2007年8月31日金曜日

ルイ・ヴィトンの広告

ルイ・ヴィトンの新しいキャンペーンで、まぁ、ゴルバチョフとかが話題になってるアレですが、カトリーヌ・ドヌーヴのヴァージョンが激ヤバです。超クール。





あの、視線の向く方向とか、凄い。首の角度とか。足の組み方、足首の角度、しかも両足とも、完璧。
立ちのぼるオーラ。あんな写真、撮ってる方は鳥肌立っちゃうんじゃないでしょうか?

あと、コピーも最高。「撮影最終日、3テイク目。パリ。」ヤバイでしょ、マジで。

しかも、そもそもルイ・ヴィトンのバッグの上に腰掛けてるんだよ。

もう少しで撮影が終わって、このバッグ持って、家に帰ろう、とか、そういうストーリーなんでしょうか。

いやぁ、新聞めくってて、こんなビックリしたのも久し振り。

ちなみに、同じ日の、“エクラ”という雑誌の創刊の広告には、黒木瞳が。コピーが「憧れはいつも『パリ』からやって来た!」
サブいっ! サブいぞっ! 
黒木瞳さんは、嫌いじゃないですが(というか、むしろ大好き)、ちょっとイモ臭いな、この写真は。残念ながら、ルイ・ヴィトンと同じ日に掲載された事が不幸でしたね。もう、どうしょうもないです、こればっかりは。


いやぁ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ハンパないっス。

2007年8月30日木曜日

三池監督咆える

ちょっと前の朝日新聞に、面白い記事があったんで、ご紹介。
新作のプロモーションで、タランティーノと三池監督が、一緒にインタビューを受けてまして。で、タランティーノは全然イイこと言ってないんですが、三池監督が、なかなか熱く語ってます。

以下引用でっす。

(自作に出演してもらって)タランティーノ出演というのは僕らの夢。映画は人に夢を与えるもの。自分の夢をかなえる力を持たない人は他人に夢を与えられない。いい外国映画を見た。じゃあカメラマンを日本に呼んで一緒に撮ろう――。そういう発想は日本にまず、ない。あるものの中から消去法で決めていくやり方を、自分で崩さなきゃいけないと思った。この映画を見た次の世代の人たちは「本当に欲しいものなら交渉してみよう」と考えるでしょう。
才能ある人間が行動すれば何かが手に入る。本当はそううまくはいかないけど、まれに実現してしまう人がいる。それがクエンティン。「レザボア・ドッグス」の製作費は、親類から金を集めれば誰でも撮れる程度。でも絶対に撮れない。あの作品は映画人みんなに突きつけた。「環境じゃなくてあなたの問題だ」と。
人間はセックスがもとで生まれてくるわけだし、バイオレンスも人間の性(さが)。それを無いことにして弱さとか優しさで観客を泣かせる方が、よっぽど「暴力的」な映画を見ている気分になってくる。


ということです。あの顔を想像しながら読むと若干暑苦しいですが、個人的には、頷くばかりでっす。
う~ん。
「親類から借りる」かぁ~。貸してくれっかなぁ。

う~ん。とりあえず、シナリオ書こっと・・・。

2007年8月28日火曜日

「蝉しぐれ」を観た

珍しく、日曜日の夜、家にいたので、せっかくなんで、テレビでやってた「蝉しぐれ」を。

うっかり、山田洋次監督の作品かと思ってました。一連の、藤沢周平原作モノのアレかと。違いましたね。お弟子さんが監督みたいです。

さて、内容ですが・・・。
ひたすらスクウェアな構図のカットで推していくワケです。まずは、とにかくそこが新鮮で。逆に。

で、主人公は市川染五郎さんが演じるんですが、その少年時代を演じる役者さんがとにかくイモで、酷いな、と。その相手役のカワイイ女の子は、びっくりするくらい上手で、逆に主人公のイモ役者っぷりが浮き上がりまくりで、「これでイイのか?」と何度も首を傾げながら・・・。

なんていうか、ある程度“その世界”に引き込むような仕掛けが欲しいんですよね。時代劇って。
ま、時代劇に限らないことだと思うんですが。
例えば、鬼平犯科帳だと、あの激シブのナレーションですよね。あの声の発声一発で一気にその世界に持っていかれちゃうワケで。この作品には、どうもそういうアレがない気が。
ま、俺がそう感じただけですけどね、あくまで。

