2009年10月21日水曜日

「コンフェッション」を観た

というワケで、今日は今週の映画天国で観た「コンフェッション」の感想です。
ジョージ・クルーニーの監督デビュー作、ということで。


“コンフェッション”って、「告白」って意味らしいですね。知らなかった…。
題名の通り、主人公の男が自分の人生を「告白」していく、というストーリー。


で、告白されるストーリーが一筋縄でいかない(ま、だからこそ映画になるんだけど)、ということで、なんだかよく分からないまま話がどんどん進んでいく感じになってます。

個人的には特に前半の、なんだか“軽薄なコメディタッチのなんか”みたいな雰囲気が全然ダメで、惹き込まれるようになったのはホントに中盤以降ですね。

主人公が、自分の内面の“精神的な均衡”と保つために暗殺(つまり、合法的な殺人)を自ら欲するようになる、というあたりから。

その辺で、前半の、軽薄な、どこか浮ついたタッチで人生を描写する、という部分の意図が分かった、というか。
つまり、主人公の感覚がそうだった、ということですね。
自分が生きる人生や生活に「現実感」が欠如していた、という、そういう人物描写のための手段だった、と。
書割りのように表現される部分も、主人公の自己認識では、なにかの舞台の上で「自分という役柄」を演じさせられているだけ、みたいな感覚だった、と。

ここで、腑に落ちる、というか、しっくりきた、という感じで。


で、主人公がテレビ業界で成功するにつれて、その“浮ついた感”“非現実感”は、そのままテレビ業界における生活、という部分に、つまり主人公にとっては「日常という現実」にトレースされてきてしまう。
そして“現実化してしまった非現実感”に、耐えられない。

そこで、精神的なバランスを取るために、まごうことなき現実である“殺人”という現場に自ら赴く。


面白いのは、“殺人”の現場においても、“殺人者”という“自ら生み出したキャラクター”をまとう、という形で振る舞うんですね。主人公は。
帽子をハスに被り、黒いコートを着て、ミステリアスな女を抱く。

まるでひとつの“ゲーム”であるかのように、つまりそこでも“非現実感”に包まれている。


で。
ある局面で、東側に捕らえられるという体験をし、そこでの諸々を経て、“現実”に引き戻される。
というより、初めて現実に直面する、というか。


ドリュー・バリモア演じる彼女との結婚も避けてきた主人公が(それは、はっきりとは語られないんだけど、主人公の現実逃避のひとつだという描写でしょう)、ついに自分の命の危機を感じるに至って、自分がその時にいる“現実”を知る、と。


その後の、精神的に破綻しかけた主人公が、裸でテレビの前に立っている、という姿で描写されるんですが、これは多分、そこでは主人公は“裸の自分”というのを把握しているのだ、ということだと思うんですね。

今まで身にまとっていた“衣”をすべて脱ぎ捨てて、という。スパイでもなく、テレビ局のやり手プロデューサーでもなく、裸の自分。


ここで、最近の潮流としては「裸の自分なんていうのも虚像なんだ」というトコに落とし込んだりするワケですが、この作品では、そこまでは行きません。(というのが俺の解釈)


最後のヤマとして、裏切り者とのサスペンスタッチの対決を描いて、なんつーか、多分これが“落とし前”ということだと思うんだけど、最後は老人となった主人公の言葉で〆る、と。


ま、話の流れを追ってしまうと、こんな感じ。


ディテールとしては、ソダーバーグの「トラフィック」スタイルで、シークエンスごとに色のタッチを変えて、ということをしてますね。
過去のマンハッタンのテレビ局では光を飛ばしてパステルな感じ、中南米(多分メキシコだと思うんだけど)での初めての暗殺のシークエンスでは光量を多くしたザラザラしたタッチ、東ベルリンや東欧での暗殺のシークエンスでは黒味を強調したサスペンスタッチ、という感じで。LAでのテレビ局での生活、ニューヨークでの安ホテルでの隠匿生活、など、場面ごとに、ワリとあからさまにそういうことをやってる。
ま、個人的にはそういうのは凄い好きなんですけど(自分でもこういうのはやってみたい)、こういうのを安易って言う人もいるかもしれませんね。
いいと思うんですけどね。映画表現のひとつの進化だと思うんで。



