2008年1月6日日曜日

「コレリ大尉のマンドリン」を観た

この間、深夜にテレビでやってた、「コレリ大尉のマンドリン」を観たので。

まず、これ、基本的に、コレリ大尉が主人公でもないし、マンドリンもたいして活躍しないんですよ。
去年観た「クローズド・ノート」の方が、マンドリン大活躍って感じでしたから。
だって、マンドリンっていうか、“歌声”の方がアレですからね。
主人公は、コレリ大尉のニコラス・ケイジではなく、“島の娘”ペネロペ・クルス。
そもそも、コレリ大尉っていうのは、映画が始まってからだいぶたって登場しますからねぇ。


ちなみに、個人的には、ニコラス・ケイジは大好きで、ワリと最近まで、ハリウッドではナンバー1の俳優さんだと思ってました。
いまはドン・チードルですけど。N・ケイジの前はデンゼル・ワシントン。

で、作品に戻りますが、なんつーか、このコレリ大尉のキャラクターの設定がそんなに好きじゃないっス。
軽薄な軍人、という、いかにもステロタイプなイタリア人を演じるワケです。ニコラス・ケイジが。まぁ、ニヤケ面も似合うっちゃ似合うんですけど、なんかねぇ。
実際の戦闘を経験したことの無い“大尉”ですが、後半の戦闘シーンでは、一生懸命指揮を取ったり取らなかったり、まぁ、イタリア軍は結局負けるワケですけど、それなりに力強く戦ったりするんですよ。ということは、それなりに“軍人らしい”トコもあるヤツ、ということになるっていうか、ね。
そこら辺が、イマイチ掴みきれないんですよねぇ。俺としては。
“実は立派な軍人”が、そもそも、こんなグダグダな駐屯生活を送るかね、とか、ね。まぁ、そこら辺がイタリア人ならではの感覚なんですよ、みたいなことなんでしょうかねぇ。


で、結局、この作品のテーマはいったいなんなんだろうと、最後までいまいち腑に落ちなかったりもしまして。
“戦争の悲劇”とか“無意味さ”とか、そういう事のハズだよなぁ、と、たまに疑問符が浮んできたりするんもんで。

作品は、前半と後半で、ちょっと雰囲気が違うんですよね。前半は、戦時下でありながらもトコトン牧歌的な島の生活を描き、後半で、それが徹底的に壊される、という風に展開するんですが、正直、俺としては、前半が長過ぎ。
侵攻してきた、コレリ大尉率いる駐屯兵たちと、ペネロペたちの地元の人たちとの、“心の交流”みたいのが描かれるんです。
で、その雰囲気が、ダークに一変するんですね。後半は。
非占領下の、パルチザンも登場してきて(ここに、ペネロペの婚約者も入っている)、先に降伏してしまったイタリアと、冷酷な(これもとてもステロタイプですよね)ドイツ軍の、なんだか三つ巴の戦闘に突入してしまう、という。
まぁ、戦争(というか、戦闘)を描写するワケなんで、ダークでもいいんだけど、それにしてもバランスがなぁ、と。

色んなことをやり過ぎてよく分かんなくなっちゃった、みたいな感じに受け取っちゃいましたけど。

占領軍の一員(コレリ大尉)と、パルチザンに参加している婚約者の間で、ペネロペはもっと苦しむんじゃないんだろうか。
これ、ワリとすぐにコレリ大尉の方に気持ちが行っちゃってるような描写もあるんですが、それはそれで不自然だと思うし、それだとホントに「何が言いたいの?」ってことになっちゃいますからねぇ。

いわゆるラブストーリーには必ず“障害物”“越えるべき壁”があるワケですが、それが“戦争”だとすると、「戦争って、そんなモンじゃねぇだろ」と。もっともっとデカい暗黒じゃないのかよ、みたいな、ね。

その辺の“やや軽い”感じが、違和感の元なのかもしれません。



ただ、ペネロペは、冒頭、前半、中盤、後半、ラストと、見事です。
可憐な“田舎の娘っこ”から、最後の“美しい女医師”までの成長。もの凄く美しく変化していくんですが、これはホントに素晴らしい。



あ、あと、ちょっと思ったのが、宮崎駿監督の「紅の豚」と舞台背景が一緒ですよね。
「豚」は、戦争が始まる直前のアドリア海が舞台で、こちらは戦争終盤ですけど。
でも、雰囲気の良く似たお店(喫茶店 兼 食料品店)も出てくるし。


それから、「真夜中の戦場」という、イーサン・ホーク主演の作品をチラッと思い出しました。これは日本では劇場未公開で、実は俺も映画は観てなくって、原作本を読んだだけなんですけど。ストーリーが素敵なんですよ。ま、気持ちとしては、こっちがお薦めですな。



ま、そんな感じでした。






DMMでレンタルも出来ます。
>>>コレリ大尉のマンドリン
>>>紅の豚

0 件のコメント:

コメントを投稿