2008年4月11日金曜日

リアル・オイディプス。もしくは、「父と娘の物語」

ぬぁんと、インドかどっかで、とんでもないことが起きてました。
実の父親と“恋愛”をし、妊娠している、ということらしいんです。

実の父親の子を身ごもる、というのは、例えば「ボルベール」なんかでも題材にされてますが、こちらはそうじゃなくって、マジもんの恋愛だそうで。


自分の父親だっていうのを知らなかった、ということらしいんですけどね。
娘が生まれたばかりの時に両親は離婚し、父親の顔を知らないまま育った、ということで、ある時、父親であるとは知らずに知り合った男が、実は自分の父親だった、と。


まぁ、色んなことがあるお国柄ですから、まだ真偽のアレは分かりませんけどね。
ある意味では、「ボルベール」でもそう描かれていたように、虐待の究極の形でありますから。


しかし、ホントの話だったら、ということで。

「父と娘」の関係って、色んな物語があり得ると思うんですが、なんつーか、“父親の存在”っていうのは、とにかく娘には影響を与えるワケですな。
ま、そう言われてる、という話ですけど。

で、詳細は省くとして、例えば“不在”の場合、“逆の影響力”というか、ま、ファザコンになったり。


インドのその話で言うと、父親が不在のまま育った“娘”が、“父親になってくれそうな男”と出会って恋愛して(まぁ、結婚して)子供を授かったら、そしたら実は“実の父親”だった、と。


分かりやすい例を挙げると、最近小朝師匠と離婚した泰葉さん。離婚した後に「父親を求めてしまった」と。旦那に対して。小朝師匠に対して。
父親っつーのは、つまり、三平さんのことなワケで。

また最近話題になってたりした、沢尻エリカも、きっとそうだと思うんです。あの年齢差の恋愛っていうのは、まぁ、安易な推測ですが、そうじゃないか、と。


まぁ、どんな女性でも、父親というのが必ずいるワケで、家庭内の存在感・影響力の有無や不在うんぬんに関わらず、なんかしらの影響は与えている、と。これは間違いないであろう、と。

ま、フロイト的なアレですけどね。でも、体験的なアレでいうと、まぁ、そんなに大きく間違ってはいないんじゃないかなぁ、という感じじゃないでしょうか。誰もが。

つーか、これはなかなか認めにくいことかもしれませんが、程度の差はあるにしろ、「あらゆる男は皆、マザコンである」ってことで、そこから逆に推測すると、そうなる、と。


つまり、我々男子サイドとしては、彼女の中の“父親像”と、闘うか(そして勝つか)、像の投影をそのまま受け止めて“父親役”となるか、であろう、と。
その“父親像”というのは、場合によっては“理想の男性像”なワケで、しかも“像”ですから、これは非常に手ごわい。

小朝師匠は、その“父親役”をある意味で引き受けることで成立していた結婚生活が、ある時、彼女の“自我の芽生え”じゃないですけど、“父親離れ”が起きてしまって、離婚、と。
高城剛は、いまのところ、うまく行ってるってことでしょうか、ね。



えー、何が言いたいかっていうと、自分でもよく分かんなくなってますが、要するに、「恋愛ドラマを描きたいなぁ」と思ってたりしてるワケです。俺が。


ヒントになったりしませんか?


ダメですか?

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