あ、それから、なんつーか、ハリウッドにおける“派閥”じゃないけど、そういうのが垣間見えるのもこの作品のアレかも。
ジョージ・クルーニー一派、というか。
ソダーバーグとコーエン兄弟の作品には、G・クルーニーを初めとした、ワリと決まったメンツが出てますよね。
ブラピもそうだし、ジュリア・ロバーツもそうだし。
ちなみに、先週の「バーバー」の主演のビリー・ボブ・ソーントンは、アンジェリーナ・ジョリーの元旦那ですけど、もちろんA・ジョリーの今の旦那はブラピだからね。


あと、やっぱりジョージ・クルーニ―のこの後、ですかね。
この後に「シリアナ」という大作の製作・主演や「グッドナイト&グッドラック」の製作・監督・主演という見事な仕事をして、その後は「フィクサー」をソダーバーグと一緒に製作して。

ちなみに、これは知らなかったんですが、「ジャケット」という作品の製作もしてるんですね。この「ジャケット」という作品は、結構面白かった。



というワケで。
なんつーか、観る人を選ぶ作品ではありますよね。
普通に観たら、それこそ単なる“告白”で終わっちゃう、というか、「こういう人が居ました」で終わっちゃう作品だと思うんで。「CIAって凄いな」とか。

まぁ、そういう作品だって言えばその通りなんですが、もうちょっと深みや奥行きもありますよ、と。

そんな感じでした。



2009年10月20日火曜日

「バーバー」を観た

先週の「映画天国」(月曜映画の後釜です)で観た、コーエン兄弟の「バーバー」の感想です。


というか、久しぶりにレビューを書くんで、正直、なんだか書き方を忘れてしまった感じでして…。


コーエン兄弟。
「オー・ブラザー!」の後に作られた作品なんですねぇ。


う~ん。

面白いっちゃ面白いんですけど…。



まず、最初の印象は、なんといっても「モノクロ」である、というトコ。
「モノクロとは単に色がないというだけじゃない。もっとスペシャルなものなんだ」みたいなことを言っていたのは、フランスの天才マシュー・カソヴィッツですが、まぁ、コーエン兄弟にとってもチャレンジだってことなんでしょうかねぇ。
コーエン兄弟って、やっぱり、巧みにコントロールされた色彩感が特徴のひとつにあると思うんですよね。ロケーションや服やライトのチョイスってだけでなく、作品ごとに、全編にわたってちゃんと計算された色使い、というのが。
そういうのがこの作品にはないので。もちろん、そういう色彩感のひとつとしてモノクロが選択された、ということだとは思うんですが、なんつーか、別にねぇ、という。

この時代に、コーエン兄弟みたいなポジションの人たちが敢えてモノクロを導入する、というのには、やっぱりそれなりの“現代性”みたいなのがないとなぁ、なんて。
俺としては、あんまりそういうのは感じなかったんで…。
ひょっとしたら、映画館でデカいスクリーンで観たらまた違った印象だったのかもしれないんですけど


キャラクターの演出とか、すげーいいんですよねぇ。
セットとかの美術も凝ってるし。

でも、そういうのを含めた“時代感”が、モノクロであるというトコに寄りかかり過ぎてるんじゃないかなぁ、なんて。
コーエン兄弟ですからねぇ。
カラーでも全然出来る腕を持ってる人たちですから。


まぁ、そういうのは作品の本質とはあまり関係ないですね。




で。
作品のストーリー。


なんつーか、個人的には、この「まわり回って~」とか、「無常観的な傍観者としての主人公」とかって、あんまりピンとこないんです。

ひょっとしたら、こういうのって、いわゆる「東洋的な」って感じなのかなぁ、なんて。
別に新鮮じゃないんだよね。
この作品の主人公がとり憑かれている“諦念”って、ひょっとしたらアメリカ人には新鮮な概念なのかもしれないんだけど、それこそ「塞翁が馬」じゃないけど、別に「無くはない」みたいな印象で。
「別に…」って感じがしちゃうんだよなぁ。


“輪廻”とか“因果応報”とか、日本人にとってはそんなに目新しい概念でもないでしょ?



