2009年7月29日水曜日

ウェブにおける動画 ―映像とテキスト―

ちょっと、このブログの趣旨とはズレちゃう内容なんですが、パラパラ読み返していた、少し前の本に、昨日のエントリーの続きみたいなことが書いてあったので、せっかくなので、ここでご紹介。


2005年に発刊されている「アルファブロガー」という本なんですけど。
正直、このタイトルの本を読んでる、ということ自体が、かなりサブいというか、お恥ずかしい感じではありますが、それはさておき。


「切り込み隊長」さんという、まぁ、知ってる人はめちゃめちゃ知ってる、という人のインタビューです。(ちなみに、俺は全然知りませんでした。今でもブログを読んだりしたことはないです。)

テキストを読みに来た人というのは、たとえその広告がテキストと被った内容であっても動画を観てくれない。だからお金の払いようがなくて触手が伸びない。で、テキスト的に面白いものだけ伸びていく。

映像は、映像単独のビジネスの場合には成立するんですよね。ただ映像を観に来た人は映像だけ摂取して終わる。映像を観にくる人ってのはテキストと一緒に映像を観ることを好まない。
「GyaO」のように、「映像配信でござい、ブロードバンドでござい」みたいなトコに映像を観に行くことはするんですよ。それこそ、数十万、数百万というオーダーで。じゃあそれでUSENのサイトに行くか、というと行かないんですね。観たいと思った特定のジャンルの映像を観たら他のものはもう観ないんですよ。

例えば「あしたのジョー」が目玉だというときに、「あしたのジョー」を観た人が他の映画も一緒に観ていくかというと観ていかないんですよね。あれが不思議で。
だって、テキスト読む人ってそれを読んだ後にリンクを辿って他のところに飛んでいくじゃないですか。でも、映像観る人は目的の映像だけ観て終わり。
これはもうそのカテゴリーのユーザーの特性としかいいようがない。「GyaO」も「casTY」もユーザーは増えているけど、びっくりするぐらい他に飛んで行かないんですよね。

この、インタビュー(の、ある一部分)は、「ブログと映像の親和性」ということについて語ってて。


これはもう5年前ぐらいの話なんで、今とはかなり状況が違ってるんですが、ここでは「ブログの次の展開ってどんなのだろうか?」みたいな話で、「映像か?」と。
で、「ブログと映像(動画)は親和性が低いから、そうならないだろう」ということを言ってまして。「隊長」さんは。


ま、確かにそうなりましたね。
映像は、YouTubeとニコニコ動画という、ブログとはまったく違うシステムで提供されている形で、流通するようになりましたから。


インタビュアーも、ここでブログのことを「テキスト起源な今のインターネットからの連続的な発展の中」から出てきた、と言ってるんですが、ブログっていうのは、まさしくそうなワケで。
各々が、自分の思っていることを、テキストとして吐き出していく、という。
その吐き出したテキストの“流通の仕方”のフォーマットのひとつがブログだった、ということですから。


対して、今のウェブの動画というのは、これは「ファイル共有」ということですからね。
“動画共有”サイト。



で。


ここでは、受容する側、消費する側、読む側・観る側の話なんですけど、その、スタイルが違う、と。
テキストと動画は、重ならない、ということで。


う~ん。

言われてみれば、確かにそうかも。


頭の中のチャンネルが違う、という感覚は、確かにある。



基本的に、“デジタル化”っていうのは、「テキスト」⇒「写真」⇒「音声」⇒「動画」と、データの容量がそれぞれ一ケタずつ違う、ということもあって、こういう順番で、一段階ずつ進化してきたんだけど、あくまでそれは、技術側の理屈であって、受け取る側にとっては、あんまり関係ないんだ、と。

技術的な進化に沿ってコンテンツを変化(進化)させていく、というのは、技術的な面からの発想だと、当たり前みたいに感じるんだけど、実はそれは、地続きじゃなかった、というか。


まぁ、テレビと新聞は全然違うワケで、良く考えたら、当たり前っちゃ当たり前なんだけどね。


“表現方法”として考えると、映像(動画)の近接ジャンルとしては、やっぱり音楽や写真・絵画なんかがあるんだろうけど…。


テキストとの親和性ね…。



「映像は単体のビジネスなら上手くいく」と。


確かにそうだなぁ、と。




ま、映画っつーのはもともとがそういうもんだから、別にそれでいいんだ、ということでもあるんですけどね。
結論としては。


という話でした。

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