2008年10月9日木曜日

香川照之が黒沢清を語る

先週、新聞に掲載されてたんですが、香川照之さんが「出会う」というタイトルでコラムを寄稿してまして。
ちょっと長いんですが、ご紹介します。

1997年の9月は、私にとって不思議な転換点となった。「蛇の道」という小さな映画で、私は黒沢清という男が監督する映画への出演を受けた。

男は同年、「CURE」というホラー作品のヒットで一躍時の人になる。しかし当時の私は、俳優がある演技をする時の「意味」などを監督にいちいち尋ねて「俺は考えてるぞ」的姿勢を過度に示す、若者の誰もが迷い込む落とし穴に深く陥っていて、脂が乗り、映画の手法を知り尽くしていた黒沢清のとってはひどく厄介な存在に映ったに違いない。
黒沢清はそんな私に実に具体的な指示を出した。いや、出さざるを得なかったと言った方が妥当だろう。
「ええと、ここで三秒経ったらあのドアまで歩いて、そこでしばらくじっとして下さい。で、おもむろにですね、こちらに歩いてきてくださいますか。あ、こっちに来る意味は、全然ありません
この、「意味は全然ない」という言葉を、その時私は何度聞いたことか。俳優の動きは「意味」を伴って初めて存在すると信じていたささやかな私の孤塁を、男はものの見事に破壊した。私は言葉を失った。

しかし、である。一つの意味を理屈で懇々と説明されるよりも、「意味はない」と先手を打って言われた方が、俳優という生き物は、非常事態発生とばかりに自分自身の中に自らの行動原理のようなものを急いで探し出し、理屈では想像し得ない直観的動きに瞬時にシフトする場合があることに次第に私は気づき出した。目から鱗、だった。私は、今度こそ本当に言葉を失った。
この作品以来、私は、事前に計算した「意味」を、あるいは計算そのものを演技の中に求めることを辞める決心をした。少なくともそう努めようとした。それが、私が黒沢清から貰った宝だ。


香川照之さんという人は、ご存知の通り、猿之助さんのご子息なワケですけど、その、本人は東大を出ている、という、非常にインテリジェントリィな人間でもあるんです。
まぁ、この、過度に“理屈っぽい”文章を読めば、その人柄がなんとなく分かると思うんですが。



その香川さんが、32歳の時の“出会い”ですね
で、その香川さんの俳優としてのキャリアを見てみると、やはり、この黒沢監督に言われた「意味は全然ない」という一言が、大きな影響力を持っていたんだな、ということが何となく感じられたりして。



だって、昔は「静かなるドン」とかやってた人ですからね。


まぁ、黒沢清偉大なり、と。そういうことで。


0 件のコメント:

コメントを投稿