でも、さすがに鋭いショットは幾つもありましたね。
バーバーでのカットはどれもクールだしね。
「奥さんを逮捕した」と刑事たちが主人公に告げに来るシークエンスは、なんかは、セリフも含めて、巧いなぁと思ってしまいました。特に、床屋に刑事が入ってくるカットは、ね。
ちゃんと緊張感を持たせてるし、ホンの少しの間なんだけど、その緊張感を持続させて生かして、という演出になってる。
デパートの奥の部屋で殺人を犯してしまうシークエンスも良かった。
その前、酔っ払った奥さんがベッドに横になってて、呼び出されて家を出て行って、殺してから家に戻ってきて、ベッドに寝てる奥さんの横に、というトコも。
そういう部分のキレ味は、さすがという感じです。


あ、あと、スカーレット・ヨハンソンがピアノ売り場でピアノを弾いてるショット。
あれは良かった。

あのあたりは、殺人という“一線”を越えてしまった主人公が、急に哲学的なことを言い出したり、美しい音楽に惹かれるという、芸術的な感性が覚醒したり、という、とても面白い展開のパーツのひとつになってるんだけど。
なんていうか、一線を越えた後に、急に“人間性”に目覚める、みたいな。

それまで、なんとなく流されて生きてきた主人公の内面が、そこで少し変化し始める、という。
そこは面白いですよねぇ。

でも、その後にその「人間性の獲得」みたいなのが強調されるかっていうと、別にそうでもないんで、作り手の意図はあんまりそこにはなかったのかな、なんて。
俺の勘違いなのかもしれませんけど。



そんな感じかなぁ。


ただ、重要なことは、後の大傑作「ノーカントリー」にも通じる要素が幾つか見られる、というところですね。主人公の諦念は、「ノーカントリー」のハビエルにもやっぱり繋がってると思うんだよねぇ。
まぁでも、その辺は別に「ノーカントリー」を観ればいいってだけの話なんだけど。



というワケで、巧く書けませんでしたが、「バーバー」の感想でした。



2009年9月15日火曜日

伝統としての破壊と創造

新聞に、猿之助のスーパー歌舞伎を回顧した記事が載ってまして。
歌舞伎の世界は、まぁ、全然詳しくはないんだけど、俺の知識の範囲内でも全然読める、読み物としても面白い内容だったので、せっかくなんで、ここでご紹介。


86年2月、東京・新橋演舞場では、ふだんの歌舞伎公演ではまばらな若者の姿が目立っていた。世はバブル経済の上昇期。歌舞伎俳優の市川猿之助一門によるスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」が同月4日、ここで初演されたのだ。
歌舞伎で見慣れた、役者の影を作らない高明度の照明ではなく、闇を生かすような照明。想像上の怪鳥が飛翔するかのような宙乗り。ワーグナー楽劇を日本化し、メタリックに加工したような感触だった。
猿之助は「歌(音楽性)+舞(舞踏などの視覚的な楽しさ)+伎(演技・台詞術)」が三拍子揃った歌舞伎の復権を提唱。台詞は現代語に近く、音楽、衣装、照明、装置も刷新した。後に「スピード、ストーリー、スペクタクル」が旗印に。猿之助は初演時の筋書きに、心理を掘り下げて描く青山青果らの新歌舞伎に対し、「歌舞伎の面白さである歌、舞を忘れ、伎だけに片寄りすぎているように思われる」などと書いた。
むろん、歌舞伎は発生以来、変わり続けてきた。江戸期だけ見ても、変転があった。明治期の九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎の頃から古典化の道が始まり、新歌舞伎は歌舞伎に理知的な陰影を彫り込み、六代目菊五郎の世話物も時代の風を吹き込ませて新鮮だったとされる。69年の三島由紀夫作「椿説弓張月」は反時代的な観点からの変化だった。
古典化・高尚化を極めた六代目歌右衛門ら梨園の統治者が健在時に「歌舞伎を民衆の手に」と夢の実現に冷徹に向かった勇気と才能は歌舞伎史に輝く。
後続の主な試みは「視覚的効果」「未来の観客」に心を砕いている点などで通底するようだ。今、先頭を走るのは、中村勘三郎だろう。勘九郎時代の彼がまず組んだのが、演出家の串田和美だった。94年からの「コクーン歌舞伎」、仮設劇場を営む「平成中村座」。歌舞伎を現代に飛び込ませる姿勢が明確で、同時の歌舞伎の始原的姿を求める演劇活動にもなっている。
尾上菊五郎・菊之助らが演出家の蜷川幸雄と作り出したシェークスピア原作の「NINAGAWA 十二夜」は05年初演。鏡の演出、菊之助らの好演、音楽の妙味などで、そこはかとない王朝美を見せた。松本幸四郎らは、演劇としての歌舞伎を目指す歌舞伎企画集団「梨苑座」を00年に立ち上げた。
坂東玉三郎は泉鏡花原作「天主物語」などを06年、「高野聖」を08年に手がけた。台詞は現代語に近く、三味線音楽も際立たない。歌舞伎様式が溶解していく感覚。
スーパー歌舞伎は「心理主義」という当時の正統に対する、異端者による「視覚主義」の抵抗だった。


