2010年6月3日木曜日

「ウォッチメン」を観る

公開当初、各方面で話題になっていた「ウォッチメン」を、DVDを借りてきて観る。


いやぁ~。
なんて書けばいいのか、ぜんぜん分からない作品でしたが、まぁ、観ました。



とりあえず、実は個人的には、公開に合わせて出版されていた原作コミック(の、日本語翻訳版)を買ってたんですね。(アメコミ、結構好きなんです)
ワリと高くて、何げに勇気がいる買い物でしたが。


で。
その、「原作込みで」ということならば、これはもう素晴らしい作品だと思うワケですよ。
こんな難解な、長大な(普通に、物理的に、話が長い)コミック作品を、よくもまぁ、映画という表現形態で表現しきったな、と。
これはホントに、凄い。

冒頭の、世界観の部分を一挙に説明してしまうシークエンスとか、ホントに最高だと思うんです。あの曲と何分かの映像で、観てる側を一気に持っていく、ということでは。

キャラクターの雰囲気も、もうすべてのキャラクターが完璧に近いし(フクロウ型のマシンもね)。



ただ。
原作抜きで観たらどうなんだ、と。
コレは、相当大変だと思うんだよなぁ。



例えば、“重み”は全然違いますが、これって「キン肉マンの実写版」なワケですよ。
しかも、「王位争奪編」だけの。


アメコミっていう言うぐらいですから、アメリカでは、それこそ“古典”かもしれませんが、俺らにとっては、ね。なかなかそう簡単にはいかないワケで。


まず、「マスクを被ったヒーローたちが活躍する」というバックボーンがあるワケです。アメコミには。
その上で、それをメタフィクション化してるワケですよね。「そういうヒーローたちが現実にいる世界」という虚構がまず提示され、そのうえで、という構造になってる。

俺としては、原作コミックと、その中で読める膨大な量の解説と付記とがあって始めて、何となく理解できる世界観なワケですよ。


ヒーローが現実にいたとして、なおかつ、彼らの活動が非合法化されている、という世界。
しかも、“現実に”、正真正銘の“超人”が一人だけ存在している、ということになっているワケですね。放射線実験の失敗によって誕生してしまった、全身真っ青で全裸の男が。
しかも、ヒーローたちには、二つの世代があって、その関係性というのが設定されているワケです。(原作では、映画よりももうちょっと、この関係性が生む葛藤みたいなのが多く語られて、もっとややこしくなってます。映画では、描かれているのは、ほぼ、母と娘の衝突だけになってますが)


とにかく、そういう世界観とか諸々の表現、というのは、完全に成功してるワケですよねー。
凄い。ホントに。


だけど、と。
現代にそれを為す、という意味とか、それこそ、現代性とか、そういうトコは、疑問。
テーマというか、結末というか、メッセージというか、そういうのもちょっとぼんやりしちゃってる印象なんですよねぇ。
「で、なに?」というか。


こういう結末とか話の筋っていうのは、俺らは、それこそ「鉄腕アトム」の時代から、もうずっと消費し続けてるワケです。
お馴染みなワケですよ。

アメリカの、(原作が発表された)あの時代に、という意味性やそのインパクトということで言うと、「どうっスか?」と。

「やってみた」だけじゃねーの、というか。


う~ん。

だから、面白いっちゃ面白いんですけどね。
でもね、と。
「よくできてる」ってだけじゃ、それこそアラン・ムーアも納得しないんじゃねーのかなー。



と。
結論としては、そういう感じなんですよねー。


他に言葉が見つからない、というか。
原作のことを書いてもしょうがないしねー。




というワケで、この辺で。
でわ。



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