2009年2月16日月曜日

「クロウズ」という舞台を観ました

知り合いの役者さんが出演する、ということで、新宿のシアタートップスへ、「クロウズ」という舞台を観に行ってきました。
スロウライダーという劇団。
ちなみに、この劇団は、この公演で解散してしまうんだそうです。


で、「クロウズ」、「CROWS」。






なんと、ゾンビものでした。

劇団のウェブサイトを見ると、はっきりと、「一貫して現代演劇として正しい『ホラー』にこだわる。」と書いてあるので、それなりの覚悟をしていけば良かったんですが、迂闊にもその種の予備知識を全く仕入れないまま、ホントにただ知り合いが出るから、という理由だけで観劇に臨んだモンで、1匹目のゾンビの登場に、マジで震え上がりまして。

聞いてねーよ、と。



ホラーはダメなんだよぉぉぉぉぉぉ!


怖いのはヤなんだよぉぉぉぉぉ!




と、こちらがゾンビ化して叫びたかったぐらいでした。
ま、我慢しましたけど。



で。
作品ですが、これが素晴らしかった。

こういう、いわゆる小劇場の舞台を観ると、かなりの頻度で思うんですが、「なんでこんなにレベル高いんだろう」と。
この「クロウズ」も、映画用にシナリオを組み直したら、普通にナントカ新人賞とか獲っちゃうんじゃないの、ぐらいの感じで。
単なる俺のカン違いなんでしょうかねぇ。

「クロウズ」も、ロメロ直系の、ウィルスによってゾンビ化してしまった“リビング・デッド”たちが徘徊してて、彼らと人間たちとの戦いが・・・、という流れなんですが、そこからゴチャゴチャあり、という。

いやぁ。素晴らしいっス。


まず、ゾンビが二派に別れてるんですね。
ウィルスの沈静化から取り残された南の島が舞台になるんですけど、そこでは、ゾンビたちの身体の腐敗を止めるための“防腐剤”というのがゾンビたちに供給されていて、つまり、人間を襲う必要がないゾンビたち、というがいる、と。
「怪物くん」のドラキュラがトマトジュースを飲んでるのと同じですね。
防腐剤を使うグループと、人肉を喰おうというグループ。
それから、人間たち。

で、その戦いの中に、“現代社会の腐肉”がテーマとして次々と放り込まれていく。

「スクールカースト」に因る自意識を、相反する方向で抱えている同級生たち。
マッド・サイエンティストが抱える「承認」不全のトラウマ。それは「承認」を求めて偽善行為に自らをハメ込んでいく人物と、裏腹であったり。
ゾンビ化してしまった「競争社会の勝者」に投げかけられる「別ルートの幸せ」という言葉は、“ゾンビ化”自体が不条理なことはもちろん、競争社会自体が不条理でもあることも同時に指していたり。

戦いのさなかに突如として“パパのヘリコプター”で舞い降りてきたお嬢様が連れている「ペット」の衝撃。


つまりその、社会の“階層”でギリギリとどまっていたピラミッド構造が、ゾンビという存在が現れることで、そこにあったギリギリの人間性すら消滅しちゃって、“階層”ですらなくなってしまう、という。
つまり「階級制度」と呼ばれるモノになっちゃってる。

逆に言うと、既に確固としてある「階級制度」が、身にまとっていたカモフラージュが剥がされ、剥き出しになってしまっている。


そして、この社会批評性こそが、ロメロ直系の、ということなワケで。
(いや、その、ロメロは元来そういう人物である、という内容の言葉に触れたことがあるんですよ。俺自身がゾンビ映画にそういう種類の批評性を感じることは、あまりないっス。そもそもあまり観ないので。)



う~ん。
長々と、自分でも錯綜気味に書いてしまいましたが・・・。
舞台は、再現不可能性こそがその本質なワケで。
あんまり、内容云々を語るモノではないのかもしれませんね。
ま、映画の感想を書くような感じで書いてしまいました。


でも、自主製作の映画として作ろうとしても全然作れる内容だと思うんですけどね。
まぁ、それはさておき。


「クロウズ」。いい舞台でした。


でも、あれだね。
もっといい椅子に座って観たいよねぇ。パイプ椅子ですから。

俺には、狭いのよ。前後の間隔も、左右も。
すげー疲れるんだよねぇ。下半身が。


あ、あと、ショートカットの女優さんがカワイかった。





一応、ゾンビ映画を幾つか紹介しておきます。
ホントは苦手なんですけどね。


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