そういえば、以前、玉三郎のドキュメンタリーを観てたら(猿之助のお弟子さんにあたる)春猿と一緒に舞の稽古をしてて、「へぇ~」みたいに思った記憶があります。


で。
恐らく、この新歌舞伎っていうのがヌーベルバーグとかニューシネマとか、そういうのに当たるモノだったんでしょう。


ただ、実は猿之助一座も代替わりしてて、なんつーか、異端だったことの継承、つまり伝統化が始まっている、という。

記事中で書かれている勘三郎の次代の勘太郎も、いわゆる正統派のボンボンって感じで、端正だけど、親父が持ってる迫力みたいなのはあんまり備えてないよな、というか。(次男坊は酔って暴れたりして、そういう、エネルギーの大きさって意味では期待できるかもしれないけど)
で、そういう繰り返しの中で、色んなところに揺れたり揺り戻したり、つまり“揺れ”と、それが引き起こしてしまう“摩擦”自体もエネルギーとして進化の中に取り込んでしまう、という、ある意味で“異端”をメカニズムとして内包しているのが歌舞伎なのかな、なんて。
歌舞伎という、伝統芸能でありながら現代でも存在を誇示して(むしろ謳歌している)のは、そういう理由なのかなぁ、と。
まぁ、勝手に無理やり構図化しちゃうと、という話ですけど。



これもちょっと前なんだけど、確か蜷川幸雄が、寺島しのぶと松たか子を並べて評して、「梨園の女子として生まれ育った彼女たちには、女というだけで(家業からの)排除を被ってきた怨念みたいなものを背負っていて、その背負っているものが演技をしているなかに立ち昇ってくる」みたいなことを言ってて。
その言葉を借りるなら、そういう、女性性という新たな“異端”を内包している幸四郎・染五郎の系譜や、菊五郎・菊之助一座が今後その可能性を(恐らく、無意識のうちに)切り拓いていくのかな、なんて。
ま、勝手な想像ですけどね。



歌舞伎はねぇ。高校生のときに、課外授業かなんかで一回だけ観にいったことがあるんですよねぇ。モロに圧倒されちゃった記憶がある。
ちなみに、俺は大阪で人形浄瑠璃も観たことがあります。一回だけ。これはこれで、繊細なだけでない、なかなか重厚な世界でしたけど。



