2009年10月20日火曜日

「バーバー」を観た

先週の「映画天国」(月曜映画の後釜です)で観た、コーエン兄弟の「バーバー」の感想です。


というか、久しぶりにレビューを書くんで、正直、なんだか書き方を忘れてしまった感じでして…。


コーエン兄弟。
「オー・ブラザー!」の後に作られた作品なんですねぇ。


う~ん。

面白いっちゃ面白いんですけど…。



まず、最初の印象は、なんといっても「モノクロ」である、というトコ。
「モノクロとは単に色がないというだけじゃない。もっとスペシャルなものなんだ」みたいなことを言っていたのは、フランスの天才マシュー・カソヴィッツですが、まぁ、コーエン兄弟にとってもチャレンジだってことなんでしょうかねぇ。
コーエン兄弟って、やっぱり、巧みにコントロールされた色彩感が特徴のひとつにあると思うんですよね。ロケーションや服やライトのチョイスってだけでなく、作品ごとに、全編にわたってちゃんと計算された色使い、というのが。
そういうのがこの作品にはないので。もちろん、そういう色彩感のひとつとしてモノクロが選択された、ということだとは思うんですが、なんつーか、別にねぇ、という。

この時代に、コーエン兄弟みたいなポジションの人たちが敢えてモノクロを導入する、というのには、やっぱりそれなりの“現代性”みたいなのがないとなぁ、なんて。
俺としては、あんまりそういうのは感じなかったんで…。
ひょっとしたら、映画館でデカいスクリーンで観たらまた違った印象だったのかもしれないんですけど


キャラクターの演出とか、すげーいいんですよねぇ。
セットとかの美術も凝ってるし。

でも、そういうのを含めた“時代感”が、モノクロであるというトコに寄りかかり過ぎてるんじゃないかなぁ、なんて。
コーエン兄弟ですからねぇ。
カラーでも全然出来る腕を持ってる人たちですから。


まぁ、そういうのは作品の本質とはあまり関係ないですね。




で。
作品のストーリー。


なんつーか、個人的には、この「まわり回って~」とか、「無常観的な傍観者としての主人公」とかって、あんまりピンとこないんです。

ひょっとしたら、こういうのって、いわゆる「東洋的な」って感じなのかなぁ、なんて。
別に新鮮じゃないんだよね。
この作品の主人公がとり憑かれている“諦念”って、ひょっとしたらアメリカ人には新鮮な概念なのかもしれないんだけど、それこそ「塞翁が馬」じゃないけど、別に「無くはない」みたいな印象で。
「別に…」って感じがしちゃうんだよなぁ。


“輪廻”とか“因果応報”とか、日本人にとってはそんなに目新しい概念でもないでしょ?



でも、さすがに鋭いショットは幾つもありましたね。
バーバーでのカットはどれもクールだしね。
「奥さんを逮捕した」と刑事たちが主人公に告げに来るシークエンスは、なんかは、セリフも含めて、巧いなぁと思ってしまいました。特に、床屋に刑事が入ってくるカットは、ね。
ちゃんと緊張感を持たせてるし、ホンの少しの間なんだけど、その緊張感を持続させて生かして、という演出になってる。
デパートの奥の部屋で殺人を犯してしまうシークエンスも良かった。
その前、酔っ払った奥さんがベッドに横になってて、呼び出されて家を出て行って、殺してから家に戻ってきて、ベッドに寝てる奥さんの横に、というトコも。
そういう部分のキレ味は、さすがという感じです。


あ、あと、スカーレット・ヨハンソンがピアノ売り場でピアノを弾いてるショット。
あれは良かった。

あのあたりは、殺人という“一線”を越えてしまった主人公が、急に哲学的なことを言い出したり、美しい音楽に惹かれるという、芸術的な感性が覚醒したり、という、とても面白い展開のパーツのひとつになってるんだけど。
なんていうか、一線を越えた後に、急に“人間性”に目覚める、みたいな。

それまで、なんとなく流されて生きてきた主人公の内面が、そこで少し変化し始める、という。
そこは面白いですよねぇ。

でも、その後にその「人間性の獲得」みたいなのが強調されるかっていうと、別にそうでもないんで、作り手の意図はあんまりそこにはなかったのかな、なんて。
俺の勘違いなのかもしれませんけど。



そんな感じかなぁ。


ただ、重要なことは、後の大傑作「ノーカントリー」にも通じる要素が幾つか見られる、というところですね。主人公の諦念は、「ノーカントリー」のハビエルにもやっぱり繋がってると思うんだよねぇ。
まぁでも、その辺は別に「ノーカントリー」を観ればいいってだけの話なんだけど。



というワケで、巧く書けませんでしたが、「バーバー」の感想でした。



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