんていうかねぇ。
こういうシナリオって、テーマも含めて、なかなか書けないですよ。
戦争とか戦場で、ということになると、どうしても「大きな話」を語る方向に引っ張られちゃいますからねぇ。気持ちが。
反戦、だとか、正義だとか、真実だとか。

でも、「戦場は麻薬である」という、ある意味では身も蓋もないテーマで、これだけ語り切ってしまう、というのは(しかも、わざわざそのためにスターとクルーを引き連れてヨルダンへロケに出かける、というのは)、出来ないっス。
作り手側によっぽどの熱量と技量がないと。


まぁ、だから、この作品の力(と、得ている評価)っていうのは、実はテーマじゃなくって、ホントに画とか音とか、そういう、なんていうか、ホントに映像の力で獲得してる、と。
そういうことなんですかねぇ。

確かに、映画史に残しておかなければならない作品ではあるよなぁ、と。
そういうショット/カット/シーン/シークエンスの連続ですからね。

個人的に一番良かったシークエンスは、なんといっても砂漠のスナイプの応酬。
アレはホントにヤバいでしょ。
"傭兵たち”の存在、姿の見えない敵、牧羊と線路に隠れている敵。そして、発射から着弾までの時間の感覚。
ヤバいっス。




映画製作・撮影における「フィジカルの復権」と。
CGの隆盛に対して、そういうことがずっと言われてきたワケですけど、そういう、「フィジカルな映画」の、現在のところのひとつの到達点でもあるのかな、なんて、ね。

奇しくも、元旦那が「アバター」を作ったワケですが、「アバター」では、戦闘においても、"分身”v.s."機械”、つまり、「アバターに自分の精神を宿らせている人間」対「機械に乗っている人間」の戦いだったワケですよねぇ。

それに対して、「ハート・ロッカー」では、「見えない敵」対「自分と仲間」という構図。

もちろん、これは優劣の話ではなく、あくまで「そういう構図である」という話なんですが。



う~ん。


まぁ、しかし、すげー作品だったな、と。
映画館(のスクリーンと音響)で観れて正解だったな、と。
そういう作品ですよね。間違いなく。



でも、アレだよね。
日本の自衛隊だって、イラクに派兵してるんだよねー。

日本でもこういう作品が作られなきゃダメだよねー。
なんていうか、こういう「マイルストーンになる作品」を果敢に作っていくことで、映画というジャンル自体が信頼を得る、ということになっていくワケで。

こういう作品の製作・流通に挑戦していくことで得られる"信頼”っていうがあると思うんですよ。
それが、ジャンル全体、映画産業全体への信頼感ってことだし、つまり、(産業全体の)商業的な安定感につながっていく、ということなんじゃないのかなー。


なんて、ね。



ま、いい作品でした。それは間違いないっス。



あ。
それから、顔見せ程度なんだけど、ガイ・ピアーズが好演してます。相変わらずいい存在感でした。



2010年4月18日日曜日

「800万の死にざま」を観る

シネマエキスプレスで、「800万の死にざま」を観る。

聞いたことのないタイトルでしたが、まぁ、いいタイトルではありますよね。
舞台はLA。
ロスの太陽光を浴びて、画は終始明るいタッチでしたが、内容は、なかなかいい感じのハードボイルドでした。
こういうのは、好きですね。

主人公は、元刑事の中年のオッサン。麻薬捜査担当の刑事だったんだけど、という設定で、この主人公が、アルコールが原因で職と家庭を失い、という〝転落“のサマが結構時間を割いて描写されます。
この辺はなにげに独特かもしれませんね。ストーリー本体に関係ないっちゃ関係ないし。


で、さらに、〝事件”に巻き込まれていく過程も、独特というか、適当ではないんだけど、やや「?」な感じ。
まぁ、別にこれはこれでいいんですけど。

で。
主人公が、なんだかワケが分からないまま、結構重大な事件(というか、殺人事件)に巻き込まれていく、という。


ポイントは、主人公に相対する〝犯罪者サイド”にキーパーソンが2人いる、というところ。
一人は黒人のピンプ(ポン引き)で、もう一人が、スパニッシュのドラッグディーラー。

で、このスパニッシュの犯罪者を、アンディ・ガルシアが演じてます。
この敵役の存在感がハンパないです。(というか、後半は、ほとんどこいつがストーリーを喰ってる)