ま、全然知らない世界の話ですけど、こういう、偉大な伝統の歴史の中にも、いろいろウネリみたいなのがあった、と。そういうことですな。

2009年8月30日日曜日

小津安二郎+野田高梧/山田洋次+朝間義隆

書いていた作品が、なんとなく一段落したんで(別に書き終えたワケじゃない・・・)、小津監督の資料を探すべく、高円寺の古本屋をグルッと回ってきました。



見つけたのが、石坂昌三さんという方の「小津安二郎と茅ヶ崎館」というタイトルの本。
まだ一通りサラッと読んだだけで、小津監督と脚本家野田高梧がどんな方法論で書いていたかっていうトコまでは詳しくは書いてなかったんですが、なかに、こんな一節がありまして。



神楽坂の「和可菜」という旅館に籠もって、山田と朝間はワープロ一台を挟んで向かい合う。
山田が設定や状況を話し「こんなことは考えられないかナ」とボールを投げると、朝間がそれをキャッチして「それは不自然だよ。いまの若者はそんなことでは悩まない。後のことなど考えないで飛び出しちゃうよ」とボールを投げ返す。
2人はキャッチボール方式で、暴投があったり、脱線したりしながら、交代でワープロを打ち、ワン・シークエンスごとに仕上げて、話を進め、コンストラクションを練る。
日常見聞きしたエピソードや人物が下敷きになること、「松竹リアリズム」を守っていることは、小津の場合とそっくり同じ。シークエンスを書いた紙が、ワープロのディスプレイに代わっただけで、伝統を引き継いでいるといえる。

山田洋次監督のシナリオの執筆風景、ですね。


ポイントはやっぱり、「ワン・シークエンスごとに」ってトコなんだろうねぇ。
箱書きってことで。




ふむふむ。




もうちょっとまとめて書き残しておけるように、この本はまた再読します。




この本は、古本屋で800円だったんですが、アマゾンだと300円ぐらいみたいですね。
ま、安いっちゃ安いんだけど、やっぱり古本屋だと立ち読みできるっていうのが便利かな。この本もパラパラ立ち読みして買うって決めたからね。

ま、そういう話は別にいいっスね。


2009年8月14日金曜日

松本清張は泥道を歩いた

新聞に、松本清張を特集した連載が載ってまして。
深い話が満載で面白いんですが、そこからごくごく一部をご紹介。


とりあえず、ご本人の“独白”を。

ヒントを思いついて、それを形になりそうなアイデアに育てる。それから小説のプロットに作ってゆくのだが、「思索の愉しさ」はそこまで。あとは苦しい泥道を歩く。


「あ~、清張でもそうなんだ・・・」と。(ホントは呼び捨てしちゃいけない方なんスけどね)
あとは苦しい泥道を歩く。


連載のこの回は、松本清張には“情報源”が居た、という内容で、その情報源(の、1人?)だったという、梓林太郎さんという方がインタビューに応えてまして。

「清張さんに物語のヒントを提供しました」そう言って梓は一冊のファイルを見せてくれた。表紙に「M資料」の文字。松本のM。「清張さんはメモをよくなくしてしまうので、控えを作っていたんです」
出会いは60年。知り合いのテレビ関係者から「松本清張が会いたがっている」と言われた。「妙な話を知っている男」として梓が話題になったらしい。
(初対面後)「変わっていて面白い話はないかね」。その後、しばしば呼び出されるようになった。夜中の2時でも電話で起こされた。××省にはどんな局があるか。変わった名前の知り合いはいないか。「身勝手なんです。もうやめる、と何度も思った」。そんな日はあとで決まって「林しゃん」と優しい声で電話をかけてきた。「ほだされて、また行くわけです」

清張には大勢の取材者を抱えた工房がある、と邪推する人がいた。清張はそれを嫌った。梓とのやりとりも、若い知人との世間話を考えたかったに違いない。世間話は梓が作家デビューする80年まで続いた。

う~ん。普通にこのエピソード自体が面白い・・・。
これだけでひとつの作品になるよね。

しかし、20年間も、凄いね。この梓さんという方は、若い頃(清張に話題を提供していた頃)、企業専門の調査員をしていた、ということで。
そりゃ、いろんな話を知ってるんだろうけど。


で。
この記事の締めくくりがなかなか粋で、良かったんです。


世間話の相手もタクシーの同乗者もいない「泥道」。そこは作家の企業秘密だったのかも知れない。


うまいこと言うね、と。


記事の署名は湯瀬理佐という方。
お見事!

