2014年2月5日水曜日

「ストーン」を観た

CS(FOXムービー)でやってたのを録画してあった、ロバート・デニーロ主演の「ストーン」を観た。


いや、平日の昼間からなかなかなモノをぶっこんで来るな、という、CS放送の番組編成の奥深さを改めて感じた作品だったんですが、とにかく地味で、かつ、かなり深くえぐってくる、という作品でした。

テーマはずばり「信仰心」。
“宗教”とか、具体的な“キリスト教”とかよりも、もうちょっと深く踏み込んだ領域を描こうとしています。
デニーロ演じる主人公は、刑務所の職員として、仮釈放を望む囚人たちを審査するのが仕事。(看守ではない)
そのデニーロに仮釈放の審査を申請している囚人役に、エドワード・ノートン。
その囚人の妻で、主人公を誘惑する役が、ミラ・ジョボヴィッチ。
もう一人、大事なキャラクターで、主人公の奥さん、という人物が出てきて、だいたいこの四人でストーリーが回っていきます。


とりあえず、仮釈放の申請をするエドワード・ノートンと、それを審査するデニーロ、という構図が多いんですけど、ノートンは、刑務所内での生活の中で、一枚のパンフレットを手にして、そこに書かれている、やや“カルト”チックな教義に影響されて、なんていうか、ある種の“信仰への目覚め”を経て、人間性がちょっと変わってくるんですね。


片や、真面目人間として描かれるデニーロなんですけど、そもそも冒頭で描かれる“悪徳”と、なんと、ミラに誘惑されて“堕ちてしまう”、ということで、“善人”と“悪人”が、立場が入れ替わってしまって、と。
そういう話です。



「ストーン」というのは、E・ノートン演じるキャラクターの苗字なんですけど、なにか他に意味を含ませている言葉なのかは、ちょっと分かりませんでした。
多分、あるとは思うんですけど。
なんなんでしょう?
「石みたいな人間」ってことなんでしょうかね?
固い≒硬い・堅い、とか、無感動、とか。
不感症のことを、なんかこんな言葉(スラング)で言ってたのを、観たか読んだかした記憶がありますけど、ちょっと自信ありません…。


あと、なんつってもミラ・ジョボヴィッチ。

アメリカの、特にインディペンデント系の映画には、何故か、こういう「無邪気で、美人で、物凄い魅力的で、男を惹きつけてやまない」女、というのが良く登場するんですよねぇ。
コケティッシュで、本人は無自覚なんだけど、周囲の男たちを振り回して、そして男はグチャグチャに巻き込まれて、人生の泥沼に堕ちていく、というストーリー。

こういう、なんかとんでもない魅力を持った女に振り回されたい、みたいな潜在的な願望があるんでしょうか。

殆どの場合、オツムがちょっと足んない、という感じで描かれるんですけど、その、コケティッシュ、というトコが、いわゆるファムファタールとはちょっと違うニュアンスなんですけど。


なんか、“そういう女”への憧憬、みたいなのがあるんですかねぇ。
そこら辺の感覚は、ちょっと分からないんですけど、とにかく、ミラが演じるキャラクターっていうのは、そういう感じ。
デニーロが、ミラに誘惑される、と。そういう話。
同時に、自分の“信仰”に疑問を抱いてしまう。

E・ノートンは、かなりエキセントリックに信仰にハマっていくんですが、対照的に、デニーロは、自分の信仰心への不信感を覚えてしまう。

それは、どちらも、それまでの自分の人生そのものに対する疑問なワケですよね。
自分の人生丸ごとを、否定しないといけなくなってくる。


ただですねぇ。
この作品は、情報量が多いタイプの作品ではないワケです。
テンポで引っ張る作品でもない、情報量の密度を上げて惹きつけるタイプでもない、と。
間、というか、隙間がいっぱいある。
で、観る側が、その隙間の時間に、考えさせられる、と。
そういう隙間があることで、受け手が自分で考えさせられる、そのことが作品に奥行きを与えている、と。
そういうことなんだと思います。


とにかく地味だし、テーマも抽象的で突き刺さるアレでもないんですけど、不思議な説得力がある、という、そういう作品でした。




0 件のコメント:

コメントを投稿