2009年1月2日金曜日

「叫」を観る

黒沢清監督の「叫」を観る。

2006年公開ですから、三年前ですか。


しかし、なんて暗鬱な気持ちにさせる映画なんだろう。

まるで横溝正史の世界だしね。しかも、わずか15年前の怨霊にたたられる、という。

オープニングカットの、妙に「虚構」感が強調されたカットで、赤いワンピースの女が殺されて。なんか変だなぁ、なんて思いながら話が進んでいくんですけど。

赤いワンピースの女は、“東京”という“地場”の怨みを象徴してる、と。
その、失敗国家ならぬ、「失敗した都市」として、東京が描かれていて。特に前半部分では、そこら辺が繰り返し表現されてますよね。セリフであったり、ショットであったりという形で。
わずか15年前には、まだ“東京”には色んな夢とか将来図とか、そういうのが「皆に信じられていたんだけど」みたいな。そんな感じ。
かつての「ウォーターフロント」ですからね。“東京”という失敗都市の虚像の部分が、あの場所に集約されている、と。スラムとしての東京、廃墟としての東京。うち棄てられた、東京という都市がかつて持っていた何かの、その象徴が、赤いワンピースの女の“叫び”なのだ、と。

「加害者」たちは、ある法則を持って、赤いワンピースの女性に選ばれるワケですね。それは、セリフを引用するなら「自分のことを見ていない」。ざっくり言うと、孤独感。「孤独」ではなく「孤独感」。
「独りで生きていけるように」育てた娘が、しかし、その恋人に殺されるという、最初の事件の背景にある、「孤独な人間」の物語。
その「コミュニケーション不全」に対する罰、という意味で、殺されるワケですね。被害者たちは。
「自分に心を開かない息子」を、その罰として殺す父親。恐らく「独りで生きていける」彼女を、その罰として、彼女の親にまで依存しないと生きていけない彼氏が殺す。
相手が、自分の思うとおりにならないから。
例えば、警察署内の刑事たちは、互いに向き合うことなく、同じ方向を向いているように並んでいる。互いに、背中越しに会話する、という。
廃墟の地縛霊となった赤いワンピースの女が、分かり合えない彼らを、お互いに殺し合うようにしむける、と。

でも不思議なのは、最後に伊原剛志が殺されちゃうことですねぇ。彼は“相棒”である主人公を心配してるワケですから。
彼は、主人公の生活に、かなり干渉している。カウンセリングを受けるように勧めたり、心配して団地の部屋を訪ねたりしてて。
あれは、小西真奈美の、「ジャマをするな」という怨霊なんでしょうか。
逆に、それは、その伊原剛志の“関心”がただの上っ面でしかない、というアイロニーの暴露なんでしょうか。「もっと早く気づけよ」みたいな。「同僚なら」と。
オダギリジョーのカウンセラーが、妙に過剰反応するシーンがありますけど、あれも実は、彼も赤いワンピースの女の鏡の像を見たことがあって、みたいなことの示唆なのかもしれません。深読みしすぎかもしれないけどね。

葉月里緒奈≒小西真奈美なワケですね。
中盤、赤いワンピースの女に追われるシークエンスの後、「赤い薔薇」がプリントされたワンピース姿の小西真奈美のカットに繋がれるんですけど、個人的にはそこが一番衝撃的だったかも。「うわっ」みたいな。「やっぱ一緒なんだな」という。“一緒”というか、“同類”。「赤い薔薇」で、殆どが赤い色で占められているワンピースを着ている小西真奈美。
療養所の廃墟に、葉月里緒奈と思われる女性の、子供を抱いている昔の写真がありましたけど、それは、女性=母親であることの強調で。

長い黒髪の女性、という、まぁ、「仮想母」みたいなアレですからね。主人公と小西真奈美も、決して裸で抱き合うんじゃなく、膝に頭を寄せて、物理的に抱かれるだけ、ですから。
成長しない男、というか。幼いマチズモ。
自分を殺す、という罪すらも、主人公は許されてしまう、という。

で、自分の胸の中にすがり付いてくる主人公を抱き締めながら、小西真奈美が見せる表情の強さ。
あの表情は、なんつーか、彼女もそういう「擬似母子」みたいな関係を望んでいた、みたいな表現なのか。それとも、そういう関係に対する嫌悪感、というか、そういう関係性しか求めてこない男に対する怒りなのか。
逆に、旅立とうとする時に、駅の構内に1人で置き去りにされる時の、小西真奈美の、虚無と諦念を感じさせる表情。まぁ、いい演技だよなぁ、と。ホントに。


ラストでは、その“母親”の骨を拾う表現があるので、もしかしたら、「母殺し」のストーリーなんでしょうか?
「母殺し」というか、母を越える、つまり成長して大人になる、みたいな。そういう物語ってことでいいのかなぁ。

どうなんでしょう。いいんでしょうか。


う~ん。
前作「LOFT」の中谷美紀も、確かあんな表情をしてたなぁ。というか、確か似たような存在だったような・・・。

いや。つらつら書いてしまいましたけど、ホントは全然ピント外れ、みたいな可能性もあるかもね。
「そうじゃねぇだろ」みたいな。
もっと映像美を観ろよ、とか、常に左右のどちらかに偏ってる(個人的には左が多かった気がします)構図の巧さと気持ち悪さを感じろよ、とか。
ホラー・サスペンスの部分はどうなってんだよ、とか。
ま、あしからず、ということで。



まぁしかし、葉月里緒奈の、ちょっと病的な顔の造りっていうのは、亡霊役にぴったりですね。マジで怖い。というか、気持ち悪い。
なんかやっぱり、顔のパーツのバランスが、どっか違う感じになってますよね。あんな顔を作られたら、寝れないっス。


小西真奈美は、個人的に好きっていうのもあるけど、ホントに美しいです。怖いけど。


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