2008年10月19日日曜日

「レイクサイド マーダーケース」を観る

なぜか、土曜の午後というワケの分からない時間に放送されていた、青山真治監督の「レイクサイド マーダーケース」を観る。

とりあえず言っておきたいのは、このタイトルが超クールってトコですよね。原作は「レイクサイド」という小説(著者は東野圭吾)なんですが。
ちなみに、訳したら「湖畔の殺人事件」ってことで、とたんに火曜サスペンスになっちゃうんですが。(確かにキャストもそれっぽいけど)。
でも、「レイクサイド マーダーケース」ですからね。語感がクール。


もう一つ気になったのは、ワリと観る側を選ぶな、ということ。それは、いわゆるリテラシーの有無ってことだけじゃなくって、「世代」じゃないかなぁ、と。

これは、かなり極私的な、ちょっと正直なアレの吐露なんですが、この、青山さんたちの世代の作る映画って、嫌いだったんです。10年くらい前の話なんですけど。
(あ、今は違いますよ)
世代論でっていうのは、俺が勝手にそう一括りにしてるだけなんですけど。
「なんで、こんな小さな物語ばっかりなんだよ」と。映画館に行って、そこにある新作のチラシを全部持って帰って、作品の紹介を読んで、いつもそう思ってて。
まぁ、今なら、その意図や価値や意味や、そうならざるを得ない理由だったりとか、諸々が理解出来るんですが。当時は、そうだったんです。
「友だちが出来ないとか、先が見えないとか、そんな話ばっかりじゃねぇかよ」と、まぁ、そんな風に思ってたんですね。
なおかつ、「そこから先に進んでない」気がしてたんです。ステップアップしていってない気が。別に、監督本人が望めば、同じ場所に留まり続けてもいいワケだし、もちろん、実際は前進・深化してて、それに俺が気付いてないだけ、ということだったんでしょうが、(あくまで)当時は「そこを退いてくれないと、次の人間が出て来れないんじゃないのか?」という感じで。
そんなことをついついポロッと言ってしまったばっかりに、橋口亮輔監督のファンの人とちょっとした口論みたいになったこともあったりして。

いや、全部若気の至りですよ。正直な告白をしてるってだけで、今はそんなことは思ってません。

で、この作品は、4年前に公開された作品なんですが、監督(と、原作者)は恐らく、同世代に向けてこの作品を放ったんじゃないんだろうか、と。「家族」というテーマで。

正直、「親なのに子どもを理解出来ない」なんてセリフ、あんまりピンと来ないんですよね。俺としては。
もちろん、俺に子供が出来たら、また変わってくるんでしょうが。

まぁ、“理解”云々はともかくとして。
その、「“親”とはこうあるべきだ」という規範がまずあって、という物語ですからね。規範に対する葛藤とか苦悩とか。
もうちょっと世代が下ってくると、だいたいその規範自体がもうなくなってたりするワケで。

例えば「積み木ナントカ」でもそうだけど、「家族が壊れていく過程」を描く作品、というのが、ある時代においては、それこそ大量に作られたワケです。「家族ゲーム」もそうでしょうけど。
で、その後には、「壊れた家庭を修復しようとする親」とか、「父親」とか、「守ろうとする母親」とか、そういうのに主題がスライドしてくる。子供が家族を繋ぎ留めようと奮闘したり、とか。
で、この作品では、「せめて外枠だけでは」とか、「崩れている家庭を受け入れようとする父親」とか、そんな姿が描かれる、と。作中、誰も“修復”しようと動いたりはしませんからねぇ。つまり、ここで描かれている家族の姿というのは、既に壊れていて、その状態に誰も何もどうしようない、という。途方に暮れちゃっている感じ。子供すらも。
唯一(正確には、トヨエツも、ですけど)継父だけが、まだどうにかなるんじゃないか、と、無精ひげ面で叫んだりする。
で、それを、「いかにも青臭い」的に描く、と。

個人的には、“その先”に今はフォーカスしたい、みたいな感じなので。


うん。この作品でも、最後にトヨエツが示唆してたりするんですけどねぇ。あの、親たちに浴びせる罵声こそが、実は、次のアウフヘーベンの素となるアンチテーゼ(もしくは、テーゼそのもの)なんだと思うんですが。



と、なんだか生意気口調でつらつら書いてしまいましたが、個人的なアレは、とりあえずここまで。



作品は、まぁ、素晴らしいですよね。昼間にこんなブツを観ちゃったおかげで、今日のバイトは全く身が入りませんでした。

最初の20分くらい、登場人物たちの白々しさを表現する為に、徹底的に「間」を外してるんですね。“最初の”というのは、死体が現れる前まで、ということで、それ以降は、「間」のズレはなくなって、まぁ、ピタッピタッとキッチリ撮っていく、と。登場人物たちも、本音全開になりますからね。
柄本明さんなんか、ホントに気持ち悪いし。(ちなみに、俺はスズナリ劇場の前で、ご本人を見かけたことがあります。なんか、下着みたいなランニングを着て歩いてた記憶が・・・)
それから、黒田福美さんも、そうとう気持ち悪い。顔がキレイなだけに、余計にそんな感じです。

トリック自体は、まぁ、オリエント急行ネタというか、そんなにビックリはしないんですが、やっぱり、その動機ですよね。「血の繋がり」というのが最後に伏線になってくるとは、思ってなかったので。

そして最後の、実は5人が喪服を着ている、みたいになってて。それが、継父の「青臭さ」みたいのを逆説的に浮かび上がらせている、という。
「死んだ人を弔う気持ちはあるのだ。でも」という形になってるワケです。黒い服の5人が林の中に並ぶ姿が。

その辺の、情報の盛り込み方、というか、情念の描き方、というか、まぁ、ビンビンですな。

音楽もクール。調べたら、松尾潔さんが音楽を担当してました。さすがKC。分かってますね。



あ、それから、世代の話に戻っちゃいますけど、実は「世代間闘争」にもなってるんですね。柄本さんが「若いだけじゃないですか」ってセリフを言ってますが、その、死んじゃう彼女の若さが、憎かったりするんだろう、と。
それは、子供たちに対しても、そうだろうし。
自分たちの価値観に対する、若い世代からの挑戦があって、それに対して必死に抵抗している物語でもあるんじゃないか、と。

あとはまぁ、鶴見辰吾と杉田かおるの夫婦役というキャストですよね。これは完全に、同世代へのメッセージでしょう。もちろん、薬師丸ひろ子もそうだけど。



つーワケで、この辺で。昼間にテレビで観たっていうことで、画面がちょっと明るくなってたのが残念ですかね。あんまり“暗闇”って感じになってなかったので。夜中とか、それこそ映画館で観れば、もっと黒味が効いてて良かったんだと思います。
あ、あと、別荘の“汚し”が足りないかな、なんて。いかにも新設したセットです、みたいな外観になってたので。
いや、無理やりケチ付けてもしょうがないっスね。
いい作品でした。



0 件のコメント:

コメントを投稿