主人公と2人の犯罪者という、その3人の中央に、殺されてしまった女の親友でもある売春婦がいる、という設定なんですが、こういう構図も、個人的には結構ツボ。
売春婦役の女優さんは、個人的にはタイプじゃないんですが、まぁ、この時代の作品にはよく登場してくるタイプの女性ですね。(ちなみに、演じているのは、ロザンナ・アークエット)


で。
なんだかよく分かんないまま(A・ガルシアの描写がずっと続く)、ストーリーが進んでいき、ピンプと組んだ主人公(ピンプの部下がヤバいっス!)が、アンディ・ガルシアに取引を持ちかける、という流れ。


そして、倉庫で主人公(&ピンプ)とアンディ・ガルシアが対決するんですが、このシークエンスはホントにヤバい。
テンションが漲ってます。たぎってます。
なんにもない、だだっ広いだけの倉庫の中、というシチュエーションで、役者陣の演技のテンションとカメラワーク/カットワークだけで押し切る、という演出なんですが、緊張感も狂気も、すごいです。マジで。

この前、ストーリーの中盤で、主人公のA・ガルシアが、駐車場で、かき氷を喰いながら話すというシーンもあるんですが、そういえばこのシーンもヤバかった。
A・ガルシアの部下がずっと目の前をウロウロしている、という演出。

この「ウロウロ」っていうのがホントに肝で、とにかく誰も落ち着いてない、という。そういう作品なんですよねぇ。

で、実は、その倉庫でのバトルがクライマックスじゃない、という、そこもよく分かんないんですが、そういう流れで、ミニ・ケーブルカーを舞台にした、やや無駄なシーンでクライマックス。
ただ、話の流れ上〝やや無駄”というだけで、カット自体の力強さは、このクライマックスシーンでも、かなりのモンです。
この画の強さは、多分に適役であるアンディ・ガルシアの存在感に依っている所が大きいと思うんですが、まぁ、そういう作品なんで、ということで。


ぶっちゃけ、このシナリオは、いいですよ。
粗が目立つだけに、"核”になってる部分の強さが光る、という感じで。



なんだろうなー。


誰もが、救われない現実、みたいな所に生きてるワケですよねぇ。
主人公も、ヒロインである売春婦も、殺されてしまう売春婦も、ピンプも、ドラッグディーラーも。ウロウロしてる部下たちも。

そういう、なんていうか、社会の底辺、人生の泥沼の中で、殺しあってしまう登場人物たち。
彼らの、哀しさ、ということですよね。
ブルースとしてのハードボイルド。


うん。



あ。
それから、オープニングの空撮のショットは、やたら格好いいです。
LAの市内をただ上空から撮ってるだけなんですけど、なんか斜めのアングルで、浮遊感というか、ふわふわしてるんです。
そういう導入から話に入っていく、という部分が成功してるかはちょっと微妙なんですが、このショット自体は、すごいクール。


ということで、B級ってことになるんでしょうが、お薦めの作品だと思います。




↑のアマゾンのリンクですが、DVDは売ってないみたいです。VHS! 惜しい!

2010年4月16日金曜日

「戦火の勇気」を観る

ミッドナイトアートシアターで、「戦火の勇気」を観る。


デンゼル・ワシントンとメグ・ライアンの共演、ということで、確か結構話題になってた記憶がある作品ですが、実は未見でした。
というワケで、湾岸戦争を題材にした、この作品。


というか、オールスターキャストですよねぇ。
とかいいつつ、実は、D・ワシントンとメグ・ライアンが同じ画の中に収まることがないので、"共演”ということではちょっと物足りない、というか、メグ・ライアンはあんま出てこないので、そこはやや不満。
基本的には、D・ワシントンの話。


で。

作品として、なんていうか、かなり引っかかったポイントが、ひとつありまして。

それは、常に回想で語られる、戦場となったイラクの岩山(そこに、メグ・ライアンたちが乗ったヘリが墜落する)が、さっぱりイラクに見えない、という点。

これは、実は奇妙な〝齟齬”で、つまり、俺自身も直接イラクの〝砂漠”だとか〝岩山“だとかを見知ってない癖に、つまり、俺自身もニュースの映像とかテレビとか映画で得た知識しかないんだけど、どうも、そういう"印象”と一致してない、という。

