2008年2月6日水曜日

「ザ・ハリケーン」を観た

土曜日の「バリ・シネ」で観た、「ザ・ハリケーン」の感想でっす。

まぁ、名作とされている作品ですが、実は個人的には、内容にやや不満があったりするんですよね。
それはどこかというと、ストーリーの前半が、デンゼル・ワシントンが演じる主役の“ハリケーン”の抵抗の物語であるにも関わらず、後半が、単なる“白人たちの物語”になってしまっていること。


白人の権力者の腐敗と、白人の善意の行使者たち、白人の弁護士たち、白人の裁判官、などなど。つまり、それは“白人の悪”と“白人の正義”の物語なんじゃねぇのか、と。その“ツマ”になっちゃってる感じがするんですよ。ハリケーンの存在が。


デンゼル・ワシントンと“牢獄”といえば、当然、スパイク・リーの超大作「マルコムX」を連想させるワケで、この作品でも、観る側は当然、デンゼル・ワシントンの背後に、マルコムXに代表される黒人たちの抵抗の物語を感じながらストーリーを追うんだと思うんです。
で、若きハリケーンが、牢獄の中でフィジカルに武装していき、さらに“知的”な武装も自ら手に入れ、という流れはホントに納得なんですが、その後、彼は“融和”に向かうワケです。善意の手を差し伸ばしてきた“白人たち”に。
もちろん、“融和”は、それはそれで、全然いいと思うんです。それは、黒人解放運動が最終的に目指すべきとも言える“理想郷”であり、マルコムXも、暗殺される直前には、その方向に舵を切っていたワケですからね。

ただ、ストーリーのフォーカスが、そこからちょっとズレるんですよ。そこが不満。
ハリケーンが、援助者たちに対する気持ちで、自分の中の2つの声に耳を傾ける、みたいなシークエンスがあるんですが、個人的には、その辺の葛藤をもっと描いて欲しいし、その、“憎しみ”からのアウフヘーベンこそがメッセージ足りえるんじゃねぇのか、と。
なんか、結構あっさり受け入れるんですよ。
牢獄の“隣人”として、ブラック・ムスリムっぽい老人がチラッと出てたりするんですが、例えばその人とのやりとりとか、ね。

このストーリーだと、「白人の秩序の中に入ってくる黒人だけが救われる」みたいな感じになっちゃってると思うんですよねぇ。
まぁ、実話に基づいた作品だからしょうがない、という部分もあるとは思うんですが、しかし、ハリケーンを最終的に救い、解放したのは、あくまで、ハリケーン自身の信念と意思と、その強さだ、みたいに描く方法もあったんじゃねぇのか、と。
魂の修養と浄化を経た後に獲得した、その精神的な高みこそが描かれるべきでは、と、思うんです。

作中でも、ハリケーンを密かに応援していた看守とか警官(白人の、ね)の姿が描かれていますが、これこそが、実は観客の視点なワケですよね。
直接的に何か手を差し伸べることはしなかったけど、最終的に救われたハリケーンを見て、満足気に頷く、という。
なんか、それで終わってる感じがするんですよ。残念ながら。

もちろん、それでいいと言えばその通りで、その点で言えば、ホントに素晴らしい作品なんですが、しかし、題材が題材なことに加えて、なんせ、デンゼル・ワシントンですから。



しかし、デンゼル・ワシントンは、ホントに、素晴らしいっス。凶暴であったり、知的であったり、プレイボーイであったり、まるで宗教者のように崇高な視線であったり。
ただ、逆に、周囲がそれにしっかり対峙出来てない、みたいなアラも感じてしまいました。特に、白人の若者たちの援助者グループ。彼らの空気感が、なんか、ちょっと安っぽくって、それがやや“偽善者”みたいな雰囲気を作っちゃってるんですよ。それは恐らく、演出側の意図とは違うと思うんですけど。
裁判官とか悪徳警官側には、やっぱりもの凄い説得力があるんだけど、肝心の、その、D・ワシントンの周囲にいるキャラクターに説得力が欠けちゃっている、というのは、俺がストーリーに不満を感じちゃった一因にもなってると思うんですけどね。


ま、そんなこんなで、観る前の個人的なハードルがかなり高い故に、やや不満、という作品です。普通に良作なんでしょうけどね。





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>>>ザ・ハリケーン
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