2008年11月11日火曜日

「善き人のためのソナタ」を観る

東ドイツを舞台にした「善き人のためのソナタ」を観る。

主人公は、東ドイツの悪名高き秘密警察(シュタージュ)の工作員。彼が、標的となった劇作家と女優が暮らす家を盗聴する、という。


それなりに面白かったんですが、なんかパリッとしない感じもあり、なんとも微妙な評価ですね。
ストーリーは、もの凄い単純化すると、超ダイナマイト・ボディの女優を巡って、恋人の劇作家と、“体制”の実力者である大臣と、それから主人公の工作員が、三つ巴で揉める、みたいな構造になってまして。

主人公の工作員は、ケヴィン・スペイシー似の顔と演技と存在感で、なんていうか、いわゆるギークな工作員を演じてまして。
その、ギークが「愛し合う2人」に憧れて、彼らのために自らを犠牲にして頑張る、という。
正直、ピアノ曲「ソナタ」は、あんまり重要なキーじゃありません。この邦題は、ちょっと失敗な感じ。まぁ、この邦題を付けたマーケティング的な理由は、分かるけど。


で、とにかく、主人公が憧れ、自分の人生を犠牲にしてまで守ろうとしたモノは、「2人の間にある愛」だったワケですね。
ここがミソで、「自由」じゃなかった、と。
劇作家は「この国は腐ってる」なんていうセリフを吐くんだけど、主人公は、国家や体制への恨み言は、最後まで語りません。実は最後まで、体制への忠誠心みたいなのは、揺るがなかったりするんですよねぇ。
制裁も、なんか受け入れちゃっているし。

主人公がここで、逃亡を図って捕まって、という展開になれば、壁崩壊のシークエンスなんかも、もっとドラマチックになったと思うし、銃殺ならそれはそれで、それなりの効果があっただろうし。
まぁ、そこは敢えて、ということなんでしょう。より静かなドラマを狙った、という。


個人的には、壁が崩れたあとの、秘密警察が保管していた監視の記録を閲覧するシークエンスが、とても興味深かったですね。
自分が盗聴されていた記録を、改めて読む、という。しかもそれは、主人公が“偽造”した記録だったワケで。
実は、自分の“記憶”を外部から入れ直すことで自分を取り戻す、という、温めているアイデアがあるんですよ。自分が誰だか分かんなくなって、外部に記録されていた“記憶”を、自分の人生として受け入れる、みたいな。
まぁ、それはさておき。


秘密警察にある自分の資料を閲覧できる、という、これは実際に行われていることなんですけど、とりあえずここの部分がとても重要なポイントなんだと思うんです。
実は作品のアイデア自体も、ここから出発してるんじゃないか、と。
ここにもっとフォーカスしても良かったんじゃないかなぁ、なんて。
いや、オスカー獲った作品に、生意気言っちゃいけませんね。



最後に、蛇足ですが。
実は、個人的に「ベルリンの壁」っていうのは、ちょっとだけ思い入れがありまして。
中学の文化祭の時に(確か二年生の時)、クラスの展示で、俺が出した「ベルリンの壁を教室の真ん中に作る」というアイデアが採用されたんですよ。
俺としては、浮かんだアイデアをぽろっと出しただけだったんですが、「それでいいよ」なんて言われながら、それがクラスの展示として採用されてしまって。
言い出しっぺってことで、なんか俺も、色々やらされたことを覚えてます。

で、なんと、「ベルリンの壁に穴を開けよう」ということになったんですよ。当時はまだ、壁は崩壊もなにも、ただ壁として東西分裂の象徴的な存在として、そこにあったんですが。
穴を開けて、東西を行き来できるようにしよう、という。
それから暫くして、マジで壁が崩れたワケです。ニュースであの映像を観た時、家族全員でびっくりしたことを覚えてます。


まぁ、それだけですけど。



東ドイツ。
でもホントに、つい2、30年前の話ですからねぇ。



ファシスト、社会主義、今だとなんだろう、イスラム国家とかかな?
そういう、「自由」を抑圧するモノと、人間は戦ってきたんだなぁ、と。一応、そんな感想もありますけどね。



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