2009年8月14日金曜日

松本清張は泥道を歩いた

新聞に、松本清張を特集した連載が載ってまして。
深い話が満載で面白いんですが、そこからごくごく一部をご紹介。


とりあえず、ご本人の“独白”を。

ヒントを思いついて、それを形になりそうなアイデアに育てる。それから小説のプロットに作ってゆくのだが、「思索の愉しさ」はそこまで。あとは苦しい泥道を歩く。


「あ~、清張でもそうなんだ・・・」と。(ホントは呼び捨てしちゃいけない方なんスけどね)
あとは苦しい泥道を歩く。


連載のこの回は、松本清張には“情報源”が居た、という内容で、その情報源(の、1人?)だったという、梓林太郎さんという方がインタビューに応えてまして。

「清張さんに物語のヒントを提供しました」そう言って梓は一冊のファイルを見せてくれた。表紙に「M資料」の文字。松本のM。「清張さんはメモをよくなくしてしまうので、控えを作っていたんです」
出会いは60年。知り合いのテレビ関係者から「松本清張が会いたがっている」と言われた。「妙な話を知っている男」として梓が話題になったらしい。
(初対面後)「変わっていて面白い話はないかね」。その後、しばしば呼び出されるようになった。夜中の2時でも電話で起こされた。××省にはどんな局があるか。変わった名前の知り合いはいないか。「身勝手なんです。もうやめる、と何度も思った」。そんな日はあとで決まって「林しゃん」と優しい声で電話をかけてきた。「ほだされて、また行くわけです」

清張には大勢の取材者を抱えた工房がある、と邪推する人がいた。清張はそれを嫌った。梓とのやりとりも、若い知人との世間話を考えたかったに違いない。世間話は梓が作家デビューする80年まで続いた。

う~ん。普通にこのエピソード自体が面白い・・・。
これだけでひとつの作品になるよね。

しかし、20年間も、凄いね。この梓さんという方は、若い頃(清張に話題を提供していた頃)、企業専門の調査員をしていた、ということで。
そりゃ、いろんな話を知ってるんだろうけど。


で。
この記事の締めくくりがなかなか粋で、良かったんです。


世間話の相手もタクシーの同乗者もいない「泥道」。そこは作家の企業秘密だったのかも知れない。


うまいこと言うね、と。


記事の署名は湯瀬理佐という方。
お見事!

0 件のコメント:

コメントを投稿