2008年6月10日火曜日

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を観た

賞レース総なめの傑作「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を、渋谷のオサレなQAXで観た。

一週間以上前に観たんですが、感想を書くのを忘れてたので。
“忘れてた”というと、なんか、どうでもいいぐらいの凡作、みたいなアレですが、全然そんなことないっス。
傑作です。


とりあえず、冒頭15分くらい、延々と、油田(最初は、金鉱)の中での、“沈黙”が続くんですが、まずはここが圧巻ですよね。暗闇と、外の灼熱の太陽。一瞬「昼間だったのか」と。それくらい、暗闇と太陽光のコントラストが凄いです。コントラストというより、コンフリクション。

その後、成功へと駆け上がっていくシークエンスは、光に覆われ、包まれ、明るい色調で構成された画面が続くんですが、一転、家族の“喪失”やなんやかんやのシークエンスになると、再び黒味が強調されるようになる、と。

まぁ、しかし、なんつーか、そういう“表層的”なアレではなく、作品のテーマ自体について語るべきですよね。

この手のコスチューム・プレイの場合、「現代社会の問題点を描く為に、そのメタファーとして“過去”を使う」ということが多いワケで、この作品も、そういう切り口で捉えるべきなのかもしれません。
例えば、石油だけに、イラクとか、キリスト教の信仰云々でブッシュ大統領、とか。
しかし、そういう、余計な事をこちらに考えさせないぐらいの迫力と凄味と斬れ味を、この作品が放っていることも確かで。
“黒澤明”的な普遍性、というか。

ま、抽象論は、いっか。


信仰v.s.マネー。キリストv.s.石油。
主人公ダニエルと、彼に相対する“若者”。この2人の鏡像関係が、ストーリーの大きな要素の一つですよね。

ストーリーは、基本的には、主人公ダニエルの人生を追う、という形になってて、とりあえず、成功するまでのシークエンスがまず一つ。ここでは、息子(として、育てている)との絆や、石油という“恩恵”がもたらす諸々、というのが描かれます。
中盤では、その、鏡像のような存在の“若者”との対立と、同時に、爆発事故という悲劇が起きます。
その後には、息子との決別や再会、その間に挿入される弟の登場、と、ダニエルの、家族というモノに対する“喪失感”や“憧れ”や“恨み”というモノが描かれ、それを通して、ダニエルの“心の中の空白”が明示される、と。
その“心の中の空白”こそが、“若者”が唱える“信仰”なワケですが、逆に、“若者”が持っているのは“心の中の充足”なだけで、逆に信仰に進む過程で、自ら家族を拒絶したりするワケですね。


あまり強調されませんが、ダニエルが、田舎の小さなコミュニティに、石油の採掘と共に持ち込んだ「みんなで潤おう」という考え方は、なんていうか、企業のトップたるダニエルがコミュニティ全体に“父権”を行使する、という形で実行されるワケです。
石油を掘り、その利益(の、一部)を地元に還元し、教会や学校も建設し、幼い女の子を暴力から庇護し、という形で。
それはつまり、コミュニティに元からあった、小さな家族単位の中での“父権”の否定なんですね。家族の中で父親として、つまり小さな暴君として君臨していた、それぞれの家庭の父親は、その“父権”を、ダニエルの存在に吸収され、取り上げられてしまう。

同時に、ダニエルの鏡像である“若者”も、牧師というか神父というか、宗教的なリーダーとして“開眼”する過程で、自分の実の父親に暴言を吐き、殴りかかります。



つまり、最初に書いた、ダニエル対若者、つまり、マネーv.s.キリスト、という実はシンプルな二項対立の他に、もう一つ、家族という要素が、それぞれと対立してある、と。


ストーリー上も、若者の家族との衝突の後に、ダニエルの家族との関係が連続して繋げられたりしてますね。
ラストでも、ダニエルの息子が父親の元を去った後に、若者がやってくる、という順番になってますし。



もう一つ、ダニエルを受け入れたコミュニティの中では、父権はダニエルに吸収する形で失われるワケですが、一人だけ、ダニエルと取引をしなかった一族、というのが描かれます。
ここには、ダニエルにライフルの銃口を突きつける、という形で、不服従を示す、“祖父”というのが居るワケです。この“祖父”は、ちょっと忘れた頃に登場するので結構印象的なんですが、ま、そういう意味合いも兼ねてる、と。
つまり、ダニエルと取引をしなかったので、家族が維持されている、というメタファー。



そして、ラストの、マイ・ボールやマイ・シューズどころじゃない、ボーリングのマイ・レーンでの、若者との再会。
ここで、2人の関係が、なんていうか、「ただの商売上の敵」だったことが明かされるワケですね。
つまり、若者もただのビジネスマンに過ぎなかったのだ、と。
ダニエルがビジネスマンとして扱うモノが石油(と、その採掘)だとしたら、若者は、単に「商品として神を扱っていたビジネスマン」に過ぎなかったのだ、と。


つまり、この物語は実は、マネーv.s.家族(の、絆)をめぐる物語だったのだ、と。

ダニエルは唯一の息子を、自らその関係を否定した上で、失い、“祖父”の一族もまた、取引を望んでいると若者から語られることで崩壊が示され、つまり、マネーだけが勝者として残ってしまっている、と。
若者と、ダニエルが。

ラストは、その2人が共に崩れ落ちる、というショットで終わります。(若者の方は死んでますね)
それはつまり、マネーの、その勝利の虚しさ、でしょう。ラストのショットの意味は。



どうでしょうか? 違うでしょうか?




しかし、役名もダニエルってことで、徹頭徹尾、ダニエル・デイ=ルイスの為の作品って感じですかねぇ。
他の役の配役も、上手にダニエル・デイ=ルイスと対比されるように配役されてますからね。


いやいや。傑作。というより、超問題作。
でした。



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