2009年2月20日金曜日

「エリン・ブロコビッチ」を観る

スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジュリア・ロバーツ主演の「エリン・ブロコビッチ」を観る。

まぁ、傑作なワケですけど、ソダーバーグ作品というよりは、完全にジュリアのための作品ですよね。
主演女優賞も総なめにしてるワケで。

ただ、大事なポイントは、マネーメイク・スターを使って“社会派”という作品を撮る、というトコですね。
同時期の「トラフィック」もそうですが。(「トラフィック」と比べると、この作品はかなりの低予算で作られているんですが、そこもポイント)

スターはただ1人、J・ロバーツのみ、と。
まぁ、言うまでもないことでもありますが。


で。
隠されたテーマとして「“女性”という性」がありますね。
赤毛の女性弁護士とやり合うシークエンスが象徴的なんですけど。

「子宮がん」や「乳がん」という言葉や、両親に寄り添っている闘病中の若い女の子を見るエリンの視線、だったり。
女性性を“封印”して、スーツを纏って戦う、ということでなく、まるでビッチみたいな格好をしたまま、そのメンタリティのまま、ガンガンいく、と。
同じ境遇の、ブルーカラーですらない“彼女たち”のために。

そう。大事なポイントは、ホワイトカラー対ブルーカラーという構図でなく、アッパークラス対底辺にいる女性たち、という構図なところ。
男顔負けに腕力でぶしていく、という運びにはならないワケですね。女性らしい「共感力」や、「女性としての魅力」を武器にしていく、という。
まぁ、だからこそJ・ロバーツなんですけどね。


とにかく、この主人公対他の女性たちとの対立構造は面白くって、デブの事務員を徹底的にこき下ろしたり、赤毛の女性弁護士に下ネタを言い放ったり、企業側の弁護士に「子宮の値段よ!」とタンカを切ったり。

この、企業側の弁護士とのシークエンスは凄くて、「あの井戸から汲んできた水よ」と。そして、そのグラスの水を飲めない弁護士たち。
このカタルシス!


それから、正義=カネ、という部分ですね。「カネじゃないんだ」みたいなジメジメした感じにならない。
賠償金(和解金)を手にする1番の近道である方法を、結局選ぶ。その為に、足を使って同意書のサインをもらっていく。
この辺の、キャラクターたちの現実主義と、映画としてリアリズムが重なっている部分が、説得力を生んで、作品を傑作に押し上げているんじゃないのかなぁ、と。
もちろん、それをJ・ロバーツが演じている、というのが前提ですけどね。


ベビーシッター化している自分に嫌気がさしてしまった男に対して、「初めて自分がみんななから認められている」という、この「承認」の物語。
ソダーバーグがこういうことを語らせるなんて、ちょっと意外だったりするんですけどね。
だけどまぁ、とても大事なセリフですよね。

社会の、一番底の部分、地べたを這いつくばりながら、そこから変えていく。そこから正義を立ち上げる。

つまり、10年近く経ったあとに撮る「チェ・ゲバラ2部作」と、かなり直接的に結びついている。

サンダンスが産んだ、ある種のカルト色をまとっていた若い天才が、20世紀最大のカリスマの姿を表現するようになる、その過程上にある作品なのだ、と。
ま、回りくどい言い回しをしてるだけですけど。


うん。「フェミニズム映画」としても素晴らしい、そしてジュリア・ロバーツ作品としても完璧な、そしてスティーヴン・ソダーバーグ作品としても見ごたえのある、そしてなにより、(恐らく)かなりの低予算で作られているという点にも注目しないといけない、傑作でした。

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