2009年11月5日木曜日

「チェンジリング」を観た

(iPhoneから書こうと思ってたんですが、上手くやれてませんでした…)

クリント・イーストウッド監督、アンジェリーナ・ジョリー主演の「チェンジリング」を観る。

タイトルのスペルは「changeling」ということで、“取り替え子”という意味のそういう言葉があるらしいですね。


チェンジリング。

まぁ、傑作ですよね。間違いなく。

シングルマザーが、誘拐事件と警察による偽装事件の2つの事件に遭う、という。
ストーリーの構造は、入れ子になってて、外枠に誘拐事件(正確には、大量誘拐殺人事件)があって、内枠に警察の腐敗によって騙され陥れられるストーリーがある、という形。

LAPDの腐敗っていうと、犯罪組織との繋がりだとか賄賂とか、というのが多く語られてきたと思うんですが、この作品では、なんつーか、もっとエグい、もっと救いのない、要するに人間的にダメなヤツら、という描写で。
この作品は実話を基にしているということなんで、この、警察組織の堕落っぷりっていうのは、マジなんでしょう。

ポイントは、“マスコミ”ですね。
まったく存在感がない。
これはもちろん意図的だと思うんですけど、正義の遂行者として役割も、埋もれた事実の発掘者としての役割も、あるいは単純に代弁者としての役割すらも与えられず、ただただ“権力”である警察のやることの片棒担ぎでしかなくって。
この、マスメディアをこういうポジションに置く、という構図は、この作品に“現代性”を与えているんじゃないかな、なんて。


“現代性”ってことでいうと、「働く女性」というA・ジョリーの役柄ですよね。父親が責任を放棄して逃げ出した、ということがセリフで語られるんだけど、なんつーか、そこへの怨み節みたいな演技はないワケです。
自立した女性。
電話交換手という職業は、恐らくですけど、当時では一番新しい産業の従事者、というか。要するに“進んでいる”人なワケですね。ローラースケートを履いた主任で、しかも昇進を打診される、という、仕事のできる人間。
しかし、警察や精神病院では、女性ゆえに(という描かれ方を実際にしている)半人前扱い、二級市民扱いをされてしまう、という。
「ミリオンダラー・ベイビー」で「闘う女性」を描いたクリント翁ですが、まぁ、地続きだよな、と。


画の感じも「ミリオンダラー・ベイビー」と良く似てて、黒味を強調した陰影のある画。
この作品の“黒さ”“暗さ”っていうのは、当時の街の実際の夜の暗さでもあるんで、ちょっと意味合いが違ってくる部分もあるんですが、これがとにかく効いています。
ただ、「ミリオンダラー・ベイビー」よりは、ちょっとだけ色調が押さえ気味でしたね。ちょっとだけ淡い感じで、画質もちょっと違う。
その辺は、CGとの親和性みたいなのとも関係してるのかもしれません。



入れ子の構造になってる、ということで、警察との戦いに勝利した(精神病棟から“救出”される)だけではストーリーは終わらず、ここが巧い所だと思ったんですけど、警察との戦い(ナントカ委員会)と、誘拐事件んの犯人との戦い(刑事裁判の公判)を、平行して描く、と。
これが、「まだ終わってない」という形になってて。

この組み立て方はかなりポイント高いです。
うっかりしたら、ここでカタルシスを感じちゃって、ちゃんちゃん、みたいになっちゃいますから。そうはさせない、ということで。(ただし、その分作品のトータルの時間は、長いです。2時間超えてる)


その後も諦めずに戦い続け、もう一つのクライマックスが、死刑執行と、その前夜の犯人との対面。
ここでの、必死に自制を保ちながら、しかし感情を剥き出しにしながら、犯人に真相を明らかにしろと迫るカットは、かなり迫力あります。
あと、凄いと思ったのは、その後の、別の被害者家族が再会を果たすシーンがあるんですね。
そこでのA・ジョリーの演技はかなり凄い。
再会の様子を、会話を部屋の外で聴いてるだけ、という演出も凄いなと思ったんですけど。

なんつーか、そういう、“母性”のすべての要素をすべて描き切ってると思うんですよ。
全部を演じ切ってる。
強さ、弱さ、脆さ、憎しみ、悲しみ、哀しみ、そして、美しさ。

戦い続ける強さ。
同時に、弱さ故に戦い続けてしまう、という哀しさ。



それから、もう1人、“共犯者”の少年役の存在感が素晴らしいよね。
この作品の特に核心部分になってる“誘拐犯”を巡るシークエンスのリアリティは、彼に寄りかかってる部分がかなり大きいんじゃないかな、と。
犯行を回想するシーンの、被害者を車に誘い込むカットと、もうひとつは、犯行を告白した刑事に命令されて死体を埋めた所を掘り返すカット。共犯を強いられてしまった彼の演技っていうのは、実際の被害者である主人公の息子の描写が殆どない(もちろんそれは意図的にで、再会できないままの主人公の喪失感を、ということだと思います)のもあって、犯行の悲劇性を高める効果があって。



ホントに、よく出来たシナリオだし、描き切る監督の手腕、演じきるA・ジョリーの演技力、どれも素晴らし、と。
そういう作品だと思いました。


うん。
傑作。



ただし、俺みたいに「闇の子供たち」と一緒には観ない方がいいです。
気分的に、ホントに沈鬱になり過ぎちゃって、ヤバいんで。

0 件のコメント:

コメントを投稿