2009年8月5日水曜日

小津さん

最近、とんと作品を観てなくって、このブログも更新が滞ってます。


が。
決して映画のことを考えていないのではありません。

一応、作品を書いてまして、その間は自分の作品に集中しよう、と。
しかし!
その筆がさっぱり進まない、という、もう最悪の悪循環で、ただただ時間を浪費してしまう日々でして・・・。
まぁ、自己嫌悪というヤツですな。


つらいっス。



で。
土曜日の新聞に、小津さんの「東京物語」について、ロケ地(尾道)を訪ねる、みたいな記事が掲載されてまして。

その記事の中に、「小津日記」からの引用という形で、脚本の執筆風景がホンのちょっとだけ紹介されてまして。

たまには更新しないとなぁ、なんて、柄にもなく気にしてたのもあり、せっかくなんで、この“ホンのちょっとだけ”の部分のご紹介でお茶を濁そうかな、と。


「小津日記」53年2月4日に、共同脚本執筆者野田高梧と雑談のうちに「東京物語のあらましのストウリー出来る」とある。「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみた」と後に言う筋立ては出来たが、場面を造形していくのはこれからのことだ。
小津と野田が脚本執筆用定宿の神奈川県茅ヶ崎市は茅ヶ崎館に入ったのが2月14日、脱稿5月28日。「百三日間 酒一升瓶四十三本 食ってねつ のんでねつ ながめせしまに 金雀枝の花のさかり過ぎにけり」
酒を酌み交わしながら何だかんだとと話を練り上げていくのが野田と小津の方法である。恒星が成って原稿用紙に書き始めたのは4月8日。
その日、助監督塚本芳夫が白血病で入院、10日にあえなくなった。39歳。

この後、記事は「東京物語」には弟子筋であった助監督への追悼が込められているのだ、と続いていくんですが、そこは割愛させていただいて・・・。


「103日間、酒は一升瓶が43本。喰っちゃ寝て、飲んで寝て、眺めているうちに金雀枝(えにしだ)の花も盛りが過ぎてしまった」と。


飲み過ぎです。



「雑談から、酒を酌み交わしながら、何だかんだと会話をしながら、話を練り上げていく」と。


共同脚本システムっていったら、黒澤明監督が真っ先に語られたりしますが、小津さんは小津さんなりに、何か方法論があったんでしょうか。
2人で、どういう形で書いていったのか。
延々話しているだけでは、シナリオは完成しないワケで、どこかでシナリオの形、つまり“セリフとト書き”に落とし込んでいかないといけないワケですから。

機会があったら、調べたりしてみたいです。

野田高梧さんか。



ま、作品書き上げてからだな・・・。



苦しいよ~。

2009年7月16日木曜日

富野由悠季監督が吠える その2

富野監督が、日本外国特派員協会に招かれて講演した講演録からご紹介。

特派員協会では、色んな人が招かれてこういう形で講演をしてますよね。それこそ、宮崎駿監督もそうだし。(たしかここで、マンガ好きの麻生を「恥ずかしい」って言ったんだと思います)


で、さっそく。ちょっと長くなりますが、以下引用でっす。
オスカーをとっているスタジオジブリの宮崎駿監督のように、僕がなれなかったのはなぜか? 彼とは同年齢なのですが、「彼は作家であり、僕は作家ではなかった」。つまり、「能力の差であるということを現在になって認めざるを得ない」ということがとても悔しいことではあります。

富野さんの話には、毎度と言っていいほど宮崎さんの名前が出てくるんですが、まぁ、「意識してる」ということなのでしょう。
以前富野さんは、宮崎さんは鈴木敏夫さんという人間とチームを組んだから、オスカーを獲れるまでになったんだ、ということを言ってましたね。
その、スタジオワークについても。
今アニメーションという媒体に関しては危険な領域に入っていると思います。どういうことかと言うと、個人ワークの作品が輩出し始めていて、スタジオワークをないがしろにする傾向が今の若い世代に見えているということです。
スタジオワーク、本来集団で作るべき映画的な作業というものをないがしろにされている作品が将来的に良い方向に向かうとは思っていません。

