2009年6月6日土曜日

今週の「スジナシ」

今週の「スジナシ」は、宅間孝行。

ま、俳優としても腕のある人だと思うんですが、とりあえず現在はもっぱらシナリオライターとして“売れっ子”になってますよねぇ。

その人が、自ら演じながらストーリーを作っていかないといけない、という、即興ドラマの舞台に。
と、それだけでややテンションが上がってしまいました。

出来たストーリーは、何気に宅間印というか、“それっぽい”感じの出来上がり。
普通に感心しちゃった。「ほぇ」みたいな。
「普通にドラマになってる」って感じで。

作家(シナリオライター)としての宅間さんの“作風”っていうのは、あくまで俺の解釈ですが、まず、いわゆる“構造”を作るのが上手い。
で、その構造の、ホンの一部分だけを使ってストーリーを組み立てるんですね。
で、そのストーリーを語っていく過程で、あらかじめ作られている構造全体が、受け手に対して、少しずつ顕わになっていく。
ストーリーは、構造を語る為に運ばれていくんじゃないんですね。あくまでストーリーはストーリーとして、登場人物の動機だったり関係性だったりの為に進んでいく。
で、その中で、受け手が勝手に自分の想像力を駆動させて、その背後にある構造の存在、あるいは全貌に気付く、みたいなことが起きて、そこに“快感”みたいなのを感じてしまう、と。

そんな感じだと思うんです。

まぁ、伏線の張り方が巧い、という、すげー簡単な言い方もあるとは思うんですが。

これもあくまで俺の解釈ですが、三谷幸喜さんは、自分が作った構造を登場人物たちにいかに語らせるか、担がせるか、あるいは破壊させるか、みたいな感じ。作劇としては。
もちろん、登場人物も全部三谷さんの創造物なので、「自分が作った○○を語らせる」というのは、文法的におかしいんですが、本人の感覚で言うと、多分そんな感じなんじゃないかな、と。
そのためにストーリーがある、という。

自分が作った“構造”に、キャラクターが奉仕している。


宅間さんは、“構造”を作ることと、キャラクターを動かすということが、少し乖離していて、そこら辺に作家としての面白さの秘密があるんじゃないか、と。


なんつって。
これじゃ、「スジナシ」の感想じゃないですね。やめます。



とりあえず、今回の「スジナシ」は、アフタートークで宅間さんが言ってた「とにかく、衣装の交換というのがやりたかった」という意図どおり、ほぼ宅間さんの思い通りに進んだ感じ。

まず、出だしのインパクトが凄かった。「大丈夫だから」とか。
鶴瓶は、その前、宅間さんが登場する瞬間に「はぁはぁ」という息づかいが聴こえて、それで瞬間的に自分のキャラクターを変えたって言ってたんだけど、それも凄いです。
画面では、はっきりとその、変えた瞬間というのが映ってて、その切り替えは、凄かった。


で、なんだかんだ会話していくうちに、誘拐犯グループ、という設定が出てきて。
この設定の決定は、2人の“共犯”。
「黒いバッグ」が身代金の受け渡しのため、という鶴瓶のアイデアで、ですね。

で、凄いのは、ここから。
2人には“過去”があって、かつて万引きを見逃してくれた、とか、これはアフタートークで鶴瓶が言うんだけど「甥と叔父」だった、とか(宅間さんは、多分、実の親子ってイメージしてたと思う)、そこまで飛躍するトコ。


これは、「とにかく話を転がさないと」という、この企画の制約、ある種の“強制力”が2人の演者兼作家に作用して、無理やり捻り出されて来たストーリー(これは“構造”でもある)なワケですね。


その、ストーリーを捻り出すってだけじゃなくって、これを、「メガネがない」とか「靴下も脱げ」とか、そういうドタバタ劇を進行させながらやる、というとこも、凄い気がする。

凄いですよ。
だって、全然ベクトルが違うことをその場でやってるってことですから。


で、そんなこんなで、宅間さんが最後に、キチンと宅間さんらしい締め方で締めて、終劇。


う~ん。
即興ってことを抜きにしても全然面白いですよね、これって…。



あ、それから、セットの、実は大半を占めていた、駐輪場の部分を、宅間さんがまったく無視して使わなかった、というトコも結構驚きでした。
関係ないのね。
まったく無視。

ああいうセットがあったら、なんとなくそっちに引っ張られちゃいそうな気もするんだけどね。



ということで、さすが宅間孝行。
もちろん、鶴瓶も、ぶよぶよの半裸体の面白さも含めて、さすがでした。


面白かった!

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