2009年10月31日土曜日

赤川次郎、井上ひさし、小林多喜二、そしてサルトル

赤川次郎さんが新聞に連載しているコラムで、井上ひさしさんの、「蟹工船」の小林多喜二を描いた舞台「組曲虐殺」を観ての感想を書いてまして。



多喜二役の井上芳雄のファンなのか、若い観客も多かったが、多喜二が生き、そして虐殺された時代の空気をどう受け止めたのか、訊いてみたい気がする。
フランスの哲学者サルトルが、第二次世界大戦時のドイツ占領下ほど、自分が自由だったことはなかったと言っていたことがある。占領下では、自分の書く一つ一つの言葉が生命の安全を脅かしかねなかった。
「命がけで書く」というその覚悟がサルトルを鍛えたのだ。
今は権力を批判しても拷問され殺されることはないが、そうなると、むしろ現実から目を背け、内にこもってしまう書き手が多いようなのはどうしてだろう。



まぁ、サルトルにしか言えない言葉でもあるんですけどね。

それから、現在の“闘争の場”はまさに“内面化”されているからだ、という言い方もあるとは思うんですが。

ただし「命がけで書くというその覚悟が鍛えたのだ」と。
この言葉は大きいですよね。


占領下ほど自由だったことはなかった。


う~ん。


凄い。

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