で、その、少女が成人すると、木村佳乃さんになるワケですが、あんまり顔が似てないんで、そこでも「ムムッ?」と。

ところが、その何カットか後に、引き裂かれてしまったその想い人(染五郎さんのこと)が、未だ独り身であるという事実を本人の口から告げられた瞬間の佳乃さんの表情が素晴らしかったのです!
「ここかっ!」と。

幼馴染であり、お互いの初恋の相手であり、しかし運命によって、満足に別れの言葉を交わすことも出来ないまま引き裂かれてしまった2人の、そんな2人の久方ぶりの再会であったにもかかわらず、私的な言葉を交わすことや、ましてや抱擁など全く許されぬ間柄になってしまった、みたいな云々の全てが、その瞬間にググッとくる、という。
「なんと切ないんでしょう!」と、この作品がど真ん中のオバサマ方はハンカチを噛むのでしょう。
そんな、キラー・ショットでした。木村佳乃、恐るべし。

あとは、ラストの、主人公2人が語らうシーン。なんか、構図的には変な角度の画が続くんですが、それは、2人を隔てる障子を入れ込む為の画なんですね。
その障子が、その、ついに結ばれることのなかった2人の間にあったモノのメタファーになってるワケです。その、非常に分かり易い“メタファー使い”も、ちょっと良かったですね。ちょっとしつこい気もしたけど、そこを持っていく、染五郎さんと佳乃さんの演技力の素晴らしさ、ということで。
正直、スゲェなぁ、と、思いました。


でも、やっぱり、その、画がちょっとイマイチだったかなぁ。時代劇だから、やっぱりロケとかに制約がもの凄いあるっていうのは、良く分かるんだけど。
例えば城下町とか、そういうショットが欲しいんですよね。それは、記号的な意味合いで、なんだけど。
ロケ場所とか予算とかで制約が色々ありまして、みたいなのが画面から伝わっちゃう感じで。
画は、なんか、寂しい感じがしました。それは、狙った“侘しさ”というのとは、また違った意味で。

いや、でも、良かったですよ。
山田洋次監督の一連の作品も、観てみます。そんな気にさせてくれる作品でした。

2007年8月23日木曜日

「天国の口、終りの楽園。」を観た

というワケで、月曜日の深夜にやっている定番の深夜映画番組、“月曜映画”で観た、「天国の口、終りの楽園。」でっす。

冒頭から、導入の20分くらいは、“太陽族”のガキがはしゃいでるだけで、全然面白くなくって、というか、なんかサブくて、「ヤベェな・・・」なんて思ってたんだけど、中盤、登場人物たちの関係性が、お互いの肉体関係云々で波打って、バランスが崩れ始める所から、俄然面白くなってくる感じでした。

内容は、まぁ、典型的なロードムーヴィーと言ってもいいんだろうけど。“ある種の通過儀礼としての小旅行”。そして、“ビルドゥングスロマンとしてのロードムーヴィー”。
ま、この作品も、その辺の、いわゆる“本線”は外してません。

個人的にちょっと引っ掛かったのは、なんか、途中、ところどころ、弛緩するところがあるんですよね。
それも狙いなのかもしれないんですが、個人的にはイマイチ。
ビーチの飲み屋で飲むシーンや、3人で絡み合ってしまうシーンなんて、特にそう。

なんだけど、ラストの直前、カノジョがパレオをスッと取って、波間に飛び込んでいくカットの、カノジョの開放感に満ちた笑顔に、その辺が一気に収束していく感じがあって。ま、イイなぁ、と。

ストーリーの終わり方も、青春ロードムーヴィーとしては、まぁ、教科書通りではあるんだけど、最高のエンディングですね。

画としては、なんていうか、個人的には大好きな系統というか、手持ちのカメラでゆったり撮る、という。
なので、逆にハマリ過ぎちゃって、“新鮮味”はそんなに感じなくて。“構成の妙”とか、そういう技巧的なアレとかは、まぁ、オレとしては、そんなに、と。
なんていうか、“快楽原則に則って”というか、ロケをするその場その場で、その場所に相応しいショットを1カットずつ撮ってって、みたいな感じなのかもしれません。
オレ的には、満点ですけど。

あとは、なんていうか、不思議なナレーション。
だいたい、誰が語っているか分かんないし。
で、その、ナレーションが、もの凄い独特の間で入ってくるんですよ。なんか、ヘンなタイミングで。それは、ちょっと参考になったかもしれない。

あとは、まぁ、よく喋る、と。スペイン語のリズムなんだろうけど、それがまた、心地よいというか。
ああいう、耳で聴いてて気持ちのいいダイアローグって、もの凄い大事だと思うんで。
リズムもそうだし、もちろん、言葉のチョイスもだし、俳優さんの力も関係するんだろうけど。


