2009年5月14日木曜日

「レオン」を観る

午後のロードショーで、リュック・ベッソン監督の、キャリア上の屈指の名作でもある、「レオン」を観る。

久しぶりだったんですが、結末を知ってても(むしろ、知ってるだけに)、なんて哀しい気持ちになるんだ、と。
そんな作品っス。
この作品は色々言う人もいますが、ま、個人的には断固支持したいな、と。


この作品のポイントは、“暴力”を描いているワケですけど、それを極めて陽性な画面で撮る、というところにあると思うんですね。
舞台はNYですから、撮ろうと思えばいくらでもダークに撮れるワケです。画質を荒くしたり、画面を暗くしたり、単純に暗い時間(夜)に物語を進行させたり。
ところが、この作品では、ほぼ前編に渡って真っ昼間なワケですね。クライマックスシーンに至っては、朝イチだったして。
バイオレンス描写を中心に据えた作品を、こういう陽性な画で撮る、というのは、これはかなりの力技だと思うんですよ。

ストーリーのプロットも、「絶対的な悪」がいて、そいつにただただ追い詰められていく、という、あまり捻りのない、とても直線的なラインになってて(まぁ、この解釈は色々あるんだろうし、作品自体の賛否もここに由来するとは思うんですが、俺はそういう風に理解してます)。
その部分でも、構造やトリックに“頼る”ことなく、ストーリーをただドライヴしていくだけなんですね。ストーリーの推進力を、演出の力でただ加速しているだけ、という。
そこも“力技”で語り切る、という。
個人的には、この作品を名作にしている要因はそこら辺にあるんじゃないのかな、と。

もちろん、中心にあるのは、「自分を愛せなかった男」と「愛されたことのない女の子」との間の悲劇にあるんですけど、それを真正面から描くんだ、という、そういう監督の意思が、ね。


ストーリーが直線だ、というのは、大きな伏線だとか、そういう伏線を張り巡らせたり、という手法が使われてない、という部分ですね。裏切りだとかそういうのはなくって、悪役は最後まで悪を全うし、2人は「必ず~」と再会の約束を交わして手を離し、その約束の為に闘うものの、破れ、殺され、しかし「2万ドルで依頼された殺しの約束」は果たす、という。
要するに、10分とか15分ぐらいの単位でストーリーがドライヴされていくんですね。何かが掲示され、その掲示に対して10分ぐらいしたら“解答”が掲示され、また次の何かが掲示され、ということの繰り返しで物語が最後まで進んでいく。
「起承転結」という言葉を借りれば「起承結承結承結転結」という感じ。
というのが、俺なりの解釈なんです。“正解”かどうかは分かりませんけど。


で。
とにかく切ない、と。観るたびに思いますねぇ。
特にマチルダ(ナタリー・ポートマン)の佇まいが、ね。
一番グッと来るのは、DEA(麻薬取締局)にピザのデリバリーを装って潜入したあと、男子トイレでゲイリー・オールドマンに見つかって、1対1で迫られるシーン。
トイレの一番奥にマチルダが立ってるんだけど、その立ち姿はホントに切ない。

あとはやっぱり、レオンに部屋に入れてくれと懇願するシーンですよねぇ。アパートの廊下の一番奥の部屋がレオンの部屋で、そこに逃げ込む、という。
あのドア越しの、2人の表情っつーのは、マジでグッときます。躊躇うレオンと、泣き顔で「ヘルプ」と口を動かすマチルダ。


う~ん。
名作。


しかし、今観ると、ゲイリー・オールドマンのキレっぷりがどんだけ凄いか、改めてその演技の凄みが分かるね。

キャスティング、ストーリー、ディテール、演出、どれも大好きです。



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