2012年12月17日月曜日

「009 RE:CYBORG」を観た

バルト9で、3Dアニメ「009 RE:CYBORG」を観た。



「009」のリメイク、3D、監督は神山健治ってことで、これはもう「絶対に劇場で観ないとダメだ」ってことで、バルト9へ。
わざわざネットで予約して行きましたからねぇ。
一番大きなスクリーンではなかったんですが、観てきました。3Dで。

で、と。


面白かったんですけどねぇ。

幾つか微妙にひっかかるトコがあって、まぁ、期待値が物凄い高かったので、そのせいで評価が辛くなった、という部分はあると思うんですが。

まず、これはもう冒頭からなんですけど、アニメ(セルアニメ)の3Dってことなんですが、その、特に都市(東京、NY)の、背景になる部分というか、その、ビルが屹立している様子が、なんか縮尺があってない気がする、というか、これは単なる違和感なんだけど、そこがどうも気になっちゃってしょうがない、というか。
スクリーンが小さいせいなのかなぁ、とも思うんですけど、なんか、ミニチュアって感じを受けちゃって、で、一度そういう感じになっちゃうと、もうずっとそれが引っかかってしまって。

“質感”とか“重量感”の問題なんですかね?

単純に、遠近感を事後的に(人工的に)表現するのには、遠くの方をボカすワケですけど、そういう案配の問題なのかなぁ、とか。

3Dだから、いわゆる平面のアニメなら許容されているハズの感覚的な違和感が、どうもしっくりきてない、という問題なのか・・・。

はっきりしたことは分からないんですけど、特に前半部分に多用されている、“都市の俯瞰”のショットが、とにかく「なんか違う」と。



ストーリーの部分でも、なんかなぁ、という部分はあって。

というか、単純に、「もっと活劇として作れば良かったのに」というのが、まず浮かんだ感想なんですよねぇ。
そっちに振り切って欲しかったな、というか。
そういうのを描ける媒体だし、それが出来る作り手なハズなワケだし、そういうのを期待している人も多かったと思うんですけど。

振り返ると、アクションの斬れ味も、絵と音とカットの切り方とでグイグイ魅せていく、という部分は、あるにはあったんですけど、時間的にも、そして質的にも、なんか物足りない、という感じで。
もっと出来るでしょ!

古典のリメイクってことで、なんかヘンな抑制効かせちゃったんですかねぇ?


逆に例えば、内省的な方向に持っていくとしたら、009がなかなか“覚醒”しない、とか、そういう形もあったと思うんですね。
「延々と高校生活を繰り返す」という制約を課せられている主人公が、その生活の中で「彼の声(=神の声?)」を聴いちゃって、対話を始めちゃって、テロを起こそうという行動を起こし始めちゃって、それを他のメンバーが抑えようとして、という風に動いていくストーリーだって、あると思うし。
(009と正面から戦って抑え込もうとするメンバーと、“覚醒”すれば正気に戻ると信じるメンバーとの対立、というアングルもあるしね。)

キャラ立ちはねぇ。
さすが古典だけあって、キャラクターそれぞれの個性とかバランスなんかは、ホントに最高だと思うし、“チーム感”みたいなのも、やっぱりグッときますよ。
色んな個性のメンバーが、それぞれの個性を発揮しながら戦う、という、ね。
いいです。ホントに。

でもそれは、やっぱり「アクション」の為の“チーム”なんですよ。絶対。
004の、あのニヒルな感じ!
あの笑みを浮べながら、しかし仲間のために戦う、という、あの感じですよ!

そこは絶対に肯定したい!

だけどね、と。


例えば、戦闘機同士のドッグファイトなんて、悪い冗談ですよ。
そんなのが観たいワケじゃないッス。
「009」なんですから。


サイボーグ部分の、部品をチューンナップしているショットとか、そういうのが見たいワケです。
3Dで!
敵と戦って、サイボーグなのに敵にやられて傷ついて倒れて、仲間に助けられて、そして博士にチューンナップしてもらって、そしてまた仲間と共に闘いに赴く、みたいな!

ま、それはあくまで、個人の勝手なアレですけど。

勝手なアレといえば、もう一つあって、それは、003のお色気。
お色気って、必要か?

例えばボンドガールとか峰不二子の“お色気”っていうのは、必要性が絶対的にあるワケですよ。
ストーリー的に。

でも、003に関しては、別にファムファタールでもないし、必要性がまったくないでしょ。
草薙素子には、“あの身体”であることの必要性があるワケです。“あの身体”で闘うワケだし。

でも、003は、別に自分の肉体を使って闘ったりはしないでしょ?
あんな胸を強調したり脚線美を誇ったりする必要は無いでしょ。
なにか“母性”を投影する、みたいなこともストーリーの流れの中では起こらないし。

製作上、“ニーズ”に応える必要がある、ということならば、別に“そういう役割”を担うキャラクターを立てるべきでしょ。

アニメーションでは、キャラクターの造形も製作者が自由に決定できるワケで、そうである以上、そういうトコはちゃんとしないとダメでしょ。
作品の“主眼”に、例えば「神と相対する人間」みたいな、つまり何かしらのメッセージを語ろう、ということを置くのであれば、尚更、ね。


ちょっと違うんじゃないのかな、と。



うん。



期待してただけにね。



「009」のリメイクなんて、ホントに日本中のクリエーターの垂涎のナントカですよ。
もっと出来ましたよ。
ただ「良かった」っていう、平均点とか、ぼんやりとした印象だけの感想じゃ、ダメなワケです。「009」なんですから。
神山健治なんですから。


ね。


なんか、雰囲気的に、続編がありそうな感じなんで、そちらに期待します。


今日はこの辺で。
でわ。





0 件のコメント:

コメントを投稿