でも、まぁ、日本にいると、“海にいく”って、そんなに動機にならないもんねぇ。島国だし。少なくとも現代劇では、車でちょっといけば、必ず海なんて見れるワケだから。


ちなみに、十年位前に自分が書いた短編のシナリオに、「八月の風、九月の涙」というのがあったんですが、若干似てますね、タイトルが。
そういえば、それも、車を使った、ある種のロードムーヴィーでした・・・。
ちょっと思い出してしまいました。

2007年8月19日日曜日

「アニマトリックス」を観る

「ルネッサンス」「ジニアス・パーティー」に続いて、実は未見だった、「アニマトリックス」を。

面白かったですねぇ。どのエピソードも。本編の物語世界を全方位的に語る、という“外伝”としての意味もちゃんと通ってるし、それぞれのクリエイターもやりたい事をちゃんとやりきってるっていう感じじゃないでしょうか。
世界観を補強するってことでは、ちゃんと出来てますよね。

多分、「ジニアス・パーティー」のオムニバス形式という纏め方は、この作品にヒントを得て「俺らもやってみっか」的にやってみたんだと思うんですが。
やっぱり、“外伝”ってことで、いちいちキッチリとしたオチをつけなくていい、みたいな部分では、こっちの方が、作り方は楽なのかもしれないな、と。受け手がある程度は咀嚼してくれるワケで。
画とかスタイルとかがバラバラでも、全部スッと見れるのは、そういう部分なのかな。シナリオがちょっとくらい弱くても、ね。

でも、作品全体で見せる、というか。雰囲気だけで見せるって、全然アリだと思うんで。俺は。

内容は、例えば、人類対機械(アンドロイド?)の対立・戦争なんて、それだけで超大作のテーマになりうる物語ですからね。ま、浦沢直樹の「プルート」なんて、モロにそうだけどね。スピルバーグの「A.I.」もそうだしね。
ま、そういうのの焼き直しではあるんだけど、でも、ちゃんと語り切ってて、俺は好印象でした。

「探偵物語」も、スチームパンクな感じの背景も含めて、非常に良かったです。
マトリックスの一部として、ああいう世界がパラレルに存在してるってことですよね。その辺の諸々も含めて、個人的には、大好きなアレですね。

人類対機械(アンドロイド)の、第何次かは分かりませんが、世界大戦があるとして・・・。機械が勝った世界が「マトリックス」なワケですが、例えば人間が勝つと、「ナウシカ」ですね、きっと。

というワケで、次は、スタジオジブリの短編作品を集めたのを観たいな、と。
ウチの近所のビデオ屋さんには置いてなかったんで、探さないといけないんだけど。

2007年8月8日水曜日

「エレファント」を観る

相変わらず、書き込むまでが煩雑でウザいブロガーですが。しかも、アクセスがやたら遅いグーグルのブロガーですが。ま、段々慣れてきました。アマゾンのアフィリエイトもちゃんと出来るようになったし。

というワケで、本題ですが、インディペンデント・フィルムの雄、ガス・ヴァン・サント監督の傑作、「エレファント」です。
今回、DVDで、特典として、チラッと撮影風景の映像が入ってて、まぁ、ホントにチラッとなんだけど、興味津々に観てしまいました。
小さなビデオカメラで、役者とカメラの動きを打ち合わせてたり。
でも、フィルムを使って撮影してるんだろうけど、あの、時々フッとスローモーションになるのって、どうやって処理してるんだろうか。もの凄い自然だったけど。フィルムを一度デジタル化して、それをもう一度フィルムに起こしたりとか、そういうのかね。あの画の質感は、間違いなくフィルムだと思うんだけど。
フィルムの編集機で監督が編集している姿が、その特典映像に入ってたから、それとは別にノンリニア編集も使ってるってこと?
でも、ひょっとしたら、撮影もデジタルでやってるのかもなぁ。それに、なんか加工して、ああいう質感をだしてるのかもしれない。


例えば、公開当時とかって、この作品について、“静謐”だとか“静寂”だとか、そういう言葉が多かったように記憶してるんだけど、それは、全然そんなことなくって。
どういうことかっていうと、彼ら(登場人物たち)の、心の中の声が、とても声高に、聴こえてくる、ということです。まぁ、あたかも聴こえてくるかのように撮っているワケですが。
そういう意味では、全然“静かな”映画では全然なくって、とても雄弁な作品ではないか、と。

