2010年7月11日日曜日

「エグザイル/絆」を観る

ジョニー・トー監督の「エグザイル/絆」を観る。


実は、ジョニー・トー作品というのは、個人的に“敢えて避けていた”感じのアレでして…。

まぁ、ハードボイルド/ノワール・ジャンルを語るには、今や外せない人物なワケですが…。



どうしてか、香港ノワールはあんまりなー、なんて、まぁ、食わず嫌いではないんですけど、ちょっと濃すぎる、というか、ね。


いい作品ばっかりなんですけどね。


特にこの作品に関して、いいところは、なんていうか、「コーヒーセット」じゃありませんよ、という部分。
「エスプレッソ」です、と。

どうしても、“コーヒー”を商品として売り出そう、という場合に、“セット”にしちゃいがちなワケですよ。一番悪い時の日本映画とか、あとは、マーケティング・リサーチをしまくったあとのハリウッド・アクションなんかもそうなんでしょうけど。

いろいろ、付け足したくなる。
ストーリーの“説明”も含めて。


トーは、そうはしない、と。
一点集中。
濃度をより濃くする、という方法論でエンターテイメント性を獲得する、という。

あと、予算の部分ですね。

ある程度、諦めているワケです。
無理しない。

予算的に、あるいは技術的に、できる範囲のことをトコトン突き詰めていく。
「アイキャッチのために、迫力ある爆発シーンを~」なんてことはしない。
セットを作って、その、狭い空間の中で銃撃戦をやる、と。トコトンそこにこだわる。
思い切ってそこに注力することで、テンションの高い画と“空間”を構築できるワケです。

そして、それが、“作家”の個性にもなる。



まぁ、そういうことなんじゃないかと思うんですけどねー。




しかし、よく不思議に思うのが、香港人のパーソナリティと、この、いかにもタランティーノが喜びそうなマチズムって、どういう具合の相性なんだろうか、ということ。
好きですよね。こういうの。

イギリスの、つまりヨーロッパの感覚ではないですよねぇ。

中華圏に好まれる発想なんですかねぇ。
武侠小説なんていうジャンルもあるらしいって話は、ウォン・カーウァイの「楽園の瑕」が公開されたときにいろいろ紹介されたトピックの中で読んだことがありましたけど。


独特の“悲哀”の部分。
かといって、湿っぽすぎない、という。

あと、やっぱり「都市の物語」ってことは特徴かな。香港(と、マカオ)って、市街地ですもんね。「砂漠に逃げる」みたいなことにはなりませんからね。(例えば、中国本土に逃げる、ということも、やろうと思えばできるワケですが、そこはやらない、と。拡散させない。そこの割り切りのよさ)


そういうトコなのかなー。


世界中でウケてるワケですから、世界中に、このノワール感を受容する感覚があるってことでもあるワケですけど。



いまさらエキゾチズムって話でもないだろうしねー。



まぁ、もちろん、演出の切れ味とか、黒みを強調した色使いとか、ジョニー・トーの“作家としての武器”というのは、これはもうビンビンなワケですけど、でも、そこだけじゃないと思うんだよなー。
この人の個性って。

“けれん味”って言葉がよく使われるタイプの人だと思いますけど。

振り切る感じ。


だけど、それだけじゃないですよねぇ。


ジョニー・トー。
この感じ。


うまく言えないなぁ…。



それにしても、グダグダな感想だな…。



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