そこが、ね。

アメリカのどこかで撮ってる、という感じが見えちゃってるんですよねぇ。


これは、実は演出的に筋が通ってたりして、それは、つねに「回想シーン」なんだ、ということなんですね。
特に一番最初の回想では、メグ・ライアンの振る舞いにものすごい違和感がある。

この、俺自身が感じてしまった違和感というのは、作品を鑑賞している側が、その演技と演出に感じている、ということなんだけど、これはのちのち、「実はこの回想が虚構だった」というところに繋がっている、という。


…ということなんだけど、なんていうか、「別に繋がってないかも…」みたいに悩んじゃう感じもあったりして。

そこら辺の、意図的なのかそうでない(つまり、リアリズムの獲得という作業に失敗している)のかは、ちょっとはっきりとは分かりません。

なんか、全体的に、ちょっとわざとらしいんですよねー。
タッチが。

デンゼル・ワシントンの髪型とか。

理由ははっきりとは分からないんだけど、その、「作り物」としてちゃんと成立してない、というか。

なんかねー。

映像が安っぽい、というか。
テレビっぽいのかもしれないな。

あくまで個人的な印象なんで、はっきりとは言えない"感触”なんですが。


で。
映像のタッチは、そんな感じ。


良かったのは、ストーリーの作り、ですね。
それぞれの回想が食い違う、という〝売り”の部分には、個人的にはあんまりグッとはこなかったんですが、デンゼル・ワシントンが演じる主人公の"構造”は、なかなか面白かった。

軍人としての自分と、個人としての自分。家庭人としての自分。
そこら辺のコンクリフトが、「真実か否か」という、ストーリーを駆動する〝真相の究明”と上手に絡み合ってて、それは良かったです。

本人が抱える事件(これが、作品のオープニングに掲示される)と、客観的に関与する(真相究明を担う)事件が、なんていうか、ちょっとお互いに近すぎる、というのは、イマイチかも。

例えば、ベトナム戦争(作中でもたびたびセリフとしてこの言葉が発せられます)と現在進行形の"武力行使”とをリンクさせたのが、(確か)トミー・リー・ジョーンズの「英雄の条件」なワケですけど、そういう、シナリオの構造上の巧さ、というか、ね。

そういうのがあってもいい気がしましたが。

まぁ、これはズバリ「湾岸戦争」がテーマなワケで、これはこれでいいのかもしれません。



それから、共演陣はホントに素晴らしい。
メグ・ライアンは全然活躍しませんが、マット・デイモンはやっぱり良いです。激ヤセっぷりもすごいんですが、存在感が素晴らしい。

それから、個人的に大好きな、ルー・ダイアモンド・フィリップス。
筋肉ムキムキのボディもすごかったですが、彼と主人公の、ロッカールームで火花を散らすシーンは、最高ですね。
2人とも、グッと感情を抑えて堪えながらググッと相手に対して前に出て行く、という、まぁ、そういう演技が巧いんですよ。
その2人の激突、という。
良いです。

まぁ、この2人のシークエンスに一番価値があるかもな。実は。この作品は。


うん。


そんな感じっすかねー。


D・ワシントンはねー。

やっぱ、もうちょっと違うキャラクターなんだよねー。ハマるのは。

この役柄は、それこそシドニー・ポワチエのライン。
デンゼル・ワシントンは、ちょっと違うんだよね、と。

まぁ、そんな感想もありますけどね。




2010年4月10日土曜日

「ザ・インタープリター」を観る

ショーン・ペンとニコール・キッドマンの2大スター共演な、「ザ・インタープリター」を観る。

ちなみに、この作品のタイトルですが、勝手に「ザ・インタープリンター」と記憶してて、「インターなプリンター? なんだそれ?」と思ってたんですが、ま、勘違いですね。

通訳さん。

まず、2人のキャラクターがハマっててとてもいいですよねぇ。
他の、脇役陣は知らない人ばかりでしたが、なんていうか、リアリティ重視というか、説得力のあるキャスティングという感じで、演出面での力の込め具合が伝わってくる、という感じ。
ともかく、キャスティングの勝利って感じだと思います。

