2007年7月12日木曜日

「アサシンズ」を観る

「憎しみ」の、モノクロームの画とモノローグ、そして何発かの銃声音で、一躍名前を挙げた(カンヌも獲りましたね)、マシュー・カソヴィッツの、その「憎しみ」の後の作品。
ま、前作の評価が凄かった分、それとの比較になるのは、ある程度はしょうがなくって、ここでもやっぱり、そこから入るんですが。

前作は、それはモノクロだったっていうのも当然あるんだけど、もの凄いシャープな画で、今作は、それとは対照的に、まるで16㎜みたいに(言い過ぎ?)、粒子の粗いザラザラした質感。
ひょっとしたら、シャッタースピードをちょっと遅くしてるのかもしれない、と、思うくらいに、ブレて残像がチラチラ出るくらいだし。
この辺は、自分の技巧を誇示してるって感じ。まぁ、もちろん、効果的なんですけどね。狙いに沿った、当然、これも演出の一環であろう、と。

演出で言うと、補聴器やテーブルクロスを巧く効かせたりして。
この辺は、何ていうか、暴力的だとか、社会派だとか、色々、外野から貼られるレッテルの文言ばっかりに目がいきがちだけど、ちゃんと踏まえるべき文法は踏まえているんだよねぇ。
この辺は、非常に勉強になりますな。

時間軸の操り方も上手。具体的には、回想やフラッシュバック、そして得意の、1カットの中でサラッと時間の経過を表してしまったり。

ストーリーは、なんていうか、特に前半部分は、キャラクターがボンクラなのもあって、ドライヴ感がちょっとなくって、イマイチ。
ま、それも、恐らく、フリということなんでしょうが。

この、タイトルに複数形の“S”が付いてる所がミソで、まぁ、軽くネタばれしちゃうと、“2人”なんですが。
ちなみに、3人目は、“見習い”扱い。

その、2人のアサシンのうちの一人が、アクセル全開時の津川雅彦のような存在感で見せる、老ヒットマン。
求道者かのような口ぶりで、しかし、俗まみれ、ルサンチマンだらけで、迫りくるその老いに恐れおののきながら、それでも必死に自分の生きてきた証を、その技術を誰かに継承させることで残そうと、必死にあがく、という。

もう一人が、まぁ、少年なワケだけど、最後、学校(正確には、校門の外)で銃を撃ちまくる姿は、例えばアメリカの銃乱射事件を思い起こさせたり。
まるで予言のようだけど。
つまり、ある意味では現代社会こそが、極めて優秀な殺人者の養成システムなんだ、と。

そういうラストに向けての、ホントに最後10分くらいで一気に持っていく感じ。

実は、この人は、なんていうか、非常にベタな着想ばっかりだったりもするんだけど、一番最初の、目線の置き方、着眼点の置き所、みたいのがね、もの凄い良いんだろうなぁ、と、思います。
そこから、技巧でそれを支えることで、一つの商業映画として成立させている、と。
ま、俺なりの分析でした。

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