2008年12月19日金曜日

今年は「社会派」でしたね。

新聞に、今年の映画業界を回顧して、という記事が載ってたので、ご紹介。

戦後の黄金期に比べ、現代の日本映画には志の低い作品がはびこっている、との主張をよく耳にする。しかし最盛期の公開本数は500本を超えていた。つまり数本の名作を無数の凡作が支えていたのだ。凡作は淘汰されたに過ぎない。
08年、日本映画の公開本数は412本と、3年連続の400本台に達した。数年前まで200本台だったのがウソのような盛況だ。量が質を担保する。そんな命題を実証するように、日本映画は低迷期を脱し、秀作や話題作が目立った。
本数が増えれば、これまで触れにくかった社会問題に挑む冒険的な企画も現れる。若松孝二監督は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道」で、新左翼運動がたどり着いた結末を総括した。
阪本順治監督は「闇の子供たち」で人身売買や臓器売買に鋭い視線を投げかけた。極めて硬派な主題ながら、劇場には幅広い層の観客が詰めかけた。


日本映画の好調と対照的に外国映画は寂しい1年となった。特にアメリカの娯楽大作が不振を極めた。
ただ、娯楽大作が不振な時のアメリカは社会派の傑作群を生む。40年前のアメリカン・ニューシネマが証明している。今年も、石油王の破滅を描く「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」や殺し屋と保安官の追跡劇を冷徹に活写する「ノーカントリー」、巨大企業と戦う男を追った「フィクサー」がアカデミー賞を争った。
しかし、それがアメリカン・ニューシネマのようなうねりになるかは分からない。社会現象には若い観客の熱狂的支持が不可欠になる。彼らが映画に求めるもの。それは主人公への憧れだ。自らの手本にしたくなるライフスタイルだ。「俺たちに明日はない」や「イージー・ライダー」にはそれがあった。ラストは悲劇だが、彼らの生き方は格好良く輝いていた。現代の主人公は最初から重苦しい。誰も真似たくはあるまい。

若者が熱狂する主人公は若い作り手から生まれる。

まぁ、ぼちぼち「若い」とは言えなくなってきた“お年頃”ですけど、オイラも頑張ろう、と。


でも「最初から重苦しい」っていう指摘は、ちょっとグサッときたなぁ。

そういう時代なんだよ、ということだと思うんだけど、でも、それを物語を作るときの“言い訳”みたいにするのも、良くないワケで。



うん。


次に書こうと思って暖めているアイデアの、ヒントになったかもな。その辺は。

ま、もちろん、書いてみたいな分からない部分でもあるんだけど。


というワケで、「回顧」というより、「ちょっとしたヒント」という感じでした。


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