2009年7月15日水曜日

「ソルジャー・ストーリー」を観る

月曜の深夜にやってる映画天国っつーので観た「ソルジャー・ストーリー」の感想です。



う~ん。いい作品でした。
この作品のことは、不覚にも知らなくって、この機会に観れてよかった、なんて思ってるんですけど、監督は「夜の大捜査線」と同じ人で、音楽を担当してるのはハービー・ハンコック。

作品のストーリーも、「夜の~」と良く似た構造を持ってるんですが、作品自体を巡る環境も、良く似てますよね。
「夜の~」は、もちろんシドニー・ポワチエですけど、こちらには、デンゼル・ワシントンがとても重要な役で出てます。
ちなみに、この作品は「夜の~」の15年後。ただし、こちらの方がかなりのローバジェットなハズです。

作品の舞台となる時代は、第二次世界大戦中、1944年。
実は「プライベートライアン」と殆ど同じ時期という時代設定ですね。



で。
ストーリーは、陸軍の黒人部隊で、ある黒人の下士官が殺されて、その事件の調査に、ワシントンから将校が派遣されてくるんだけど、その将校は実は黒人で、という。
で、その黒人将校が、事件の調査をしていく、と。
調査といっても、関係者・目撃者の聞き取りをしていくだけなんで、ほぼ安楽椅子探偵モノに近い感じ。

で、聞き取りを受けている人間が語る内容が、過去の出来事として映像で語られていく、という。
現在の時系列に、回想シーンを挿入して、ストーリーを運ぶ、という、いわゆるミステリーの正統派の手法を使いながら、しかし、徹底的に、黒人差別のさまを描写していく、と。

もうホントに、後味とかすげー悪いぐらい、その描写は徹底してるんですよねぇ。
字幕には表れてないんですけど、「ボーイ(Boy)」という言葉があって。

これは、黒人男性を白人が呼ぶ時の言葉なんですね。「ミスター」じゃなくって、「ボーイ」。
一人前の大人扱い、つまり一人の人間として相手を扱っていない、という、象徴的な言葉なんですけど、これがとにかく徹底的に使われる。
“将校”でも、黒人なら「ボーイ」、つまり“クソガキ”だ、と。


それから、ストーリーが進むにつれて、被害者の黒人下士官がどういう人物だったのか、ということが明らかになってくるんです。
その、分裂症気味な人間だった、というのが。
そして、その“症例”に追い込んだのも、人種差別という“現実”なんだ、ということも描かれていくんですね。

要するに、徹底した差別(被差別)という過酷な現実の中で、黒人として、黒人の軍人としてどう生きていくか、という対立が存在していた、ということが、少しずつ明らかになっていくんですね。
その対立は、その被害者の人格の中にも「葛藤」という形で存在していて、同時に、調査を進める黒人将校の仲にもあるモノでもあって。

まぁ、それこそが作品のテーマなんだろうけど。
その辺の話の運びは、あんまり上手だとは思わないんだけど、ちゃんと作ってあります。

これは、ただ私小説風にテーマを語っていくのとは違って、ミステリーの形を借りて、というのが生きてる部分ですね。
ミステリーでは、「葛藤」が“動機”になり、同時に共感の道具にもなってる、というのは、王道な方法論ですから。



それから、これはディテールのアレなんですが、基地の司令官の私邸を訪れたときに、その家のマダムが庭仕事をしていて、フッとマダムが退くと、その奥に“ハウスニガー”が仕事している、という、なかなかパンチの効いた画がありました。


それから、これが実は一番重要なのかもしれないんだけど、その、白人たちの、黒人を差別している側の、相手(黒人たち)を侮蔑し蔑みながら、同時に怖れている、という表情がちゃんと表現できている、という部分。
その怖れは、差別している自分たちへの負い目から生まれてくるものでもあるんだけど。
そして、その怖れこそが“憎悪”を生み、という負のスパイラルがあって。
ま、それはそれで、別のアレですけどね。

でもホントに、人種差別の描写は徹底してる、と。そういう意味ではホントに凄い作品です。
低予算だけど、という意味でも凄いと思うし。



というワケで、未見だった自分を恥じながらも、いい作品を観れて良かったなぁ、と。


そういう作品でした。

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