2007年11月28日水曜日

ちょっとイイ話

新聞の夕刊に、ちょっとイイ話が載っていたので、記録がてら、ご紹介。

京都の、代々、220年つづいている鯖寿司のお店の、そこの七代目の佐々木さんという方なんですが。現在55歳。

五年前(佐々木さんが50歳の時ですね)、デパートの催事の仕事で北海道に行き、そこで、統廃合されることが決まっている小さな学校(小学校と中学校が一緒になっているんだそうです)の先生を紹介され、「子供たちに思い出を」ということで、佐々木さんがその学校へ実演に行ったんだそうです。

で、そこの生徒さんは、今まで誰も鯖寿司を食べたことがない、と。


ちなみに、鯖寿司というのは、しめた鯖を使った寿司(多分押し寿司の一種なんだと思います)なんですが、どうして〆た鯖を使ったかというと、京都が内陸だったからなんですね。200年以上昔には、当然冷蔵庫とか冷蔵車なんてありませんから、保存がきくように、揚げた鯖をしめてからでないと、京都に持ってくる間に腐っちゃうから、という理由から生まれた料理なんです。鯖寿司というのは。
逆に、北海道っていうのは、もちろん、なんつっても“新鮮な魚介類”ですから。基本、ピッチピチの魚ですから。毎日。

佐々木さんからしたら、「口に合うだろうか」と。喰ってくれるのか、と。

ところが、子供の反応が良かったんですね。笑顔で「おかわり」と口々に言ってくれたんだそうです。



その反応に、佐々木さんは、「老舗ののれんに守られた店の味でなく、自分の寿司が認められた」と思ったんだそうです。

佐々木さんは、45歳の時に、先代であるお父さんを亡くして主人になり(当然、それまでずっと修行してきてます)、味が落ちたと言われないようにと、必死だったんだそうです。
で、その、北海道の子供たちの反応で、自分の味に自信が持てたんだそうです。

その学校の最後の卒業式で、佐々木さんは、「仰げば尊し」を一緒に歌ったんだそうです。



というお話です。

どうでしょう?
なかなか素敵なストーリーじゃないっスか?

2007年11月27日火曜日

「SIN CITY」を観る

ロバート・ロドリゲス監督の「シン・シティ」を観る。

アメコミが原作ということで、まぁ、その原作者も監督としてクレジットされているワケで、“原作に忠実に”ということなんでしょうか。
その原作に馴染みがない者としては、その辺のアレはちょっと分かりませんが。
しかし、まぁ、いわゆる“一般ウケ”はまったくしない作品でしょうな。

良かったですけどね。

“盟友”タランティーノの「パルプ・フィクション」とシナリオの構造が似てたりして。
あの、エピソードの並べ方というか、時間軸を入れ替える、というのは、なにかお手本みたいのがあるのかねぇ? 流行りってワケでもないと思うんだけど。


内容ですが・・・。

架空の都市の、社会の最底辺にいるクズたちの物語、ですよね。
犯罪者、悪漢、飲んだくれ、卑劣漢、裏切り者。女性は、娼婦と少女しか出てこないし(あ、一番最初に殺される女性は違うか)。

そういう意味では、フィルム・ノワールではなく、ピカレスク・ロマン、というヤツでしょうか?

権力と権威に守られている“本当の悪”を、暴力という手段によって、ピカレスクが討つ、という。
ま、そういう、ある種の伝統的な物語を、最新の技術、超豪華なキャスト、ロドリゲスならではのスピード感と美学で描く、と。そういう意味では、全然成功している作品だとは思いますけど。

ちょっと話が逸れますが、この、“娼婦と少女”というのは、興味深いですよね。
例えば、日本のオタクのメンタリティとは、ここはまったく異なるので。
個人的には、これは、ロドリゲス流のフェミニズムだと思うんですよね。個人的に、こういう形のフェミニズムって、全然アリだと思ってるんで。
“娼婦”という職業に敬意を払えば、こうなる、というか。ある意味での“自立”ですから。
女性に対して、ダッチワイフ的にしか価値を見出せないオタクなんかよりは、全然健全だし、なんていうか、倫理的に正しい、というか。


