2008年7月22日火曜日

「アイ・アム・レジェンド」を観る

ウィル・スミスの、ニューヨーク一人ぼっち「アイ・アム・レジェンド」を観る。


まぁ、微妙かなぁ。
なんか、もうちょっと“謎解き”みたいな感じかと思ってたんで。「なぜ1人だけ生き残ったのか?」とか、ウィルス発生の裏側、とか。あとは、脱出劇とか、他の生き残りを探し出す、とか。ゾンビを全員血清で救う、とか。
そういう、ポジティヴな話を期待してたんで。

普通に、ゾンビと闘うだけの話ですもんね。


ストーリーの本筋とはあまり関係ないんだけど、大事なポイントを、幾つか。
主人公が何度も「グラウンド・ゼロ」という言葉を口にするんですね。字幕の訳語だと「震源地」とか、そういう言い方なんだけど。
実際、オープニング・ショットは、多分、元WTCのあの場所だし。

実は、この作品は、舞台がNYである必要性って全くないワケで。まぁ、“島”である、というのは設定上、巧く働いてる部分はあるんだけど。

つまり、「アフター9・11」な作品でもある、ということですね。


恐らくそれとも繋がってるんだろうけど、作中に「神」を巡っての対立が描かれます。神はまだ人類を見ているかどうか、という。
話のオチとしては、“神の導き”みたいのは、ある、ということなんです。主人公に負託を受けた女性が、生存者たちの村にたどり着く、ということで。

この辺のアレが、マーケティング的な要請で入れ込まれた設定なのか、それとも、これこそが監督や製作サイドのメッセージなのか、それは、イマイチ分かりませんでしたけど。

まぁ、とにかく、そういう、いかにもアメリカ的・キリスト教徒的な価値観が込められた作品だ、と。
価値観というより、ある種の願望に近いのかもねぇ。人類がほぼ滅びてしまった後でも、神の加護は失われていないのだ、とか。

特に主人公が繰り返し言うんだけど、この“災厄”は人間が原因なんだ、と。最初は「自分たち」の中に原因があるんだ、とか言いたいのかなぁと思ってたんですが、そう考えると、「それでも神は見捨てないでくれる」みたいなことなのかなぁ、とか。

まぁ、考え過ぎかもしれないんだけど、でもやっぱり、バベルの塔が壊されるとか、ノアの箱舟とか、そういうシチュエーションを想像しちゃいますよね。

ラストの、生存者たちの「ゲーテッド・タウン」は、まさに箱舟みたいなイメージだし。


まぁ、この手の“解釈論”は、このくらいにして。



映像的には、ちょっと違和感を感じたりしましたねぇ。特に、オープニングのハンティングのシークエンス。
なんか、やたら揺れるし。“臨場感”の演出なんでしょうけど。ちょっと裏目かな。
獲物の動きとか、ま、全部CGなんだけど、全然不自然だし。
逆に、荒廃したNYは、凄かった。あの加工の感じは、良かったです。迫力あるし、道路から草が生えてる感じとか、凄いリアリティを感じさせて。
橋が2本折れてたりとかも良かった。


だけど、その誰もいない超巨大空間としての都市が、あんまり生かされてない気がしたかな。
さすがにスパイダーマンみたいになっちゃダメなんだろうけど、結局、バイオハザードみたいな、狭い空間が多くなってたから。ゴフルだけじゃダメでしょ、みたいな。
感染前のシークエンスをあんなに豪華に撮るなら、もうちょっと、感染後のNYでもっと暴れて欲しかったです。


ラジオとか、音の使い方は良かった。毎日同じ放送をやって、正午に同じ場所にいる、というのは良かったですね。「シュレック」のシークエンスも。
セリフを一緒に語っちゃうっていうのは、ちょっと青臭いけど。
“代弁してる”ぐらいでやめとけば良かったのにね。



ま、そんなこんなで、まさに“微妙”な作品でした。ウィル・スミスも、俺の中ではイマイチって感じだったし。
「28日後…」の方がいいね。


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