不幸なことが1つあります。技術の問題です。デジタルワーク、つまりCGワークに偏りすぎることによって、昔、映画の世界であったスタジオワークというものが喪失し始めている。そのため、豊かな映像作品の文化を構築するようになるとは必ずしも思えないという部分があります。
ハリウッドの大作映画と言われているものがこの数年、年々つまらなくなっているのは便利すぎる映像技術があるからです。

ただ、文化的な行為ということで言えば、どのように過酷な時代であっても、逆にどんなに繁栄している時代であっても、その時代の人々はその時代に対して同調する、もしくは異議申し立てをするような表現をしたくなる衝動を持っています。
そういう意味でも、人間というのは社会的な動物であると思います。

まぁ、映像技術(というか、CG)に関しては、どんな時代にも常に“アンチ”は掲示されることになってるので、もうしばらくしたら、それはハイブリッドかもしれませんし、単なるアンチかもしれませんが、そういうモノがどこからか登場してるんだと思いますけどね。
願わくば、俺がそこに居れたらな、なんてことは思いますけど、まぁ、それは別の話ってことで。


大人を対象とする物語では、内向する物語(に、留まってしまうことが)が許されます。現実という事情の中でのすりあわせしか考えない、社会的な動物になってしまう大人にさわらないで済む物語を作ることができた、という意味ではとても幸せだったと思います。
また、大人向けを意識した時、「一過性的な物語になってしまう」という問題もあると思っています。(そうした物語から離脱できたことで)政治哲学者のハンナ・アーレントが指摘しているように、「独自に判断できる人々はごく限られた人しかいない」と痛感できる感性が育てられました。

う~ん。
子供向けだからこそ、真剣に作るのだ、みたいなことなんでしょうかねぇ。
これは、宮崎駿監督も似たようなことは言ってたかもしれない。「理屈で作っちゃダメなんだよ」とか、そんなことを。息子さんが監督した「ゲド戦記」を評して、そんなことを言っていた気がします。

物語を、敢えて破綻させるようなところまで持っていって(大風呂敷をめちゃめちゃ広げて)、それを無理やり回収していくことで“論理的”や“予定調和”や“ステレオタイプ”から脱出する、とか、そういうことなんでしょうかね。

もちろん、“定型”とも言える“構造”を利用しつつも、「子供向けなんだ」という“枷”をバネにして、構造から跳躍してなるべく遠くに着地する、と。
なんつって、ね。

言葉のアヤっスね。




今の日本では、アニメや漫画はかなりの大人までが鑑賞しているものになっています。
その風潮の中、僕のような年代が1つ嫌悪感を持っているのは、「アニメや漫画を考えることで作品が作れるとは思うな」ということです。つまり、「アニメや漫画が好きなだけで現場に入ってきた人々の作る作品というのは、どうしてもステレオタイプになる」ということです。
必ずしも現在皆さん方が目にしているようなアニメや漫画の作品が豊かだと僕は思いません。



(どういう作品がヒットするかという)問題に対して我々が回答を持っていないからこそ悪戦苦闘しているのであって、回答を持っていれば誰も何もやりませんし、勝手に暮らしていると思いますので、「成功する方法があったら教えてください」としか言えません。

僕が全体主義の言葉を持ち出した理由として、1つはっきりとした想定があります。「愚衆政治、多数決が正しいか」ということについては正しいとは言えない部分があるし、つまらない方向にいくだろうという部分もあります。
本来、ヒットするアートや作品というものは絶対に利益主義から生まれません。
固有の才能を大事にしなければいけないのに、全体主義が才能をつぶしている可能性はなきにしもあらずです。
ただ、スタジオを経営するためには『トイストーリー』を作り続けなければならない、という事情があることもよく分かる。「じゃあそこをどういう風にするか」ということについては、やってみなければ分からないから、やるしかないのです。


ちなみに、富野監督は、次回作の準備中だそうです。