さて、とにかくこっちが話題になった、その、全面CGで作られた画面ですよね。
フランス産の「ルネッサンス」よりは全然良かったですよねぇ。画面の密度もそうだし、なんていうか、リアリズムを求めていない、という意味でも。コミックの世界を忠実に再現する、という意図が、いい方向に働いてる、というか。
バットマンのゴッサム・シティとよく似てました。アレもアメコミだしね。

ロドリゲスは、それこそ、スパイキッズで、CGを勉強したのかもしれませんね。
キャラクターの肉体の動きを、CGやらVFXやらで“殺さない”という部分は、ホントに上手だなぁ、と。
ロドリゲスって、元々はホントに“肉体派”ですからねぇ。

キャラ的には、ジョシュ・ハートネットのキャラが一番良かったです。カッコよかった。


ま、感想はそんな感じかな。

個人的には、こんな感じの手法で、「ジョジョの奇妙な冒険」を映画化して欲しいです。いま、なんか、あちこちで盛り上がってるし。






DMMでレンタルも出来ます。>>>こちらから。

2007年11月19日月曜日

「16ブロック」を観る

ブルース・ウィリス刑事がまたまたNYで頑張る、「16Blocks」を観る。

作品のトータルは評価としては、“中くらい”って感じですかねぇ。中の上、とか。

正直、モス・デフの演じるキャラクターの造形がイマイチ。なんか、もうちょっと色があってもいいんじゃないか、と。

ま、その、キャラクターへの違和感とは別に、“コンシャス・ラッパー”の最高峰の一人でもある彼が、無教養で低脳な犯罪者を演じるってことに、ちょっと皮肉を感じちゃったり。ま、それは、逆説的に彼の存在感と、演技の巧さを示してるんですけどね。

モースの悪徳刑事もねぇ。なんちゅーか、そんなに“悪徳”に見えないっていうのあるし。

ま、その、2人とも、俺がもってる先入観が強過ぎるっていうか、ね。
モースは、「クロッシング・ガード」もそうだし、他の作品にも出まくってるからね。
正直、その辺のキャスティングは、俺にはちょっとアレな感じなんですよね。

ただ、まぁ、それはB・ウィリスにも言えることだしなぁ。三者三様で、それぞれにとって同様に、挑戦的なキャスティングだったのかもしれませんね。



冒頭の、主人公の“アル中”の表現も、ちょっとしつこいかな、と。アル中でダメダメの男なんだ、というんを説明する部分。
ただ、一人目の射殺シーンへの伏線だとしたら、あのダラダラした描写も正解ですね。あの、「ホントはデキる」感は、凄い良かったです。普通にビックリしたし、裏切られたし。


物理的なアクションシーンと、心理的な駆け引き、というか、精神的なぶつかり合いが、交互に描かれる、というシナリオも、結構好きかも。そういう意味では、刑事2人の配役はあってる気もしないでもないですけど。

ICレコーダーのオチもとてもイイ。うん。そういう、シナリオの部分はもの凄く良いんですよねぇ。物語の構成というか。


ちょっと気になったのは、その、“16ブロック”の具体的な距離感ですよね。“たいした距離じゃない”というのを、例えば街を空撮するとかして、“実際の距離感”を体感させる、みたいな演出があってのいいんじゃないかな、と。普通に、目指す裁判所のイメージが与えられないので、若干迫力不足になってるし。
ニューヨークという“街”が舞台なのに、その“街”が、イマイチ描写し切れてない、という。

NYの地理をなんとなく分かる人だと、要するに、チャイナタウンを縦断していく、ということなんですが。あのゴチャゴチャした区画っていうのは、チャイナタウン特有のカオスなので。どこもかしこもあんな街路ばっかりじゃないですからねぇ。