それから、「国際問題」を、上手にNYの〝市内マップ”の中に落とし込む、という、シナリオの巧さも感じました。
「アフリカの内戦」を巡るストーリーが、国連本部を抱えるニューヨークの市内で展開される、という、うっかりしたら完全に上滑っちゃうような構図なんですが、主人公2人の生活感の描写も含めて、すごい上手くできたシナリオだな、と。

同時に、主人公2人の個人的なストーリーにもちゃんと落とし込まれていて、それはそれで上手に成立してるし。

ま、あいかわらず、キッドマンはキレイ過ぎて、普通の通訳にはあんまり見えない、なんていうのもありますが。
それと、一つだけ気になったのが、そのキッドマンが演じる主人公の女性の過去が、写真で明かされるんですね。
ここが、ちょっと手抜きなイメージ。
過去を知る人物(それこそ、実の兄、とか)が現れて、とか、そんな風に展開していっても良かったかなぁ。


その、ホントに惜しいと思うんだけど、結構話を端折っちゃってるトコがあるんですよねぇ。
これ、多分興行上の都合で切った箇所がいくつかあるんだと思うんですけど(基本的に、時間の長い作品は興行面ではマイナス要素とされる)、ちょっとそこら辺が気になったりして。

話の構造上、S・ペンの家族とのエピソードとか、当然あったハズなんで。
あと10分か15分ぐらいあれば、それなりの厚みが出て良かったんじゃないかなぁ、なんて。

まぁ、俺が生意気に解説してもしょうがないんですが。



でも、「アフリカ内戦」が、市民にとっては生活の場である、ニューヨーク市内の路線バスに"輸入”されてしまう、というアイデアは、なにげに結構凄いんじゃないかなぁ、と思います。なかなか思いつかないし、その、国連本部を抱える「世界の首都」的な存在であるニューヨークならでは、というのもあるし。


それから、S・ペンは、こういう役柄って合うだよな、と。
悶々と延々と苦悩しつづける役どころもいいけど、なんか、もっとフィジカルっていうか、ね。
この作品みたいに、画に動きのある作品の中にこの人が立っている、という構図は、結構好きです。
ハマるし、やっぱり、作品に厚みとか奥行きが出てくる気がする。

実は、巧く出てきてはいるけど、この手のストーリーっていうのは、それこそスティーブン・セガールとかジャン・クロード・バンダムなんかの作品と似てるっちゃ似てるんだよねぇ。
でも、真ん中にショーン・ペンみたいな人が立ってると、ぜんぜん違ってくる。



そんな感じですかねー。
思ったよりも全然良い作品でした。

普通に、国連の中の様子ってこんな感じなんだなー、というのもあったしね。
観光客として、入り口のロビーのトコだけは入ったことがあるんですけど、でも、なかなか中の様子は伺えない世界ですからねー。

