2008年4月1日火曜日

「21グラム」を観る

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「21グラム」を観る。

いやぁ、素晴らしい。
傑作。


まず、なにより、映画とは「何かを語る」ためのモノなのだということを、改めて。

そして、「何を」語るのかは、監督自身が掲げないといけないのだ、と。
何を語り、そしてそれを「どう」語るのか。


イニャリトゥ監督は、この作品で、人生、人の命、運命、神と人間、罪を犯すこと、犯した罪の重さと意味、遺された者の苦しみ、赦し、復讐、を、描いています。

人は、いともたやすく、軽く、命を失い、奪われてしまう。しかしそれでも「人生は続く」のか、続かないのか。
続くとして、そこに意味があるのか。意味がなくとも続くのか。
続くとして、そこに価値はあるのか。価値がなくとも続くのか。
否か。


この作品で監督は、「人生は続くのだ」という結末を用意しているワケですが、そもそも、監督自身がその“問い”を受け止められなければ、この作品は成立しないワケです。

作品の深さと、監督のパーソナリティの深さは比例していて、特にこの作品では、それはイコールなんじゃないか、と。
で、そういう“深さ”を備えている人間にしか撮れない作品、語れない物語、というのがあって。
まぁ、そういう作品を傑作と呼ぶんでしょうけど。




いや、なんつーか、時間軸を切り刻むとか、空の色とか、色々書くべき事はあるんでしょうが、その、普通な冷静な感想が書けないんですよねぇ。圧倒されちゃって。
全然褪せてないしねぇ。

とにかく、そんな感じの作品です。
傑作。


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