しかし、NYのダウンタウンを舞台にしつつ、「9・11」についての描写はしない、という部分は良かった。ようやく“平時”に戻ってきたのかな。NYの映画も。一時期、ホントにそういう作品ばっかりでしたもんね。
いや、ま、それが悪いことだとはまったく思いませんけどね。むしろ大事なことですが。


それから、チャック・ベリーとバリー・ホワイトについてのセリフは良かった。エンドクレジットでバリー・ホワイトが流れたりしてね。そこはちょっと、ニヤリ、みたいな。


ま、そんなこんなで、“佳作”でしょうな。

2007年11月16日金曜日

「インファナル・アフェア」を観る

せっかくなので、シネ・ラ・バンバで「インファナル・アフェア」を観ちゃいました。

ま、感想としては、良く出来たシナリオだな、と。そこに尽きる感じですよね。

二人の俳優の存在感も、もちろん、良くって。
香港の芸能界って、まぁ、詳しくはもちろん、全然知らないんですが、いわゆる“スター”がまだ居るんですよね。歴然と。その“スターありき”の作品でもある、と。

例えばこれが、日本のテレビ局が製作すると、ケリー・チャンがもっとストーリーに絡んできたり、そういう、本筋とは別のところでごちゃごちゃとサブ・プロットが入ってきそうな感じなんだけど、そうじゃなくって、潔く、“男臭い”だけで押し通しちゃってるのは、すごいイイ。この、中途半端に媚びないスタイルというのも、2人の顔だけで客が呼べるということと関係があるワケで。

いや、実はこの作品、そんなに“大作”じゃなかったりするんですよねぇ。そんなにお金かけてない、というか。
そういう意味でも、ハリウッドがリメイクしたがるようなアレではある、と。ハリウッドの映画人が好きそうな題材だしね。
ま、前提として、シナリオがもの凄くいい、というのがあるワケですが。


和洋折衷じゃなくって、中洋折衷というか、そういうのの混合比というか、混ざり具合も好きです。ま、その辺が香港映画のウリの一つでもあるワケですが。この作品では特に、そういう感じを受けましたね。
変に“東洋”テイストを強調し過ぎず、逆に“欧米風”に振り切っちゃうワケでもなく。ま、香港人にとっては、それが当たり前のスタンスなんでしょうけど。

いや、「ディパーテッド」、観てないんですけどねぇ。せっかくだから観よっかなぁ、なんて。

2007年11月10日土曜日

「普通の人々」を観た

昨日、昼間っから「午後のロードショー」で観た、「普通の人々」の感想でっす。

素晴らしい。
80年に製作ということですから、もう27年前ですか。「24」のジャックの親父が出てたんですが、まだ若かったですからねぇ。顔そっくり。
ちなみに、オレにとっては、キーファー・サザーランドは、「スタンド・バイ・ミー」の“エース”です。
「スタンド・バイ・ミー」大好きなんです。

いや、それはさておき。

内容は、とにかくシンプル。
“家族”について、ですね。
この作品はロバート・レッドフォードの、監督としては第一作目ということで、ま、後々にもずっと、“家族”をテーマに作品を作っていきますよね。ブラピのやつとか。
レッドフォードにとっては、大きなテーマなのでしょう。三宅さん風に言うなら、“作家のテーマ”。

派手な仕掛けもなく、ただただシンプルにキャラクターを追っていく演出は、なんていうか、ホントに今だから凄みを感じる、という。ある意味では力技なんですけどね。


きっと、シナリオがいいんだと思います。ヒューマンドラマにありがちな予定調和的な展開にもならず、かといって奇をてらった展開でもなく(もっとも、製作・公開当時にはどうだったのかは分かりませんけど)、しかしそれでも物語にしっかり引き付けて離さない、という。