自意識として抱えている独白や叫び声。
彼らは挨拶を交わすだけでなくって、視線を交わし、キスを交わし、その間、彼らはずっと、言葉を紡いでいる。というより、言葉になる前、言語化される前。
そう。まだ“言葉として浮かび上がらせる技術をまだ習得していない”のが彼らの真の姿なワケで、例えば、廊下を歩く姿を延々背後から追い続けるシーンで、受け手は、彼らの内側を、自分の内側にあるものとして共有することが出来る、と。
その、共有する為の時間が、あの“間”であり、延々の追い続ける“時間”の意味である、と。

もう一つ。
射殺犯2人にとって、犯行は、もの凄くハードルの低いアレだったワケですね。ベタな表現を使うと、日常の延長上にある、という。
宅配便でライフルを入手できてしまう、という。
タッチフットをしたり、カノジョと遊びに行こうとしたり、女友達と便所で吐いたり、そういう日常の行為と並列化して、ライフルをガレージに積み上げられた薪に試射する、みたいな姿があって。
ま、「要するに、銃規制なんですよ」というメッセージなんでしょうが。監督なりの。

「タクシー・ドライバー」「ナチュラル・ボーン・キラーズ」「エレファント」。
人間が本質として持っている暴力性というのが、俺の解釈です。

2007年8月2日木曜日

「ルネッサンス」を観た

一部で話題になってるっぽい、フランス産のアニメーション「ルネッサンス」を、渋谷のシネセゾンにて、観ました。

これは、確かテレビのCMか、ゾディアックの時の予告編か、どっちかで、チラッと映像を目にしてて、「お、これは!」と思ってたんですよね。それで、たまたまタイミングが合ったので。

まぁ、どんなテクノロジーもそうなんだろうけど、CGでもなんでも、技術が発達すると、その技術を使ってなにかやりたくなるのが人情ってもんで、それが「シン・シティ」なんだろうし、この「ルネッサンス」なんだろうな、と。IBMがサポートしてるっていうクレジットも入ってたしね。まぁ、IBMとしたら、至極まっとうなお金の使い方なんじゃないでしょうか。

さて、作品の雰囲気ですが、なんていうか、フィルムノワールそのまんま、と言っていいと思います。フィルムノワールの空気感を、近未来を舞台に再現してみました、という。
ただ、ストーリー的な目新しさは、全くナシ、という感じ。なんで、このストーリーを、この技術で語る必然性があんまりないような。
技術というか、要するに、わざわざコンピューターで作ったモノクロの画で、ということなんですが。CGメインなのか、丸まるアニメーションなのか、正直良く分かってないんですが、ま、どっちでも、イマイチ、と。
ちょいちょい、グッとくる瞬間はあるんだけどねぇ。だけど、ホントにちょっとしかなかったかな。
ハードボイルドに語りたいなら、もっと他にあるんじゃねぇの、と。生意気ですが。

押井守の“光学迷彩”と“アヴァロン”っていう単語。アキラの“小さな老人”、などなど、元ネタが俺でも分かっちゃうって、ちょっとアレだと思うしね。

それから、ディスコで流れてる音楽が、全然近未来なサウンドじゃないんだよねぇ。まぁ、実際、その時代にどんな音楽で踊ってるかどうかは誰も分かんないんだろうけど、もうちょっと“それっぽい”音楽でも良かったんじゃないんでしょうか。
あ、あと、カーチェイス・シーンの音楽は、まんま007だし。ワザとなんだろうけど、それもイマイチ。

あとちょっと思ったのは、テンポが遅い感じがするんだよね。これは、ちょっと個人的な考えなんだけど、やっぱり、画面に映っている情報量が少ないからじゃないか、と。
実写と比べるとでもそうだし、いわゆる普通のアニメーションと比べても、そうなんじゃないかな。ちょっと、確かめようがないアレなんだけど。
だから、脳ミソの情報処理能力が余っちゃってて、ストーリーのテンポに全然追いついてる、というか。実写なら全然成立してるテンポでも、ちょっとスローに感じてしまう。
多分、実写なら、普通のテンポなんじゃないかな。シナリオの分量的には。ただ、それをそのまんま、このスタイルの映像で作ったら、スローテンポな感じになっちゃった、と。
ま、俺の勝手な推察ですが。

なんていうか、もうちょっとエッジの効いた作品だろうと、相当期待度が高かった分、肩透かし度も高くなっちゃいましたね。
いわゆる、普通の佳作です。偉そうに言わせてもらえば。
音楽変えるだけで相当変わると思うなぁ。もっと振り切っちゃっても良かったんじゃないの、と。
まぁ、こんな感じでした。