2010年7月14日水曜日

「ソウルパワー」を観る

吉祥寺のバウスシアターで、「ソウルパワー」を観る。

いやぁ。 素晴らしかった!

 SOUL POWER!

 実は、もう10年越しぐらいのアレなワケですよ!

 待望の劇場公開だったワケです。
 実は、この作品は、かなり有名な姉妹作があるんですね。 
 この作品は、「ザイール74」という音楽フェスティバルを追ったドキュメンタリーなワケですが、主要な登場人物の中に、モハメド・アリが登場します。 ボクサーの。 
 なぜか。 「ザイール74」は、そもそもが、ドン・キングという(のちの悪名高き、ということになるワケですが)黒人のプロモーターが、アリvsジョージ・フォアマンのボクシングヘビー級タイトルマッチと併せて企画した“祭典”だったんですね。
 「Rumble in the Jungle」とキングが名づけたその一戦は、のちに「キンシャサの奇跡」と呼ばれるんですが(周知のとおり、アリが勝つ)、このタイトルマッチが、「モハメド・アリ かけがえのない日々」というドキュメンタリー映画として遺されているんです。 
 もう10年以上前に、この作品を、渋谷のシネマライズで観たワケですねぇ。 
(あの頃のシネマライズの上映ラインナップは、もうホントにエッジが効いてて、ずいぶん通ったことを覚えてます) 
 当時から、当然“音楽祭”の方を収めた映画がある、ということは知ってたんですが、それがこの「ソウルパワー」だったワケですね。 

 まーねー。
 個人的な思い入れみたいなのは、この辺に留めておいて、作品について背景を軽く説明しておくと、まず、この“大イベント”が行われたのは、イベントのタイトルにも掲げられているように、1974年。 
アメリカでは、公民権運動を経て、黒人たちの政治意識が最高潮に高まっていた時期です。 

 というより、そもそも「なぜアメリカの黒人たちがザイールに大挙してやってきたのか」という部分の説明が必要かもしれませんね。 

 公民権運動(と、呼ばれる人種差別への抗議運動)の盛り上がりの中で、その中の一つの潮流として、黒人たちの“故郷”であるアフリカに帰ろう、という動きがあったんです。 
実際に帰る、ということとは違って、要するに「精神的なつながりを意識しよう」という運動だったワケですが。 アフリカを、マザーランド(mother land)、つまり母国、母なる大陸と呼んだりして、自分たちのルーツを確認しよう、ということが盛んに言われていた、と。 
 そういう背景があるんですね。 
 で。 祭典を催す、と。 
その様子が、断片的になんですが、この作品に遺されている、と。 
 ともかく、熱量がハンパないですよね。 

 冒頭、キングのスピットとアリのチャント(合いの手)。 そこから、赤ん坊の泣き声につながっていくんです。 そして、そこに「母性賛歌」のバラッドが被せられる、という。そういうオープニングなんですけど。 
 言葉、泣き声、そして、鼓動(ハートビート)。自分の鼓動と、その胸に抱かれている母親の鼓動とのポリリズム。 音楽の根源がそこにあり、そして、物理的な「ルーツ」としてのアフリカ大陸。母国。マザーランド。 
 そういうことなワケですよ。 

 マヌー・ディバンゴが、路地で、野次馬に手拍子をさせて、そこで“セッション”を始める、という強烈なインサートがあったりして。 

 彼らが感じている“解放感”と“高揚感”ですね。 
 作品の中で、登場人物の一人が「ここにいると落ち着く」と言うワケです。
アフリカ大陸で、同じ肌の色の人間に囲まれている、というシチュエーションに、居心地のよさを感じる、と。 
 当時、彼らが暮らすアメリカ国内では、マイノリティーとして、白人たちの“悪意”に囲まれて生活していたワケです。 そういう緊張感から解放されている、という。 
 また、彼らミュージシャンたちが、見事な言葉を語るワケですよねぇ。 それぞれが、それぞれの言葉で。
 マルコムXの影響を受け、イスラム教に改宗した、という経緯を持つモハメド・アリは(アリは、改名もしています。カシアス・クレイという名前だったのを、改宗を機に、預言者にちなんだ名前に改名している)、当然、反キリスト教徒という立場で言葉を語ってますし(というか、一番喋るのが、アリ)、他のミュージシャンたちも、繰り返し繰り返し、「黒人たちは連帯しなければならない」といったことや、「アフリカに帰ってこれて嬉しい」というようなことを語ります。 
 彼らの言葉がねぇ。 
素晴らしいですよね。ひとつひとつが。 

 それから、なにより、パフォーマンス。 
 とにかく素晴らしい。 
 ソウルの、スピナーズ(このダンスのフットワーク! 最高!)。
ブルーズのキング、B.B.キング。
ラテンの、ファニア・オールスターズ。 
そしてなにより、ファンクの帝王、ジェイムズ・ブラウン。
 アメリカからだけでなく、アフリカ大陸のミュージシャンも、ズラッと。 
 どれもこれも、強烈なリズム! 
 リズムに熱狂する観衆たち!
 そして、熱くリズムを叩くミュージシャンたち。 
リズムという音波に弾かれるように躍動するダンサーたち。
 最高ですよ。 

 個人的に、ベストパフォーマンスだと思ったのは、実はファニア・オールスターズで、パフォーマンスを観るのが初めて、というのもあったんだけど、その、ラテンビートの“ルーツ”も、ファンクやブルーズやソウルと同じくアフリカ大陸にあるんだ、ということが、かなり強烈に示されているな、と。 
 あと、交差点の歩道のところで演奏しているバンド。 このバンドは、かなりクールだった。 ひょっとしたら名前のある人たちかもしれないんですが、俺はちょっと分かりませんでした。
クールだったけどね。 
 まぁ、そんなこんなですよねぇ。 語り尽くせない。 

 その、「映画作品」としては、妙な“粗”みたいなのもあったりするワケですけどね。 
前半部分、プロジェクトが計画どおり進んでいかない、という描写があるワケです。白人の眼鏡をかけた投資家、という人物が、ずっと苛立った顔をしてて。 
 その人物は、結局、最後の方はまったく出てこなくて。 
ライブの音の洪水の前に、どっかに消えてしまっている。 まぁ、映画としては、そういうのは、ね。 ダメなワケですけど。 
 どこかでちゃんと「ちゃんちゃん」という部分を見せないといけない。 
最後に見せないなら、最初から出さない、ということじゃないといけない。 
 そういうのは、ありません。 

 まぁでも、いいでしょ。 キンシャサで踊り狂うJBが拝める、というだけで、すでに十分すぎる価値があるワケですから。 
 うん。 

 ちなみに、これは諸々書きにくいことですが、この作品の舞台になるザイールは、実は政治的にはこの頃から既に腐敗していて、この後もずっと、長く暗い独裁政治が続くことになります(体制の主は変わりましたが、“独裁”という状況は現在でもあまり変わりません)。 
 もちろん、当時あった南アフリカのアパルトヘイトは、のちに制度としては撤廃されました。 ただ、アフリカでも、そして、アメリカでも、黒人たちの“貧困”という問題は、まったくと言っていい程、解決はされていません。 
 この辺りがねぇ。 
 ちょっと、ね。 複雑なんですが、逆に、グッときたりして。 
 まだ続いているんだ、という、ね。 JBが、最後にカメラに向かって言うメッセージがあって、それはまだ終わってないんだ、と。 そういうことなんですよ。 うん。 

 ソウルパワー。
 素晴らしい作品でした。 

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