というワケで、その辺も含めて、良作でした。

2010年4月8日木曜日

「プレッジ」を観る

そういえば、この間TBSの深夜の映画で「プレッジ」を観たんだった、ということで、その感想でっす。 いやぁ、久々の作品レビューだ…。 書き方忘れちゃったなぁぁぁぁぁ。 えーっと…。 まず、監督はショーン・ペン、ですね。 まぁ、「監督としてのペン」という人物は、とにかく“人間のダークサイド”に踏み込んでいく、と。 これは、作品の中で登場させるキャラクターたちのダークサイドに踏み込んでいく、という意味と、同時に、受け手に対しても、かなり踏み込んでくるワケですよねぇ。 この人は、とにかく「善と悪にすっぱり二分されない」ということを語る人。 で、ポイントは、「世界は~」という語り口ではないところ。ソダーバーグの名作「トラフィック」なんかと違うのは、とにかく極私化していくワケですよねぇ。 「人間は、善と悪には二分化できないんだ」と。 「世界は~」じゃなくって、「人間は~」という話。 で、実は、この彼が掲げる“テーゼ”というのは、アメリカ(そして、ハリウッド)という地政学的な“特異点”じゃないと発動されない、という、なんていうか、すごく微妙な立ち位置にある、というか。 アンビバレント、というか、ね。 中学校や高校の校舎の中(つまり、モラトリアム)でしか発動しない“苦悩”や“正義感”や“悪の概念”があるのと同じように、ある種の「ナイーブさ」というのがあって。 なんつーか、うまく言えないんですが、「アメリカ社会」という只中にあって初めて輝くナイーブさ、というか。 まぁ、ヨーロッパなんかにいけば、ペンが抱える「作家としてのテーマ」は、そんなに珍しくもないし、強度もそんなにって感じで。 「マドンナの元旦那」であり、ハリウッドのゴリゴリのインサイダーであり反逆児でもある、という個性は、彼が“反逆”している「アメリカ社会」とセットになって初めて強度を持つ、と。 そんな感じですかねー。 「クロッシング・ガード」を観た時は、「ヤベーな、これ」なんて思ったモンでしたが。(いや、普通に名作ですけどね) で。 今作、「プレッジ」。 「クロッシング・ガード」のジャック・ニコルソンと再び、という。 ちなみに、ロビン・ライト・ペンも出演してて、すげーいい味出してます。こういう役を、ここまで演じれる女優さんって、実は少ない。 実は、ロビン・ライト・ペンが演じるキャラクターって、出てくる時間って結構短いんです。 その短い中で、これだけの説得力というか存在感というか、グッと作品にエネルギーを加える好演じゃないかな、と。 もちろん、他の脇役陣もかなりいいですけどね。 特にいいのは、アーロン・エッカート。前半と最終盤の大事なトコをしっかり締めてて、いいです。 ストーリーは、とにかく導入部分で、“プロ意識”に欠ける警察官たちの描写が延々続く、と。 で、それに対して、あと数時間で退職が決まってる老刑事(ニコルソン)が、苦虫を噛み潰した例のあの顔で、「おいおいおい」と言いながら、被害者の家族に事件を告げに行く、という展開。 ここで、「神に誓え」という、“ひとりの人間”としての精神に訴えかけるような言葉を投げかける、と。 実は、この導入部分も、作品全体でもそうなんだけど、“手法”としては結構ベタな、というか、作劇法としては分かり易い感じで造られてるんです。 この、“ベタベタな演出”とか“ベタな比喩”とか“修辞”とか“トリック(ギミック)”を、てらいなくなく使う、というのが、ある意味では、監督としてのペンの個性(というか、強さ)だったりするのかな、と。 てらいなく、というか、恐れずに、というか。 ナイーブっちゃナイーブなんだけど、それでいいんだ、ということだと思うんですが。 明らかに冤罪っぽい容疑者、とか、高圧的な捜査官、とか。 ロビン・ライト・ペンが登場する所までは、ホントに、まぁ、これを“巧い”と言えば“巧い”ということなんだろうけど、なんつーか、「捻り方が分かり易い」というか。(意味分かります?) そして、何よりポイントは、後味が悪すぎる結末。 「救いなんかねーんだ」と。 まぁ、批評的に観れば「こういうのホントに好きだよね」ということなるんでしょうが、しかし、このラストの数シークエンスこそが、(この作品においては)恐らくもっとも“力”を注いだ部分であり、そして、それは成功してますよね。 そういう、しびれるようなカットではあります。 もうちょっとだけ救われる結末でもいいような気もしますが…。 せめて、アーロン・エッカートが(黒いステーションワゴン、というのをキーにして)焼死体の正体に気づく、ぐらいの、ね。 そのくらいの“救い”はあっていいもいいじゃないかな、なんて。 まぁ、俺が言ってもしょうがないんですけど。 う~ん。 なんか、アレだなぁ~。 もうちょっと突っ込んだ“解釈”をした方がいいのかなぁ~。 例えば、被害者の少女の母親にさせられた“約束(プレッジ)”が、実は“呪い”で、それにとり憑かれちゃって、とか。 なんか適当に返事をしてしまった罰なんだ、とか。 そういう、「他人事扱い」に対する罰なんだ、とか、「薄っぺらい正義感」への罰なんだ、とか。 そういう、なんていうか、人間の“罪深さ”を描いた作品なんだ、とか。 違うかな…。 まぁ、そういう、とにかく「悩ませてくれる」作品ではありますね。 少なくとも、シンプルに結末を与えてくれる作品ではない。 でも、そこに価値がある、というか、ね。 多分、出演者のギャラを除けば、かなりのローバジェットな作品だろうしねー。 それから、ジャック・ニコルソンが、“精神病棟”を訪ねる、というシーンがあります。なかなか味わい深くて、いいカットでした。