主人公の繊細な感情をしっかり描き切る演出も凄いんですけど、俺はどっちかと言えば、脚本の力強さが一番印象に残る感じですかね。


「家族とはこうあるべき」という価値観が、ある悲劇によって揺さぶられ、結果、最終的にその家族の絆というのは崩壊してしまうのですが、その中にも、“尊敬”というモノで回復出来る関係性があるのだ、という。
伝統的な“良き価値観”としての「家族としてのあるべき姿」を、いわゆる“個人主義”が揺さぶっている、というのが作品の背景にある構図だと思うんですね。
で、その、“家族”という、共有していた、ある意味では“幻想”だったものが崩壊した後も、“個人個人のお互いに尊敬し合う気持ち”で、また関係性を構築出来るのだ、というメッセージだと思うんですが。
個人主義的な社会でも、人間同士の確固とした“繋がり”というのは構築出来るのだ、と。
ま、人間性の“成熟”が必要なことは間違いないんですが。その、“成熟”していく過程を描いた作品、と言えるのではないか、と。
ま、深読みですが。
ざっくり言えば、“親離れ子離れ”の物語です。ただ、そこに深い感動を与えてくれる映画である、と。そういうシナリオなんですな。


ちなみに、主人公のガールフレンド役の女の子、めちゃめちゃカワイイです。観たことある顔だけど、誰だろ。



あ、あと、精神分析医のカウンセリングのシーンはちょっと参考になったかも。
“精神科医の治療”云々というアイデアを一つ暖めているので。
ま、参考にするという意味では、近いうちにまた観直したいですな。

2007年10月31日水曜日

森田芳光監督の熱量を知る

この間、NHKの深夜にやっていた、「椿三十郎」を撮った森田監督の特集番組を観たので。

ま、そんなに濃い感じではなかったのですが、幾つか。

「作品とは、有機物であり、どこか一つだけが突出してはいけないんだ。」
いろんな要素が複雑に絡み合って、お互いに影響を与え合っている、という喩えで“有機物”ということでした。基本的には、俳優陣のことを言ってたんですが、恐らく、映画製作全体のことでもあるんじゃないか、と。

それから、三十郎のキャラクターについて。
“リーダーシップ”というものが、時代が変わったことで変質している。なので、その、“今の時代に求められているリーダーシップ”を演出によって見せていく、と。。
それはそのまま、織田裕二の個性そのままでもあるみたいでしたね。
その、演出の具体的なポイントみたいのが紹介されていて、それはちょっと勉強になりました。

それから、監督の、キャスティングに関して。何度も「技術じゃないんだ」と言ってました。当然、“作品にフィットするのか”が前提なんでしょうけど、人間的な柔軟さとか、そういう部分を見る、とのことです。
「日々を確かに生きているか」とか。要するに、“人間性”ってことなんでしょうね。
それから、例えば女優さんだと、その人のプライベートな所から入る、とも言ってました。
具体的には、中村玉緒さんで、「勝新のお嫁さんですから」と。その、“誰に惚れたのか”という、その人の本質的な部分と、演じる役柄の本質とが重なるような配役をするのだ、ということなんでしょうね。
お酒が好きな役にキャスティングするのは、やっぱりお酒好きな役者さんだろう、ということなんでしょう。それを、もっとその人の本質的な所にまで拡大して見ていく、という。
しかし、そもそも、監督本人に、その人の本質を見る力がないと成立しない話ではありますけどね。


それから、殺陣のシーンで、「疲れる」ことを表現しよう、みたいなことを試していて、それはちょっと新鮮でした。
「写実的な殺陣」というのは、まぁ、「様式的な殺陣」と対のようにして、あるにはあるんですが、そこからさらに一歩踏み込んで、ということです。
「バガボンド」の武蔵の影響もあるのかも。あの漫画は、その、“人間の肉体”についてはリアリズムを徹底してますからね。


