2012年4月28日土曜日

「裏切りのサーカス」を観た

満員の新宿武蔵野館で、「裏切りのサーカス」を観た。



いや、とりあえず、お客さんがいっぱいで、それが凄かったですね。
武蔵野館は、ジョージ・クルーニーの監督作品「フィクサー」と、ストーンズmeetsスコセッシの「シャイン・ア・ライト」以来の、一番大きいシアターが(ほぼ)満席、という状態でした。


大人が集まる映画館なんですなぁ。。。



で。


内容ですが、とにかく大作なワケですけど、大作でありながら、とても緻密に練り上げられたシナリオの、その、細かいディテールを積み上げていって長大なストーリーを作る、ということに成功している、という。
ひょっとすると、これは逆で、長大なストーリーを構築する上で、細かいディテールを埋め込んでいくことで、骨太で濃密な作品を作り上げることに成功している、というか。

ま、ストーリーとそのディテールの話は、どっちが先って話でもないんで、大事なのは、とにかくディテールが素晴らしい、と。

これは、原作の力なのか、映画化にあたってのシナリオの力なのかは、正確にはちょっと分からないんですが、とにかく、良い、と。
(いくつもの作品の連作を、ひとつの映画としてまとめた、ということらしい)


あとは、映像の力を信じて、思い切って“説明”を端折っているトコですね。
一番痺れたのは、主要キャラクターである、“若手”のエージェントが、実は「同性愛者」であった、というシークエンス。
このシークエンスは、カットごとの飛躍が、もう観客に対して、かなり挑発的というか、「分かるだろ?」「分かんなかったら観なくてもいいよ」ぐらいのアレなんですけど、この案配は、とても良いと思います。

これが、他の凡作であったら、「彼が同性愛者である」ことを説明するショットなりシーンなりを挿入すると思うんですよ。
なんせ、長尺の作品ですから、多少カットを増やしても大丈夫だろ、みたいな意識もあるワケで。

ところが、説明一切なし、ですからね。

役者の泣き顔(悔しさと悲しさと無力感の、入り混じった泣き顔)と、相手役の発するセリフ、そのシーンを映す映像の空気感、そういう諸々で感じ取れ、という。

この辺の、見事な編集の間がもたらすスピード感みたいなのは、ホントに素晴らしいです。



それから、所内(省内?)の、パーティーのシーン。
これは、最初、あんまり意味が分からなかったんですよねぇ。

主人公の奥さんとその浮気相手の出会いが、それを匂わせるように描写されてるワケですけど、でもそれは、所のメンバーが和気あいあいと酒を飲み交わし、踊っているような、浮かれたパーティーの場じゃなくても別に構わないワケで。

結構な頻度で、インサートショットとして、というか、回想シーンとして挿し込まれるんですけど、ホントに最後の最後に、この“パーティー”の意味が分かる、というか。

実は、作品の隠されたテーマみたいなのがあって、それが、このパーティーなんかをずっと伏線にしていて、最後に、ストーリー本線の結末と一緒に、回収される、という。
この、隠されたテーマと、ストーリーの本線とが、一緒に回収される、というのが、なんていうか、ちょっと独特のカタルシスを与えてくれるんですね。

これは、かなりグッときましたねぇ。
ホントにラストのところなんですけど。



要するに、裏切り者がいる、と。

で、「その裏切り者は誰だ?」というのが、ストーリーの本線であるワケです。
本線自体が、複線構造になってて、ひとつが、単純に、裏切り者を探す、という戦い。これは、そのまま、母国(イギリス)と見えない敵(ソ連)との戦い、という大きなスケールとともに語られるワケですけど、その中間に、国内の、組織内の戦いと、その組織の一枚外側にある政治家(及び、官僚)との駆け引き、というのも、挟み込まれている。


で、複線のうちのもう1つが、主人公(ゲイリー・オールドマン)の、個人的な葛藤、みたいなもの。
不本意な形で退職することになって、なんか生活に張り合いがなくなって、なおかつ、奥さんが家を出て行ってて、みたいな。
そういう、自分の内面にある虚無感と格闘する主人公の姿。


とりあえず、作品中で描かれる“戦い”は、こういう三層構造になってて、しかも、三層が、複線になって、お互いに絡み合ってる(影響を与え合っている)。

こういう構造があるからこそ、非常に濃密な「人間ドラマ」を、余計な“サイドディッシュ”なしに描き切れるワケですけど。



で。


もう1つ、隠されたテーマ、というのがあって、それは、もう1人の主人公とも言うべきキャラクターで、静かに語られていて。

死んだと思われていたその登場人物が、実は、組織同士の駆け引きの中で、本国に送り返されていて、田舎の、学校の先生として、新しい生活を始めている。
もちろん、“新しい”といっても、拷問や銃創の影響を引きずっていて、物理的に、身体に障害が残っていたり、もちろん、精神的な傷も抱えている。

で、さらに、孤独である、と。


そこに、“まるで同じように”クラスの中で孤独な存在であった、男子生徒が近寄ってくる。
2人は、気持ちを交わすワケです。

自分は、その「孤独な生徒」の孤独感を和らげる存在である、と。
それは同時に、自分の孤独感が、その生徒で癒されている、ということでもあるんだけど、その男は、それも十分承知していて。

で、過去に、「孤独な自分」に寄り添ってくれようとしていた人物がいた、と。
そういう話なワケです。

その人物の存在を描くのが、例のパーティーだったワケですね。

同時に、ストーリー上でそのことが明かされたあとに、「裏切り者」が実はその男だったことも明かされる、という。

孤独な自分に近寄ってくれた、その“友情”を、「裏切り」というのは、踏みにじる行為なワケで。

しかも、その「裏切り者」のせいで、自分は一度死にかけている、と。
ミッション遂行に失敗して、銃で撃たれて、なおかつ、ソ連の機関に熾烈な拷問を受けたワケです。

それもこれも、“友情”を信じていたその男が裏切ったからだ、と。


結果的に、ストーリーの結末として、復讐を実行し、命でもって償わせる、ということになるワケですけど、つまり、これが「隠されたテーマ」なワケですね。

「裏切り」というのは、単純に「諜報組織」と「国」に対する裏切りなだけでなく、個々人の間にあった感情をも裏切ったヤツ、ということになるワケです。


この、もう1人の主人公の、学校でのシークエンス、ですよねぇ。

切ない。
だから素晴らしい。
ホントに。


復讐を遂げる前に、“先生”は“生徒”を突き放すんです。非常に感情的に。
「仲間の中に入れ」と。

これは「孤独であることに甘えるな」ということですよね。
自分みたいになるな、と。



この感じは、良いですよ。
ホントに。

素晴らしいです。



うん。





ちょっと、長々と書いちゃいましたね。


他にも、語られるべきポイントは幾つもあるんですが。。。

セットその他の美術が素晴らしい、とかね。




ま、この辺で。




とにかく濃密で緻密で、素晴らしいストーリーだと思いました。


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