2008年9月22日月曜日

「クジラの島の少女」を観る

ニュージーランド映画の「クジラの島の少女」を観る。

ニュージーランドには、脈々と、映画産業というか、映画文化がずっと流れてて、まぁ、時々こういう、世界的な良作かつヒット作品が出てきますよね。

この作品も、素晴らしいです。
原題は「ホエール・ライダー」と言って、文字通り、「鯨に乗る人」という、部族の伝説から取った言葉なんですけど、この邦題は、なかなかイイっスね。
うっかり「鯨に乗る少女」だと、これは完全に失敗でしょうし。


とりあえず、シナリオのディテールが良くって、部族(民族?)の伝統を、一本の綱で語らせたり、しかもそれが、ブチッと切れてしまうという、あまりに切ない描写があったりして。
それから、長男と祖父との関係。ヨーロッパ人の新しい奥さんのことが露見するシークエンスも、とても上手ですね。「ただの土産物だ」というセリフの切れ味も、良いし。
テーマ的にはもの凄い大きなモノを扱いながら、こういう、細かいディテールで持って語っていく、というやり方は、とてもいいと思いました。こういう時って、やたら声高に、例えばセリフやナレーションや、扇情的な描写で語っていくという手法に陥りがちなんだけど。クールな語り口をしっかり守ってて。
それが、凄い効果的だな、と。


作中、「労働」の描写が殆どないんですね。特に、男たちの。
みな、怠惰に、酒を飲んでダベっているだけ、という。まぁ、その辺は、少し事情に明るい人なら、ピンとくると思うんですが、そこの説明はちょっと足りないかなぁ。
ま、でも、なんとなく分かってくれればいいのか、という気もします。

次男の存在が、後半は結構ポイントで、「実は結構リーダーシップがあった」というキャラクターで。
つまり、族長であるお祖父ちゃんは、そこから間違えてた、と。最初から、ちょっと繊細な長男よりも、次男の方が、“素質”はあったんですよねぇ。
で、その次男が、叔父として、少女の成長に一役買う、と。この辺のシナリオの組み立て方も、すごい上手いです。
次男は、ずっとニットキャップを被ってるんですが、これが、ある意味で「アメリカナイズ」の象徴にもなってるんですね。最後に、脱ぎ捨てるんですけど。
それから、海岸に置き捨てられた、巨大なカヌー。それが、少女にとって、父親の代替として、そこにある、と。
そもそも、その、父親がいないことが、彼女の“素質”を開花させた、ということになってると思うんですよね。その、海(つまり、鯨)と直接繋がり合っている、という部分で。

シナリオ的には、もう一つ。1人の少年の、父親ですね。要するに、ヤクザみたいな生活になっちゃってて。
そいつが、最後には、“誇り”みたいのを取り戻して、息子もそれを喜んでて、みたいな。
これも、変な伏線みたいには扱ってなくって、あくまで、一つのサイドストーリーみたいに、サラッと語ってるだけで。


映像的には、もう、これは完全に正統派で、美しい自然と、苦悩する人間たちの表情を、まっすぐ撮っていくだけ、という。これも、素晴らしいです。どちらも、変に強調し過ぎることをしてないしね。
ストーリーも、真っ直ぐ進んでいくだけだし。失敗するんだろうなぁ、というところでは、失敗し、上手くいくんだろうなぁ、というところでは、上手くいき。ただ“時間の流れ”で、ストーリーをドライヴさせていく、と。
困ったときは、雲が流れる空の画で、それを間に挟んで、画を繋いでで、もちろん、それはそれで、正解だと思います。

それから、音楽で、ちょっと気になったのが、父親と旅立とうというシーン。
ワリとモダンな、ちょっとトランシーな音楽が流れてるんです。これは多分、これから生活するヨーロッパを暗示しているんですけど。
これは、まぁ、ベタっちゃベタなんだけど、音楽自体が、結構高揚感を出すような雰囲気の曲なんですね。この選曲は、上手いです。
だけど、それを振り切って、結局父親とは別れて、残るワケですからね。



という感じですかね。

でも、こういう作品を観ると、例えば、日本の「我々」が、小さな、チマチマした物語しか語れていない、ということを、考えさせてくれますよね。

うん。いい作品だと思います。ホントに。

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