2014年12月26日金曜日

「インターステラー」を観た

クリストファー・ノーラン監督の新作「インターステラー」を、クリスマスにイオンモール内のシネコン、Tジョイ京都で観た。


C・ノーランは、まぁ、言うまでもないことですけど、今一番旬なハリウッド・フィルムメーカーなワケですよねぇ。
「ダークナイト」で、シネフィルからマスマーケットまで、幅広く、各方面それぞれのツボをガッチリ掴んだワケで。


「インセプション」は、ディカプリオや渡辺謙やジョセフ・ゴードン=レヴィットといった、マネーメイク・スターをズラッと並べたオールスターキャストでしたが、今作は、もちろん“オールスター”ではあるんですけど、受けた印象としては、ちょっと地味め。

これは、実は、演出のアレなんですよね。
誰もが、「如何に実際にいるかのように」撮られていて、アン・ハサウェイも化粧っ気全然なしって感じで出てきますし。
主役マシュー・マコノヒーの“農夫”っぷりとか、なかなかですよねぇ。

今作においては、C・ノーランは、そういうリアリティをチョイスした、と。
そういうことですね。

作品において、どのレベルにリアリティを設定するのか、というのは、特にSFでは、とても大事な要素になってくるワケで。

「映画」というのは、そもそも“虚構”として撮影されるワケで、その、実際に撮影する段階では、所謂“現実”と同じ「リアリティのレベル」では、作らないワケです。
リアリティ度は下げる。フィクションの度合い、ということでいうと、上げる。
「作られた現実」というのは、そういうもので、そうしておいて初めて、「大画面での鑑賞に耐え得る」モノになる、と。


その、「リアリティのレベル」の調整に、C・ノーランは、自覚的なワケです。
「ダークナイト」では、唯一つ「バットマンがいる」という所“だけ”を、“虚構”としたワケですね。
これまでのアメコミの実写化作品よりも、「フィクションのレベル」を、グッと下げた。

「インセプション」では、一つの作品の中に、“現実”と“まるごと虚構の世界”とを同居させて、そこを自由に行き交う、みたいな作りになってて。


今作では、「リアリティのレベル」は、より引き下げられていて、そこから一気に飛躍する、という構成になっていますね。

農場から、宇宙船の中、という。
この構成を成立させる為には、オープニングのマシュー・マコノヒーの“農夫”としての存在感、というのは、とても大事な要素、ということなのでしょう。



で。


作品の主題からは逸れるかもしれませんが、個人的にちょっと感じた印象を書いておくと、「テクノロジー」と「キリスト教」、みたいなテーマを感じたんですね。

キリスト教、というか、まぁ、大きく括って「宗教」とか、あるいは「宗教的」というか。

キーワードとして、例えば「疫病」なんていう言葉も(訳語ではあるんですが)、ちょっと聖書の記述を連想させる感じがあったりして。

聖書に限らず、なんていうか、「疫病」って、ちょっと「古い言葉」ですよね。仰々しい、というか。
不作の正体は結局正確に明かされず、まぁ、温暖化とか気候の変化とか、そういう“解釈”をさせていますけど。

例えば、「十二人の宇宙飛行士が先行している」エピソードの“12”という数字は、使徒を思わせるし、「そのうちの三人がメッセージを送ってきている」なんていうのも、「東方の三賢者」を思わせるし、水(液体)に覆われた惑星の地表の描写は、もちろん「ノアの方舟」の「大洪水」を思わせるトピックだし。

そもそも、「何者か」からのメッセージを受けて、それを解読し、という、最初の主人公と娘の謎解きシークエンスも、やっぱり宗教的な匂いを感じさせるし。


しかし、ということですね。
「何者か」の正体は、未来の自分、というか、五次元空間からメッセージを送っていた自分、というオチだし、最後には、人類は宇宙ステーションを“自作”することが出来ているし、再び主人公を(“密航者”としてではあるものの)送り出すことが出来るし、つまり、人類は、自分たちのテクノロジーの力によって、(なんとか)天変地異の脅威から生き延びることが出来るのだ、と。

そういう主題を感じてしまったんですよねぇ。

孤独に耐えられなくて、人類全体を騙すマット・デイモンは、人間が本質的に持つ弱さを体現している存在だけれども、同時に、最後まで希望を失わない精神や、自己犠牲を厭わない、という、そういう人間たちも、描かれていて。
特に、主人公の娘は、父親に捨てられたという感覚に苛まれながら、しかしその孤独感には、打ち克っているワケで。

まぁ、人間賛歌、というか、ね。


父と娘の愛、というだけでなく。



あと、ちょっと思ったのが、「父と息子」の話じゃないんだな、と。
「父と息子」というのは、アメリカ映画の普遍的なテーマなワケで。
それこそ「バットマン」にも、「父と息子」というテーマは内在しているし。
そこは新鮮でした。


子役の、健気な感じとか、泣き顔とか、良かったです。




ただし。






なんていうか、SFの、タイムスリップを扱う作品なんかだと、「未来の自分が過去の自分を救う」というオチは、結構使い古されているものでもあって。
ブラックホールも。

そういう意味では、「インセプション」の「夢の中に入り込んで潜在意識を植え付けて、帰ってくる」というギミックは、ホントに面白かったんだけど、今作では、そういう“驚き”は、あんまりなかったんですよねぇ。


大風呂敷の包み方、というか。

まぁ、人間賛歌とする為には、必要なギミックではあるので、良いっちゃ良いんですけど。


そこだけ。



例えば、スタートレックなんかでも、タイムスリップものっていうのは、あるワケですよ。
ただ、スタートレックは、それこそ何十年もかけて世界観を丸ごと構築しておいて、ということなワケで。
やっぱり、太陽系と時空を股にかけて、というスケールの話っていうのは、どうしても手間暇が掛かってしまうもんですからねぇ。
太陽系外探査とタイムスリップと、人類滅亡の危機と、家族愛を、ということになると、なかなか大変になっちゃうワケで。

そういう意味では、上手な脚本だとは思いますけど、やっぱり、ね。
長いし(二時間半以上)。







なんか、単純に、マット・デイモンは嘘をついていた、という展開に普通にビックリしちゃったりとか、そういうアレはあるんですけど。
「重力の謎を解明することはできないことが分かっていた」というのも、ストーリーの展開としては、面白かったし。
「マジか?」という感じで。







ちょっと前に公開されてた、ノーラン組で製作された「トランセンデンス」が、なんかイマイチだったのを思い出して、今作と比べてしまいまして。
「やっぱ、(脚本の)ジョナサン・ノーランがいい仕事してんだな」と。
そんなことも、思いましたね。




というワケで、物凄い期待してたので、その分ちょっとした所が気になってしまって、というアレで若干マイナスですが、面白かったのは面白かったな、と。


良い作品でした。
C・ノーラン。次作にも引き続き、超期待。















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