ま、こんな感じです。
若い俳優たちに監督が演出をつけている映像があって、一番勉強になったのは、その時の監督の表情だったかも。

2007年10月28日日曜日

「ガス・フード・ロジング」を観た

ちょっと前に観た、アリソン・アンダース監督のデビュー作、「ガス・フード・ロジング」の感想です。
せっかくなんで、「マイ・ファースト・ムーヴィー」という本と一緒にご紹介。この本は、色々な監督に、自身の処女作について語らせる、という、題名通りの内容の本で、アリソン・アンダース監督も、自分のデビュー作について、インタビューされてますんで。


まず、ストーリーが、なんていうか、若干偏見じみた見方ですが、“女性的”なんですよね。
インタビューアーの言葉を借りれば「ゴールに向かって真っ直ぐに進んでいくものではない」という。
このことについて、監督は、
ストーリー上の問題をいろいろ設定してそれを解決していくというのはあまり興味がない。
ヴィム(V・ヴェンダース)もいつもそうで、ストーリーというのは大切なものを吊るしておくための面倒な道具としか思っていないようだった。
ストーリーは物干し竿のようなもので、人はそこに色とりどりの織物を引っかける。私が興味をもっているのは、そのさまざまな織物、つまり物干し竿に引っかかってるものであって、物干し竿そのものではない。

で、本人は、それを“反ハリウッド的”と定義してますね。


さて、“ストーリーの構築”にあまり興味がない監督は、得てして、その映像で多くを語る訳ですが、アリソン・アンダース監督も、やっぱりそうで、
私はロバート・ロドリゲスの“考えずに撮りまくれ”派には与しない。カメラを向けて撮るだけじが映画じゃない。どうやって意味を作りだすかその手法を学ばなきゃいけない。
ヴィムの映画で私にもわかるところは、短くしてしまっては本来の力が失われるショットがあるということ。
雰囲気を醸しだすようなショットがいかに重要か、人物を風景になかにポツンと入れることがいかに重要かがわかっていた。


もう一つ。カメラワークについて。
何らかの意味で情感を表現しようとするのでない限りカメラは動かしたくなかった。
移動は劇的効果をあげるためか、もしくは感情的理由がある場合に限られていた。長たらしい移動や、めまぐるしい移動、すばやいカッティングといったものにはウンザリしていた。だから簡素なやり方にもどってみようと思っていた。

この、大人しいカメラワークというのは、なんていうか、“しっとり”した印象の残すんですよね。画質もあるんでしょうけど、“エッジの効いた”感はなくって。つまり、登場人物の心の動きに、観る側がフォーカスしやすい、と。
もちろん、“そういう映画”なんで、当たり前っちゃ当たり前なんですが。しかし、その計算はズバリ当たってる、と。
ちなみに本人は、カメラについてはほとんど理解してないと語っていて、基本的にはカメラマンに任せきりとのことです。

と、まぁ、こんなところで。

この作品は、エンディングがとにかく好きで。勝手に“ほろ苦系”って言ってるんですけど。
ハッピーエンドじゃないんですよ。でも、観てるうちに、それが当然だろうとこっちも受容出来るし、それは、キャラクターたちそれぞれにとっては、やっぱり一つの到達点にちゃんとなってて。
監督本人は、作品のシナリオを書いていく過程を、「登場人物と一緒に進む自己発見の旅」と言っていますが、まさに、キャラクターたちが自己発見をするのを見届ける、という。そういう映画です。

これねぇ、「スモーク」がそうなんですよ。まぁ、「スモーク」については、また別の機会に。

「ガス・フード・ロジング」
あ、ちなみに、ガスはガソリン、フードは食事、ロジングはロッジってことで、寝る所って意味です。アメリカの街道沿いにあるモーテルとか、そういう所のことですね。
“旅の途中に寄る所”と。これ、ヘンな邦題付けなくて、ホントに良かったですね。